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しおりを挟む両親の死は突然だった。
その日、結婚式を一月後に控えていたわたしは、結婚式用のドレスの試着に行き、
その後、婚約者のカルヴェ男爵子息、ジェロームとお茶をする事になっていた。
わたしが身支度をし、螺旋階段を降りて来た処で、何やら騒がしい声が聞こえて来た。
不穏なものを感じ、一瞬足が止まる。
わたしは耳を澄ませ、足音を消し、慎重に階段を降りた。
そこで、大きく玄関が開き、執事のトマが慌てた様に入って来た。
「トマ、何かあったのですか?」
執事は「はっ」とし、わたしを見た。
その顔には血の気が無かった。
「馬車の事故で、旦那様と奥様がお亡くなりになられました…」
わたしは言葉も無く、立ち尽くした。
両親は早朝に馬車で出掛けた様だが、朝、顔を合わせる事はあまりなく、
わたしも妹のアンリエットも、両親が出掛けていた事すら知らなかった。
「そんな!お父様とお母様が死んじゃうなんて!あたしたちこれからどうしたらいいの!?」
アンリエットは所構わずに不安を口にし、喚き散らしていた。
わたしは逆で、何も言葉は出ず、ただ泣いていた。
「セリア!聞いたよ、大丈夫かい!?」
婚約者のジェロームが駆けつけて来てくれ、隣で肩を抱いてくれた。
その温もりに助けられ、わたしは小さく頷いた。
「ありがとう、ジェローム…」
「元気を出すんだよ、セリア、僕が付いてるからね」
ジェロームはわたしを励ましてくれ、「また、明日来るよ」と帰って行った。
ジェロームと入れ替わりに、叔父夫婦が駆けつけてくれ、
わたしとアンリエットに代わり、全てを取り仕切ってくれた。
だが、悲しみに沈んでいる間もなく、わたしたちを取り巻く事態は、
転がり落ちる雪玉の様に、悪くなっていった___
◇
「遺産が無い!?」
翌日、わたしとアンリエットは、叔父から聞かされ、茫然となった。
我がマイヤー男爵家は、爵位こそ高くは無いものの、長く続く名家で、
土地や屋敷、遺産、全て引き継がれて来た。
それが、全く無くなるなんて、わたしにはとても信じられなかった。
「ああ、無い所か、負債が山の様にある、館も土地も全て債権者に渡るだろう」
「父が、何かしたのですか?」
「それが、色々と投資に手を出していたらしくてね…
恐らく、投資に失敗し、穴埋めをしようと方々に手を出した結果だろう…」
投資など、難しい事は分からなかったが、それが恐ろしい事だとは伝わってきて、
わたしはただ、青くなるばかりだった。
一瞬あって、アンリエットが金切り声を上げた。
「それじゃ、あたしたち、どうなるの!?」
叔父は難しい顔になり、頭を振った。
「債権者次第だろう…話してはみるがね…」
財産が無く、負債があると知ると、集まっていた親戚たちは瞬く間に散って行った。
使用人たちは給金の事で迫って来た。
叔父が立て替えると申し出てくれた事で収まったが、使用人たちは仕事を放棄した。
「葬儀も簡単にした方がいいだろう。
言いたくは無いがね、君たちの両親は心中だったんだろう…」
心中…自害であれば、葬儀はして貰えない。
ショックに継ぐショックで、わたしは言葉も無く項垂れた。
叔父は手配していた葬儀を取り止め、埋葬だけにした。
『また、明日来るよ』と言っていたジェロームは来ず、
代わりにカルヴェ男爵の秘書が訪ねて来て、婚約の解消を言い渡された。
「多額の負債があっては、カルヴェ男爵家に入れる事は出来ません。
ジェローム様との婚約は、解消させて頂くとの事です。
尚、事情も事情ですので、少しばかりお役に立てるかと…」
慰謝料を提示され、わたしはそれを承諾した。
結婚式の準備等で、支払いも溜まっていたからだ。
「ジェローム様は、何と言われていましたか?彼は、納得しているのですか?」
わたしは縋る様に訊いていた。
それに対し、秘書は無表情で、素っ気なく答えた。
「ええ、特に何も言われませんでした、男爵家の跡取りとしては当然でしょう」
体中から血の気が引いた。
当然…?
確かに、男爵家の跡取りとしては、当然かもしれない。
だが、婚約していた半年間、一緒に過ごした日々を思うと、とても信じられなかった。
親同士が決めた結婚ではあったが、わたしたちは友達の様に仲が良く、
ジェロームもいつも『最高の相手』と言ってくれていた。
あの楽しい日々、言葉までもが、嘘に塗り替えられてしまいそうで、
わたしは自分を抱きしめ涙を零した。
ああ、ジェローム…嘘だと言って…!
わたしは無意識に頭を振っていた。
わたしが納得していないと思ったのだろう、秘書は冷たく、脅すかの様に言って来た。
「くれぐれも、ジェローム様やカルヴェ男爵家を陥れる様な事は
なさいませんように、益々状況は悪くなるでしょう___」
秘書が帰って行き、わたしは独りになりたかったが、そうもいかなかった。
アンリエットが小切手を見て騒ぎ出した。
「慰謝料はこれっぽっちなの!?受け取っちゃうなんて、信じられないわ!
お姉様は状況が分かってないの!?上品ぶるのもいい加減にしてよ!
