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3 エリーゼ

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◆◆ エリーゼ ◆◆

「ナゼール様ぁ!」

エリーゼはパーティ会場である、ヴァンサン伯爵家の大ホールに入るや否や、
その姿を探し、周囲には目もくれず、ドレスのスカートをたくし上げ、突進した。
エリーゼに気付いた赤毛の男は、振り返り、笑みを見せた。

「やぁ!エリーゼ、早いね!」

「うふふ、伯爵家のパーティなんてぇ、滅多に来られないからぁ、
楽しみにしていたんですよぉ♪」

エリーゼは普段から甘えた口調をしているが、
男性に向けては、殊更に甘ったるい声を出した。
男性たちが喜ぶのを知っていたからだ。

「ははは、それは、うれしいな!」

ナゼールも悪い気はしていない。
エリーゼは猫が獲物を狙うかの様に、目を光らせ、ナゼールを観察した。

「ミシェルはまだ来ていないのぉ?」

ミシェル=ロベール男爵令嬢。
彼女はエリーゼの貴族学校時代の親友で、ナゼールの婚約者でもある。

「どうしよぉ、独りになっちゃうわぁ…」

エリーゼが不安気に零すと、ナゼールは易々と引っ掛かった。

「ミシェルが来るまで、僕が相手をしてあげるよ」

「ええ!うれしいですぅ♪ナゼール様の様なぁ、優しくて素敵な方が婚約者なんてぇ、
ミシェルが羨ましいわぁ!」

エリーゼが大仰に言うと、ナゼールは機嫌よく笑った。


一年前、ヴァンサン伯爵家でパーティが開かれ、エリーゼにも招待状が来た。
そのパーティは、周辺の貴族子息、令嬢が招待されていた為、
「ナゼール様のお相手探しだろう」と囁かれていた。

ナゼールは去年、結婚を目前に、婚約者が不貞を働いた為、婚約破棄をしていた。
ナゼールは若く、次期伯爵ともあり、年頃の令嬢たちにとっては、
理想的な結婚相手で、またとない機会だった。
勿論、エリーゼにとってもだ___

エリーゼの家…モラン男爵家は、平均的な男爵家と言えるが、
エリーゼにとっては、周囲の男爵家より、格下に思えていた。
その為、何かにつけ、『周囲から馬鹿にされている』、『蔑ろにされている』という、
劣等感を抱かせた。

エリーゼは自分の容姿に自信を持っていたので、学校に上がる年になると、
格上の相手と結婚し、現状を引っ繰り返そうと考える様になった。
そんなエリーゼにとって、《次期伯爵夫人》は魅力的だった。

『絶対にものにするわ!』とエリーゼは意気込んでいたが、周囲の令嬢たちも同じ様で、
パーティ会場に入ると既に、ナゼールは令嬢たちに囲まれていた。

遅れを取るなんて!

エリーゼは焦った。
どうにか、あの女たちを蹴散らさなくちゃ!
その為に、エリーゼは親友のミシェルを道連れにする事にした。

ミシェル=ロベール男爵令嬢とは、貴族学校からの付き合いで、良く分かっている。
ミシェルは見た目が地味な上、控え目なので、大勢の中に埋もれがちだが、
真面目で勉強が出来、手先も器用だった。
教師たちからも、同級生たちからも頼られ、一目置かれていた。
そんなミシェルを操れるのが、エリーゼだ。
エリーゼが縋る様にしてミシェルに《お願い》した事は、ほとんどが叶えられた。
エリーゼにとって、ミシェルは都合の良い便利屋だった。
ミシェルは馬で、エリーゼは騎手と言える。エリーゼはこの関係に満足していた。

そう、この日までは___

「気の毒だわぁ、ナゼール様はそれからずっと、塞いでいたそうよぉ…」

エリーゼが話すと、隣に居た親友のミシェルは、「そう…」と、同情的に呟いた。
だが、ナゼールの方へ行こうとはしない。
ミシェルは人の気持ちを察するのが得意だが、時々、その能力が鈍くなる。
エリーゼは苛立っていた。

「ミシェル、あたしたちも行きましょうよぉ、礼儀だわぁ」

ミシェルの母は伯爵家の出で、礼儀には厳しかった。
故に、ミシェルも《礼儀》という言葉に弱い事を、エリーゼは知っていた。
案の定、ミシェルは、「そうね…」と頷いた。

エリーゼはミシェルを従え、ナゼールの方へ向かった。
近くで見たナゼールは、恰好良く、エリーゼは一目で心を奪われた。

ああ…素敵!彼こそ、あたしに相応しい夫だわ!

