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本編

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ディランは男子寮と女子寮の別れ道まで、一緒に帰ってくれた…
というよりも、「行くぞ」と言われ、必死に彼の後を追い掛けただけだ。
またもや汗を掻いてしまったが、中途半端な時間帯で、
幸い周囲に他の生徒の姿は無かった。

「晩食までは何も口にするな、飴など以ての外だ!
水なら多少は飲んでもいい」

ディランはしっかりと言い付け、男子寮の方へ去って行った。

「ご、ごきげんよう…ディラン様」

すっかり圧倒されてしまい、挨拶するのを忘れていた。
それに気付き、挨拶を言った時には、既にその姿は見えなくなっていた。

ディラン様は、歩くのが速いです…
足も長いですし…
頭も賢くいらっしゃるし…

「はぁ…」

完璧な婚約者に比べて自分はというと…嘆息しか無い。
物悲しい気分で寮へ向かおうとしていた所、軽やかな声が聞こえて来た。

「あら!あれは、白豚ではありませんこと?」

キャスリーンが取り巻き二人を連れて帰って来た処だった。

「何処かで首でも吊ってるんじゃないかと思いましたけど、元気そうですわね?
私なら恥ずかしくて、とても生きていられませんけど!ほほほ」
「盛大な屁だったからな!」
「いやだわ、ハリー、あれはお腹の音ですわよ!」
「そうだっけ?腹が鳴っても、あんな音にはならないだろう?」
「それに、なんか、臭かったよな!」
「なんか今も臭ってねーか?」
「いやだ、本当、臭い!!そっちから臭って来ているわよ」

キャスリーンが流し目で、わたしの方を見る。
わたしは汗を掻いているのが恥ずかしくなり、「お先に、失礼します」と逃げ出した。

「ふふ!本当、みっともない子!
あんな豚が婚約者なんて、王子も良い笑い者ですわ!
身の程を弁えて、お断りするべきでしょう?何て、図々しい女なの!!」

キャスリーンの言葉が胸を抉る。

やはり、わたしなんかでは、ディラン様の婚約者には相応しくない…!

わたしは寮の入り口まで走り、足を止めた。
息も絶え絶えで、体は重く、太い足はガクガクとし、汗が大量に流れている。

太っていて、汗っかきで、体臭も酷いなんて…
これでは、令嬢として、いや、女としての尊厳も保てない。

「わたしは、みっともない、白豚です…」

泣きたくなった時、ディランの声が蘇った。

『おまえは一生、《白豚》と呼ばれたいのか!?どうなんだ!』

「いやですぅ…もう、白豚は嫌ぁ…」

悔しくない筈はない。
ずっと、悔しかった。
だけど、自分ではどうする事も出来ずに、諦めていた。
肥満一族だもの!と開き直って、受け入れてくれる者たちに縋った。
それでも、いつも心無い言葉に傷ついてきた…

だけど、ディランは言ってくれた、わたしをレディに仕立て上げると!


◇◇


「ヘレナ、これを体に塗りたいの、手伝って貰える?」

翌朝、ディランから貰った《臭い消しの薬》を塗る時が来た。
わたしは期待と喜びに胸が弾んでいた。

「ディラン様から頂いた、《臭い消しの薬》なの!」

普段はあまりこういった話はしないが、誰かに話したくて仕方が無かった。
男性から贈り物を貰った事は初めてだったし、
ディランはわたしの為に、わざわざ薬を作ってくれたのだ。

「わたしの為に、特別に作って下さったの…」

くすぐったい気分です!

「まぁ!良かったですね、お嬢様。
ですが、《臭い消しの薬》だなんて、お嬢様が臭いと言われている様で、
あまり気の利いた贈り物ではありません、他の方にはお話なさらない方が良いと思います」

ヘレナの忠告に、わたしの盛り上がっていた気持ちは、ぺしゃんと潰れた。
ディランは、『臭い』と言われたわたしの為に作ってくれたのだ。
わたしが恥を掻かない為に。
だけど、ディラン自身も、わたしを『臭い』と思っていたという事なのか…

構いませんわ!これで臭わなくなるのですもの!

