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パーティの翌日、イザベルとマチルダが遅い朝を迎え、ベッドで朝食を楽しむ間、
わたしは黙々と荷物をトランクに詰め、帰宅の準備をしていた。

一家は、昼食の誘いを断り、昼前にはデービス男爵の館を立った。
一見、和やかにしているが、皆が不機嫌でいる事は、空気から感じていた。
何か悪い事でもあったのだろうか?
気にはなったが、わたしに質問をする権利など無い。
それに、聞いたらどんな風に詰られるか…八つ当たりをされるのが落ちだ。
わたしに出来るのは、これ以上不機嫌にさせない様、静かに過ごす事位だった。

デービス男爵の館を出てから少しして、馬車は停まった。

「ロザリーン、買い物をして来て頂戴、黒パンを買えるだけよ」

ドロレスが硬貨を三枚差し出し、わたしに命じた。
館の手伝いで、町に行き買い物をする事は何度かあったので問題は無かったが…

《黒パン》だなんて…

わたしは硬貨を受け取りながら、ふっと、違和感を抱いた。
館で出されるパンは、バケットかクロワッサン、白パンが普通だ。
黒パンなど出された事は無かった。仕入れはしても、それは、使用人の為の物だった。

「何をしているの、早く行きなさい!皆がお腹を空かせているのが分からないの?」

ドロレスに冷たく言われ、わたしは硬貨を握り締めて馬車を降りた。
振り返り、扉を閉めようとした時、イザベルとマチルダの意地悪い笑みが見えた。
嫌な予感はしたが、聞いた処で相手にされないのは分かっていた為、わたしは気にしない様にし、目の前のパン屋に入った。

パンの焼けた匂いは空腹の身には辛く、お腹が「くぅ…」と鳴いた。
わたしは恥ずかしさに顔を赤らめ、お腹を擦り、カウンターに向かった。

「いらっしゃい!何にするかね?」
「黒パンを、硬貨分、頂けますか?」

わたしはカウンターに硬貨を置いた。
店員は愛想良く、「あいよ!」と答えると、棚の下の方から黒パンを取り出し、紙で包んでくれた。

「ここは初めてかい?」

何故分かったのだろう?

「はい、ワースリーから来ました」

「ワースリー?遠いんじゃないのかい?
ウチを選んでくれてうれしいね!ビスケットはおまけだ!」

店員は気前良く、ビスケットを数枚包み、パンの包みの隣に置いた。

「よろしいのですか?」
「ああ!また来ておくれ」

もう来る事は無い気がしたので、内心は困ったが、
店員の好意を無にしたくは無かったので、「はい、是非…」と笑みを返した。
包みを抱え、礼を言って店を出た。
だが、停まっていた筈の馬車が見当たらない。
わたしは慌てて周囲を見回した。

「ここに停まっていた筈なのに…」

目の前のパン屋に入ったのだから、間違えるなんてあり得ない。
他にも買い物があったのだろうか?
探した方が良いのか、それとも、待っていた方が良いのか…
迷ったが、わたしがパン屋にいる事は皆が知っているので、
下手に動き回るより、この場で待つ方が良いだろうと、わたしは待つ事にした。

町の通りは人が多い、その人たちの中に、父たちの姿は無いかと目を凝らす。
馬車が通る度に、期待をして見つめたが、素通りして行くばかりだった。
時間ばかりが流れ、嫌な考えに取り憑かれ始めた。

もしかして、わたしを置いて行ったんじゃないかしら…

普段は食べない黒パンを買う様に言われた事、
それに、イザベルとマチルダの意地悪い笑み…

最初から、わたしを置いて行くつもりだったの?

とても信じられなかった。
ドロレス、イザベル、マチルダだけなら、それも不思議ではないが、
馬車には父もいたのだ!

「お父様はそんな事、しないわ!」

わたしは自分を励ます様に言った。
だが、時間と共に、それは揺らいできた。

『おまえは家族ではない!二度と顔も見たくない!何処へなりとも消えてしまえ!』

父の言葉が蘇る。
あの言葉は本気ではないと思いたかった。
事実、あの後、追い出される事は無かった…

だけど…
本気だったら…

心細さと恐怖でぶるりと震えた。

わたしは、捨てられたんだ___!

目の前が真っ暗になる。
わっと声を上げて泣きたくなった時だ、目の前で馬車が停まるのが分かった。

ああ!きっと、わたしを脅かしたかっただけね?

