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意識を取り戻した時、わたしはベッドの中に居た。
天井の模様には見覚えがあったが、自分の部屋という訳ではない。
体を動かそうとすると、全身に痛みが走った。
特に右足の痛みは鋭く、再び気を失いそうになった。

わたしがベッドで呻いていると、「ミシェル!気付いたのね、まだ動いては駄目よ!」と、
母が制止した。

目を向けると、ベッド脇には母、父、それから弟のローランの姿があり、
三人は心配そうな顔でわたしを見下ろしていた。

「わたし…どうしたの?ここは?」

「あなた、落馬したのよ、覚えていない?」

それは直ぐに思い出せた。
恐怖にブルリとした。

「…そうだったわ、わたし、馬に振り落とされたの…」

「酷い怪我だったから、一階の客室に運ばせたのよ。
エリーゼが助けを呼びに来てくれて良かったわ、エリーゼが居なかったら、どうなっていたか…」

わたしは『酷い怪我』という言葉と、体の痛みに不安を覚えた。

「体が痛むの…足は棒みたいだし…」

わたしが縋る様に見ると、母は小さく頷いた。

「主治医の先生の話では、落馬した時の打撲で、当分体には痛みがあるそうよ。
それから、右足だけど…落馬した後、馬が暴れて、落石に当たったのね、
酷い怪我で、傷痕は残るだろうと…
元通り動くかどうか、今の所は分からないそうよ…」

事の大きさに、わたしは息を飲んだ。
元通り、動くかどうか分からない?

「わたし…歩けなくなるの?」

「ミシェル…」
「姉さん…」

父も弟も掛ける言葉が見つからないのだろう、ただ気まずそうな顔をしている。
そんな中、母は落ち着いた口調で言った。

「分からないわ、でも、左足は無事よ。
それに、顔に怪我は無いし、運が良かったわ___」

髪を撫でようとする母の手を、わたしは顔を背け、避けた。
運が良い?何処が良いというのか!
傷痕は残るし、動かなくなるかもしれないというのに…
左足だけで、どうしろというの!?
わたしはショックで泣き出していた。

「ミシェル、今は何も考えず、ゆっくり休みなさい…」

父が労わる様に言う。
母はわたしを落ち着かせる様に、上掛けの上からポンポンと叩いた。


◇◇


わたしの体は至る所、打撲で痣となり、腫れていて、
薬が塗られ、包帯で巻かれていた。
それを知り、わたしはまた泣いてしまった。

痛み止めの薬と睡眠薬のお陰で、その夜は眠る事が出来たが、
夜が明けても、気持ちは沈んだままだった。
もし、足が動かなくなってしまったら…と考えると、怖くて震えが止まらない。
涙は枯れる事無く流れるのだった。


昼前、エリーゼが訪ねて来てくれた。

「エリーゼ、来てくれてありがとう…」

わたしは全身が痛み、体を起こす処か動かす事も出来ず、エリーゼを迎えた。
昨日から散々泣いた為、酷い顔をしていただろう。
エリーゼはわたしを見るなり、「わぁ!」と泣き出した。

「ミシェル!ああ、あたしが誘った所為で、 こんな事になったのねぇ!
ごめんなさい!あなたに申し訳ないわぁ!」

エリーゼは涙を流し、謝ってくれた。
あまりに泣くので、可哀想になり、わたしは冷静さを取り戻す事が出来た。

「あなたの所為なんかじゃないわ、エリーゼ、わたしが馬を止められなかったの。
助けを呼んでくれてありがとう、お母様もエリーゼに感謝していたわ。
勿論、わたしもよ、あなたが居てくれて良かったわ…」

そうだ、独りだったら、どうなっていたか分からない。
命を落としていたかもしれない。
それに、エリーゼはこんなにもわたしを心配してくれている…
わたしは少しだけ良い方に考える事が出来た。

