上 下
4 / 32

しおりを挟む


「フン!ちょっとピアノが弾けるからって、ここでは役に立ちはしないわよ!」

メイドから厳しい言葉と共に、飲み物の乗ったトレイを押し付けられた。
わたしはそれを持ち、客の居る方へ向かった。
すると、先程までとは違い、客たちがわたしに話し掛けて来た。

「いや~、素晴らしいピアノだった!」
「見事な腕前だ!聞き惚れてしまったよ」
「家の事は残念だったね、これは取っておきなさい」

お金を渡され、わたしは驚いた。

「ご厚意には感謝しますが、頂く訳には…」
「受け取っていいんだよ、メイドはこうやって小遣いを稼いでいるんだ」

自分がメイド、いや、下女だと思い知らされる。
受け取れば、自分自身を貶める様なものだ___
わたしは自尊心が働き、断ろうと口を開けた。

「!」

だが、それを言う事は出来なかった。

《お姉様は状況が分かってないの!?上品ぶるのもいい加減にしてよ!》
《あたしの人生が破綻したら、お姉様の所為よ!!》

アンリエットの声が脳裏に蘇ったからだ。
下女のわたしに、アンリエットを助けられるとは思えなかったが、
それでも、少しでも早く負債を返し、自由にならなくては…

「ご厚意に感謝致します…」

わたしが言うと、相手は満足そうに笑みを浮かべた。
それを皮切りに、客が集まって来て、次々とわたしのエプロンのポケットに
紙幣が捩じ入れられていった。

「ありがとうございます」

惨めさに打ち震えながらも、わたしは愛想良くお礼を言った。
相手が気を良くすれば、もっと貰える…と考えが働いたからだ。
だが、反対に、心までも物乞いになった気がし、惨めさは増した。

飲み物を取りにテーブルへ戻る途中、視線に気づき、目を向けると、
そこに立っていたのは、レオナールで、わたしは息を飲んだ。
レオナールはこちらをじっと見つめている…

見られていた!?

わたしは咄嗟に俯き、早足でテーブルへと戻った。
全てを投げ出して泣き喚きたい衝動に駆られたが、当然、それは叶わない。
だが、ルイーズが「あなたはもういいから、洗い場を手伝いなさい!」と言いつけた事で、
この場から逃れる事は出来た。

洗い場へ向かっていた所、トラバース卿夫人、ナタリアが追って来た。

「セリア!受け取ったお金を全て出しなさい!」
「わたしの負債に当てて頂けますか?」
「ええ、あなたも少しでも早く自由になりたいでしょう?」

ナタリアが請け負ってくれたので、
わたしはポケットからそれを出し、彼女に渡した。
ナタリアはそれを数えると、「まだ隠していないでしょうね?」と厳しい目になった。

「それで全てです」
「フン、案外少ないわね、まぁ、いいわ」

ナタリアは、用は済んだとばかりに、立ち去った。
わたしは洗い場を手伝った。
そうして、パーティが終わった頃、部屋へ引き上げた。
片付けや残りの洗い物は、明日に回すのだ。

狭く暗い部屋に戻り、わたしは固いベッドに腰かけた。
体は酷く疲れていたが、それも気にならなかった。

「あの方に会えた…」

三年ぶりに目にした彼は、変わらず、素敵だった。

それなのに、わたしは酷い印象しか与えていない___

「きっと、軽蔑なさったわ…」

例え没落したとはいえ、わたしは名のある男爵家の娘だったのだ。
それが、お金欲しさに、誰かれ構わずに、媚びるなんて…
自分が恥ずかしい!

わたしは固いベッドに伏せ、声を殺して泣いた。


これ程の不幸はもう無いと思っていた。
だが、それは間違いで、もっと恐ろしい事が、わたしを待ち受けていた___


◇◇


夜会から三日後の午後、わたしはトラバース卿から、書斎に呼ばれた。

「セリアです、お呼びと伺いました」
「入りなさい」

返事があり、わたしが書斎に入ると、そこにはトラバース卿だけでなく、
夫人とルイーズの姿もあった。
トラバース卿は机から、厳しい顔を向けている。
夫人は長ソファに座り、無関心な顔で紅茶を飲んでいて、
隣に座るルイーズは、わたしに向け、意地の悪い笑みを見せた。

直ぐに『良く無い事』と分かり、わたしは気持ちが沈んだ。
これから、どの様な罪で、どの様な罰を受けるのだろう…
心当たりは無かったが、結果としてそうなる事は、これまでの経験上で分かっていた。
だが、そんな心配は、まだまだ甘かった___

「今朝、ルイーズが部屋から宝石が無くなっているというので、
ピエールにおまえの部屋を探させた。
すると、こんな物が出て来た!これはどういう事だ!」

トラバース卿が袋に入った宝石を掲げて見せた。
勿論、わたしが盗んだのではないので、わたしは否定した。

「わたしではありません!」
「だったら、何故、おまえの部屋にあったのだ!」
「分かりませんが、誰かが置いたとしか…」
「おまえは、何かあれば直ぐに他の者の所為にするらしいな、メイド長から聞いているぞ!」
「本当です!宝石を盗んだのは、わたしではありません!」
「フン!白々しい!可哀想だと思い、引き取ってやったというのに…この、恩知らずめ!」

トラバース卿が憎々しく言う。
ルイーズの表情から、彼女がこれを仕組んだ事は明白だった。
だが、それを証明するなど、わたしに出来る筈がない…
わたしは諦めるしかなかった。

