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しおりを挟むある日の午後、一人の女性が館を訪ねて来た。
わたしは繕い物を運んでいた所で、玄関ホールに入って来た彼女を目にし、柱の陰にさっと身を隠した。
使用人は不必要に客に姿を晒してはいけない。
普段であれば、気配を消し、客が部屋に通されるのをじっと待つのだが、
今日は何故か気になり、こっそりとそちらを覗いた。
仕事関係の客が訪ねて来る事は何度かあったが、彼女は一目見て違うと分かった。
目を惹く美しい金色の髪、美しく整った顔立ち。
白くスラリとした華奢な肢体を、レースやフリルが沢山使われた豪華なドレスで纏っている。
絵に描いたような貴族令嬢___
胸がざわめく。
堪らなく不安になる。
わたしは無意識に胸を擦った。
「いらっしゃいませ、ティファニー様」
執事は当然の様に彼女を迎えた。
「リーアムを呼んで!」
彼女は執事に命じ、さっさとパーラーに向かった。
彼女の姿が消え、わたしは漸く我に返った。
「戻らないと…」
まだ、頭はぼんやりとしている。
ティファニー…
彼女は一体、どういった人なのだろう?
伯爵の大切な方…?
また、もやもやとしたものが浮かんで来て、わたしは考えない様にして部屋に戻った。
わたしが彼女と会う事は無いだろうと思っていたが、
少しして、彼女がミゲルを訪ねて来たので、わたしは否応なく顔を合わせる事となった。
「ミゲル様、ティファニー様がお会いしたいとの事です…」
この時間、ミゲルは家庭教師の時間だと知っている為、メイドの声には戸惑いが混ざっていた。
家庭教師やミゲルが答える前に、扉は開かれた。
そして、彼女が堂々とした出で立ちで部屋に入って来た。
華奢ではあるが、存在感は大きく、圧倒された。
見事な金色の髪、陶磁器の様な白い肌に、繊細で整った顔立ち…
瞳の色は薄く、何処か冷たく見えるが、それも魅力だろう。
彼女はミゲルと家庭教師に目をやり、「あなたが、ロザリーン?」と聞いた。
わたし!?
わたしは驚きに繕い物を落としそうになった。
「ちがうよ、かていきょうしのハンナ」
ミゲルは素っ気なく言い、わたしを振り返った。
わたしは急いで繕い物をテーブルに置き、立ち上がって頭を下げた。
どういう人かは知らないが、相手が《客》である事は確かだ。
「フン、野暮ったい娘」
彼女は鼻で笑った。
この館の人たちは皆親切なので、こんな風に言われるのは久しぶりだった。
嫌でも、ドロレス、イザベル、マチルダを思い出す。
わたしが黙って俯いていると、彼女の方がこちらに来た。
「子供に取り入って、リーアムに近付こうなんて、油断のならない女狐ね!」
ミゲルに取り入って、伯爵に近付こうなんてしていないわ…!
反論はあったが、反論しても怒らせるだと、経験身に染みていたので、
わたしは俯いたまま、彼女からの暴言を聞いていた。
「もしかして、自分では魅力的だとでも思っているの?
鏡を見てみなさいよ、ああ、鏡を持っていないなら仕方ないわね、
それじゃ、私が教えてあげる、どんな男性だって、あなたなんか相手にしない!」
「ロザリーンをいじめるな!ティファニーはでていってよ!」
ミゲルがわたしの元に走って来た。
わたしの足にギュっとしがみつき、彼女を睨んでいる。
わたしは反射的にその小さな背中を擦った。
「ミゲル、十歳にもなって子供染みた事は止めなさいよ、伯爵子息が恥ずかしい」
「ぼくは7さいだよ!」
「十歳も七歳も変わらないじゃない。
ミゲルに悪影響だと分かったし、首にする様、リーアム伝えておくわ」
「パパはロザリーンをくびにしたりしないよ!」
「あら、どうかしらね?」
彼女は挑発する様に言い、部屋を出て行った。
ミゲルはボロボロと泣き出した。
「ロザリーン!でていかないで!
ロザリーンがいなくなったら、いやだよ!」
わたしは『出て行かない』とは言えなかった。
主人である伯爵が『出て行け』と言えば、従うより他ないのだから…
だが、声を上げて泣くミゲルが可哀想で、わたしは抱きしめて慰めた。
「大丈夫よ、ミゲル…さぁ、泣き止んで…
あなたは勉強の時間でしょう、わたしは繕い物をしなくちゃ…」
彼女は、ティファニー・べインズ男爵令嬢、二十歳。
リーアムの父方の親戚に当たる。
結婚はしておらず、リーアムを狙っている様で、度々、館を訪れると言う。
使用人たちは皆、彼女の事知っていて、晩食の際にわたしに教えてくれた。
「聞いたわよ、災難だったわね、ロザリーン」
「ティファニー様は我儘だから…」
「それに、執念深くてね、旦那様に相手にされていないというのに、諦めないのよ…」
わたしは伯爵がティファニーを相手にしていないと知り、少し安堵した。
でも、どうして、伯爵は受け入れないのだろう?
あんなに綺麗な人なのに…
ティファニーが側を通れば、誰もが振り返り、うっとりとするだろう。
伯爵は、亡くなった妻を深く愛しているのだろうか?
物悲しい気持ちになり、わたしは食事の手も止まっていた。
その後、伯爵から何かを言われる事は無かった。
ティファニーは本気でわたしを辞めさせ様とは思っていなかったのかもしれない。
そう考える事にし、あの事は忘れる事にした。
平穏な日々が戻り、ミゲルも安堵した様だった。
◇◇
伯爵の母、ミーガン夫人は普段、散歩に出る以外は自室で過ごしている為、
わたしはほとんど顔を合わせる事は無かった。
時々、ミゲルが部屋に呼ばれる事もあるが、わたしは部屋の前までで、一緒に部屋に入る事は無かった。
だが、この日は「お茶をするので、ロザリーンも一緒に」と誘われ、ミゲルと共に部屋に入った。
テラスに促されて行くと、色味の薄い髪の初老の女性が、白いテーブルに着いていた。
「ミゲル、顔を見せて頂戴…」
夫人はミゲルを呼び、優しい目でミゲルの顔をじっと見つめると、「いい顔をしている」と優しく抱擁した。
「二人共、お座りなさい」
わたしはミゲルを座らせ、傍の椅子に座った。
メイドたちがケーキスタンドを運び、紅茶を淹れた。
「ロザリーンとは、あまり話した事が無かったわね。
ミゲルが良く話してくれるから、知っている気になっていたの」
夫人がにこやかに笑みを浮かべて言う。
何処か伯爵に似ていて、優しそうな人だ。
「ミゲルのお世話をしてくれて有難う、あなたが来てくれてから、ミゲルは明るくなったわ。
私たち、あなたにはとても感謝しているのよ」
《私たち》___その中には、伯爵も入るのだろうか?
わたしはそんな事を考え、頬が熱くなった。
「いえ、仕事ですので…勿論、仕事でなくても、ミゲルの事は大好きです」
「ぼくも!ロザリーンがだいすき!」
ミゲルが無邪気に言ってくれ、わたしは安堵した。
その後は、天候の事など、差し障りのない話をし、お茶は終わった。
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