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しおりを挟む「くぅ…」
安心した所為か、わたしのお腹が鳴った。
「す、すみません!」
わたしは赤くなるのを避けられず、慌てて両手でお腹を押さえた。
「謝る事はないよ、食事はしていないの?」
「はい…」
「それなら、何か買って来よう」
「いえ、食糧はありますので、お構いなく…」
わたしは持っていた包みを開き、黒パンを見せた。
「パンだけか?」
「いえ、ビスケットもあります」
わたしは急いでそれを見せたが、彼の満足する答えでは無かった様だ。
「他の物を買って来よう、二人とも、ここで待っていなさい___」
わたしが止める間もなく、彼は馬車を降りて行った。
「ああ…」
どうしよう…
わたしがお金を持っていない事は、分かっていると思うが、甘える訳にはいかない。
そんな権利は無い。
働いた給金でお返ししたら良いかしら?
雇って貰えたら、だけど…
わたしは不安でいたが、ミゲルは無邪気だった。
「だいじょうぶだよ、ロザリーン!
パパはやさしいし、おかねもちだから!」
お金持ちを公言するのは褒められる事ではないが、小さなミゲルには分からないのだろう。
「ええ、優しい方ね、あなたが羨ましいわ、ミゲル」
「ロザリーンのパパはやさしくないの?」
子供の感性で感じ取ったのだろうか?
わたしは一瞬、戸惑ったが、何とか無難に答えた。
「昔は優しかったけど、今は顔を合わせないから…」
「とおくにいるの?
ぼくのママとおなじだね。
ロザリーンは、さびしくないの?あいたくない?
ぼくはママとあいたい…でもね、もう、あえないんだって…」
会えない?
離縁したのか、若しくは、死別?
だが、それをミゲルに言わせるのは気の毒だったので、代わりにその背中を撫でた。
幾らかして、彼が戻って来た。
ミゲルがわたしの膝の上で、ぐずぐずと言っているのを見て、彼は表情を固くした。
「ミゲルはどうしたんだ?」
「あの…母親の事を思い出してしまった様で…」
彼の顔が一瞬険しくなり、「母親の話はしないでくれ」と小さく言った。
冷たい声に、わたしは身を竦めた。
ああ、やっぱり、駄目ね…
何処に行っても、疎まれる様な事をしてしまう。
父、ドロレス、イザベル、マチルダがわたしを嫌うのも、当然だったのかもしれない…
「すみません…」
きっと、彼はわたしに声を掛けた事を、後悔しているだろう。
きっと、雇っては貰えないわ…
「いや、君は知らないのだから、仕方が無い…私が悪かったね」
謝られて、わたしは驚いた。
わたしなんかに謝って下さるなんて…
こんな人は初めてで、落ち着かなくなった。
「詳しい話は、ミゲルのいない時に…」と、彼が目で合図する。
わたしはコクコクと頷いた。
「ミゲル、こっちにおいで、ロザリーンの食事を邪魔してはいけないよ」
彼が呼ぶと、ミゲルは渋々という感じで顔を上げ、彼の隣に座った。
頬は涙に濡れていて、わたしは借りていたハンカチで、そっと顔を拭ってやった。
「何が好きか分からなかったから、適当に買って来たよ」
そう言って、彼が袋から取り出したのは、ハム、葉野菜、チーズ、バター、瓶に入った赤いジャムだった。
「貸してごらん」と、彼は黒パンを手に取ると、ナイフを横に入れた。
そして、葉野菜、ハムの薄切りを何枚か…チーズを詰めて、わたしに差し出した。
「どうぞ、口に合うかな?」
「ありがとうございます…」
手にずしりと重いサンドイッチ。
こんな豪華なサンドイッチを食べるのは何年振りだろうか?
サンドイッチに目を奪われていたが、わたしはそれを思い出した。
「あの、わたしは、その…手持ちがありませんので…
働いた給金からお返ししたので、よろしいでしょうか?
雇って頂けなくても、必ず、お返し致しますので…」
彼は碧色の目を丸くした。
「余計な気を遣わせた様だね、館に誘ったのは私だから、今は私に責任がある。
十分な食事と休息を用意するのは当然だよ、気にせず安心して食べなさい」
「ありがとうございます…頂きます」
わたしはスコット男爵家しか知らない。
普通、使用人の待遇は、こんなにも良いものなのだろうか?
それとも、彼が特別なのだろうか…?
