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両親の死は突然だった。

その日、結婚式を一月後に控えていたわたしは、結婚式用のドレスの試着に行き、
その後、婚約者のカルヴェ男爵子息、ジェロームとお茶をする事になっていた。

わたしが身支度をし、螺旋階段を降りて来た処で、何やら騒がしい声が聞こえて来た。
不穏なものを感じ、一瞬足が止まる。
わたしは耳を澄ませ、足音を消し、慎重に階段を降りた。
そこで、大きく玄関が開き、執事のトマが慌てた様に入って来た。

「トマ、何かあったのですか?」

執事は「はっ」とし、わたしを見た。
その顔には血の気が無かった。

「馬車の事故で、旦那様と奥様がお亡くなりになられました…」

わたしは言葉も無く、立ち尽くした。


両親は早朝に馬車で出掛けた様だが、朝、顔を合わせる事はあまりなく、
わたしも妹のアンリエットも、両親が出掛けていた事すら知らなかった。

「そんな!お父様とお母様が死んじゃうなんて!あたしたちこれからどうしたらいいの!?」

アンリエットは所構わずに不安を口にし、喚き散らしていた。
わたしは逆で、何も言葉は出ず、ただ泣いていた。

「セリア!聞いたよ、大丈夫かい!?」

婚約者のジェロームが駆けつけて来てくれ、隣で肩を抱いてくれた。
その温もりに助けられ、わたしは小さく頷いた。

「ありがとう、ジェローム…」
「元気を出すんだよ、セリア、僕が付いてるからね」

ジェロームはわたしを励ましてくれ、「また、明日来るよ」と帰って行った。
ジェロームと入れ替わりに、叔父夫婦が駆けつけてくれ、
わたしとアンリエットに代わり、全てを取り仕切ってくれた。

だが、悲しみに沈んでいる間もなく、わたしたちを取り巻く事態は、
転がり落ちる雪玉の様に、悪くなっていった___





「遺産が無い!?」

翌日、わたしとアンリエットは、叔父から聞かされ、茫然となった。
我がマイヤー男爵家は、爵位こそ高くは無いものの、長く続く名家で、
土地や屋敷、遺産、全て引き継がれて来た。
それが、全く無くなるなんて、わたしにはとても信じられなかった。

「ああ、無い所か、負債が山の様にある、館も土地も全て債権者に渡るだろう」

「父が、何かしたのですか?」

「それが、色々と投資に手を出していたらしくてね…
恐らく、投資に失敗し、穴埋めをしようと方々に手を出した結果だろう…」

投資など、難しい事は分からなかったが、それが恐ろしい事だとは伝わってきて、
わたしはただ、青くなるばかりだった。

一瞬あって、アンリエットが金切り声を上げた。

「それじゃ、あたしたち、どうなるの!?」

叔父は難しい顔になり、頭を振った。

「債権者次第だろう…話してはみるがね…」

財産が無く、負債があると知ると、集まっていた親戚たちは瞬く間に散って行った。
使用人たちは給金の事で迫って来た。
叔父が立て替えると申し出てくれた事で収まったが、使用人たちは仕事を放棄した。

「葬儀も簡単にした方がいいだろう。
言いたくは無いがね、君たちの両親は心中だったんだろう…」

心中…自害であれば、葬儀はして貰えない。
ショックに継ぐショックで、わたしは言葉も無く項垂れた。

叔父は手配していた葬儀を取り止め、埋葬だけにした。


『また、明日来るよ』と言っていたジェロームは来ず、
代わりにカルヴェ男爵の秘書が訪ねて来て、婚約の解消を言い渡された。

「多額の負債があっては、カルヴェ男爵家に入れる事は出来ません。
ジェローム様との婚約は、解消させて頂くとの事です。
尚、事情も事情ですので、少しばかりお役に立てるかと…」

慰謝料を提示され、わたしはそれを承諾した。
結婚式の準備等で、支払いも溜まっていたからだ。

「ジェローム様は、何と言われていましたか?彼は、納得しているのですか?」

わたしは縋る様に訊いていた。
それに対し、秘書は無表情で、素っ気なく答えた。

「ええ、特に何も言われませんでした、男爵家の跡取りとしては当然でしょう」

体中から血の気が引いた。

当然…?
確かに、男爵家の跡取りとしては、当然かもしれない。
だが、婚約していた半年間、一緒に過ごした日々を思うと、とても信じられなかった。

親同士が決めた結婚ではあったが、わたしたちは友達の様に仲が良く、
ジェロームもいつも『最高の相手』と言ってくれていた。

あの楽しい日々、言葉までもが、嘘に塗り替えられてしまいそうで、
わたしは自分を抱きしめ涙を零した。

ああ、ジェローム…嘘だと言って…!

