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本編
11 ディラン
しおりを挟む◇◇ ディラン ◇◇
俺は夏休暇の残りを使い、《臭い消しの薬》を作った。
アレンが「臭い」と言っていたからだ。
「この薬を持ってすれば、そんな事は二度と言えまい!」
魔法薬で、体臭の源を絶つ。
薬の持続時間は丸一日、脅威の効果だ。
体臭が無くなれば、どれだけ運動しても臭くない。
これで、あいつは存分に運動し、汗を流せる。
そして、人並みの令嬢…いや、俺の特訓があれば、それ以上に痩せられる筈だ!!
夏休暇明け、俺はこの成果を持ち、意気揚々と学園に登校した。
そして、プリムローズが現れるのを、今か今かと待っていた。
だが、そこに現れた彼女は…
婚約式の日から、全く変わった様に見えなかった。
俺は思いの外、強いダメージを受けた。
こんな事はあまり無い事だ。
俺はこの時、この瞬間まで、プリムローズを『意のままに操れる』と思っていたのだ。
思えば、根拠の無い自信だった。
いや、根拠はある、それは、俺が彼女の《婚約者》だという事だ!
だが、こいつは、それをあっさりと無視したのだ___!
こいつは…
俺の言う事など、聞けないというのか?
『自分と結婚しなければ、国を救う事は出来ない』と、俺を侮っているのか?
だが、確かに俺の方が、分が悪い。
そして、今、人の目がある中で、それを追求するのも不味い___
ここは、一先ず引き、体勢を整えるべきか…
俺は素早く計算し、取り敢えず、怒りを抑え込んだ。
「昼休憩に付き合え」
俺はそれだけ言い、前に向き直った。
昼休憩にはとことん追求してやるからな、覚えていろ!!
◇
昼休憩、俺が向かったのは、学園の裏庭の奥にあるベンチだった。
大樹に囲まれ、死角になっている所で、
一年時に俺が見つけた時には、荒れていて、ベンチも置かれてはいなかった。
人目を避けたい時に使える様に、ベンチを造り置き、秘密の場所とした。
そういった場所は、幾つかあった。
自然、安息の場を探してしまうのだ。
「ひー、はー、はー」
額から大量に汗を流し、肩で息をしているプリムローズを、ベンチに座らせ、
俺はその前に立った。
プリムローズは呑気にハンカチで、額の汗を拭いている。
大人しく従順に見えて、この女…意外と傲慢で我儘なのか?
俺が見誤るとは…失態だ!
「夏休暇の間に、少しは痩せろと言った筈だな?」
「す、すみません、努力はしたのですが…」
言い訳がましい!
それに、その言葉は、俺の一番嫌う言葉だ。
『努力はした』という奴は、大抵が、相応の努力をしていない。
自分に甘い者たちだ。
俺はフンと鼻を鳴らした。
「努力した様に見えれば、俺も何も言わないが、おまえには努力の跡が見えない。
本気で痩せる気があるのか疑う。俺の言う事など聞けないという事か?」
どういう考えなのかを聞こうと追及を始めたものの、
プリムローズが俯き、その丸い体を屈めて震え出した。
「う…くっ」
まさか、泣いて誤魔化す気か?
そんな女だったのか…
呆れと失望で、溜息が漏れた。
「碌に努力もしない者が泣くな、泣けば許されると思っているなら、間違いだ。
おまえの事を買い被っていた様だ…」
この女の事が分からなくなった。
いや、俺が簡単に考えていただけか?
単純そうに見えて、複雑なのだろう…
これからどう、調教していくべきか…と思案し始めた俺に、
思い掛けず、プリムローズが言葉を発した。
「し、失望させてしまい、申し訳ありません!