きっと、彼が特別なんだわ…
だって、神様みたいに寛大な方だもの…
わたしは何処かふわふわとしながら、サンドイッチに齧り付いた。
◇
『___こうして、ムーは旅立ちました』
わたしはミゲルにせがまれて、子供向けの本を読んであげた。
ミゲルはいつの間にか眠ってしまった様で、父親の膝の上に頭を乗せていた。
体は膝掛が覆っている。
わたしは静かに本を閉じ、彼に渡した。
「上手だね、それに、耳心地の良い声だ、ミゲルと一緒に私も眠りそうになったよ」
「ありがとうございます…」
褒め慣れていない事もあり、わたしは気恥ずかしくもじもじとした。
「学校には通ったのかい?」
「いえ、家庭教師に少しだけ習っただけです」
「それなら、この本は難しいかな?」
彼が鞄の中から本を一冊取り出し、わたしに差し出した。
「貸してあげよう、読んでごらん」
子供用の本とは違い、びっしりと文字が書かれている。
彼も本を読み始めたので、邪魔をしない様、わたしも本に目を落とした。
わたしと話す気が無いのね…
ううん、きっと、ミゲルを起こさない為よ…
嫌われていないといいけど…
わたしは悪く思われたくないという気持ちもあり、大人しく本を読んだ。
それは、名のある偉人たちの伝記らしく、途中からは夢中になって読んでいた。
陽が傾いた頃、馬車が停まった。
町の通りらしく、窓の外を見ると、建物がずらり並び、建っていた。
「今夜は、ここの宿に泊まろう___」
彼が当たり前の様に言う。
「わたしは馬車で…」
「馬車よりは快適だと思うよ?」
「でも、宿なんて、わたしには…」
わたしには分不相応だ。
恐縮し、断ろうとしたが、ミゲルに手を掴まれた。
「ロザリーン、いっしょに来て!おねがい!」
こう言われてしまっては、断れない。
わたしが困っていると、彼がすかさず、「お腹も空いたし、早く行こう」と追い立てた。
気付くと、わたしは彼等と一緒に、宿の隣の食事処で食事をしていた。
「ロザリーン、おいしい?」
「ええ、とっても、美味しいわ」
「ロザリーン!ぼくのもたべて!」
「ミゲル、行儀が悪いぞ」
ミゲルはうれしいのか、ずっとはしゃいでいた。
父親はやんわりと注意する事もあったが、大抵の場合はフォローするだけに留めていた。
素敵な父子…
父子を見ていると、優しい気持ちになる。
それなのに、胸の奥が小さく疼く…
「明日の朝、迎えに来るよ、お休み、ロザリーン」
「ロザリーン、またね!」
部屋に案内され、独りになると、「ほう…」と息を吐いた。
無意識に気を張っていた様で、疲れを感じた。
「まさか、こんな事になるなんて…」
父たちに置いて行かれた時は、どうして良いのか分からなかった。
それが、ミゲルとミゲルの父親に声を掛けられ、一緒に連れて行って貰える事になり、
十分な食事を貰い、今は宿の部屋に居る…
宿に泊まるなんて、母が生きていた頃に数回、あった位だ。
ベッドが一つ置かれただけの部屋だが、それでも、宿泊費は安くはないと想像出来た。
「わたしなんかに…」
勿体ない___
気後れしたが、それ以上に、疲れが勝ち、わたしはベッドに向かっていた。
ベッドのマットは固かったが、それでも、スコット男爵家の自分の部屋のベッドより、余程良かった。
「置いていかれたら、どうしよう…」
置いて行く?
まさか!そんな事はしない…
彼等は、父たちとは違うわ…
自分の考えに内心で笑いながら、わたしは眠りの底に落ちていた。
わたしが考えていた通り、彼等がわたしを置いて行く事は無かった。
コンコン!
それが扉を叩く音だと気付いたのは、何回目の時だろう?
「ロザリーン、起きているかい?」
名を呼ばれ、わたしは「はっ!」と目を覚ました。
周囲は明るく、既に朝が明けているのが分かった。
「いやだわ!寝過ごすなんて!」
わたしは普段、メイドの仕事をしているので、朝は誰よりも早く起きる。
こんな明るい時間に起きた事は無いというのに…!
寝過ごした自分に落ち込み、泣きたくなった。
わたしは急いでベッドから降り、戸口に走った。
少しだけ扉を開け、上目に覗き見た所、碧色の目と出会い、息を飲んだ。
「ああ、起こしたかな?」
「す、すみません!寝過ごしてしまって…」
足元では、ミゲルが「ロザリーン!おはよう!」と、輝くような笑顔を見せた。
わたしは決まりが悪かったが、「おはよう、ミゲル」と笑顔を返した。
「謝る事は無いよ、疲れていたんだろう。
私たちも今起きた所だよ、支度をしたら、朝食にしよう」
「はい、直ぐに用意致します!」
わたしは扉を閉め、急いで身支度をした。
用意されていた桶の水で顔を洗い、布を濡らして簡単に体を拭く…
着替えは無いので、手で皺を伸ばした。
あまり効果は無いかもしれないが、仕方が無い。
「お待たせしました!」
部屋を出ると、父子の姿があり、わたしは安堵した。
彼は「ふっ」と笑い、「行こう」と促し、ミゲルはわたしの手を引いてくれた。
それで、わたしは先の失敗を落ち込む事なく済んだ。
温かい手…
じんわりと胸まで温かくなる。
うれしいのに、泣きたくなる。
わたしは必死で涙を堪えた。
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