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本編
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しおりを挟む朝晩の食事は、ディランが指示した通りに改善した。
昼食は、いつもディランが用意してくれ、それを食べる。
サンドイッチの具は葉っぱと野菜だったが、中々にボリュームはあり、
授業中にお腹が鳴る事は無かった。
そして、放課後は、準備運動をし、塔の階段の上りを往復一回、
ディランによる剣の指南に明け暮れた。
動いた後は、体が空腹を訴えるので、水を飲み、野菜を齧った。
それは、辛く苦しい日々だった。
独りだったなら、三日で音を上げていただろう。
「甘えるな!」
「痩せたいなら、努力しろ!」
「おまえは人の三倍太っているんだ、人の三倍以上は動け!!」
わたしは気が弱い方なので、厳しく言われると、恐怖により頭が麻痺し、従ってしまう。
例え、みっともない姿を晒そうと、恥ずかしさや情けなさよりも、恐怖が勝つ。
故に、ディランという絶対的支配者の存在は、ありがたかった。
そして、一月が経とうという頃…
「痩せていないな?」
驚く事に、わたしの体重の変化は、ほとんど、無かった。
体重計の前で、ディランは恐ろしい顔で腕組をしている。
一月一緒に居るのだから、分かって来た事だが、
こんな時の彼は、頭をフル稼働している時で…
つまり、今、彼は、わたしが痩せていない理由を、
その賢い頭を使い、分析している…という事だ。
だが、ディランの頭脳を持ってしても、それは解けなかったらしい。
「何故だ!信じられない!
これだけやって、どうすれば痩せられずに居られるんだ!?
おまえは本当に人間か!?」
何気に酷い事を申されていますが…
余程ショックの様ですし、聞かなかった事に致しましょう。
かくいう私も、痩せていない事に、ガッカリしているのだから…
この一月の努力は、一体何だったのか…
夏休暇から合わせると、それは三月にも及ぶ。
途方に暮れます。
ディラン様もきっと、同じ気持ちですよね…
そっと、同情の目を向けたが、返って来たのは、恐ろしいまでの眼力だった。
ひぃぃぃ!
「俺に黙って、夜な夜な菓子を貪ってはいないだろうな?」
「侍女に見張らせております故、誓ってその様な事はございません!」
念の為に、侍女のヘレナに頼んでおいた。
それに、部屋に食べ物は置かない様にしている。
あるのは、大きな水差しだけだ。
欲求が膨れ上がった時には、婚約者の恐ろしい顔や罵倒を思い浮かべ、
恐怖で空腹を紛らわし、耐えて来たのだ。
「原因が分からない、体質的な問題だとしても、この結果は納得し兼ねる…」
ディランは難しい顔で、また考え始めた。
わたしの体などに、その立派な頭を使わせてしまい、申し訳ありません…
居たたまれず、わたしは肩を落とした。
「だが、理由はどうあれ、俺が間違っていた」
ディランが言い、わたしは「え?」と顔を上げた。
これまで、ディランが間違った事は無い。
故に、そんな言葉を聞いたのは初めてで、思わず目を丸くして凝視してしまった。
尤も、『間違っていた』などという言葉とは程遠く…
ディランは仁王立ちで腕組をし、突き刺す様な視線でわたしを見下ろしていた。
「夏休暇明け、おまえの言い分を聞かず、怠け者と決めつけ、責めた事を謝る。
おまえを、真面目で誠実で努力家だと認めよう、プリムローズ」
「あ、ありがとうございます!」
あのディラン様から、お褒めの言葉を頂きました!何と名誉な事でしょうか!!
それに、名を呼んで頂きました!
これまで、『おまえ』とか『おい』とかしか、呼ばれた事がありませんでしたから…
ああ、感動です!!
わたしは心の中で、狂喜乱舞していた。
「結果は伴わなかったが、持続していれば、自ずと結果も出よう。
これからも励めよ」
「はい!」
わたしは元気よく答えたが、ふと、それに気付いた。
「あの…それでは、ディラン様は、もう、手を引かれるのですか?」
尋ねると、恐ろしい顔が、わたしを振り返った。
ひぃぃぃ!
「馬鹿を言うな!これまでは序の口だ!情報を得る為の期間だ!
これから更なる対策を練る!そして、必ずや、俺がおまえを痩せさせてみせる!
覚悟しろ!!」
す、素晴らしいです…
更なる対策という不穏分子はありますが…
「ありがとうございます、わたし一人では、いつも長続きしませんでしたので…
ディラン様が居て下さると心強いです!」
わたしの食欲を抑えられるのは、ディラン様が与えて下さる《恐怖》だけです!
