6 / 16
6
しおりを挟む姉はレオナールの婚約者候補として、わたしはその姉の侍女として、
再びヴェルレーヌ伯爵の館を訪れた。
明るい陽の元で見た館は、白く輝き、わたしが夢に見た通りのお城だったが、華やぐ気持ちよりも、寧ろ、切なく胸が疼いた。
レオナールは、わたしではなく、姉を選んだのだ___
わたしには過ぎた場所であり、歓迎される事はない。
それは、まるで、わたしの家族がわたしに対するのと同じだろう…
きっと、わたしは疎外感を感じる事になる。
いや、それ以上に、家族でありながら《侍女》として連れて来られるなど、家族から大事に思われていないと言っている様なものだ。
それは、酷く恥ずかしく、わたしを惨めな気持ちにさせる。
伯爵家の人たちも、取るに足らない者と思うだろう。
想像は出来たのに、どうして、わたしはここに来てしまったのだろうか?
両親や姉の言い付けに背けなかった。
これまでも反抗した事は無い。
そもそも、反抗したとして、それを受け入れてくれる家族ではない。
でも、それは言い訳だろうか?
わたしの本心は、ここに来たかったのではないか?
レオナール様に、もう一度会いたい___
それを願わなかったと言えば嘘だ。
「いけないことよ…」
わたしは先に馬車を降り、姉が降りるのに手を貸した。
姉はたっぷりと生地を使った豪華なドレスに、高価で派手な宝飾品と、豪華に着飾っているので、馬車から降りるのも一苦労だ。
わたしはメイド服ではないものの、飾り気のない質素なワンピースなので、
姉に無遠慮にぶつかられ、馬車で肩を打った処で、汚れを気にする必要は無かった。
馬車を降りた姉は、得意満面の笑みを浮かべ、女王の如く恭しく玄関への石段を上がった。
「どうぞ、こちらです___」
初老の執事に案内され、玄関ホールからパーラーに向かう。
わたしも当然、中に入るものと思っていたが、姉に睨まれた。
「侍女は外で待つものよ」
冷たく言われ、わたしの足は止まった。
大きな扉の向こうに姉の姿が消え、わたしはそろそろと壁際に下がった。
「マイヤー男爵家の侍女の方ですか?」
執事に声を掛けられ、わたしは「はい」と答えた。
「私はこの館の執事、ピエールです。
慣れない内は大変でしょう、何かあれば遠慮なく、私やメイドに聞いて下さい」
マイヤー男爵家の執事とは違い、穏やかな口調で、表情にも冷たさは無かった。
家族からも他人からも、好意的に接して貰った事の無いわたしは、オドオドとしてしまった。
「クラリスです、どうぞよろしくお願い致します」
執事はメイドに何か申し付けた後は、ディオールが出て来るまでの間、わたしと一緒に居てくれた。
ディオールが出て来ると、執事はメイド長を紹介し、彼女がわたしたちを部屋に案内してくれた。
二階の客室で、陽当たりも良く、明るい部屋だった。
「こちらが、ディオール様のお部屋です、お隣は侍女の方のお部屋です、内扉で繋がっています。
今日はお疲れでしょうから、お部屋でゆっくりお休み下さいとの事です。
晩食はお部屋にお届け致します、何か御用があればお申しつけ下さいませ」
ディオールは頷いただけだった。
メイド長が出て行くと、ディオールは早速不満を漏らした。
「ヴェルレーヌ伯爵家は裕福だと聞いてたから期待していたけど、大した事無いわね。
伯爵も伯爵夫人もレオナールも、皆、古臭くて地味な恰好だし、
宝飾品も目を凝らして見なきゃ見えない位、小さいのよ?
それに、出されたのは紅茶と珍しくもないクッキーですって!
次期伯爵夫人を迎えるっていうのに、馬鹿にしてるわよ!
こっちは、気合を入れて準備してきたっていうのに、ガッカリだわ!」
わたしは実際に目にした訳ではないし、姉がわたしの意見を求めているとは思えなかったので、黙って視線を落としていた。
すると、姉の批判はこの部屋にまで及んだ。
「外から見れば立派だけど、この部屋は何なの?