わたしは喜びに顔を上げたが、窓に見えたのは、父でもドロレスでもイザベルとマチルダでもなく、
パーティで会った、あの男性の顔だった。

「!!」

「ロザリーンじゃないか?こんな所で何をしているんだい?」

声を掛けられた事よりも、絶望の方が大きく、わたしはとうとう、泣き出してしまった。
ボロボロと熱い涙が零れ、嗚咽が止まらない。

「ロザリーン!なかないで!」

声と共に、ミゲルに足に抱き着かれ、わたしは少しだけ正気に戻った。
急に恥ずかしくなり、「すみません」と俯いた。
その間も、ミゲルはわたしの足に抱き着いたままだった。

ミゲルの父は冷静で、わたしの手から包みを取ると、「中で話そう」と馬車に促した。
わたしは戸惑いつつも、周囲の視線に気づき、従う事にした。
乗り込んでから気付いたが、馬車は立派で、座席のクッションも良い物だった。
驚きから、少しだけショックが薄れた。

父親の方は名乗っていなかったが、もしかすると、爵位は男爵よりも上かもしれない。
知らなければ普通に出来たが、それを考えると恐ろしくなり、身が引き締まった。

「すみません、もう、大丈夫ですので、わたしはこれで…」

立とうとしたが、すかさずミゲルに止められた。

「ロザリーン、かえっちゃうの?かえらないで…」

綺麗な碧色の瞳にじっと見つめられると、逆らうのは難しかった。
父親も息子を止めるでもなく、「息子もこう言っているし、少し話をしよう」と、柔らかい口調で促した。

「あのね、ぼくがみつけたんだよ!」

ミゲルが屈託なく言う。
通りを抜け、帰路に着く所、わたしが立っているのに気付き、声を掛けようとしたが、
様子がおかしい事に気付き、周囲を一周し、戻って来たという。

「ロザリーン、まいごになったの?」

「実は…」わたしは落ち着かず、指を弄った。

「買い物をしている間に、馬車が行ってしまったみたいで…」

再び感情が高ぶり、涙が零れた。
ミゲルが慰める様に、横から抱きしめてくれた。
その温かさに気持ちは次第に落ち着いていく。

「使いなさい」と、父親がハンカチを貸してくれ、わたしは有難く使わせて貰った。

「それは心細かったね、良ければ館まで送るよ」

彼は事もなげに言い、ミゲルも明るく言った。

「ロザリーン、パパがいるから、だいじょうぶだよっ!」

彼等にとっては、置いて行かれた事など、些細な事なのだ。
それなのに、大泣きしてしまって…
自分が恥ずかしかった。

「ご親切に、有難うございます…」

「恐縮しなくてもいいよ、スコット男爵の館はワースリーだね、
それなら、帰路の途中だし、お安い御用だよ」

彼が明るく言う。
わたしを安心させようとしてくれているのかもしれない。
だが、いざ戻れるとなると、先程までとは違った恐怖に襲われた。

あの館に帰るの?
わたしを置き去りにした、あの人たちの元に___?

ぞっとし、わたしは自分の体を擦った。

「もしかすると、戻りたくないのかい?」

言い当てられ、驚いた。

どうして、気持ちが分かるのだろう?

彼は優しい人だ。
それに、裕福に違いない。

彼なら、助けてくれるかもしれない___

わたしは目を伏せ、膝の上の手を握った。

「もし、よろしければ、なのですが…
わ、わたしを、あなたの館で、雇って頂けないでしょうか?」

勢いで言ってしまった。
相手の厚意に付け込む、酷く図々しいお願いだと分かっている。
だけど、あの家に帰るなんて…

『どうして帰って来たのよ!』
『折角置いて来たのに!』
『しぶとい娘ね!うんざりするわ!』
『二度と顔を見なくていいと、清々していたんだぞ!』

きっと、酷い事を言われるに決まっている!
そして、わたしは酷く傷つくのだ…

「ほんと!?ロザリーン、ぼくの家にきてくれるの!?」

ミゲルが喜びの声を上げる。
父親は「ミゲル、まだ返事はしていないよ」と窘めた。
わたしは緊張し、返事を待った。

「パパ!おねがい!ロザリーンをお家によんで!」

ミゲルのこの言葉が決めてだったのか、父親は「ふっ」と笑いを零した。

「そうだな、取り敢えず、館に来て貰おう。
詳しい話はそこでしよう、どちらにしても、悪い用にはしないから、安心しなさい」

この人に任せておけば大丈夫___
そんな気がし、わたしの強張りは幾らか解けた。

「ありがとうございます」

「よかったね!ロザリーン!」

ミゲルが無邪気に抱き着いてきて、わたしはその小さな背中を擦った。

「ありがとう、ミゲル…」

ミゲルがいなければ、彼は馬車を停めなかっただろうし、親切に申し出てくれる事も無かっただろう。
きっと、わたしはいつまでも途方に暮れていた。
それを考えると、ミゲルには感謝してもしきれなかった。

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