【完結】没落令嬢の結婚前夜

白雨 音

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結婚式の前日の午後、辺境伯の馬車が二台、館に着いた。
立派で造りのしっかりとした馬車で、一台には辺境伯と護衛が、
もう一台には侍女が二人と、わたしの結婚式用の衣装等が乗っていた。
デラージュ伯爵邸に泊まり、翌昼前に町の礼拝堂で式を挙げる手筈だった。

わたしが呼ばれて行くと、辺境伯はわたしをじっと見つめた。
相変らず、表情は無く、挨拶も素っ気ないものだった。

「結婚後は私の館で暮らすのだから、侍女にも慣れておけ」

辺境伯の意向で、彼が連れて来た侍女、ニナとリリーがわたしの世話係に就けられた。
彼女たちはレディースメイドも兼ねているらしく、
「準備は私たちにお任せ下さい」と、わたしを丁寧に磨き上げた。

夜には辺境伯を招いての晩餐会が開かれたが、盛り上がっているのは、
叔父夫婦、ジョルジュとキャスリーンだけで、わたしと辺境伯は終始無言だった。

こんな調子で、上手くいくのかしら…

今更ながらに結婚生活が不安になってくる。
幾ら不安があっても、止める事は出来ないが…


わたしの寝支度を終えると、ニナとリリーは隣の部屋へ引き上げた。
しんと静まり返る部屋…

「とうとう、明日、結婚するのね…」

ベッドに入ると、再び不安に襲われた。
中々寝付けず、ベッドの中で何度も寝返りを打った。

夜が明けなければいい…

そんな事を願い、静寂を過ごした。
どのくらい時間が経ったかは分からないが、「カチャリ」と小さな音を耳にし、意識が引き戻された。

キィィ…

扉が開く音に、恐怖する。
心臓が煩くなり、全身の血が引いた。

辺境伯が来たのだと思った。
結婚前に関係を持ってはいけない決まりだが、辺境伯ともなれば、規則等関係無いのだろう。

わたしはどうすればこの窮地から脱する事が出来るか、動かない頭を必死で働かせた。
このまま、じっとしていれば、諦めて貰えるだろうか?
それとも、結婚するまでは待って欲しいと懇願すべきだろうか?
わたしは逡巡した結果、上掛けを体に巻き付け、体を起こした。

「!?」

わたしもだが、相手も驚き、足を止めた。
そこにいたのは、予想していた人では無かった。
ランプを手に立っていたのは、辺境伯ではなく、従兄のジョルジュだ___

「な、何をしているの!?」

わたしは驚きと嫌悪感から、思わず声を上げていた。
ジョルジュは驚いていたが、我に返ったのか、ニヤリと醜悪な笑みを見せた。

「眠れないんじゃないかと思って、わざわざ来てやったんだろう」

「結構です、早く出て行って下さい!人を呼びますよ!」

わたしは厳しい口調で言ったが、ジョルジュはニヤニヤとするばかりだ。

「馬鹿だなー、ここは俺の家だぜ?おまえなんかに指示される覚えはないね!
明日になれば、おまえはあの辺境伯のもんだけど、それまでは、俺の家のもんなんだよ、
好きにさせて貰うぜ」

ジョルジュが掴み掛かって来た。
わたしは咄嗟に手を振り払い、ベッドから飛び降りた。
逃げようとしたが、ジョルジュが両腕を広げて前を塞ぐ。

「あんな男に抱かれて一生終えるとか、おまえが気の毒になってさ。
だって、大金積んで嫁を貰う奴だぜ?変な嗜好してるに決まってるって!
おまえだって、最初位、優しくされたいだろう?
俺が相手してやるよ、俺を満足させられたら、結婚した後も付き合ってやるぜ?」

考える余地などない、嫌悪感で吐き気がした。

「結構です!あなたに抱かれる位なら、辺境伯の方が百倍良いわ!」

ジョルジュや叔父たちへの嫌悪感から、わたしは厳しく言っていた。
だが、それは悪手だった。
ジョルジュは怒りを露わにし、「ふざけんな!!」と吠えた。
わたしは危機感から、身近にあった物を投げつけると、大窓を開けてテラスに出た。
外なら誰かに気付いて貰えるかもしれない。

「誰か___!」

助けて!!という叫びは、ジョルジュの手に塞がれた。

「黙れ!こいつ___!!」

わたしはなりふり構わずに手足を振り回した。
だが、思い切りジョルジュを突き飛ばした反動で、わたしは背にしていた手摺を超えてしまった。

落ちる___!!

