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しおりを挟む「セリーヌ、良いか?」
その日、馬車が停まり、休憩に入ると、オーギュストがわたしの馬車を訪ねて来た。
こんな事は、王都を出てから初めての事で驚いた。
だが、メラニーとナタリーは当然の様に、驚きもせずさっさと馬車を降りて行った。
代わりに入って来たオーギュストは、いつもの様に無表情だったが、
わたしの向かいに座ると、怒った様に口を曲げた。
あまり良い話では無さそうだ。
自分が何かしただろうか?
わたしが頭を巡らせていると、オーギュストが口を開いた。
「現在、我々は深刻な事態に直面している」
何やら物騒な物言いに、わたしは緊張した。
「それは…どういった事でしょうか?」
「どうやら、団員たちは、私と君を《仮面夫婦》だと疑っているらしい」
「はぁ?」
思わぬ事に、変な声が漏れてしまった。
すると、青灰色の目が咎める様に、鋭い光を見せた。
「君は呑気だな、《仮面夫婦》等と王の耳に入ればどうなるか…
即刻離縁させられる事も考えられる。
そうなれば、君は適当な者に嫁がされるのだぞ?
王は血統を重んじている、悪くすれば、王の側室にされるかもしれない」
わたしは漸く事態を飲み込めた。
王の側室など、恐ろしい!
それに、他の誰かに嫁ぐなど…
「それは、困ります…」
オーギュストは大きく頷いた。
「君は我が国の為に良く働いている、君が不幸になってはあまりにも不義理だ。
そこで、この状況を打開すべく、君に相談しに来た次第だ」
仕事の話に聞こえるが、わたしの事を思ってくれているのは確かだ。
「打開…」
それならば、簡単だ。
本当の《夫婦》になれば良いのだから___
そんな風に考え、わたしは唖然とした。
相手がオーギュストならば、夫婦になっても良いと思っている自分に気付いた。
いつも無表情で、冷静で、偉そうにしているが、わたしを邪険にした事は無い。
わたしの力を認め、労ってくれるし…
犬を飼う事も、妥協してくれた。
《氷壁》なんかじゃない、本当の彼は、ずっと温かい人だ___
わたしはオーギュストに好意を持っている…
愛しては駄目!
自分の奥で警鐘が鳴る。
愛してしまえば、どうなるか…
わたしはそれを思い、身を震わせた。
オーギュストはそれに気付いたらしい、わたしを励ましてくれた。
「セリーヌ、そう深刻になるな、まだ十分に挽回は出来る」
わたしは頷いた。
そう、まだ、大丈夫…
早く気付けたのだから、避ける事は出来る筈。
オーギュストを愛さない様に…
「外では、《夫婦らしい事》をするのが良いと思うのだが…
私の両親は夫婦らしく無かった、それに、私は人との付き合いを
最小限に止めてきた事もあり、それが分からない。
そこで、君に教えて貰いたい、セリーヌ」
オーギュストが話を進めてくれ、わたしは息を吐いた。
「わたしも、良くは分かりませんが…」
わたしは両親を頭に浮かべた。
わたしの事は然程愛してはくれなかったが、互いに愛し合っていた。
だからこそ、わたしたちが生まれたのだ…
「わたしの両親は、端で見て分かる程、互いに思いやり、気遣っていました」
「具体的にはどういった事だ?」
オーギュストが難しい顔で、尋問の様に聞いて来る。
滑稽に感じつつも、わたしは調子を合わせた。
「わたしたちが生まれて以降、わたしたちと母は神殿で暮らし、
父は年に数回の面会でしか会えませんでしたので、会えば、抱擁し…
愛の言葉を伝え合っていました。
体は壊していないか、どう過ごしていたか、互いに聞いていました。
面会が終わる時には、離れがたく、手を取り合い、互いの無事を祈っていました」
「成程、だが、私たちは滅多に会えないという訳では無いからな…
それでは大袈裟になるか…」
オーギュストは検討している様だが、わたしにとっては、彼がそれをする姿は想像出来なかった。
したとしたら、それはそれで、こちらの身が持たない気がする。
わたしは焦って言葉を継いだ。
「それでは、時間が空いた時には、なるべく会う様にするのはいかがでしょう?
