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しおりを挟む「ティムは何歳なの?」
「八歳」
まだほんの子供だ。
わたしはその年齢に驚いた。
「八歳で一人旅なんて、凄いのね…
アザールには何があるの?」
「家族、おれの本当の家」
ティムは詳しく話したくないのか、それだけ言うと、小さな口をキツク閉じた。
「あなたをアザールに送り届けたら、わたしはグラカスに帰るわね」
「グラカスに家があるのか?」
「ええ、だけど、両親と兄が亡くなって…
館も財産も全て叔父に渡ってしまったから、わたしは館を出て結婚する事になっているの…」
尤も、結婚式は明日…それとも、もう今日なのだろうか?
花嫁が行方不明なのだ、皆慌てているだろうし、叔父たちは予定を狂わされ、さぞかし憤慨している筈だ。
館に帰り、叔父たちと対峙すると思うと、憂鬱になった。
「叔父ってヤツがズルして、遺産を奪ったのか!?」
ティムが目を剥いた。
わたしは悲しく頭を横に振った。
「遺言に書かれていたの…
両親は急に亡くなるなんて、思わなかったのよ、事故だったの…」
無意識に指が首元のネックレスを弄る。
じんわりと涙が滲み、堪え切れなくなった時、白いハンカチが差し出された。
「はい、綺麗なのは、これしかないから…」
弱っていた心に優しさが沁みる。
わたしは「ありがとう」と微笑み、そっと目元に当てた。
◇
山道を降り、一旦、近くの村に立ち寄る事にした。
わたしは靴を持っていなかったので、ティムに予備の靴を借りた。
わたしの足は小さい方だが、それでも八歳の少年の靴は酷く窮屈で、歩き難かった。
ティムは恰好こそ質素だったが、野宿に必要な装備は揃えていたし、
どうやらかなりの金を持っている様で、「村で買ってやるから、それまでは我慢しろよ」と簡単に言った。
村まで行けば靴を買って貰える…
それを励みにわたしは痛みに耐えたのだった。
川沿いを歩き、陽が暮れる前に山を下りる事が出来た。
ティムは道を避け、茂みの方に進んで行く。
「ティム?そっちに何かあるの?」
「道の真中で野宿なんかしたら、賊に襲われるかもしれないだろ!
人目に付かない様にするんだ」
「ティムは賢いのね!」
「別に、こんなの、常識だよ」
ティムは怒った様な顔で素っ気なく言ったが、その頬は赤く見えた。
照れてるのかしら?
わたしは笑いを堪え、ティムに付いて行った。
茂みの奥に小さく開けた場所があり、そこで一夜を明かす事にした。
葉や草を集めて地面に敷き、二人で並んで座った頃には陽はほとんど沈んでいた。
固くはあるが、我慢できない程では無い。
わたしは靴を脱ぎ、足を自由にした。
「ふぅ…」
痛いと思っていたが、足の指先や踵が擦れ、皮が剥けて血が滲んでいた。
わたしはティムに気付かれない様に、夜着の裾を引っ張って隠した。
「あー、腹減ったなぁー」
ティムはリユックをごそごそと漁り、包みを取り出した。
包みを解くと、中には薄い干し肉が数枚入っていた。
目が覚めてから碌に食べていなかった事もあり、わたしのお腹は催促の声を上げた。
クゥ~…クゥルル…
「めっちゃ、鳴ってるじゃん!」
少年が大声で言うので、わたしは真っ赤になった。
「い、言わないでよぉ…」
どうにか音を止めようと手で押さえたが、まるで効果は無かった。
少年は愉快そうに笑い、干し肉を一枚分けてくれた。
「明日は村に着くんだろう?今夜はこれで我慢な!」
どちらが年上か分からない位、ティムはしっかりしている。
「ありがとう…」
わたしは有難く干し肉に齧り付いた。
干し肉を食べ終え、水筒の水を飲むと幾らか落ち着いた。
「ふぅ…」と満足の息が漏れる。
わたしがそうしている間も、ティムは何やらごそごそとしていた。
筒状に巻いていた布を解き、それを暗い空に向けてはためかせる…
フワッ
布が空気を含み、大きく広がった。
ティムは布を肩に掛けると、一方を開き、わたしに向けた。
「夜は寒いから、入れてやるよ!」
誰かと引っ付いて寝た事は無いし、異性という事もあり、迷ったが、
相手は八歳の子供___意識するのも変だと、わたしは思い直した。