感謝を伝えると、ディランは困惑したのか、引いているのか…
吊り上げていた眉と目を下ろした。
「独りで出来ないのであれば、それはおまえが未熟な所為だ、
それを人に頼るとは、情けないと思え!」
「はい、その通りです、申し訳ございません」
「だが、俺が言い出した事でもある、俺は自分の言葉には責任を持つ。
おまえは俺の言う事に従っていればいい」
口調が軟化している。迷惑に思ってはいない様だ。
わたしは安堵し、頷いた。
「はい!お任せ致します、ディラン様!」
「よし、それでは、今日も始めるぞ___」
これから、放課後の運動だ。
ディランは颯爽と、医務室を出て行く。
わたしは慌てて後を追った。
「ディラン様、あの、不躾で申し訳ないのですが…」
わたしが声を掛けると、ディランは足を止め、胡乱な目で振り返った。
「なんだ?」
「《臭い消しの薬》が、残り少なくなって参りましたので、
よろしければ、また作って頂けないでしょうか…」
「なんだ、そんな事か、作り置きを明日にでも渡してやる」
ディランがあっさりと言ってくれたので、わたしは安堵した。
少し迷ったが、ディランの機嫌も悪くは無い様なので、
わたしは以前より頼みたかった事を、お願いしてみる事にした。
「ありがとうございます、それで、その、図々しいお願いなのですが…」
「なんだ?」
「ディラン様がお作りになられた、《臭い消しの薬》を、もっと頂けないでしょうか?」
「どの位だ、何に使う気だ?」
訝し気に見られ、わたしは赤くなり、手を擦り合わせた。
「ご存じの通り、わたくしの家族、一族は皆肥満体質です。
皆、体臭には悩まされていて、ディラン様の薬があれば、きっと皆も喜ぶと思い…
勿論、十分な対価はお支払い致します!」
「馬鹿を言うな!」
一喝され、わたしはビクリと身を竦めた。
ああ!やはり、図々しいお願いでした!!
内心で平謝りしていたが、ディランが続けた事は…
「婚約者から金を取ったとあれば、俺の名に…いや、王家の名に傷が付く!
俺の婚約者ならば、その位考えろ!」
「は、はい、申し訳ありません…」
そんな大層な事とは存じませんでした…
婚約して早三月、王家の事など、一度も考えた事は無かった。
迂闊でした…これでは、婚約者失格です!
「婚約者やその家族への贈り物として、望むだけ用意してやる。
少し日は掛かるが、我慢しろ」
「ああ!ありがとうございます!ディラン様!
きっと、一族全員、ディラン様に感謝致しますわ!」
「感謝などしなくていい、この程度の事で恩に着られても困る」
ディランは困惑しているが、困っている者からすれば、決して『この程度』の事では無い。
それに、売れば大層な値が付く筈だ。
ディラン様は時々、自己評価が低くなるのですね…
「わたしには、世に出すべき、素晴らしい薬に思います。
売られる気は無いのですか?」
「面倒だからな」
ディランは肩を竦め、さっと踵を返し、歩き出した。
わたしは慌てて後を追った。
運動を始めて一月、体重は変わらないまでも、体は以前より動ける様になった。
少なくとも、ディランに付いて歩く時や、移動教室の時など…
みっともなく息切れをし、椅子に倒れ込む事は無くなった。
塔の上がり降りも、以前に比べて速くなっている。
ディランは『結果は伴わなかった』と言ったが、そんな事は無い。
それに、変化を感じる度に、喜びがあった。
◇◇
ディランは、一週間も経たない内に、
約束していた、一族分の《臭い消しの薬》を用意してくれた。
「《臭い消しの薬》だが、おまえの名で、クラーク公爵家に送っておく。
おまえを介すると二度手間になるからな」
「ありがとうございます!」
早く薬を試して貰いたかったので、一日でも早く届く事はうれしかった。
「礼は良い、それより、同封する手紙を書け」
ディランに言われ、わたしはその場で手紙を書いた。
ディランが作ってくれた《臭い消しの薬》である事。
薄く伸ばして使う事。
一族の皆にもあげて欲しい事___
「ディラン様、手紙です、よろしくお願い致します」
「ああ、明日中には届くだろう」
「明日中!ああ、楽しみです!」
「おまえがどうして楽しみなんだ?」
ディランは訝し気な顔をしたが、わたしは笑顔を返した。
「家族の喜ぶ顔が浮かびました」
ディランは「おめでたい奴だ」と頭を振り、背を向けた。
わたしは家族の反応を楽しみにしていた。
その家族からの手紙は、三日後に寮に届いた。
薬を試してみた事、効果が絶大だった事、薬を作ったディランへの称賛と感謝___
その手紙は、感謝と喜びの声で溢れていた。
「やはり、体臭は大いなる悩みですもの!」
その大いなる悩みを解決する事が出来たのだ!
それに、この事で、家族にディランの事を少しでも知って貰う事が出来た。
家族とディランとの距離が近くなった気がし、わたしはうれしかった。
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