「_____!!」

悲鳴を上げるも成す術なく、わたしは夜の闇の中へと落ちていったのだった。



『おい!』

『死んでんのか?』

『あ、息してるかー』

「おい、朝だぞ!起きろ____!!!」

雄叫びが耳を劈き、わたしは目を開けた。

「朝…?」

頭はぼうっとしている。
それに、背中にゴツゴツとしたものが当たって痛い。
目を擦ると、こちらを覗き込む、少年の顔が見えた。
金色の柔らかそうな髪、白い肌に大きな碧色の目をしていて、人形の様だ。
彼が小さな手をわたしに向けて振る。

「見えてるか?お姉さん大丈夫?事故ったの?それとも、夢遊病か何か?」

「ん…テラスから落ちて…」

わたしは記憶を辿った。
テラスから落ちたというのに、誰にも気付かれずに朝を迎えたのだろうか?
だが、ジョルジュからは逃げられた___
安心したのも束の間で、体を起こしたわたしは、茫然となった。

わたしがいるのは岩場で、近くには然程大きくはない川が流れ、
周囲には葉を茂らせた木々が見える。

「ここ…何処?」

少なくとも、デラージュ伯爵家ではない。
こんな景色、初めて見るわ…
でも、どうして見知らぬ場所にいるの?
幾ら記憶を辿っても、テラスから落ちた所までで終わってしまう。

「どっかの山ん中、お姉さん、人攫いにでも遭ったの?
何も持ってないし、そんな恰好してるし…」

わたしは自分の格好に気付き、「きゃ!!」と腕で胸元を隠した。
薄い夜着では、裸でいるのと同じだ。

「もう見たし、それにおれ赤ちゃんじゃないから、おっぱいになんか興味無いよ」

子供らしい発言に、わたしは少し安堵した。
とはいえ、隠さない訳にはいかない、わたしは子供ではないのだから。

「困ってんなら、おれんとこ来てもいいぜ」

少年はさっさと歩き出す。
わたしは逡巡したが、ずっとこうしている訳にもいかないので、少年の後を追いかけた。

「こっち!早く!」

少年は慣れた調子で岩場を渡った。
わたしには初めての事で、しかも裸足という事もあり、上手く歩けなかった。
足の裏が痛くてジンジンとしている。

「うう…待ってよぉ…」

半分泣きそうになりながら辿り着いた場所は、岩場に隠れた小さな洞穴だった。
火を起こした痕があり、奥にはリュックや荷が置かれていた。

「ここに、住んでいるの?」

「迷ったから、宿にしてるだけ」

「迷った?ご家族は?もしかして、独りなの?」

少年の身形は質素で、言葉使いも良いとはいえない、だが、その容姿は貴族子息に見える。
ちぐはぐで奇妙に思えた。

「あー、まー、色々あんだよ…取り敢えず、これ着ろよ!」

少年が渡してくれたのは、旅人が着る様な、フード付きのローブだった。

「ありがとう…」

丈は短いながらも、体をすっぽりと覆ってくれた。

「町に行けば買ってやるけど…」

少年が地図を開く。
わたしは一緒に覗き込んだ。

「ここは、どの辺?」

「多分、ここか、ここか、この辺かな?」

小さな指が示すのは、山ではあるが、場所は全くバラバラだった。
これでは迷うのも頷ける。
わたしは内心で嘆息した。

「君は何処から来たの?」

「ティムだよ、リベルテって町、知ってる?」

「わたしはアンジェリーヌよ、リベルテなら知っているわ、ここね。
ティムは何日歩いているの?」

「十日」

デラージュ伯爵邸からリベルテまでは、馬車で二日程度だ。
わたしはティムに歩いて来た場所の様子を思い出して貰い、見当をつけた。

「それだと、この山じゃないかしら?川があるから、ここね、何処に向かっているの?」

わたしが顔を上げると、ティムが目を丸くしてわたしを見ていた。
目が合うと、ティムは顔を赤くし、視線を反らした。

「び、びっくりしたんだよ!地図、分かるなんて…凄いじゃん」

思い掛けず褒められて、わたしはうれしくなった。

「ありがとう、道を覚えるのも、地図を読むのも得意なの」

「だったら、一緒に連れて行ってやってもいいぞ!」

強がっているのは丸分かりだ。
わたしは小さく笑い、「うん、お願いしようかな」と答えた。

「何処を目指しているの?」

「アザールって町」

アザールからデラージュ伯爵邸のあるグラカスまでは、かなり離れている。
デラージュ伯爵邸に帰らなくてはいけないが、後回しにしても良い気がした。
小さな子供が困っているのだ。

それに、わたしの事を心配している人はいないもの…

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