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しおりを挟む「フン!ちょっとピアノが弾けるからって、ここでは役に立ちはしないわよ!」
メイドから厳しい言葉と共に、飲み物の乗ったトレイを押し付けられた。
わたしはそれを持ち、客の居る方へ向かった。
すると、先程までとは違い、客たちがわたしに話し掛けて来た。
「いや~、素晴らしいピアノだった!」
「見事な腕前だ!聞き惚れてしまったよ」
「家の事は残念だったね、これは取っておきなさい」
お金を渡され、わたしは驚いた。
「ご厚意には感謝しますが、頂く訳には…」
「受け取っていいんだよ、メイドはこうやって小遣いを稼いでいるんだ」
自分がメイド、いや、下女だと思い知らされる。
受け取れば、自分自身を貶める様なものだ___
わたしは自尊心が働き、断ろうと口を開けた。
「!」
だが、それを言う事は出来なかった。
《お姉様は状況が分かってないの!?上品ぶるのもいい加減にしてよ!》
《あたしの人生が破綻したら、お姉様の所為よ!!》
アンリエットの声が脳裏に蘇ったからだ。
下女のわたしに、アンリエットを助けられるとは思えなかったが、
それでも、少しでも早く負債を返し、自由にならなくては…
「ご厚意に感謝致します…」
わたしが言うと、相手は満足そうに笑みを浮かべた。
それを皮切りに、客が集まって来て、次々とわたしのエプロンのポケットに
紙幣が捩じ入れられていった。
「ありがとうございます」
惨めさに打ち震えながらも、わたしは愛想良くお礼を言った。
相手が気を良くすれば、もっと貰える…と考えが働いたからだ。
だが、反対に、心までも物乞いになった気がし、惨めさは増した。
飲み物を取りにテーブルへ戻る途中、視線に気づき、目を向けると、
そこに立っていたのは、レオナールで、わたしは息を飲んだ。
レオナールはこちらをじっと見つめている…
見られていた!?
わたしは咄嗟に俯き、早足でテーブルへと戻った。
全てを投げ出して泣き喚きたい衝動に駆られたが、当然、それは叶わない。
だが、ルイーズが「あなたはもういいから、洗い場を手伝いなさい!」と言いつけた事で、
この場から逃れる事は出来た。
洗い場へ向かっていた所、トラバース卿夫人、ナタリアが追って来た。
「セリア!受け取ったお金を全て出しなさい!」
「わたしの負債に当てて頂けますか?」
「ええ、あなたも少しでも早く自由になりたいでしょう?」
ナタリアが請け負ってくれたので、
わたしはポケットからそれを出し、彼女に渡した。
ナタリアはそれを数えると、「まだ隠していないでしょうね?」と厳しい目になった。
「それで全てです」
「フン、案外少ないわね、まぁ、いいわ」
ナタリアは、用は済んだとばかりに、立ち去った。
わたしは洗い場を手伝った。
そうして、パーティが終わった頃、部屋へ引き上げた。
片付けや残りの洗い物は、明日に回すのだ。
狭く暗い部屋に戻り、わたしは固いベッドに腰かけた。
体は酷く疲れていたが、それも気にならなかった。
「あの方に会えた…」
三年ぶりに目にした彼は、変わらず、素敵だった。
それなのに、わたしは酷い印象しか与えていない___
「きっと、軽蔑なさったわ…」
例え没落したとはいえ、わたしは名のある男爵家の娘だったのだ。
それが、お金欲しさに、誰かれ構わずに、媚びるなんて…
自分が恥ずかしい!
わたしは固いベッドに伏せ、声を殺して泣いた。
これ程の不幸はもう無いと思っていた。
だが、それは間違いで、もっと恐ろしい事が、わたしを待ち受けていた___
◇◇
夜会から三日後の午後、わたしはトラバース卿から、書斎に呼ばれた。
「セリアです、お呼びと伺いました」
「入りなさい」
返事があり、わたしが書斎に入ると、そこにはトラバース卿だけでなく、
夫人とルイーズの姿もあった。
トラバース卿は机から、厳しい顔を向けている。
夫人は長ソファに座り、無関心な顔で紅茶を飲んでいて、
隣に座るルイーズは、わたしに向け、意地の悪い笑みを見せた。
直ぐに『良く無い事』と分かり、わたしは気持ちが沈んだ。
これから、どの様な罪で、どの様な罰を受けるのだろう…
心当たりは無かったが、結果としてそうなる事は、これまでの経験上で分かっていた。
だが、そんな心配は、まだまだ甘かった___
「今朝、ルイーズが部屋から宝石が無くなっているというので、
ピエールにおまえの部屋を探させた。
すると、こんな物が出て来た!これはどういう事だ!」
トラバース卿が袋に入った宝石を掲げて見せた。
勿論、わたしが盗んだのではないので、わたしは否定した。
「わたしではありません!」
「だったら、何故、おまえの部屋にあったのだ!」
「分かりませんが、誰かが置いたとしか…」
「おまえは、何かあれば直ぐに他の者の所為にするらしいな、メイド長から聞いているぞ!」
「本当です!宝石を盗んだのは、わたしではありません!」
「フン!白々しい!可哀想だと思い、引き取ってやったというのに…この、恩知らずめ!」
トラバース卿が憎々しく言う。
ルイーズの表情から、彼女がこれを仕組んだ事は明白だった。
だが、それを証明するなど、わたしに出来る筈がない…
わたしは諦めるしかなかった。
「おまえの様な手癖の悪い恥知らずは、この館には置いておけん!