わたしは無意識に頭を振っていた。
わたしが納得していないと思ったのだろう、秘書は冷たく、脅すかの様に言って来た。

「くれぐれも、ジェローム様やカルヴェ男爵家を陥れる様な事は
なさいませんように、益々状況は悪くなるでしょう___」

秘書が帰って行き、わたしは独りになりたかったが、そうもいかなかった。
アンリエットが小切手を見て騒ぎ出した。

「慰謝料はこれっぽっちなの!?受け取っちゃうなんて、信じられないわ!
お姉様は状況が分かってないの!?上品ぶるのもいい加減にしてよ!
この十倍は出させなきゃ!叔父様に言って来るわ!」

「止めて、アンリエット!カルヴェ男爵は出さないわ、秘書の方に言われたの…
わたしたちが何か言えば、これすらも出してはくれなくなるわ…」

「だったら、ジェロームに直接言えばいいのよ!」

「無理よ、彼も納得しているの…」

それに、そんな物乞いの様な事はとても出来ない…
わたしは震えた。
アンリエットは不満そうな顔で鼻を鳴らした。

「お姉様はそんなだから、ジェロームにも甘く見られるのよ!
カルヴェ男爵家からお金を貰えなきゃ、あたしたちどうなると思ってるの!?
親戚だって、あたしたちを引き取る気がないのよ?
あたしの人生が破綻したら、お姉様の所為よ!!」

アンリエットは小切手を持ち、叔父の所へ行った。
わたしはそれを止める事は出来ず、椅子に身を埋める様にして座った。

カルヴェ男爵家が例え十倍の慰謝料を出した処で、状況は変わらない。
負債を抱え、行く当ても無いわたしたちは、もう、今まで通りの生活など望めない。
アンリエットは分かっているのだろうか…


結局、叔父も、これ以上カルヴェ男爵家から慰謝料を引き出す事には反対で、
アンリエットを説得した。

「無理だよ、悪いのはこちら側だからね、
本来であれば、婚約破棄され、一銭も貰えない処だ」

アンリエットは不満そうだったが、叔父に言われては反論出来ず、
ぶつぶつと言うだけに止まった。
わたしたちには、叔父だけが頼りだったからだ。

債権者が集まって来た時も、叔父が対応してくれた。
館や土地、持ち物は全て競売に掛けられ、負債に当てられる。
債権者たちが館に集まり、話し合いをしていた。
一時間も経った頃だろうか、叔父から、わたしとアンリエットも顔を見せる様にと言われた。

「長女のセリアは二十歳、次女のアンリエットは十八歳です」

叔父に紹介され、わたしとアンリエットは挨拶をした。
債権者は5名で、皆、仕立ての良い服を着、我が物顔で踏ん反り返り、ソファに座っていた。
何処か物々しく見え、息が詰まった。

「この度は、皆様にご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした…」

わたしは頭を下げたが、そこに皆の関心は無かった。

「フン、二人共、結婚はしていないんだな?」
「はい、姉には婚約者がおりましたが、こんな事になり、破談しましたので…」
「若い娘ならば、使い道もある」
「それ位では埋まらないだろうが…」

不穏な会話が耳に入り、嫌な汗が流れた。

まさか、わたしたちを売る気ではないわよね?
叔父様が付いているもの…
そんな事、叔父様が許す筈は無いわ…

叔父だけが頼りだったが、それは見事に裏切られた。

「アンリエット、おまえはルグラン卿が身請けして下さる事になったよ。
ルグラン卿は大層な資産家だから、おまえも良い暮らしが出来るだろう、良かったね。
セリア、おまえの方はトラバース卿が下女として引き取って下さる。
おまえは器用だし、真面目だ…後の事はトラバース卿から聞きなさい___」

叔父に伝えられ、わたしの目の前は真っ暗になった。

「叔父様!アンリエットは十八歳ですよ!?」
「ああ、ルグラン卿は若い娘がお好きでね…」
「アンリエットに、そんな事はさせられません!わたしが代わります!」

ルグラン卿は五十歳位の、太った醜男だ。
恋もせずに、そんな男の愛人にされるなど、アンリエットが可哀想だと、
わたしは取り縋ったが、当のアンリエットは違っていた。

「止めてよ、お姉様!邪魔しないで!
下女になる位なら、資産家の妾になった方がマシよ!
それとも、お姉様はあたしの幸運を妬んでいるの?
お姉様は身請けの話など無かったものね!ふふっ」

アンリエットが勝ち誇った様に笑う。
確かに、下女と言えば奴隷の様なものだが、
好きでもない男の愛人になる方が良いとは、わたしには思えなかった。

「アンリエット、妾なんて、そんな良いものではないのよ?」

「あたしが良いって言ってるんだから、いいじゃない!
嫉妬なんて見苦しいわよ、お姉様!」

アンリエットは聞く耳を持たず、ルグラン卿に愛想を振り撒き、感謝を述べていた。
そんなアンリエットに、ルグラン卿も満足しているらしく、だらしのない笑みを浮かべていた。
館の物はほとんどが競売に掛けられる事もあり、必要な物はルグラン卿が買ってくれるらしく、
アンリエットは何も持たずに、ルグラン卿の馬車に乗り、行ってしまった。

わたしは下女という事なので、下着や衣服、最低限の化粧品等、必要な物を鞄に詰めた。
だが、宝飾品や金目の物を持ち出していないか、調べられた時には、
羞恥と屈辱で唇を噛んだ。
負債を抱えた身では人権は無いのだと、わたしは思い知った。

出て行くにしても、こんなに急になるとは思ってもみず、
わたしの心は追い付いていなかった。
幼い頃から弾いていたピアノを目にした瞬間、悲しみに囚われた。

「さようなら…」

最後に触れたかったが、叔父に止められた。

「もう、おまえの物じゃない、この館の事は忘れなさい」

忘れるだなんて!
両親、家族の思い出が詰まった場所だ、とても忘れる事など出来ないだろう。
息が詰まり、わたしは胸を押さえた。
だが、悲しむ暇もなかった。

「後の事は私に任せなさい」と、叔父が言ってくれ、
わたしは「お願いします」と頼み、トラバース卿の馬車に乗った。

馬車が館を出て、町を通り過ぎて行く。
わたしはジェロームが来て居ないかと、窓の外に目を馳せ探したが、
結局、その姿を見る事なく、町を出ていた。

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