狭いし、家具も古臭い、これなら自分の部屋の方が立派だわ!」
姉が言う程、部屋は狭くない。
わたしから見れば、寧ろ、広い位だ。
天蓋付きのベッドは大きいし、床には大きな伝統的な絨毯が敷かれている。
必要な家具は揃っていて、古臭いと言うが、重厚で趣があり、細工も見事で、どれも高価に違いない。
マイヤー男爵家では、姉に一番広い部屋が与えられているし、姉の望むまま、豪華な物で埋め尽くされている。
尤も、流行りや人気のある物を取り寄せるだけで、統一感はまるで考えていなかった。
ここは、お姉様の部屋よりも、ずっと素敵で、落ち着く場所だけど…
そう思っても、当然、わたしは口にしなかった。
姉は一通り文句を付けると、宝飾品を外させ、もう少し大人しいドレスに着替えさせた。
そして、長ソファに足を伸ばし、横になった。
「長旅で疲れたわ、晩食まで休むから、荷物を片付けておいて」
姉はこちらを見る事なく、瞼を伏せた。
わたしは届けられていた荷物を解き、ドレスや靴をクローゼットに仕舞い、
下着はチェストに、化粧品は鏡台に並べた。
他にも細々とした物を片付け、それから自分用の荷物であるトランク一つと鞄を持ち、内扉を開けた。
広さは、姉に用意された部屋の半分程もある。
窓の近くに木枠のベッドが置かれ、そのカバーにはフリルやリボンがたっぷりと使われていて、可愛らしく、わたしの心を浮き立たせた。
「まぁ!お姫様のベッドみたい!」
小さな木の机にはランプと鍵が置かれていて、同じ木の椅子もある。
小さな鏡台、木造りのチェスト、小さなクローゼット…
どれも温もりがあり、素朴な優しさを感じた。
「心が落ち着くわ!」
小さな丸テーブルの上には花瓶が置かれ、淡いピンク色の小さな花が、溢れんばかりに生けられている。
「わたしを歓迎してくれてるみたい!」
自意識過剰に違いないが、構わなかった。
「思うだけは自由だもの!」
二人座れる程度の長ソファには、暖色のキルトのカバーが掛けられ、
可愛らしいフリル付きのクッションが並んでいる。
とても侍女の部屋とは思えない程に、可愛らしい部屋で、
一つある窓から入る陽射しが、それらを明るく見せていた。
「ああ、なんて素敵なの!夢のお部屋ね!」
ここが、今日からわたしの部屋___!
惨めな気持ちは吹き飛び、清々しい程で、
わたしは両腕を広げ、深く空気を吸い込んだ。
「今日からよろしくね!」
わたしの荷物は然程ない。
質素なワンピース、三着をクローゼットに仕舞い、他の衣類はチェストに仕舞った。
それから、持って来ていた本を机に置き、手帳やインク、ペンは引き出しに。
そして、レオナールから貰ったハンカチ…
お守りだもの…
手にそっと包んでから、同じ引き出しに仕舞った。
うさぎの人形メロディも、勿論持って来ている。
わたしはメロディにキスをして、ベッドに寝かせた。
「素敵ね、メロディ!今日からここが、わたしたちのお部屋よ!」
意識はしていなかったものの、わたしも長旅で疲れていた様で、
気付くとメロディと一緒にベッドで寝ていた。
陽が落ちる頃で、部屋は随分薄暗くなっており、わたしは慌てて起き上がると、姉の部屋への扉を開けた。
姉はまだ起きておらず、起きる様子も無いのを確認したわたしは、「ふぅ…」と息を吐き、胸を撫で下ろした。
「良かった…」
姉を待たせると半日は機嫌が直らないのだ。
わたしは置かれていたマッチで、ランプに火を点け、部屋のカーテンを閉めた。
そうしていると、扉が叩かれ、声を掛けられた。
「ディオール様、晩食をお持ち致しました」
わたしが扉を開けると、メイドが二人、ワゴンを押して入って来た。
流石は伯爵家で、ワゴンも立派だし、クローシュの数も多い。
物音で気付いたのか、いつの間にか姉は体を起こし、長ソファに座っていた。
「こちらのテーブルをお使いですか?」
「他にはないでしょう、分かり切った事は聞かないで」
姉は何が気に入らないのか、不機嫌で、言葉にも棘があった。