わたしは何とか気持ちを持ち直した。
そして、ヘレナに向かっては、頷いた。

「そうね、誰にも話さないでおくわ」

わたしには話の出来る友はいない。
ただ、家族には話したかったが、ヘレナの様に受け取り、
ディランの名を落とすかもしれないと思うと、それも憚られた。

「薄く、伸ばして塗ってね」
「はい、お嬢様」

ヘレナに手伝って貰い、薬を全身に塗った。
薬の効果が楽しみだった。

わたしはディランに言われた通りに、学園指定の運動着用の飾りの無いワンピース、
ドロワーズ、そして汗を拭く布を5枚程鞄に詰めた。
大荷物を持ち学園に向かったので、周囲に奇異の目で見られたが、
それよりも、わたしはそれを運ぶ事で精一杯だった。

「ふぅ…ひぃ、ひぃ…」

お、重いです…
学園までが遠いです…
ああ、また、汗が大量に…

学園の自分用のロッカーに入れ、鍵をすると、ふらふらになりながら、
教室に入り、倒れ込む様に、自分の席に着いた。

はぁぁ~

「おい」

声を掛けられ、前の席のディランがこちらを振り返っている事に気付いた。
なんと!疲労のあまりに、婚約者様の存在を忘れていました!
不覚です!!
わたしは休む間もなく、椅子から立ち上がり、挨拶をした。

「で、ディラン様、おはようございます」
「ああ、座れ」
「はい、失礼致します」

許しを得て、わたしは椅子にどすんとお尻を落とした。

「薬は塗って来たか?」
「はい、侍女に手伝って貰い、全身くまなく塗らせて頂きました」

うれしさについ、目と口元が緩んでしまう。

「そうか…」

ディランが突然、わたしの腕を掴み、脇の下に顔を近付けて来て、
心臓が口から飛び出そうになった。

「きゃぁぁ!!」

思わず声を上げてしまったが、仕方ないだろう。
男性からこの様な事をされたのは初めてです!
婚約者と言えど、婚前にこの様な事をして良いものでしょうか…??
いえ!ディラン様が望まれるのでしたら、わたしは構いませんが…
ですが、この場では、恥ずかしいです…
わたしは赤くなり、オロオロとしていた。
だが、ディランはというと…

「なんだ?」

奇妙そうに顔を顰めている。
ええ?物凄く、不機嫌そうですが…

「あの、その、わたくし、この様な事は初めてなので…」

「薬の効果を確かめていただけだ、変な想像をするな」

「さ、左様でございましたか、失礼致しました」

うう…自意識過剰でした。
恥ずかしさに顔から火が出そうです…

だが、周囲は完全に誤解していた。

「嘘だろう…ディラン様が白豚といちゃついてたぜ…」
「今、キスしてたよな?」
「相手は、あの白豚だぜ?」
「幾らでも女はいるってのに…欲求不満過ぎだろう?」

誤解です!

だが、ディランの耳には全く届いていないのか、
冷やかな目でわたしを見下ろしたのだった。

「薬は効いている、汗も出ているし、良い傾向だ。
学業に支障をきたさない程度に、朝食は食べて来たか?」

全く、ロマンチックな雰囲気ではない。
例えるなら、これは…主治医だ。

「はい…」
「食べた物と量を言え」

わたしは頭を巡らせ、朝食を思い浮かべた。

「はい、紅茶を一杯、卵三つ程度使ったプレーンオムレツを一つ、
煮た豆をスプーンで三杯、丸パンを二つ、バターとジャムで頂きました。
それから、カットされた林檎を二切れです」

「多い!」

一刀両断され、わたしは「すみません」と身を竦めた。
ディランは用紙にサラサラとペンを走らせ、それを渡して来た。

《紅茶一杯、砂糖無し》
《水一杯》
《卵一つ、煮豆スプーン一杯、葉野菜》
《丸パン二つ》
《バターとジャム禁止》
《果実、ヨーグルト、少量》

「明日からは、それを目安にしろ!」

「はい…」

うう…見事なまでに、甘味がありません…。
ああ、でも、果実とヨーグルトは良いのですね!

わたしは用紙を丁寧に折りたたみ、机の中に仕舞った。

「腹が空いて我慢出来なくなった時は、俺に言え」
「はい」
「それから、昼休憩は昨日の場所に来い」
「はい」

それだけ言い付けると、ディランは満足したのか、前に向き直った。
わたしはそっと、気付かれない様に息を吐く。

まるでロマンチックではないが、ディランの本気を感じた。

ああ、ディラン様は何て頼りになるお方でしょうか!
厳しいですが、きっと、わたくし、耐えてみせます!!
バターとジャムさんには申し訳ありませんが、これからは、絶対に口にしませんわ!

「おい、見ろよ、白豚がディラン様に見惚れてるぜ」
「気持ち悪!」
「同じ教室とか、地獄だよな…」

そんな会話が聞こえてきて、わたしは慌てて教科書を引っ張り出し、
顔を伏せたのだった。

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