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ミーガン夫人の部屋を訪ねた翌日、ミゲルの家庭教師の時間に、メイドが訪ねて来た。

「ロザリーン、少し手伝って貰っても良いかしら?」
「はい、直ぐに行きます」

わたしはミゲルと家庭教師に断りを入れて部屋を出た。
メイドは部屋の外で待っていたが、その指示は思ってもみない事だった。

「ロザリーン、奥様がお呼びよ、直ぐに行ってね」

つい先日伺ったばかりなのに…?
わたしは嫌な予感に包まれたが、断る事は出来ないので、
なるべく余計な事は考えない様にし、夫人の部屋に向かった。


「度々来て貰ってごめんなさいね、毛糸を解くのを手伝って下さる?」

夫人はソファで編み物をしていた。
わたしは促され、夫人の隣に座り、絡まった毛糸を手にした。

「若いし、手先が器用そうだから…
繕い物の仕事も上手だと聞いていますよ、ロザリーン」

「慣れていますので…」

幼い頃は刺繍や編み物をしていた、十三歳からはそれが繕い物に変わっただけだ。
だが、当然、夫人はこんな事でわたしを呼び付けたのでは無かった。

「あなたを呼んだのはね、ミゲルに聞かれたく無い話だからなの…」

夫人が静かに言い、わたしは毛糸を持った手を膝の上に置いた。

暇を出されるのかしら?

わたしはティファニーの事を思い出し、心が沈んだ。
仕方の無い事よ…
自分を励まそうとしたが、あまり上手くはいかなかった。
だが、話はわたしの考えるものとは違っていた。

「あなたは、ミゲルの母親の事を、詳しくは聞かされていないでしょう?」

ミゲルの母親___!

確かに、ミゲルがいては出来ない話だ。
それに、伯爵はこの話題に触れられたくない様だった…
先程とは違う緊張を持ち、わたしは夫人を見た。

「母親の事は、ミゲルには内緒にしようと、リーアムと決めているの。
だけど、あなたには話しておかなくてはね…
ここで話した事は秘密ですからね、くれぐれも口外してはいけませんよ」

夫人の目が強く光る。
わたしは背を正し、「はい、お約束致します」と頷いた。


「リーアムの妻、ミゲルの母親のジョセリンは、とても美しい女性だった…」

わたしはミゲルの部屋で何度も母親の肖像画を見ていたので、すんなりと頷いた。

「伯爵令嬢で、控えめでしたけどね、芯の強い人だったわ。
結婚して一年程はごく普通の、仲の良い夫婦だったの、だけど…
ジョセリンは子を宿してから、変わってしまった…」

毎日、苛々とし、周囲に怒鳴り散らす様になり、暴言も吐く様になった。

「こういった事はたまにある事だから、リーアムに相談された時、
私は『子が生まれれば戻る』と言ったの。
あの子はそれを信じて、ジョセリンの我儘を聞き、支えようとしたわ。
だけど、ミゲルが生まれると、益々酷くなってしまったの…」

夫人は頭を振った。

「ジョセリンはミゲルの面倒を見ようとはしなかった…
いいえ、それ処か、顔を見ようともしなかったわ。
毎日の様に出掛けては、友人たちと遊んでいる様で、館にいる事はほとんど無かった。
ミゲルに母親の記憶が無いのも、仕方の無い事よ___」

わたしはぞっとした。
それから、怒りが沸き上がった。

酷いわ!ミゲルはあんなにも、母親を求めているのに…!

「奥様はどうして?」

自身の産んだ子だというのに、どうして、気に掛けずに済むのだろうか?

「ジョセリンにとって興味のある事は、自分の美しさだけだったのよ。
子を産めば、体型が悪くなるだとか、子の世話をしていれば老けるだとか…
そもそも、子を産む事自体、危険な行為ですからね、彼女は酷く恐れていたわ。
堕胎したかった様だけど、彼女の両親がなんとか説得して出産まで漕ぎ付けた。
ジョセリンは、ずっとリーアムを恨んでいたし、ミゲルも憎しみの対象でしかなかった」

わたしにはとても理解出来なかった。
折角宿った、愛する人との子なのに…
わたしなら、きっと、自分の持てる全ての愛を注ぐわ___!

伯爵の微笑みが浮かび、わたしは慌てて頭を振り、追い出した。
そんなわたしを見て、夫人は誤解した様で、「理解し難いわよね」と頷いた。

「ミゲルが四歳の年よ、何の前触れも無く、ジョセリンが馬車事故に巻き込まれたと連絡が来た。
リーアムは直ぐに駆けつけたわ…」

馬車から投げ出され、岩場で頭を打ったのが致命傷になったのか、
伯爵が駆け付けた時には、ジョセリンは既に息絶えていた。
少し離れた場所には、知らぬ男が、同じ様に息絶えていて、不貞の相手だろうと思われた。

「こんな事が知れると不名誉だし、何より、ミゲルの耳に入れる訳にはいきませんからね…」

関わった者たち全てに口止めをし、ジョセリンの悪行を葬った。

「リーアムはジョセリンの事があってから、女性を寄せ付けなくなったわ。
表面上はそうは見えませんけどね、心の内には誰も入れないの。
誰も信じられないのよ…
リーアムがこのまま独りで生きて行くと思うと、可哀想にもなるけど、仕方の無い事ね…」