この十倍は出させなきゃ!叔父様に言って来るわ!」
「止めて、アンリエット!カルヴェ男爵は出さないわ、秘書の方に言われたの…
わたしたちが何か言えば、これすらも出してはくれなくなるわ…」
「だったら、ジェロームに直接言えばいいのよ!」
「無理よ、彼も納得しているの…」
それに、そんな物乞いの様な事はとても出来ない…
わたしは震えた。
アンリエットは不満そうな顔で鼻を鳴らした。
「お姉様はそんなだから、ジェロームにも甘く見られるのよ!
カルヴェ男爵家からお金を貰えなきゃ、あたしたちどうなると思ってるの!?
親戚だって、あたしたちを引き取る気がないのよ?
あたしの人生が破綻したら、お姉様の所為よ!!」
アンリエットは小切手を持ち、叔父の所へ行った。
わたしはそれを止める事は出来ず、椅子に身を埋める様にして座った。
カルヴェ男爵家が例え十倍の慰謝料を出した処で、状況は変わらない。
負債を抱え、行く当ても無いわたしたちは、もう、今まで通りの生活など望めない。
アンリエットは分かっているのだろうか…
結局、叔父も、これ以上カルヴェ男爵家から慰謝料を引き出す事には反対で、
アンリエットを説得した。
「無理だよ、悪いのはこちら側だからね、
本来であれば、婚約破棄され、一銭も貰えない処だ」
アンリエットは不満そうだったが、叔父に言われては反論出来ず、
ぶつぶつと言うだけに止まった。
わたしたちには、叔父だけが頼りだったからだ。
債権者が集まって来た時も、叔父が対応してくれた。
館や土地、持ち物は全て競売に掛けられ、負債に当てられる。
債権者たちが館に集まり、話し合いをしていた。
一時間も経った頃だろうか、叔父から、わたしとアンリエットも顔を見せる様にと言われた。
「長女のセリアは二十歳、次女のアンリエットは十八歳です」
叔父に紹介され、わたしとアンリエットは挨拶をした。
債権者は5名で、皆、仕立ての良い服を着、我が物顔で踏ん反り返り、ソファに座っていた。
何処か物々しく見え、息が詰まった。
「この度は、皆様にご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした…」
わたしは頭を下げたが、そこに皆の関心は無かった。
「フン、二人共、結婚はしていないんだな?」
「はい、姉には婚約者がおりましたが、こんな事になり、破談しましたので…」
「若い娘ならば、使い道もある」
「それ位では埋まらないだろうが…」
不穏な会話が耳に入り、嫌な汗が流れた。
まさか、わたしたちを売る気ではないわよね?
叔父様が付いているもの…
そんな事、叔父様が許す筈は無いわ…
叔父だけが頼りだったが、それは見事に裏切られた。
「アンリエット、おまえはルグラン卿が身請けして下さる事になったよ。
ルグラン卿は大層な資産家だから、おまえも良い暮らしが出来るだろう、良かったね。
セリア、おまえの方はトラバース卿が下女として引き取って下さる。
おまえは器用だし、真面目だ…後の事はトラバース卿から聞きなさい___」
叔父に伝えられ、わたしの目の前は真っ暗になった。
「叔父様!アンリエットは十八歳ですよ!?」
「ああ、ルグラン卿は若い娘がお好きでね…」
「アンリエットに、そんな事はさせられません!わたしが代わります!」
ルグラン卿は五十歳位の、太った醜男だ。
恋もせずに、そんな男の愛人にされるなど、アンリエットが可哀想だと、
わたしは取り縋ったが、当のアンリエットは違っていた。
「止めてよ、お姉様!邪魔しないで!
下女になる位なら、資産家の妾になった方がマシよ!
それとも、お姉様はあたしの幸運を妬んでいるの?
お姉様は身請けの話など無かったものね!ふふっ」
アンリエットが勝ち誇った様に笑う。
確かに、下女と言えば奴隷の様なものだが、
好きでもない男の愛人になる方が良いとは、わたしには思えなかった。
「アンリエット、妾なんて、そんな良いものではないのよ?」
「あたしが良いって言ってるんだから、いいじゃない!
嫉妬なんて見苦しいわよ、お姉様!」
アンリエットは聞く耳を持たず、ルグラン卿に愛想を振り撒き、感謝を述べていた。
そんなアンリエットに、ルグラン卿も満足しているらしく、だらしのない笑みを浮かべていた。
館の物はほとんどが競売に掛けられる事もあり、必要な物はルグラン卿が買ってくれるらしく、
アンリエットは何も持たずに、ルグラン卿の馬車に乗り、行ってしまった。
わたしは下女という事なので、下着や衣服、最低限の化粧品等、必要な物を鞄に詰めた。
だが、宝飾品や金目の物を持ち出していないか、調べられた時には、
羞恥と屈辱で唇を噛んだ。
負債を抱えた身では人権は無いのだと、わたしは思い知った。
出て行くにしても、こんなに急になるとは思ってもみず、
わたしの心は追い付いていなかった。
幼い頃から弾いていたピアノを目にした瞬間、悲しみに囚われた。
「さようなら…」
最後に触れたかったが、叔父に止められた。
「もう、おまえの物じゃない、この館の事は忘れなさい」
忘れるだなんて!
両親、家族の思い出が詰まった場所だ、とても忘れる事など出来ないだろう。
息が詰まり、わたしは胸を押さえた。
だが、悲しむ暇もなかった。
「後の事は私に任せなさい」と、叔父が言ってくれ、
わたしは「お願いします」と頼み、トラバース卿の馬車に乗った。
馬車が館を出て、町を通り過ぎて行く。
わたしはジェロームが来て居ないかと、窓の外に目を馳せ探したが、
結局、その姿を見る事なく、町を出ていた。
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