だが、メイドたちは「失礼致しました」と言っただけで、慣れた様子で料理をテーブルに並べていった。
「侍女の方の食事はどちらにお持ちしましょうか?」
メイドはわたしに聞いたが、答えたのは姉だった。
「侍女は主人の食事が終わってから、調理場で取るのが決まりよ」
メイドに伺う様に見られ、わたしは慌てて、「後で、調理場で頂きます」と答えた。
「食事が終わりましたら、食器をお下げしますのでお呼び下さい」
メイドがワゴンを押して出て行き、姉は大きく嘆息した。
「全く、鈍臭いメイドね!それに、この食事…
どれも平凡でつまらないわ!伯爵家の晩食だから期待してたのに…」
わたしは聞こえない振りをし、紅茶を淹れた。
姉は料理にケチを付け、一口ずつ食べた後は「下げなさい!」と言い、再びソファに横になった。
メイドを呼ぼうと部屋を出ると、空のワゴンが置いてあったので、
部屋に入れ、食器をワゴンに乗せた。
「食事をして来ます」
姉に声を掛けたが、返事は無かった。
いつもの事なので、わたしはワゴンを押して部屋を出た。
勿論、調理場の場所など知らないので、出会ったメイドに声を掛けた。
「すみません、調理場はどちらですか?」
「片付けなら、あたしたちでしますよ」
「調理場に行くついでですから…」
「それなら、一緒に行きますね」
メイドは気さくで感じが良く、一緒にワゴンを押してくれ、調理場まで付き合ってくれた。
「あんたが、ディオール様の侍女かい?
ディオール様はあまり食べていないね、口に合わなかったのかね?」
わたしは返事に困り、「疲れていたのかもしれません」と濁しておいた。
「ああ、あんたの分はそこに置いてるよ」
料理人が教えてくれ、わたしは調理場の隅にある、小さな机に向かった。
侍女ならば普通の事かもしれないが、妹だと分かったら、さぞ憐れまれるだろう。
ここにいる間、誰にも知られないといいけど…
驚く事に、姉に出された食事と同じ物が用意されていた。
温かいスープに、肉を焼いたもの、マッシュポテト、果実、良い香りのバケット、ワインとチーズ。
それから、紅茶、デザートに小さなケーキまである。
「凄い…ここでは、皆、同じ物を食べるのかしら?」
マイヤー男爵家では、はっきりと区別されていて、
使用人の内でも下層のメイドや下男の食事は酷いものだった。
どれも美味しく、わたしは自分でも驚く程に沢山食べていた。
「料理はどうだったかい?」
「どれも、とっても、美味しかったです!」
「そりゃ、良かった!」
料理人が大きな声で笑うので、わたしまでうれしくなった。
楽しい気分で姉の部屋に戻ったのだが、
早速、「遅いじゃないの!愚図なんだから!」と怒鳴られ、一気に身が引き締まった。
文句を言われながら、姉の寝支度を手伝い、姉がベッドに入ると、漸く解放された。
わたしは自分の部屋に入り、「ふぅ…」と息を吐き出した。
だが、その途端に、楽しい気持ちが戻ってきた。
引き出しからハンカチを取り出し、キスをして戻す。
それから簡単に寝支度を済ませ、ベッドに入り、メロディを抱き締めた。
「伯爵家の使用人たちは、皆優しい人ばかりよ!」
わたしが声を掛けると返事をしてくれるし、親切にしてくれる。
わたしを見ても、嫌な顔をしない所か、とても感じが良かった。
「こんなに人と話した事は初めてかも!」
家族は一方的に捲し立てるだけで、わたしの言う事など求めていない。
あれは会話とは言えない。
「それに、食事も凄く美味しいの!」
お肉は柔らかく、肉汁もたっぷりで、
バケットは小麦の良い匂いがし、ケーキはふわふわで甘く…夢の様だ。
「やっぱり、ここは、素敵なお城だった___」
尤も、わたしはお姫様ではなく、侍女だけど…
55
お気に入りに追加
3,417
あなたにおすすめの小説
もうすぐ婚約破棄を宣告できるようになるから、あと少しだけ辛抱しておくれ。そう書かれた手紙が、婚約者から届きました
柚木ゆず
恋愛
《もうすぐアンナに婚約の破棄を宣告できるようになる。そうしたらいつでも会えるようになるから、あと少しだけ辛抱しておくれ》