わたしなりの努力は致しました、ですが、結果として現れていないのも確かです、
どの様に申し開きをしても納得しては頂けないでしょう…
この上は、どうぞ、お気の済む様になさって下さい___」
どうせ、大した努力ではあるまい。
だが、潔くはある。
これなら、まだ望みはありそうだと、俺は少しだけ持ち直した。
「おまえなりの努力とは何だ?」
「この二月、従来の食事や菓子を半減し、散歩を致しました。
誘惑に駆られ、我慢できずに菓子を摘まんでしまう事もありましたが、
大方は水を飲み耐えて来ました」
彼女の言う事が本当であれば、確かに、人並みには努力をした様だ。
だが、結果は人並み以下だ。
「それで、何故痩せない?」
「それは、わたしにも…体質としか…」
体質だと!!!
全てを体質の所為にしていれば、何の進歩も無いだろう。
こいつは、どうして、俺を怒らせる事だけは上手いんだ!
価値観の相違、相性は最悪とも思える。
「ならば、体質かどうか、俺が見極める事にする。
俺の言う通りにし、痩せなかった時には、おまえに謝罪する、それでいいか?」
「は、はい!この身はディラン様にお預けしますので、どうか、よろしくお願い致します」
プリムローズがベンチを降り、その場に平伏した。
これはパフォーマンスか?それとも、本気でやっているのか?
俺には判断出来ず、流す事にした。
「おまえが平伏してどうする、まぁ、いい…おまえにこれをやる」
俺は懐から、手の平に乗る程度の瓶を取り出した。
俺の夏休暇の成果、《臭い消しの薬》だ。
プリムローズは白く小さく、だが肉厚な両手を掲げて受け取った。
これが演技だとしたら、俺は滑稽な道化師だ。
うんざりとしつつも、伝えるべき事は伝えた。
「臭い消しの薬だ、効果は丸一日程度、毎朝全身に薄く伸ばして塗れ」
「その様な、便利な物があるとは知りませんでした…
ディラン様、何処で入手出来るのか、教えて頂けないでしょうか?」
本気で気になっている様だ。
その白い小さな肉厚な手で瓶を撫で回している。
流石に「臭い」と言われた事は堪えているのか?
「売り物ではない、俺が作った。
臭いが気になっては運動が出来ないだろう?
汗を抑える効果は無い、痩せるには汗を流さなくてはならないからな。
これからは死ぬ気で動いて貰う」
俺は脅しておいたのだが、彼女は瓶を抱きしめるようにし、
笑顔を見せた。
「はい!」
成程、白豚か…
この素直さは、皆が《白豚》と呼ぶのも頷ける。
犬か猫であれば、この体型であっても、存分に可愛がられた事だろう。
人間に生まれた事が不幸だったな。
◇◇
この日から、俺の元での、痩せさせるべく、計画が始まった。
「空腹で授業に集中出来ないのであれば、本末転倒だ。
おまえの良さは、成績と真面目さだというのに、
これでは、教師たちからの信頼を失い兼ねない。
食事は一日三食、甘い物や味の濃いもの、油の多い物は避けろ、
間食は無しだ、どうしてもという時は、水を飲め!分かったな!」
昼食を摂らなかった際に、思い掛けず面倒事になったので、ここはしっかり言っておく。
それに、長所を潰す事になってはいけない。
食べた物を聞き、それに修正を加える。
持っていた飴は取り上げた。
そして、昼食には、俺が特別に考えたメニューを、学園の料理人に用意させた。
それから、放課後は運動だ。
最初、単純に《塔の上り下り》を考えていたが、
それは一日目にして、考え違いだった事に気付いた。
階段の上り下りは、彼女の重い体重を支える膝に負担が掛かる。
体を壊せば、運動すらも出来なくなり、益々肉化が進むだろう。
まずは、準備運動をし、階段を十段上がって降りる事から始めた。
体を鍛え、徐々に上がる段数を増やしていくのだ。
それから、剣術の鍛錬だ。
剣術には頭を使うので、運動をしているという意識も薄くなる。
相手が居れば尚更で、その分、飽きずに長続き出来るだろう。
そして、剣術の腕が上がり、成績が上がるなら、最早利点しかない。
「しっかり、剣を持て!地に刺すものではない!」
「素早く動け!振り子になれ!」
「目を閉じる馬鹿がいるか!剣筋を見ろ!」
「足元にも意識を持て!がら空きだぞ!!」
プリムローズには本物の剣を持たせ、防具も付けさせている。
俺は玩具の木の剣だ。
一応、令嬢なので、怪我をさせてもいけない。
俺たちは力を尽くした。
そして、一月が経ち、その体重計が示した数値は…
「痩せていないな?」
変わりが無かった。
一体どういう事だ?