「ミシェル、ナゼール様はお見舞いに来たのぉ?」

エリーゼに訊かれ、わたしは一瞬、固まった。
わたしが「いいえ…」と小さく頭を振ると、エリーゼは怒った。

「どうしてなのぉ!婚約者が大変な時だっていうのに、駆けつけないなんてぇ!
ナゼール様は酷いわぁ!普通はぁ、真っ先に駆けつけるわよぉ!」

わたしはその言葉に胸を抉られた。
ヴァンサン伯爵家からは、半日の距離だ。
夜に話を聞いたとしても、馬車を飛ばせば昼前に着く事が出来る。
わたしは朝からずっと、扉が開き、ナゼールが現れるのを待っていたのだ…

「きっと、忙しいのよ…」

ナゼールは館におらず、まだ知らないのかもしれないと、わたしは自分を納得させていた。
エリーゼは納得していないのか、頻りに、「ナゼール様は冷たいわぁ!何を考えているのかしらぁ!」と
文句を言っていた。
その度に、わたしの胸は不安で悲鳴を上げていたが、エリーゼを止める事は出来なかった。
わたしを心配し、怒ってくれているのだから…

ミシェルは「疲れさせるといけないから」と、お茶も飲まずに帰って行った。
部屋を出る際には、「ミシェル、元気を出してねぇ、
ナゼール様はきっと来て下さるわぁ、だって、婚約者だものぉ」と励ましてくれた。
わたしはミシェルの優しさに、彼女と友達になれた事を感謝したのだった。

だが、独りになると、どっと、疲れが出た。
わたしは目を閉じたが、今にもナゼールが現れるのでは?と思うと、眠る事は出来なかった。
閉じそうになる瞼を必死で上げ、扉を見つめた。


◇◇


わたしはナゼールが現れるのを心待ちにしていたが、翌日も、ナゼールは現れなかった。
時間が経つ程に、わたしの不安は大きくなった。

ナゼールは何故、来てくれないのだろう?
わたしが心配ではないのだろうか?
わたしは、それ程愛されていないのではないか…

「ああ、どうか、お願い!会いに着て…」

せめて、理由を教えて___!


次の日の昼過ぎ、ヴァンサン伯爵家から使いの者が訪ねて来た。
わたしが両親からそれを聞かされたのは、陽が沈み掛けてからだった。

「ミシェル、今日の昼過ぎに、ヴァンサン伯爵家から、伯爵の代理人が来たよ」

伯爵の代理人?
ナゼールではないのか…
不安に見つめるわたしに、父は言い難そうにそれを告げた。

「健常者でなければ、次期伯爵の妻には認められない、婚約を破棄すると言われた___」

わたしは息を飲んだ。

「怪我が治るのを、待っては頂けないのですか?」

「主治医から話を聞いたそうだ、怪我が治るのには時間も掛かるし、
元通り歩ける様になるという保証も無い…
時間が経てば、伯爵家の外聞は一層悪くなる、申し訳ないと言っていたよ。
慰謝料の代わりに、おまえの治療費を全て出すと言われた」

聞いている内に、涙が溢れ、ボロボロと流れ落ちた。
だが、わたしは『これだけは』と、気力を搔き集め、訊いた。

「ナゼールは?会いに来て下さらないのですか?
お父様、どうか、ナゼールをここに呼んで、二人で話をさせて下さい!」

「私もそうしたかったが、気持ちを断ち切るには、会わない方が良いという事だ…
ミシェル、辛いだろうが、ナゼールの事は忘れなさい。
彼を恨んではいけないよ、これが、おまえたちの運命だったんだろう…」

運命!

これが運命だなんて、嘘よ!
こんな運命、酷過ぎるもの!


その夜、わたしは睡眠薬を断り、泣き続けた。
体は酷く痛むが、涙は止まらなかった。

翌日、わたしは酷く憔悴していた。
感情は全て消え去り、頭は空洞となり、気力を失くしていた。
ただ、虚ろに天井を見つめるだけ…

もう、これ以上悪い事など起こり様が無いと思えた。

だが、その二日後、もっと悪い事が起こった___


◇◇


昼過ぎに、エリーゼが訪ねて来て、それを告げた。

「昨日、ヴァンサン伯爵から、あたしの家に縁談の打診が来たのぉ…
あたしは勿論、断るつもりだったわぁ!親友のあなたを裏切る事は出来ないものぉ!
でも…お父様が、あたしに内緒で受けてしまったのぉ…
あたしの家はミシェルの家程裕福じゃないでしょぉ?
伯爵家からの申し出を断る事は出来ないってぇ…
ああ、ごめんなさい!ミシェル!こんなの、酷いわよねぇ?
あたしの事、恨んでくれていいからぁ…」