最近お忙しく、めっきり会えなくなってしまった婚約者のロマニ様。そんなロマニ様から届いた私アンナへのお手紙には、そういった内容が記されていました。
そのため、詳しいお話を伺うべくレルザー侯爵邸に――ロマニ様のもとへ向かおうとしていた、そんな時でした。ロマニ様の双子の弟であるダヴィッド様が突然ご来訪され、予想だにしなかったことを仰られ始めたのでした。
私の婚約者はお姉さまが好きなようです~私は国王陛下に愛でられました~
安奈
恋愛
「マリア、私との婚約はなかったことにしてくれ。私はお前の姉のユリカと婚約したのでな」
「マリア、そういうことだから。ごめんなさいね」
伯爵令嬢マリア・テオドアは婚約者のカンザス、姉のユリカの両方に裏切られた。突然の婚約破棄も含めて彼女は泣き崩れる。今後、屋敷でどんな顔をすればいいのかわからない……。
そこへ現れたのはなんと、王国の最高権力者であるヨハン・クラウド国王陛下であった。彼の救済を受け、マリアは元気づけられていく。そして、側室という話も出て来て……どうやらマリアの人生は幸せな方向へと進みそうだ。
王太子様には優秀な妹の方がお似合いですから、いつまでも私にこだわる必要なんてありませんよ?
木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるラルリアは、優秀な妹に比べて平凡な人間であった。
これといって秀でた点がない彼女は、いつも妹と比較されて、時には罵倒されていたのである。
しかしそんなラルリアはある時、王太子の婚約者に選ばれた。
それに誰よりも驚いたのは、彼女自身である。仮に公爵家と王家の婚約がなされるとしても、その対象となるのは妹だと思っていたからだ。
事実として、社交界ではその婚約は非難されていた。
妹の方を王家に嫁がせる方が有益であると、有力者達は考えていたのだ。
故にラルリアも、婚約者である王太子アドルヴに婚約を変更するように進言した。しかし彼は、頑なにラルリアとの婚約を望んでいた。どうやらこの婚約自体、彼が提案したものであるようなのだ。
素直になるのが遅すぎた
gacchi
恋愛
王女はいらだっていた。幼馴染の公爵令息シャルルに。婚約者の子爵令嬢ローズマリーを侮辱し続けておきながら、実は大好きだとぬかす大馬鹿に。いい加減にしないと後悔するわよ、そう何度言っただろう。その忠告を聞かなかったことで、シャルルは後悔し続けることになる。
大公殿下と結婚したら実は姉が私を呪っていたらしい
Ruhuna
恋愛
容姿端麗、才色兼備の姉が実は私を呪っていたらしい
そんなこととは知らずに大公殿下に愛される日々を穏やかに過ごす
3/22 完結予定
3/18 ランキング1位 ありがとうございます
悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。
三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。
婚約者が他の令嬢に微笑む時、私は惚れ薬を使った
葵 すみれ
恋愛
ポリーヌはある日、婚約者が見知らぬ令嬢と二人きりでいるところを見てしまう。
しかも、彼は見たことがないような微笑みを令嬢に向けていた。
いつも自分には冷たい彼の柔らかい態度に、ポリーヌは愕然とする。
そして、親が決めた婚約ではあったが、いつの間にか彼に恋心を抱いていたことに気づく。
落ち込むポリーヌに、妹がこれを使えと惚れ薬を渡してきた。
迷ったあげく、婚約者に惚れ薬を使うと、彼の態度は一転して溺愛してくるように。
偽りの愛とは知りながらも、ポリーヌは幸福に酔う。
しかし幸せの狭間で、惚れ薬で彼の心を縛っているのだと罪悪感を抱くポリーヌ。
悩んだ末に、惚れ薬の効果を打ち消す薬をもらうことを決意するが……。
※小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる