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翌朝早くから、わたしは古着よりは良い程度のドレスを着せられ、髪を整えられ、
化粧を施された。
それから、馬車に乗せられ、トラバース卿の館を後にした。

ガエルモンド公爵領の中心部の都までは、馬車で半日程だ。
馬車内には、わたし、トラバース卿、そして、夫人とルイーズも居る。
トラバース卿は「人に任せると仲介料を取られる」と、自らが出向く事にし、
夫人とルイーズは都で買い物をする為に同行していた。

「久しぶりだから、行きたいお店が沢山あるの!」
「そうね、二週間ぶりかしら、夜会で忙しかったし…」
「次のパーティまでに、ドレスを新調しなきゃ!」
「またドレスを買うのか…」
「いいでしょう、お父様!お金が入るんだし」
「高値が付けば良いですけどね、まぁ、期待は出来ませんわね」
「酷い顔だもの!随分泣いたみたいじゃない?ふふ」

わたしは会話をなるべく耳に入れない様に、窓に目をやり、意識を内に向けていた。

ガエルモンドの中心部から、マイヤー家までは馬車で三日は掛かる。
マイヤー家のある町から都まで出向く者は少ない。
とはいえ、都は皆が集まる場所だ、
そんな所の娼館では、いつ知り合いに会うか分からない…
ルグラン卿も都に館があるのでは無かったか?
こんな事を、アンリエットが知れば、失望しないだろうか…

受け入れると決めたものの、馬車が都に近付く程に、不安が押し寄せて来た。
窓を流れる美しい景色も、今のわたしには何の慰めにもならなかった。


馬車が都に着くと、夫人とルイーズは目当ての店の前で馬車を降りた。
馬車は大通りから脇に入って行く。
そこにも大きな通りがあり、店が沢山並んでいたが、
先程の大通りにあった明るい賑やかさとは何処か違い、静けさがあった。

大きく立派な建物の前で馬車が停まった。
トラバース卿が馬車を降り、わたしも続いて降り、唯一の荷物であるトランクを
御者から受け取った。
だが、建物に入ろうとした時だ、馬車から呼び止めた者が居た。

「トラバース卿!」

トラバース卿が足を止め振り返ったのに釣られ、わたしも振り向いた。
大きくはないが、洗練された造りの馬車が、直ぐ側で停まった。

「トラバース卿、この様な所でお会いするとは、妙な縁ですね」

馬車の窓から顔を見せたのは、ダークブロンドの髪、整った彫りの深い顔、
そして、優し気な緑灰色の目…

ラックローレン伯爵レオナール様!?

わたしは驚きに息を飲んだ。
まさか、もう一度目に出来るとは思ってもみず、
それは、わたしの願望が見せた幻ではないかと思えた。
わたしは自分の状況も立場も忘れ、ただ目を見開き、彼を見つめてしまっていた。

トラバース卿も驚いていた。

「こ、これは、ラックローレン伯爵ではないですか!」
「卿はこの様な所で何をなさっているのですか?」
「いえ、その、問題を起こした下女がおりまして…」
「彼女ですか?」
「はい、娘の宝石を盗んだんですよ、手癖の悪い下女は置いてはおけませんから」

わたしは恥ずかしさと屈辱に顔が赤くなった。
俯き、唇を嚙みしめる。

「成程、そういう事でしたか」

レオナールは馬車から降りて来ると、トラバース卿に向かい、柔和な表情を見せ頷いた。
それに、トラバース卿も安堵したらしい。
だが、レオナールは声を落として続けた。

「ですが、負債の代わりに引き取った貴族令嬢を、娼館に売ったとなれば、
あなたの醜聞は避けられないでしょう…」

トラバース卿は顔色を変えた。

「いや、しかし、相手は盗人ですぞ!」

「貴族令嬢は盗みなどしないものと、世の者たちは思うものですよ。
本人が否定をし、誰かに嵌められたのだと言えば、どちらを信じるか…
確たる証拠はないのでしょう?」

「彼女の部屋から宝石が見つかったのですぞ!」

「部屋に出入り出来る者は他にも居るでしょう。
使用人たちが口裏を合わせる事も考えられます。
ここは然るべき所へ行き、徹底して調べて貰ってはいかがですか?
彼女が盗んだとはっきりと分かれば、悪評も幾らかは避けられるでしょう」

「い、いえ、そこまでは…宝石は戻りましたし」

トラバース卿の歯切れの悪さに、わたしはルイーズの企みだと知っているのではないかと疑った。

「それでは、二度目があってはいけないという事ですね?」

「は、はぁ…」

「それなら、私が彼女を引き取りましょう」

え?

わたしもトラバース卿も、茫然とし、レオナールを見ていた。
レオナールは普通の事の様に話した。

「彼女があなたに払うべき負債を、私が代わってあなたに払います。
これなら、あなたに悪評は付かないでしょう」

「ですが、伯爵にはどんな利があると言うのですか?」

トラバース卿は信じられないという顔をして、レオナールを見ている。
レオナールは薄い笑みを見せた。

「丁度、使用人を探していた所だったので、手間が省けます。
いかがです?トラバース卿」

「そういう事でしたら、喜んで…」

それは大凡、大金を払う理由にはならない気がしたが、
トラバース卿には良い話だったので、都合良く聞き流した様だ。
二人の間で、あっという間に話は纏まった。
わたしはとても現実とは思えず、茫然とそれを眺めていた。