二人が一緒にいれば、仲が良いと思うのではないかと…
馬車に乗り込む前にも、挨拶程度で良いので、言葉を交わしたり…」
抱擁やキスをしたり…
それを口に出す事は憚られ、わたしは頬を赤くするだけに止めた。
「良い案だ、暫く試してみよう、また何か気付きがあれば教えてくれ。
分かっているとは思うが、この事は他の者には話さぬ様に。
特に、メラニーとナタリーには気を付けてくれ、良いな?」
オーギュストは珍しく強く口止めをしてから、馬車を降りて行った。
こちらを振り返りもせずに、颯爽と去って行く彼を眺め、
わたしは「《仮面夫婦》の疑惑を晴らすのは、難しいだろう」と、頭を振ったのだった。
◇
陽が傾いた頃、一行は森の入り口付近で足を止め、野営の準備に入った。
食事が出来上がるのを待ち、メラニーとナタリーが食事を運んでくれるのだが、
今日は違っていた。
一時間が経った頃だろうか、馬車の外から声を掛けられた。
「セリーヌ、いいか?」
メラニーとナタリーは顔を見合わせ、ニヤリと笑うと、さっさと扉を開けて出て行った。
わたしは気まずく、二人と一緒に逃げ出したくなったが、何とか膝の上で両拳を握り、耐えた。
入って来たのは、やはり、オーギュストだった。
彼は持っていたトレイの一つをわたしに渡した。
「ありがとうございます」
「ああ、何人かが見ていた、効果はありそうだ___」
あまりに淡々としていて、気が抜けた。
オーギュストにとっては、これは《作戦》でしかないのだ。
そんなの、最初から、分かっていたけど…
目の前で、黙々と食事を始めたオーギュストは、いつもと同じだ。
照れてもいないし、意識してもいない。《夫婦》を演じたりもしない。
馬車の中に入ってしまえば、誰の目もなく、《夫婦》を意識する必要もないという訳だ。
合理的だわ…
そこが、冷たく感じるのだけど…
でも、きっと、この方がいい。
勘違いしなくて済むもの…
黙々と食事をしたので、然程時間は掛からなかった。
《夫婦》であれば、ゆっくりと時間を過ごすものかもしれないが、わたしはそれを指摘しなかった。
無理に時間を延ばしても、気まずい時間が長く続くだけだ。
オーギュストだって、面倒に思う筈だ。
無言でいると、オーギュストはさっさとわたしのトレイを取り、馬車を降りた。
だが、不意に足を止め、こちらを振り返った。
「セリーヌ」と、彼の目が何かを訴えている。
わたしは釣られて、「はい?」と、そちらに顔を出した。
「どうされたのですか?」
オーギュストは答える代わりに、わたしの頬に口付けた。
「忘れていた、また後で___」
ただの、挨拶のキス。
真顔で、それも『忘れていた』なんて!義務でしかない。
それなのに、どうして、心が乱されるのだろう…
わたしの心臓は煩く鳴り、わたしは胸に手を当てた。
ああ、わたしはこの先、大丈夫なのだろうか?
◇◇
《仮面夫婦》の疑惑を晴らす為に、オーギュストは意外にも頑張っている。
朝、わたしがテントを出て馬車に向かう時には、一緒に付いて来てくれ、
馬車に乗り込む前に、短い会話を交わす。
別れ際には、名残惜しそうに手を握り、頬にキスをする。
休憩の度に、飲み物や食料を持ち、わたしの馬車を訪れて一緒に過ごす。
夜も、馬車まで迎えに来てくれ、一緒にテントに向かう___
これだけ目にしたならば、甲斐甲斐しい《夫》だろう。
その実は、誰も知らない。
わたしたちの間に交わされる言葉は…
「休憩には顔を出す」
「あまり無理はなさらず、休んで下さい」
「いや、これも大事な任務だ」
「…オーギュスト様、お気を付けて」
全く色っぽいものではない。
そこに情熱は無かったが、効果は不思議にもあった。
「いやー、驚いたなー」
「騎士団長って、意外と愛妻家なんだなー」
「しかし、何か、見てはいけないものを見た気になるよな…」
「ああ、妙に恥ずかしい…」
氷壁が春(聖女)を迎え、雪解けを始めた___
そんな風にも言われているらしい。
作戦は成功しているが、わたしとしては騙している様で、いつも何処か落ち着かなかった。
それに、オーギュストは一行を率いる騎士団長だ。
多忙を極める彼の貴重な時間を、わたしなんかの為に割いて貰って良いのか…
申し訳なく、胸が痛んだ。
「オーギュスト様、大丈夫ですか?お疲れでしょうし、お忙しいのですから、
わたしなどの事で、無理をなさらないで下さい…」
「この位、どうという事は無い。
君の方こそ、そんな心配はせず、休むんだ、顔色が悪いぞ」
今日は広範囲の邪気祓い、浄化、結界を張ったので、少し疲れているのは確かだった。
ファストーヴィ王国では、聖女に何かあれば、周囲が動揺するので、
そういった姿は見せない様、厳しく言われていた。
その為、平然を装う事が身に付いていたのだが…
まさか、気付かれるとは思わず、わたしは驚いた。
「きっと、灯りの加減です、わたしはいつも通りですので、ご安心下さい」
わたしが笑みを返すと、オーギュストは目を厳しくし、眉を寄せた。
「多くの団員たちを見て来ている私が言うんだ、間違いない、君は疲れている。
疲れが取れぬ内は、ここから出さない、分かったら大人しく寝ろ。
君に何かあれば…」
「本末転倒ですね。
勿論、わたしは平気ですが、そこまでおっしゃるのでしたら、先に休ませて頂きます。
わたしの力が必要な時には、直ぐに起こして下さい」
わたしは虚勢を張り、毅然として言った。
オーギュストはその銀色の頭を振った。
「《聖女》というのは、頑固者だな」
頑固者だなんて!
わたしは見えない様に頬を膨らませ、簡易ベッドに潜り込んだ。
だが、強がるのもそこまでで、わたしは疲労の為、直ぐに深い眠りに落ちたのだった。
次に目が覚めた時には、まだ灯りがあった。
大きな背中が見える。
オーギュストはまだ仕事をしているらしい。
「オーギュスト様…」
もう、お休みになって下さい___
そう言いたかったが、彼にとっては、片付けなければいけない大事な仕事だ。
わたしが同じ立場であれば、邪魔はされたくないと思うだろう…
わたしは目を閉じ、彼の背中に力を送った。
少しだけ…
これ位なら、きっと、気付かれないだろう…
だが、不意に彼が振り返ったので、ギクリとした。
慌てて眠った振りをする。
眠りに落ちる前、彼が嘆息した気がした。
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