エリーゼは涙を流し、謝った。
わたしはショックで、頭が真っ白になった。
いっそ、泣き喚き、エリーゼを詰り、追い出してしまいたかった。
だけど、寸前で、理性がそれを止めた。

「いいのよ、エリーゼ、仕方ない事だもの…
わたしは婚約破棄された身だから、次の相手が誰でも、わたしには関係無い…
いいえ、あなたで良かったわ…あなたなら、ナゼールを任せられるもの…
ナゼールをお願いね、エリーゼ」

エリーゼは親友だ。
親友の幸せを願ってあげなくては…
わたしは何とか冷静さを保とうとしていた。

「ああ、ありがとう!ミシェル!あなたって、本当に、優しいのねぇ…」

エリーゼは喜んだ。
だが、安心したのか、こんな事を言ってきた。

「伯爵は予定通りに結婚式を挙げたいと言うのぉ、結婚式は二月後よぉ。
ミシェルも出席してくれるぅ?あなたは一番のお友達だものぉ、絶対に来て欲しいのぉ」

わたしは唖然とし、固まった。
婚約破棄されたわたしを、結婚式に出席させようなど、
わたしがエリーゼであれば、思いつきもしないだろう。

「ごめんなさい…足を怪我しているの、人が集まる所には行けないわ…
きっと、迷惑を掛けるもの…」

足を怪我していなくても、出席なんてしない。
自分が挙げる筈だった式に、どんな顔をして行けと言うのか…
わたしは少しだけ、エリーゼが憎たらしくなった。

学校時代から、エリーゼは人の気持ちに疎い所があった。
無邪気に無神経な事を言うので、周囲は呆れ、深く付き合おうとしない。
それで、エリーゼには親しい友人がいないのだ。

わたしはエリーゼの性分が分かっているので、気にしない様にしてきた。
だけど、今日ばかりは、難しかった。

「二月先だものぉ、治っているわよぉ、ねぇ、お願い、ミシェル!」

治る怪我ならば、婚約破棄はされなかっただろう。
わたしは泣きたくなったが、ぐっと堪え、体よく断った。

「ごめんなさい、約束は出来ないわ、酷い怪我なの…」

「無理言ってごめんねぇ、ミシェル…」

エリーゼは残念そうに言い、帰って行った。

部屋からエリーゼが消えると、わたしの目から涙が零れた。

「酷いわ…どうしてなの?」

エリーゼがナゼールと結婚する!
それも、わたしたちが結婚する筈だった、二月後に!
せめて、時期だけでも変えてくれたら良かったのに____!

伯爵はわたしの事など、何とも思っていないのだろう。
伯爵と会った事は数える程で、いつも礼儀正しくあったが、余所余所しく、距離を感じていた。
相手は伯爵なので、そんなものだろうと思っていたが…

わたしは、気に入られていなかったのね…

ナゼールの前の婚約者は、美しい伯爵令嬢だったと聞く。
わたしは平凡だし、地味だ。
ナゼールは「君といると落ち着く」と言ってくれたが、
《伯爵夫人》には、人を魅了する美しさは必要だろう…
それは、エリーゼを選んだ事が物語っている。
伯爵はわたしを厄介払い出来、清々しているかもしれない。

ナゼールも了承したのだろうか?

わたしの事を少しでも考えてくれていたら、反対した筈だ。

「きっと、伯爵には逆らえなかったのよ…」

そう理由付ける事で、わたしは自分を慰めた。

わたしたちを引き裂いた伯爵が憎い!
謝りながらも、平気な顔で結婚式への出席を求めたエリーゼが憎い!

わたしは暗い闇の中、泣き続けるしか無かった。

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