彼ならば、例え《次期伯爵》でなくても、結婚したくなっただろう。
それが、《次期伯爵》なのだから、何としても、手に入れなきゃ___!

ミシェルに令嬢たちの輪を掻き分けて欲しかったが、
彼女は他人事の様にぼんやりと眺めている。
ミシェルの欠点は、控えめで行動力に欠ける事だ。
もう!肝心な時に役に立たないんだから!!
苛立ったエリーゼは、声を張り上げた。

「ナゼール様ぁ!」

エリーゼの声は大きく、ナゼールの元まで届いた。
ナゼールが振り向き、エリーゼは目を輝かせた。
だが、令嬢たちに断りを入れ、こちらにやって来たナゼールが誘ったのは、
エリーゼではなく、ミシェルだった___

「踊って頂けますか?」

ナゼールから手を差し出されたミシェルは、頬を染め、その手を取った。

その瞬間、エリーゼの胸は、どす黒いもので覆われた。

声を掛けたのは、あたしなのに!
気の無い振りをして、あたしからナゼール様を奪うなんて!
親友だったら、誘われても断るものよ!

あんたなんか、あんたなんか…親友じゃない!!

エリーゼの気も知らず、ミシェルはナゼールと二曲も踊っていた。
そして、頬を高潮させ、エリーゼの元に戻って来た。

「誘われるなんて思わなかったから、驚いたわ」

ミシェルはそんな事を気恥ずかしそうに言い、笑う。
エリーゼはミシェルを絞め殺したい気持ちを抑え、何とか笑った。

「よ、良かったじゃないー、ミシェルはぁ、ナゼール様の好みかもしれないわねぇ?」

絶対に違う___!
そう思っていたからこそ、出た言葉だった。
本気にして、精々恥を掻けばいい!そう思ったが、

「そんな事無いわよ、前の婚約者は美人だったんでしょう?」

ミシェルは全く相手にはしていなかった。

二曲も踊っておいて…良く言えるわね!
だったら、あたしのナゼール様に、近付かないでよ!

エリーゼは歯噛みした。


それ以来、ミシェルはパーティでナゼールから声を掛けられる様になった。
エリーゼはミシェルと絶交しても良かったが、ミシェルの傍に居て、
ナゼールに自分を売り込む方が良いと思い直した。

ナゼールは《ミシェルの親友》という事で、エリーゼの顔を覚えてくれ、
ミシェルが居なくても、声を掛けてくれる様になった。

このまま、ミシェルからナゼールを奪えばいい___

そう思っていたが、程なくして、ミシェルとナゼールは婚約してしまった。
エリーゼは悔しくて、何日も枕を噛んで過ごした。


そして今、ミシェルとナゼールの結婚は、二月後と迫っていた___


パーティ会場にミシェルが入って来た事に、エリーゼは気付いていたが、
気付かない振りをし、ナゼールを見つめ、殊更楽しそうに、笑い声を上げた。

「やだ~、ナゼール様ってばぁ!」

ミシェルを無視してやるつもりでいたが、ミシェルが側に来ると、ナゼールがそれに気付いた。
瞬間、ナゼールはすんなりと会話を止め、ミシェルを迎えた。

「やぁ!来たね、僕の可愛い婚約者さん!」

ナゼールがミシェルを抱擁し、その頬にキスをするのを、エリーゼは無表情に眺めた。

「お待たせしました、ナゼール」
「エリーゼに話し相手になって貰っていたから、大丈夫さ」
「ナゼール様に悪い虫が付かない様に、あたしが見張っていたのよぉ」
「ありがとう、エリーゼ、あなたは頼りになる親友だわ!」

ミシェルはエリーゼを疑ってもいない。
フン!馬鹿な女!!

「お安い御用よぉ!それじゃ、あたしは踊って来るわねぇ」

エリーゼは殊更に魅力的な笑顔を振りまき、踵を返した。
内心、苛立ちながら、ダンスフロアの方へ向かっていると、
何処からともなく男たちが集まって来て、ダンスに誘われた。

エリーゼは踊りながら、ナゼールとミシェルの様子を観察する気でいたが、
二人もダンスフロアに入って来た。
エリーゼがすれ違っても、二人は気付かない。

二人の世界で、楽しそうに踊る___

あたしの気も知らないで!!
二月後、ミシェルは平気で、ナゼールと結婚するんだわ!!

許さない!許さない!絶対に許さない!!

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