だが、おまえは負債の形だ、見す見す手放す事も出来ん。
そこで考えた末、おまえを売る事にした___」
売る?
わたしは聞き間違えかとトラバース卿を見たが、彼は平然と続けた。
「都の娼館であれば、高値も付くらしい。
それで、負債は清算にしてやる、有難く思え!」
娼館!?
血の気が引いた。
「そんな!お願いです!どうか、わたしをここに置いて下さい!一生懸命に働きます!」
「フン!馬鹿を言うな!家に盗人など置いておけん!」
「わたしが盗んだのではありません!どうか、お調べ下さい!」
「おまえの指図など受けん!分かったら、用意しておけ!メイド長を呼べ!」
入って来たメイド長は、わたしの腕をキツク掴んだ。
この事を、既にメイド長は知っていたのだ。
「そいつを閉じ込めておけ!くれぐれも逃がすんじゃないぞ!
それから、明日は少しマシな恰好をさせろ、安く叩かれたら元も子もなくなるからな」
「承知致しました、旦那様」
メイド長は恭しく礼をし、わたしを引き摺る様にして、部屋を出た。
そこに、ダニエルがニヤニヤと笑いながら近付いて来た。
「おまえ、娼館に売られる事になったんだって?
気の毒になー、けど、ルイーズを怒らせたおまえが悪いんだぜ!」
わたしがルイーズを怒らせた?
わたしには心当たりが無く、ダニエルを怪訝に見た。
「夜会でルイーズがおまえにピアノを弾かせたのは、当て馬にする為に決まってんだろ。
幾ら上手く弾け様が、あの場では下手に弾くのが下女の務めなんだよ。
それを自分の方が上手く弾けるとか、張り合うのは馬鹿のする事さ!
それ共、元貴族令嬢のプライドが許さなかったのか?
資産家の娘如きがって、ルイーズを馬鹿にしてたんだろう?」
「いえ、そんな…」
わたしは否定しようと頭を振った。
「いーや、俺には分かってるぞ!おまえは、いつも俺たちを見下してるんだよ!
いつまでも貴族令嬢ぶってんじゃねーぞ!
まぁ、娼館に行けば、嫌でも自覚するだろうけどな!
俺も今度行ってやるよ、けど、おまえなんかに金払う価値はねーか!」
ダニエルは笑って去って行った。
わたしは唖然としていた。
ダニエルの話から、わたしを嵌めたのは、ルイーズだと分かった。
だが、どうやって、それを証明したら良いのか…
「メイド長、どうか助けて下さい!わたしは何も盗んではいません!」
メイド長に縋ったが、無駄だった。
メイド長はツンとして、わたしの腕を引き、歩いて行く。
「盗んだか盗んでないかなんて、どうでも良い事なんだよ。
問題は、あなたがあの人たちを怒らせた事なんだからね!」
メイド長は事の次第を教えてくれた。
ルイーズは得意のピアノを披露し、皆から称賛を受ける気でいた。
夜会で目立てば、良い結婚相手も見つかる。
ルイーズにとっては、自分を売り込む絶好の機会だったのだ。
だが、当て馬にする気で呼んだわたしの方が称賛を受けてしまった。
『やはり、貴族令嬢には敵わないな!』
『腕が違い過ぎる、惨めだよ』
『あの程度で良く披露出来たものだ…』
そんな声を聞き、ルイーズは激怒したのだ。
下女が自分に恥を掻かせたと、散々に喚いていたらしい。
そして、今朝になり、この企みを思い付いたのだった。
ルイーズは自分の宝石を袋に入れ、わたしが仕事に出ている間に、
執事のピエールを使い、部屋に忍ばせた。
そして、騒いで部屋を探させ、見つけさせたのだ。
ルイーズから協力を頼まれた執事は、それなりの報酬を貰っていた。
メイド長はそれに腹を立てていて、愚痴のつもりで、わたしに暴露したのだった。
「メイド長、お願いです!これからは決して、愚かな真似は致しません!
態度を改めますので、どうか、今の事を旦那様にお話し下さい!
わたしを助けて下さい!」
「フン!あんたを助けた所で何も見返りは無いじゃないか、諦めるんだね!
それと、あんたが夜会で貰った金だけどね、奥様が全部着服してるよ。
あの強欲女が、負債の返済に当てるなんて、する訳ないだろう?
それに、十年だなんて言ってるけど、そんなの口約束だよ。
ここで扱き使われて一生終わるより、案外、娼館の方がいいんじゃないかい?」
わたしは頭を振った。
十年という話が嘘で、この館で扱き使われて一生を終えるのは嫌だ。
だが、娼館など、それ以上に恐ろしく思えたのだ。
「お願いです、メイド長!助けて下さい!」
「駄目だよ、あんたを逃がしたら、私の首が飛ぶじゃないか!」
どれ程頼んでも聞いては貰えず、わたしは部屋に押し込まれ、鍵を掛けられた。
「そんな…酷いわ!」
わたしは絶望に泣き、一夜を過ごした。
朝になると、幾らか気持ちも落ち着き、受け入れようと思えてきていた。
「これが、わたしの命運だったのよ…」
今までは、両親もいて、家は名家で、裕福な生活が出来た。
だけど、それは、恵まれ過ぎていただけ…
貧乏な家に生まれれば、娼館へ売られる事など珍しくもない話だ。
それに、妹のアンリエットも、妾として頑張っているのだ。
わたしだけが逃げ出す事など出来ない___
「全て、忘れるの…」
そう、あの人の事も
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