「それでは、私はこれで失礼します、ラックローレン伯爵」
「近い内に伺います、トラバース卿」

トラバース卿の馬車が去るのを、わたしはレオナールの後ろで見送った。
レオナールが振り返り、その優し気な緑灰色の目に見つめられた瞬間、
わたしは顔が熱くなり、心臓が煩く騒ぎ出した。

「勝手に話を決めさせて貰ったよ、少し話そう、馬車に乗って」

馬車に促され、わたしが馬車に乗ると、レオナールも乗り込み、わたしの向かいに座った。
馬車がゆっくりと動き出す。
そこから離れられるという安堵はありつつも、二人だけの空間に緊張が止まらない。

目の前に彼がいるなんて…
レオナール様に助けて頂けるなんて…
夢に違いないわ…

目が覚めれば、きっと、わたしはトラバース卿の館の自分の部屋で、
固いベッドの上だろう___

だが、夢ならば…
わたしは思い切って、口を開いた。

「ラックローレン伯爵、助けて下さって、ありがとうございました…」

「感謝には及ばないよ、実の所、理由も無くした事では無いんだ」

レオナールが薄い笑みを見せる。
何処か、その目は冷たく見えた。
わたしは何か不穏なものを感じ、息を止め、言葉を待った。
レオナールは小さく嘆息すると、それを話した。

「私は昨年離婚をしていてね、私は自分が結婚に不向きだという事を知っている、
いや、実際に結婚をしてみて、思い知ったと言うべきか…
兎に角、もう二度と、結婚はしないつもりでいたんだが…
周囲が後妻を貰えと煩くてね、それに加えて、前妻から復縁を迫られ、辟易しているんだ」

わたしは思いも掛けない事を聞かされ、ただ、茫然としていた。
結婚に不向きだなんて…
どうしてそんな風に思われたのかしら?
わたしの目からは、彼は完璧な人に見え、それは、完璧な夫を想像させた。

「この状況から逃れる術を考えていたのだが…」

レオナールが空を見つめる、思案している様だった。
それから、目を閉じ、頷くと、わたしに視線を合わせた。

「こんな提案をするのは、気が触れていると思われても仕方が無いが…
私を助けて欲しい」

《私を助けて欲しい》

それは、魔法の言葉だった。
そんな風に言われて、断る者などいるだろうか?
いや、勿論、少数居るだろうが、わたしの頭に浮かんだ事は…

「はい、なんなりとおっしゃって下さい!」

そんな言葉だけだった。
これには、レオナールの方がキョトンとしていた。
緑灰色の目を丸くし、何度か瞬かせると、「ふっ」と苦笑し、父の様な口調になった。

「話を聞く前に、そんな事を気軽に言うものではないよ、セリア」

わたしの名をご存じなのね!
わたしは咎められた事より、その方を意識し、赤くなった。

「私が君に頼みたい事は、簡単な事ではないし、褒められたものでもない。
いや、それ所か、誰かに知られれば、罵られるだろう…」

レオナールは迷っている様だ。
だが、わたしとしては、そこまで言われれば、聞かないで終わる事は出来なかった。
彼が何をしようとしているのか気になる。
いや、何であれ、彼を助けられるなら、わたしは何だってするだろう___

「わたしは娼館に売られる所を助けて頂いた身です。
伯爵に不利になる様な事は、決して致しません、どうか、安心してお話下さい」

レオナールは小さく笑った。

「君は随分若いから、自分が酷い大人に思えるよ…」

「そこまで離れていません!たった、十三歳です」

「十三歳はかなり離れていると言えるよ」

レオナールがニヤリと笑ったので、わたしはドキリとした。
かなり離れていても、素敵に見えるわ…

「私が必要としているのは、《形ばかりの妻》の存在だ。
妻が居れば、全ての騒動から解放されるからね」

確かに、レオナールに《妻》が居れば問題は無いだろう。
後妻を売り込む者たちは居なくなり、前妻も復縁を諦めるしかない。
納得は出来たが…

「セリア、私と結婚をし、妻を演じて欲しい。
勿論、人前だけでいい、性交を迫る事もしない、君の貞操は保証するよ」

まさか自分が、レオナールの《形ばかりの妻》に申し込まれるとは、思ってもみなかった。
酷く驚いたが、わたしは咄嗟の判断で、「はい」と答えていた。
逆に、レオナールの方が怪訝な顔になった。

「返事は良く考えてからでも構わないよ?」

考えれば考える程、「YES」以外の答えは出てこないだろう。

だって、わたしはあなたが好きだもの!

例え、《形ばかり》であろうと、《彼の妻》になれるのだ!
こんな降って湧いた幸運は、もう二度と望めないだろう___

勿論!喜んで!どうぞ、わたしをあなたの形だけの妻にして下さい!

想いが沸き上がり、言葉にしようとした瞬間…
『待って!』と、わたしの内で警報が鳴った。

わたしの想いを彼に気付かれたら、彼はこの提案を取り下げるのではないか?

結婚に不向きだと言った。前妻からの復縁も拒んでいる。
きっと、自分に向けられる好意さえも、疎ましいのだ…
そんな考えが浮かび、わたしは慎重に言葉を選んだ。

「それで負債が返せるのでしたら、喜んでお引き受け致します」

「娼館よりは良いと?」

「はい、トラバース卿の館では、下女として厳しくされました。
娼館に入れば、それ以上の事が待っていると、覚悟を決めていました。
ですから、この先、どの様な事があっても、耐えてみせるとお約束致します」

「君を酷い目に遭わせる気はないよ…
だが、ありがとう、セリア、君に頼もう___」

レオナールの表情が和らぎ、わたしも安堵し、微笑んだ。

ああ!彼の妻になれるのね!!

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