「おまえの様な手癖の悪い恥知らずは、この館には置いておけん!
だが、おまえは負債の形だ、見す見す手放す事も出来ん。
そこで考えた末、おまえを売る事にした___」

売る?
わたしは聞き間違えかとトラバース卿を見たが、彼は平然と続けた。

「都の娼館であれば、高値も付くらしい。
それで、負債は清算にしてやる、有難く思え!」

娼館!?
血の気が引いた。

「そんな!お願いです!どうか、わたしをここに置いて下さい!一生懸命に働きます!」
「フン!馬鹿を言うな!家に盗人など置いておけん!」
「わたしが盗んだのではありません!どうか、お調べ下さい!」
「おまえの指図など受けん!分かったら、用意しておけ!メイド長を呼べ!」

入って来たメイド長は、わたしの腕をキツク掴んだ。
この事を、既にメイド長は知っていたのだ。

「そいつを閉じ込めておけ!くれぐれも逃がすんじゃないぞ!
それから、明日は少しマシな恰好をさせろ、安く叩かれたら元も子もなくなるからな」

「承知致しました、旦那様」

メイド長は恭しく礼をし、わたしを引き摺る様にして、部屋を出た。
そこに、ダニエルがニヤニヤと笑いながら近付いて来た。

「おまえ、娼館に売られる事になったんだって?
気の毒になー、けど、ルイーズを怒らせたおまえが悪いんだぜ!」

わたしがルイーズを怒らせた?
わたしには心当たりが無く、ダニエルを怪訝に見た。

「夜会でルイーズがおまえにピアノを弾かせたのは、当て馬にする為に決まってんだろ。
幾ら上手く弾け様が、あの場では下手に弾くのが下女の務めなんだよ。
それを自分の方が上手く弾けるとか、張り合うのは馬鹿のする事さ!
それ共、元貴族令嬢のプライドが許さなかったのか?
資産家の娘如きがって、ルイーズを馬鹿にしてたんだろう?」

「いえ、そんな…」

わたしは否定しようと頭を振った。

「いーや、俺には分かってるぞ!おまえは、いつも俺たちを見下してるんだよ!
いつまでも貴族令嬢ぶってんじゃねーぞ!
まぁ、娼館に行けば、嫌でも自覚するだろうけどな!
俺も今度行ってやるよ、けど、おまえなんかに金払う価値はねーか!」

ダニエルは笑って去って行った。
わたしは唖然としていた。
ダニエルの話から、わたしを嵌めたのは、ルイーズだと分かった。
だが、どうやって、それを証明したら良いのか…

「メイド長、どうか助けて下さい!わたしは何も盗んではいません!」

メイド長に縋ったが、無駄だった。
メイド長はツンとして、わたしの腕を引き、歩いて行く。

「盗んだか盗んでないかなんて、どうでも良い事なんだよ。
問題は、あなたがあの人たちを怒らせた事なんだからね!」

メイド長は事の次第を教えてくれた。

ルイーズは得意のピアノを披露し、皆から称賛を受ける気でいた。
夜会で目立てば、良い結婚相手も見つかる。
ルイーズにとっては、自分を売り込む絶好の機会だったのだ。

だが、当て馬にする気で呼んだわたしの方が称賛を受けてしまった。

『やはり、貴族令嬢には敵わないな!』
『腕が違い過ぎる、惨めだよ』
『あの程度で良く披露出来たものだ…』

そんな声を聞き、ルイーズは激怒したのだ。
下女が自分に恥を掻かせたと、散々に喚いていたらしい。
そして、今朝になり、この企みを思い付いたのだった。

ルイーズは自分の宝石を袋に入れ、わたしが仕事に出ている間に、
執事のピエールを使い、部屋に忍ばせた。
そして、騒いで部屋を探させ、見つけさせたのだ。

ルイーズから協力を頼まれた執事は、それなりの報酬を貰っていた。
メイド長はそれに腹を立てていて、愚痴のつもりで、わたしに暴露したのだった。

「メイド長、お願いです!これからは決して、愚かな真似は致しません!
態度を改めますので、どうか、今の事を旦那様にお話し下さい!
わたしを助けて下さい!」

「フン!あんたを助けた所で何も見返りは無いじゃないか、諦めるんだね!
それと、あんたが夜会で貰った金だけどね、奥様が全部着服してるよ。
あの強欲女が、負債の返済に当てるなんて、する訳ないだろう?
それに、十年だなんて言ってるけど、そんなの口約束だよ。
ここで扱き使われて一生終わるより、案外、娼館の方がいいんじゃないかい?」

わたしは頭を振った。
十年という話が嘘で、この館で扱き使われて一生を終えるのは嫌だ。
だが、娼館など、それ以上に恐ろしく思えたのだ。

「お願いです、メイド長!助けて下さい!」
「駄目だよ、あんたを逃がしたら、私の首が飛ぶじゃないか!」

どれ程頼んでも聞いては貰えず、わたしは部屋に押し込まれ、鍵を掛けられた。

「そんな…酷いわ!」

わたしは絶望に泣き、一夜を過ごした。


朝になると、幾らか気持ちも落ち着き、受け入れようと思えてきていた。

「これが、わたしの命運だったのよ…」

今までは、両親もいて、家は名家で、裕福な生活が出来た。
だけど、それは、恵まれ過ぎていただけ…
貧乏な家に生まれれば、娼館へ売られる事など珍しくもない話だ。

それに、妹のアンリエットも、妾として頑張っているのだ。
わたしだけが逃げ出す事など出来ない___

「全て、忘れるの…」

そう、あの人の事も

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……

矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。 『もう君はいりません、アリスミ・カロック』 恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。 恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。 『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』 『えっ……』 任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。 私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。 それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。 ――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。 ※このお話の設定は架空のものです。 ※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

私のことを愛していなかった貴方へ

矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。 でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。 でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。 だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。 夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。 *設定はゆるいです。

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

処理中です...