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「少し質問をさせて貰うよ、食べながらでいいから、答えてくれ」

「はい」

「君の名は?」

一つ目の質問から、わたしは答えに窮した。
まさか、スコット男爵家の娘とは言えない…
わたしへの仕打ちが外に知れれば、スコット男爵家の悪評は避けられないだろう事は、わたしにも想像が付いた。
貴族の娘を使用人扱いするなんて、きっと、普通ではないもの…
それに、自分自身が惨めに思え、誰にも知られたく無い事だった。

「ロザリーン・コットンです」

わたしは思い付いた名を口にした。
スコットを少し捩っただけなので、冷や冷やとしたが、伯爵が気になったのは別の事だった。

「貴族令嬢ではないのかい?
スコット男爵家にはどういった経緯で?」

「はい、平民です、スコット男爵家とは遠縁に当たります…
母を亡くし、行き場が無かったので、使用人をしています…」

罪悪感はあったが、嘘を重ねるしか無かった。
でも、少しは本当の事だもの…

「母親は病で?亡くなった時、君は何歳だったんだい?」

「流行り病です、あっという間でした…
わたしは十三歳でした」

重い沈黙が流れた。
暫くして、伯爵が零した。

「十三歳で…それは、辛かったね」

それは、わたしの胸に沁み入り、琴線を震わせた。
もう、何年も前に、受け入れていた事なのに…
感情が溢れ出てきて、わたしは胸を押さえた。

「君は今、幾つだい?」
「十八歳です」
「その間、ずっとスコット男爵家に仕えていたんだね、男爵家ではどんな仕事を?」
「雑用です、掃除、洗濯、繕い物、調理の手伝い、給仕…他にも頼まれた事は何でも」

伯爵は何度か頷いた。
半分下ろした瞼の向こうから、わたしを観察する様に見ている。
後ろめたさもあり、わたしは落ち着かなかった。

「スコット男爵家の人たちは、どんな人たちかな?」

この問いもわたしを悩ませた。
本当の事を言ってしまいたいが、大変な事になりそうで怖かった。
彼等が怒り、わたしを糾弾するのが恐ろしい…

「わたしは…あまり、存じません、話す機会がありませんでしたので…」

「叱られた事は?給金は貰えていた?食事は一日何回?」

顔を合わせば嫌味を言われ、小さな失敗でも叱責される。
イザベルとマチルダの楽しみは、わたしを虐める事だ。
給金など一度も貰った事は無かったし、そんな話が上がる事も無かった。
それ処か、わたしの所有物は全て奪われ、自分の持ち物など一つも無かった。
母の物も全てドロレスに処分されてしまった…
食事は、朝は一杯の紅茶、昼食は小さな固いパンと水、時々、スープが貰える事もある。
晩食は昼食と差異はない。唯一、水は頼めば貰えた___など、とても言えない。

「失敗をした時には、当然、叱られます。
給金は食費と宿代…生活費の代わりに。食事は一日三回です」

「一日三回食べていた割りには、君は酷く痩せているね、
どんな料理が出されていたんだい?」

伯爵は何故、こんな取るに足らない質問をするのだろう?
伯爵には関係の無い事で、わたしにとっては聞かれたくない事ばかりを聞いて来るので、正直、疲れていた。
だが、無視する事は出来ないので、必死に頭を巡らせ、

「ごく一般的な、普通の食事です、わたしはきっと、太り難い体質なんです…」

何とか不自然では無い答えを引き出した。

「君を雇う事になれば、君の荷物をこちらに送る様、スコット男爵に言った方が良いだろうか?」

「いいえ!」

つい、大きな声を上げてしまい、わたしは慌てて繕った。

「その…、大した荷物はありませんので…」

連絡などされたら、元も子もなくなってしまう!
わたしは内心で祈った。

伯爵は小さく嘆息した。
わたしは恐々とし、彼の判断を待った。

「君は真面目な人の様だし、忠誠心も厚い様だ、少しばかり《嘘吐き》だがね」

伯爵に見抜かれていたと知り、わたしは息を止めた。
だが、伯爵はそれについて、追及する事は無かった。

「私は君に、息子の世話を頼みたいと思っている。
これまで乳母に見て貰っていたが、三十歳を超していてね、ミゲルには年の近い君の方が良いだろう。
ミゲルには家庭教師を付けるつもりでいるから、君には勉強以外の事を任せたい。
身の回りの世話だが…一番は、ミゲルの友達になってやって欲しい」

ミゲルの友だちに…

「ミゲルの母親は、ミゲルが四歳の時に事故で亡くなってね…
ミゲルは母親の事を何も覚えていない、それで構わないと思っていたが、
成長する内に、歪が出来始めた。
母親が恋しいのか、母親がいない事を引け目に感じているのか…
酷く内気になってしまってね、まともに話もしてくれなくなった…」

