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本編
10 ディラン
しおりを挟む◇◇ ディラン ◇◇
俺は王が愛妾に産ませた子だ。
母と俺は、王が用意した別邸で暮らしていた。
俺が六歳の頃、前王妃が亡くなった事で、母と共に王城に迎えられる事になったが、
自由奔放だった母は、城を嫌い、愛人の男と金目の物を持ち出し、逃亡した。
寛大な事に、王は追手も向けずに、二人を逃がしてやった。
そして、俺に対しては、他の王子と同じく接してくれ、教育を受けさせてくれた。
そんな女の息子なのだ、当然、周囲の俺への目は厳しく、風当たりも強かった。
王の目の届かない所では、常に理不尽な扱いを受けた。
嫌味や暴言を吐かれ、悔しい思いもした。
異母兄である、第一王子ローレンス、第二王子アレンは共に、俺を弟とは認めず、
蔑み憎み、嫌った___
だが、どれだけ悔しくとも、俺は王の恩に報いる為と、
立派な王子になる事だけを考え、努めて来た。
王子教育、語学、剣術、武術、魔法…それら全てに於いて、第一人者を目指した。
その努力が実り、魔法学園では、入学時より首席を守っている。
そんな俺に、この度、縁談が持ち上がった。
相手は、クラーク公爵令嬢、プリムローズだ。
「王様、この結婚は、政略的に意味のあるものですか?」
「重要な意味を持つものだ、これは、ルーセント王国を救う為の結婚である!」
俺は王から望みの言葉を聞けた事で、この話を承諾した。
正直、相手に多少の不安はあった。
だが、大義の為だ、それに政略結婚だ、相手の見た目や体重など、問題ではない。
それに、俺は母の事があり、着飾った派手な女性は、生理的に受け付けない。
彼女は少なくとも、《母》を思い出させる所は無い___
「それだけは良い点だ」
謁見の間から自室へ戻っていた所、普段は絶対に声を掛けて来ない、
姿さえ目にしない異母兄のアレンが、わざとらしく現れた。
「ディランじゃないか!婚約するらしいな、何処のご令嬢だ?」
「クラーク公爵家だ」
俺が答えると、アレンは大仰に両手を上げた。
「嘘だろう!あの、肥満一族のクラーク公爵家か!
そういえば、学園にも居たな、確か、おまえと同じクラスだろう?
まさか、アレが相手か!?《白豚》だぞ!?
人間ですらない者と、よく結婚する気になれるな!
正に、卑しい血を引く者にしか出来ない事だ、おまえを尊敬するよ、ディラン。
俺には到底真似出来んからな!はっはっは!!」
俺の不幸は蜜の味か?
日頃は顔を見るのも不愉快だという態度でいるアレンは、
俺を貶す時にだけ、やたらと饒舌になる。呆れた奴だ。
「クラーク公爵令嬢、プリムローズだ、名位覚えておけ」
《白豚》だろうと、なんだろうと、彼女は我が国を救う為の重要人物、
言わば《女神》だ___
だが、軽薄なアレンには、事の重大さは分からなかった様だ。
「フン、偉そうじゃないか、ディラン!
どうせ、王から頼まれたとでも思っているんだろう?
残念だが、王が最初に頼ったのは、俺だ!このアレン様だ!
美女なら考えたが、《白豚》だったから、おまえに譲ってやったんだよ。
俺の妃が《白豚》では釣り合わないからな、その点、おまえなら、お似合いだ!」
アレンは言いたいだけ言うと、笑い声を上げて去って行った。
あんなのが兄殿下だと思うと、頭が痛い。
アレンは昔から、何かにつけ、俺よりも優位に立とうとする。
年が近い事も理由だろう。
元妃の子アレンと、愛妾の子の俺とでは、生まれが三月しか違わない。
逆の立場であれば、面白くは無いだろう。
だが、そんな事で、一々絡まれ、足を引っ張られる事が正当化出来ると
思っているなら、大きな間違いだ。
「全く、器の小さい奴だ」
アレンは実力以上に、自分を大きく見せたがる。
それには、美貌に恵まれた所為もあろう。
兎に角、目立ちたがりで人の上に立つ事が好きだ。
王子として必要な資質ではあるが、それだけでは王子は務まらない。
それが、アレンには分かっていない。
アレンは王子教育も必要最低限にしか受けなかった。
第二王子という立場を、都合良く解釈し、自分の興味にある事…
外交や礼儀作法を主とし、他は「自分の役目ではない」と断っていた。
剣術などは日頃の憂さ晴らしにしていて、相手に手を出させず、一方的に叩きのめす。
その為、一向に腕は上達はしないが、それを恥だとも思っていない。
魔法学園では、一応Aクラスだが、自分よりも良い成績の者には、良い顔をしない。
アレンに取り入るなら、彼より低い成績を取らなくてはいけないという事だ。
あれが第二王子で、王太子も然程差異が無いのだから、
この国の未来は決して明るくは無いだろう。
だが、先に王家を出るのは、アレンでは無く、俺の方になるらしい。
これは正直、想定外だった。
「いや、王家に残るとか、王家を出るとか、順番にしても、関係は無い。
国の為になれば、それでいい」
俺は、王の息子、この国の王子なのだから___
これが、俺の自尊心だった。
◇
これまで、自尊心を持ち、胸を張って生きてきた俺だったが、
婚約式の日、礼拝堂に入って来たプリムローズの姿を見て、ふと、疑問が浮かんだ。
俺には不幸の星が付いているのか?