酷い話だというのに、わたしは何処かで安堵していた。

伯爵に再婚の気持ちが無い事に___

ミゲルにとって、父親が再婚する事は良い事だろう。
それなのに、わたしってば…
罪悪感に胸が痛んだ。


◇◇


あれから二週間が過ぎ、ティファニーの事もすっかり忘れていたのだが、
向こうから思い出させにやって来た。

「ロザリーン、ティファニー様がお呼びよ」

その日、ミゲルの部屋に居た所、メイドがわたしを呼びに来た。
何故、わたしを?
心当たりが無く、不審に思うものの、呼ばれたなら行かなくてはならず、
「直ぐに参ります」と繕い物を置き、ソファを立った。

「ぼくもいく!」とミゲルも席を立ったが、そこは家庭教師が許さなかった。

「ミゲル様は呼ばれておりませんよ、それに、今は勉強の時間です」

ミゲルの不満そうな声に後ろ髪を引かれつつ、わたしは部屋を後にした。
正直、ミゲルが居てくれた方が心強かった。
だが、そんな事は言えないし、家庭教師は真面目な人なので、許さないだろう。
わたしは嘆息しつつ、ティファニーの待つパーラーへ急いだ。

「ロザリーンです、お呼びだと伺いました」

「入りなさい」

返事があり、わたしはパーラーに入った。
長ソファにティファニー、その向かいには、知らない男性の姿があった。

「彼は、スティーブン・ブレナン、二十四歳、資産家の子息よ。
あなたと話したいそうよ」

紹介されたスティーブンが立ち上がり、こちらにやって来た。
背はほどほど、体型も普通だ。
明るい茶色の髪で、目尻の下がった細い目、そして、唇は熱く、愛嬌の良い笑みを見せている。

「やぁ!君がロザリーンかい?可愛いね!よろしく!」

スティーブンが握手を求めて、手を差し出す。
わたしは礼儀上、握手をした。

「わたしは仕事がありますので…」

「私が許すから、スティーブンと散歩をしてきなさい」

ティファニーは主人ではない。
それに、知らない男と二人で散歩をする気も無かった。

「主人のお許しが無ければ…」

「私がお許しを貰ってあげると言っているのよ!」

「そうだよ、行こうよ!」

スティーブンに肩を抱かれ、わたしはぞっとして離れた。
彼は両手を上げて見せた。

「ああ、ごめん、ごめん!こういうの慣れていないんだよね?」

ニヤニヤとしている彼の方は、慣れていそうだ。
わたしは増々縮こまった。

「わたし、困りますので…」

わたしは断りたかったが、痺れを切らしたのか、ティファニーがキレてしまった。

「いいから、さっさと行きなさいよ!私を怒らせたいの!?」

スコット男爵家では良く怒鳴られていた事もあり、わたしは反射的にビクリとなった。

「ああ、可哀想ー、怯えさせちゃ駄目だろう、ティファニー」

「フン!鈍臭いからよ、いいから、さっさと連れて行って!
これからリーアムと会うんだから___」

伯爵と会う___

胸の中がもやもやとした。
だが、ここで鉢合わせたら…と思うと、居ても立っても居られず、急いでパーラーを出た。
スティーブンは付いて来て、馴れ馴れしく話し掛けて来た。

「積極的になってくれてうれしいなー、ここに来るのは初めてだから、案内してよ」

スティーブンは美形という程ではない、だが、何処か人を惹き付けるものがある。
軽い口調と愛嬌の良さだろうか?
こんな事は困るのに…と思いながらも、わたしは庭を案内していた。


「今日はありがとう、楽しかったよ、ロザリーン!」

庭を案内し、適当な処で戻って来た。
わたしはさっさと仕事に戻ろうとしたが、スティーブンがわたしの腕を掴み、引き止めた。

「あの、離して下さい…」

わたしは抗議しようとしたが、それよりも早く、スティーブンがわたしの頬に口付けた。

「!?」

こんな事をされるとは思わず、わたしは硬直した。

「本当に可愛いなー、気に入ったよ、ロザリーン」

スティーブンは悪びれずに愛想の良い笑顔を見せると、
「また来るからね!」と、さっさと馬車に乗り込んだ。

ただの、挨拶よ…

意識する方が変だ。
わたしは自分に言い聞かせ、忘れる事にした。


「ロザリーン!おそいよ、なにしてたの?」

ミゲルの部屋に戻ると、ミゲルが本を放り出して駆けて来た。
テーブルの向こうでは、家庭教師が難しい顔をしている。

「用事をしていただけよ、さぁ、勉強に戻って!先生が待っているわよ」

ミゲルは不満そうに小さな唇を尖らせたが、
「もう、いっちゃだめだよ」と言い、渋々戻って行った。

わたしは安堵の息を吐き、繕い物に戻った。

スティーブン・ブレナン

馴れ馴れしい人だった。
何処か憎めなくはあるが、あまり良い印象ではなかった。

ティファニーは何故、わたしに彼を紹介したのだろう?

「わたしと話したいだなんて…」

そんな事があるだろうか?
世慣れした男性が、わたしなんかに興味を持つとは、とても思えなかった。

「分からないわ…だけど…」

もう、会わないといい…

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