ミゲルは普通に話していたし、明るかったので、わたしは頭を傾げたが、
最初に見た時、テーブルの陰に独り、蹲っていたのを思い出した。

「君と一緒だと、話せるらしい。
あんな風に明るいあの子を見たのは、初めてかもしれない…
父親など役に立たないものだな、君には感謝しているよ、ロザリーン」

伯爵が苦笑する。
わたしは頭を振った。
ミゲルにとって、父親は大きな存在だ。
きっと、いない母親よりも、ずっと…

「ミゲルは私にとって、掛け替えの無い、愛すべき息子だ。
私はミゲルの幸せの為なら、何でもしたいと思っている。
君の事は少し疑っているし、事情を抱えている様に見える。
君を雇うのは危険かもしれないが、息子の幸せには変えられない」

わたしは否定出来なかったし、伯爵を責める事も出来なかった。
疑われても仕方が無い、全てを話せないわたしの所為だもの…

「ロザリーン・コットン、私の館で働いてくれないか」

わたしの胸に、喜びが沸き上がった。
反射的に「はい!」と答えてしまい、伯爵に苦笑された。

「少しは考えて答えた方がいい、お人好しでは、良い様に使われるだけだよ」

伯爵はわたしに詳しい条件を説明してくれ、書類にサインを求めた。
服や靴、仕事に必要な物は全て支給され、部屋も貸して貰える。
食事は一日三回、午前と午後にはお茶の時間もある。
就業時間も決まっているし、休みも貰え、その上、給金の記載もあった。

「本当に、よろしいのですか?
わたしの働きを見てからにした方が、よろしいのではありませんか?」

わたしは待遇の分、働ける自信が無く、弱気になったが、伯爵は明るく笑った。

「構わないよ、君の働きが悪ければ、遠慮なく減給させて貰うから、気楽に頑張りなさい」

不思議…
伯爵は、わたしの心を軽くする言葉を知っているみたい…

大人だから、かしら?
それとも、子の父親だから?

わたしの父は違ったけど…





わたしはミゲルの世話係に決まり、これまで付いていた乳母から仕事を引き継いだ。
乳母の方は、同居の伯爵の母ミーガンの世話係、話し相手をする事になった。

「ミゲル、今日からわたしがあなたのお世話をする事になったの、いいかしら?」

ミゲルは碧色の瞳をまん丸くし、わたしを見た。
そして、歓喜の声を上げた。

「ほんと!?ロザリーン、これから、ずっと、いっしょにいてくれる?」

「ええ、あなたが嫌というまでね」

「イヤなんていわないよ!ずっと、いて!ロザリーン!」

ミゲルが勢い良く抱き着いてくるのを、わたしは何とか踏ん張って受け止め、そっと、抱きしめ返した。

ミゲルはどういう訳か、わたしを気に入ってくれている。
他人から好意を向けられた事は初めてで、「どうして?」と思いながらも、やはりうれしいものだった。
わたしの心を温かくしてくれる。

ミゲルを可愛い、愛おしいと思う…

ミゲルの為に、頑張ろう…
それから、雇って下さった伯爵の為にも…


◇◇


アーヴィング伯爵の館に来て、一週間が経つ頃には、生活の流れも決まってきた。

朝、早い時間に起床し、身支度、着替えをする。
それから、ミゲルの部屋を訪ね、ミゲルを起こし、一緒に朝食を取り、身支度を手伝う。
家庭教師が来るまでは自由時間なので、ミゲルのしたい事…散歩をしたり、玩具で遊んだりする。
家庭教師の時間は、わたしも同じ部屋にいるが、邪魔にならない様、読書などをする。
昼になると家庭教師は他の部屋で休憩に入り、
わたしとミゲルは一緒に昼食を取り、少し休んだ後、再び家庭教師の時間になる。
家庭教師が帰ると、お茶をし、晩餐の準備までは自由時間だ。
晩餐は伯爵、ミーガン夫人、ミゲルの三人で、わたしは同じ時間、調理場で晩食を貰う。
晩餐が終わると、ミゲルと共に部屋に引き上げ、寝支度を手伝い、ミゲルをベッドに入れる。
ミゲルが眠れば、わたしの仕事は終わりだ。

スコット男爵家での仕事を思えば、ここでの仕事は仕事と呼べるものでは無かった。
ミゲルといると楽しいし、ミゲルは聞き訳も良いので、困らせる事もなかった。
ミゲルが勉強をしている間は、時間を持て余す程で、最近では繕い物をさせて貰う事にしている。

居心地の良い部屋が与えられ、上等な布で仕立てられたメイド服も貰えた。
櫛や化粧品等、必要な物も揃えてくれている。
自由に出来る時間があり、散歩をする事も許されている。
食事には、十分な物が三度も出されるので、体重も増えていく一方だ。

わたしが何より、「良かった」と思っている事は、
怒鳴ったり、嫌味を言ったり、わたしを罰しようとする者がいない事だ。
思えば、あの家にいる時、わたしはずっと、ビクビクしていた様に思う。
彼等を刺激しない様、空気になり黙々と仕事をしていた。

スコット男爵家を出て、わたしは解き放たれた___
そんな気分だった。

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