同じクラスで、その姿を目にした事はあるので、覚悟はあったのだが…
プリムローズの体は、遠目には《樽》にしか見えない。
樽が揺れながら、ゆっくりと近付いて来る…
自分の隣に並んだその樽は、背だけは小さい。
頭しか見えない。
だが、これで背も高かったら、更に目立つだろうから、背が低いのは幸いだろうか?
婚約が成立し、指輪が運ばれて来た。
これは、俺が用意した訳では無く、重鎮たちが会議をし、用意したものだ。
安っぽく見えるが、実際、安いのだろう。
ルーセント国は豊ではあるが、王室は潤っていない。
必要な所には金を掛けるが、必要で無いと思われる事に対しては、極力削られる。
この婚約を、重鎮たちが如何に軽く見ているのかが伺える。
失礼にならないだろうか…
心配はあったが、このまま進むしかない。
俺は小さなダイヤの付いた金の細い指輪を取り、差し出された小さな手に自分の手を添えた。
丸まるとし肉厚だが、恐ろしく柔らかい…
予め、指の寸法は聞いているのだろう、
それは白く短く、ムチムチとした指に、すんなりと嵌った。
その時、急に彼女が顔を上げた。
!!
体と同じく、ふっくらと肉付きが良く、丸い。
そもそもの輪郭など、想像が付かない程だ。
その中に、クリンとした緑色の目と、小さな鼻と唇が付いている。
見ていると、無性に苛付いてきた。
何故なら、俺は努力を尊ぶ者だからだ!
少し太っている程度であったとしても、本人の努力が足りない所為だと思う所を…
肥満など、論外だ!
それも、ここまでともなれば…怒り以上の感情が湧かない!
情けない事だが、現実を前にし、大義だとか、国を救う女神だとかいう考えは、
見事に俺の頭から消し飛んでいた。
「ディラン殿下が庭園を案内して下さいます」
これは初めから決められていた事で、俺は怒りのまま、礼拝堂を出て庭園に向かった。
プリムローズはどすどすと足を踏み鳴らし、付いて来る。
全く、これが令嬢だというのか!?
親は何をしていたんだ!と思わなくも無かったが、残念な事に、
礼拝堂の席に座っていた、彼女の両親、妹までもが、同じ体型だった。
ああ…何という事だ…
『容姿など関係無い』『母の様な女性でなくて良かった』と軽くみていたが、
今になり、問題の大きさに気付いた。
プリムローズの傍に居たら、何れは怒りが爆発するだろう。
懸念は直ぐに形となり現れた。
その引き鉄となったのは、アレンだ___
アレンは俺たちを待ち伏せていたのか、脇道から笑いながら現れた。
「はっはっは!誰が豚を散歩させていると思えば、ディランか!」
わざとらしい。
俺たちを貶めたいが為に、ここまで来たのかと思うと、本当に、俺の異母兄は馬鹿だ。
アレンは顔を顰め、その指で鼻を摘まんで騒ぎ立てた。
「臭い!酷い臭いだぞ!こいつ、想像以上に、悲惨だな!
良く一緒に居られるものだ!俺なら一瞬でも無理だ、いや、そもそも婚約など論外だ!
だが、卑しい身のおまえには似合いの相手だ!よくぞ見つけて来たものだな、はっはっは!」
あまりの無礼さに、俺は唖然とした。
容姿がどうであれ、性格がどうあれ、
プリムローズは我が国にとって、重要人物だというのに!