「ありがとう」
わたしは小さな体にひっつき、布を体に巻き付けた。
ティムの体温は温かく、暫くすると、心地良い温もりに包まれていた。
気持ちいい…
意識がフワフワとし、瞼が下りて来る。
必死に上げようとしたが、どうにもままならず、わたしは幾らも経たない内に、深い眠りに落ちていた。
チチチ…
チチチ…
小鳥の声と肌に感じる明るい陽に、わたしの意識は浮上した。
目を開けると、わたしは一人で布に包まっていた。
「ティム…?」
ティムの姿がなく焦ったが、直ぐ側に置かれたリュックに気付き、息を吐いた。
「置いて行かれたかと思った…」
こんな場所に独り残されたら、とても生きていけないだろう。
わたしは布をバサバサと振り、砂や葉を取った。
折りたたみ、クルクルと巻いていると、ガサガサと茂みが揺れ、ティムが現れた。
「やっと起きた!はい!朝食!」
ティムが抱えていた赤い果実を一つ、わたしに突き出した。
わたしはティムの姿に安堵し、「ありがとう」と受け取った。
「アンジェリーヌ、どうしたんだよ、その足!」
ティムが素っ頓狂な声を上げるので驚いてしまった。
それだけではない、ティムは怯えた顔でわたしの足を見ている。
「足?」
わたしは皮の剥けた足の指を見て、それを思い出した。
「ああ、靴擦れをしたの、慣れない靴だから…」
「それなら、早く言えばいいだろう!」
ティムは怒った様に言うと、抱えていた果実を放り出し、リュックに顔を突っ込んだ。
そして、何やら取り出すと、わたしの手を掴んだ。
「こっち!川があるから!早く!」
わたしを急がせ向かったのは、川辺だった。
「洗って!」
川辺に座り、足を浸す。
朝の水は氷る様に冷たく、身が竦んだ。それに傷が酷く痛む。
手早く足を洗うと、ティムが「拭いて!」と布をくれた。
それから、何やら薬を塗ってくれ、布を引き裂き足に巻いてくれた。
「ありがとう、でも、これだと靴が入らないわ…」
「いいよ、アンジェリーヌはここに居て、おれがひとっ走り行って、靴を買ってくる」
「待って!」
わたしは咄嗟に、ティムの小さな手を掴んでいた。
ティムが「何?」と顔を顰める。
「一緒に行く…独りになりたくないの」
「けど、その足じゃ、歩けないだろ、
大丈夫だって、村は近いし、流石のおれでも迷わないって!」
「頑張って歩くから!お願い、連れて行って」
わたしは必死に頼み込んでいた。
ティムを信じていない訳ではないが、家族の様に事故に遭わないとも限らない。
《絶対》なんて無いのだから___
ティムは渋っていたが、折れてくれた。
「そこまで言うなら、連れて行ってやるけど、後で後悔すんなよ!」
再び窮屈な靴に入れられた足は、酷く痛み、歩くのも辛かったが、
置いて行かれる事を思えば、我慢出来た。
ティムは何だかんだ言いつつも、ゆっくりと歩いてくれた。
わたしたちは昼前には、村に辿り着く事が出来た。
小さな村で農園や牧場が多く、牛や羊がのんびりと草を食べていた。
それを過ぎると住居も多くなり、通りには店が集まっていた。
ティムは直ぐに靴屋を探してくれ、わたしの足に合う靴を買ってくれた。
それから薬屋で足の手当をして貰った。
服屋で適当な服を買ったが、それは女性用ではなく、男性用だった。
「女と子供じゃ、狙われ易いだろ」
わたしは納得し、胸に布を巻き、見た事もない質素なシャツを被った。
そして、ズボンを穿き、ローブを羽織った。
「どうかな?」
ティムの前で、両手を広げてクルリと回って見せる。
ティムははっきりと顔を顰めた。
「男っぽくない!」
「そうかな?髭を着けた方がいいかしら?」
「なんか、なよなよしてるし、内股じゃん!」
「男になるって難しいのねぇ…」
わたしが嘆息すると、ティムも嘆息した。
「アンジェリーヌ、絶対、才能無い…
そうだ、これからは《アンリ》って呼ぶからな!」
男の名だ。
男の名で呼べば、周囲にも男と思って貰えるだろう。
「分かったわ」
「もっと男っぽく!声は低く!」
「了解っ!」
男になるのは大変そうだ。
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