あれだけの事をして、何故、1キロも痩せていないんだ?
俺の計算では、軽く5キロ減位は期待していたというのに…
「何故だ!信じられない!
これだけやって、どうすれば痩せられずに居られるんだ!?
おまえは本当に人間か!?」
もしや、魔族か!?
いや、寧ろ、魔族であって欲しかった。
解けない問題があると、もやもやし、気分も悪い。
「俺に黙って、夜な夜な菓子を貪ってはいないだろうな?」
頼む!そうであってくれ!
そんな俺の期待も虚しく、彼女は令嬢然とし、キッパリと答えた。
「侍女に見張らせております故、誓ってその様な事はございません!」
プリムローズは、最初はおどおどとし、ぼそぼそと喋っていたが、
この一月で俺に慣れたのか、最近でははっきりと物を言う様になってきた。
だが、意外にも、彼女の口から、我儘や不満が出る事は無かった。
その性質は、正直、称賛出来た。
それに、侍女に見張らせていたとは…俺が疑惑を持つと推測していたのか?
どうやら、脳無しの人形では無いらしい…
それはいいが…
「原因が分からない、体質的な問題だとしても、この結果は納得し兼ねる…
だが、理由はどうあれ、俺が間違っていた」
俺は約束を果たすべく、プリムローズに謝罪した。
夏休暇明けに、俺は彼女に酷く当たった。
努力をすれば、結果は出ると思っていたからだ。
だが、努力しても、結果が出ない事もある…と、身を持って知らされた。
これは、俺にとって、有難い教訓になった。
この世の全ての理は、表面上で見るよりも深く、
計算通りとはいかない、という事か…
人はもっと、寛容になる必要がある。
王子としての自分に欠けていた事だと感じ、感謝したい気分だった。
「夏休暇明け、おまえの言い分を聞かず、怠け者と決めつけ、責めた事を謝る。
おまえを、真面目で誠実で努力家だと認めよう、プリムローズ」
負けを認め、彼女を認めた。
プリムローズは寛大にも、俺を責めたりはしなかった。
ただ…
「あ、ありがとうございます!」
うれしそうな笑みを見せた。
この、肉付きの良いふっくらとした頬、丸い顔に埋まる細くなった目…
従順そうに重ね合わされた小さな手…
何とも、憎めない、愛嬌がある。
やはり、猫か犬に見える。
部屋に置けば、さぞ和むだろう…
そんな事に思考を飛ばしていた俺は、我に返り、厳しい顔をした。
「結果は伴わなかったが、持続していれば、自ずと結果も出よう。
これからも励めよ」
「はい!あの…それでは、ディラン様は、もう、手を引かれるのですか?」
手を引くだと!?
それは、言わば、撤退という事か!?
負戦を想像し、俺は奮起した。
「馬鹿を言うな!これまでは序の口だ!情報を得る為の期間だ!
これから更なる対策を練る!そして、必ずや、俺がおまえを痩せさせてみせる!
覚悟しろ!!」
「ありがとうございます、わたし一人では、いつも長続きしませんでしたので…
ディラン様が居て下さると心強いです!」
にこにこにこにこ…
結果が何も出ていないというのに、呆れる程呑気だ。
この顔を見ていると、毒気も抜ける。
「独りで出来ないのであれば、それはおまえが未熟な所為だ、
それを人に頼るとは、情けないと思え!」
「はい、その通りです、申し訳ございません」
「だが、俺が言い出した事でもある、俺は自分の言葉には責任を持つ。
おまえは俺の言う事に従っていればいい」
「はい!お任せ致します、ディラン様!」
犬か?
だが、従順なのは、悪く無い。
俺は踵を返した。
「よし、それでは、今日も始めるぞ___」
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