「公爵令嬢に対し、無礼だぞ、アレン!」
「そうだな、無礼を働いて、婚約破棄されても困る。
ディランが城に帰って来ない様、その肉の塊で、しっかり捕まえておけよ!」
アレンは笑って、俺たちの脇を通り、歩き去った。
あいつは王子としての自覚も責任も無いのか!
婚約者は白豚で、兄殿下が馬鹿とくれば、俺の怒りは天を突き抜けた。
俺は怒りのまま、足早に休憩場へ向かった。
休憩場でお茶をし、引き返す事も段取りの上だった。
学園では同じクラスだとはいえ、今日まで顔も合わせていなかった俺たちだ。
散歩とお茶で打ち解けろというのだろう。
それとも、婚約式だけで帰らせては失礼と思ったのか…
俺は段取りに従い、休憩場に用意されていたテーブルの椅子を引いた。
プリムローズは「ありがとうございます」と小さく言い、どすんと腰を下ろした。
繊細な椅子が肉に埋もれて見え、俺は茫然とした。
このままではいけない…
漠然と、そんな言葉が頭を回る。
「はぁ、はぁ、ひぃ…」と、プリムローズの息が荒い。
それに、大量の汗が流れ落ちている。
こんな格好をした令嬢など、見た事が無い。
それに、普通であれば、こんな所を人に見せたりはしないだろう。
こいつに、人並みの作法は身に付いていないのか?
最早、眩暈がしてきた。
だが、当のプリムローズは、呑気にも、早速出された紅茶に舌鼓を打っていた。
この状況で、何をうっとりと味わっているんだ!!
しかも、サンドイッチにまで手を伸ばそうとしている…
俺の我慢も限界だった。
「おい」
プリムローズが顔を上げる。
キョトンとした表情が、俺の怒りに油を注いだ。
「あんな事を言われて、おまえは悔しくないのか!」
ここまで言えば、流石にプリムローズも気付いたのか、目を反らし、
何やら気まずそうに零した。
「ええ…ですが、本当の事ですし…仕方がありませんので…」
「仕方が無いと割り切っているのならば、泣きそうな顔をするな!
俺は努力もせずに、甘えている奴は嫌いだ」
努力もせず、一丁前に傷ついた様子を見せられても、
同情所か、逆に怒りしか感じない。
「おまえは真面目で努力家だ、授業態度や成績を見れば分かる」
プリムローズは、入学時は十番で、一学年の最終成績は7番だった。
Aクラスの女子は三名で、その内では一番の成績だ。
如何に真面目に授業を受け、勉強してきたかが分かる。
それだけ努力が出来るというのに…
「なのに何故、いつまでも、そんな堕落の権化の体でいるんだ!
おまえは一生、《白豚》と呼ばれたいのか!?どうなんだ!」
プリムローズは、小声で「いえ…呼ばれたくは、無いです…」と零した。
何とも、覇気の無い奴だ!こいつに闘争心は無いのか!?
俺はそれに火を点けるべく、強く言った。
「ならば、痩せろ!それがおまえの為だ、
自分を律する事が出来ない者に待ち受けるのは、破滅だ。
それが嫌なら、痩せろ!」
「ぜ、善処致します…」
善処…
その如何にもやる気が伺えない、その場限りの返答に、
俺は苛立ち、即刻、使用人にテーブルの上を片付けさせた。
案の定、彼女は口を開け、名残惜しそうに、それを眺めていた。
「夏休暇の間に少しは痩せておけ、俺は約束を守らない奴は嫌いだ」
夏休暇は残り二月程度か…
それを頭の中で計算し、礼拝堂の前まで戻った時に、伝えた。
「二月あれば、5キロ…10キロ近くは痩せるだろう。
魔法学園で会えるのを楽しみにしている、俺を失望させるな、プリムローズ」
断固とした口調で言うと、プリムローズは時間を掛け、「はい」と頷いた。
少し強引ではあるが、こいつ相手では、この位言った方がいいだろう。
俺の頭の内で、彼女は《国を救う女神》から、《堕落の権化》に格下げされた。
従者二人にドレスのスカートを抱えて貰い、馬車に乗るその姿を遠目にし、
俺は自分のやるべき事に思いを馳せたのだった。
何としても、あいつを痩せさせてみせる!!
何事も、本人の努力次第だ。
俺が付いて管理してやれば、人並みの体型に戻す事位、可能だ。
痩せさえすれば、問題解決だ。
アレンも誰も、あいつを《白豚》とは呼べなくなる___
「フン、簡単な事だ___」
俺はその計画に満足し、部屋に戻った。
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