上 下
4 / 24

4 /リーアム

しおりを挟む
「パパーーー!」

ミゲルが真直ぐに向かって行った先には、長身の男が立っていた。
スラリとしていて、仕立ての良い黒のタキシードが良く似合っている。
近付くと、意外にも年齢が上の事に気付いた。恐らく、三十代半ばだろう。
髪はダークブロンドだが、その目はミゲルと同じ、濃い碧色をしている。
口元には感じの良い微笑も見え、雰囲気も似ている…

優しそうな人…

そう思うのに、わたしはどうしてなのか、急に緊張してきた。
息苦しくなり、頬が熱くなる…

「パパ!ロザリーンだよ!」

「息子がお世話になったね、ありがとう、ロザリーン」

深みのある穏やかな声に、わたしは更に緊張した。

「い、いえ…お礼を言われる様な事は、しておりません…」

声は震え、小さく、しどろもどろになる。
わたしは自分の拙さが恥ずかしく、舌を噛みたくなったが、彼の方は気にしていない様だった。

「そんな事はないよ、ミゲルは内気な子でね、
あんな風に同じ年頃の子たちと楽しそうにしているのを見たのは、初めてなんだ。
君が使った魔法を、私にも教えて欲しい位だよ」

冗談めかして言うので、つい、笑っていた。

「ロザリーン、ぼくのおへやに来てくれる?」

ミゲルがわたしの手を引いた。
わたしは困ったが、そこは父親である彼が引き受けてくれた。

「ミゲル、残念だが、ロザリーンは仕事をしているから、おまえの相手は出来ないんだよ」

ミゲルは小さな肩を落とし、見て分かる程に、しゅんとした。

「もう、あえないの?」
「ここに来たら会えるさ」
「あの…わたしは、こちらの館のメイドではありませんので…」

言った後で、子供騙しの言葉だったのかもしれないと気付いたが、出した言葉は戻せなかった。
父親が驚いた様な顔でわたしを見た。

「そうなのかい?それでは、今日だけ、町から手伝いに?」

「いえ…わたしは、今日、ご婚約されたイザベル様の…」

「ああ、スコット男爵家の使用人か」

《義妹》と言えないのは分かっていたが、すんなりと《使用人》と受け入れられ、自分でも驚く程、傷ついた。
息が詰まり、「は、はい…」と答えるのもやっとだった。
今更、こんな事で傷つくなんて、変よね?

「ロザリーン、もう、あえないの?」

ミゲルが泣きそうに目を潤ませるので、わたしは胸が痛んだ。
父親は慰める様にミゲルの頭を撫でた。

「こうして出会えたなら、またいつか会えるさ、次はエリオットの結婚式かな?」

「本当!?約束だよ!ロザリーン!」

ミゲルがはしゃいだ声を上げたので、わたしは否定出来ず、「約束ね」と返していた。
結婚式に出られるかなんて、分からないのに…
その時になれば、『彼が上手く言ってくれるだろう』と思えた。
彼は見るからに、大人で頼りになりそうだった。

「食事の邪魔をして悪かったね、ロザリーン」
「ロザリーン!またね!」
「ミゲル、またね!」

父親が微笑み、ミゲルの手を引いて行く。
ミゲルはわたしの方を振返り、振り返り、手を振った。
わたしは手を振り返し、それに気付いた。
左手に握っているものに…

「いやだ!ケーキを持ったままだなんて!それで、《食事中》だなんて言ったのね…」

無作法だし、きっと、《食い意地の張った娘》と思われただろう…

「ああ!もう!消えてしまいたい!」

恥ずかしいのと、自分への失望とで、わたしはこの場から走って逃げたくなった。



◇◇ リーアム ◇◇

三十五歳の若きアーヴィング伯爵、リーアムが抱える最も大きな心配事は、愛する息子ミゲルの事だった。
ミゲルは先日7歳を迎えたが、酷く内気だ。
生まれた頃は普通の赤子と変わらなかったが、成長する内に、どんどん内気になっていく。

「やはり、母親がいない所為だろうか?」

ミゲルの母でリーアムの妻のジョセリンは、三年前に馬車事故で亡くなっている。
だが、それ以前にも、ジョセリンは母親の務めを果たしていなかった為、
ミゲルが母親を恋しがる事は無かった。
最初こそ安堵したが、今思えば、それこそ《普通》ではなかったのだ___

少し内気な気質は見えていたが、この一年の間に、すっかり無口な子になってしまった。

「私がもっと、一緒に居てやれたら良いのだろうが…」

リーアムは伯爵で仕事も多く、ずっとミゲルの側にいるという事は出来なかった。
休みの日か、平日の朝晩、手が空けば顔を見に行ったりもするが、主には母や乳母に任せている。
用事で館を数日空ける事もあり、寂しい思いをさせているのは明白だった。
ミゲルの為にも改善したかったが、仕事を放り出す事は出来なかった。

だが、『妻が生きていれば…』と思った事は一度もない___

「まさか、誰かから、ジョセリンの事を聞いたのか?」

それに思い当たり、リーアムの表情は険しくなった。

リーアムの妻、ジョセリンは美しく、華やかな女性だった。
リーアムがその美貌に惹かれた事は確かだ。
だが、彼女にとって一番大事なのは、自分の美貌に他ならないという所までは、見抜けなかった。

結婚当初の二人は、愛の女神から祝福を受けたかの様に、仲睦まじい夫婦だった。
だが、一年後、待望の子を宿して以来、ジョセリンは変わってしまった。
毎日、苛々とし、周囲に当たり散らし、暴言を吐く様になった。

同居のリーアムの母ミーガンや、周囲に相談した処、
こうした実例は珍しい事では無いらしく、『子が生まれれば変わる』と言われた為、
リーアムはなるべくジョセリンの我儘を聞き、支える事にした。

だが、リーアムの期待とは裏腹に、ミゲルが生まれると、ジョセリンの態度は一層酷くなった。
ミゲルを乳母に預け、それきり、顔を見ようともしなかった。
そして、連日の様に遊び歩き、館にいる事もほとんど無くなった。

『ジョセリン、少しは館にいてくれないか、ミゲルもいるんだぞ』

『嫌よ!あんな子、見たくもないわ!
私は子なんて産みたくなかったのよ!あなたの為に産んであげたんだから、もういいでしょう!
私を解放してよ!』

ジョセリンの告白に、リーアムは愕然となった。
ジョセリンは出会った頃から、『子が欲しい』と言っていたからだ。

『君も子が欲しいと言っていただろう?』

『最初はそうだったかもしれないけど…
聞いたのよ、子を産めば体型が崩れるし、醜くなるって!
それに、馬鹿な子の相手をしていたら、十歳は老け込むそうよ!
そんなの、私にとって害でしかないじゃない!
だから、子が出来ない様に気を付けていたっていうのに…!』

ジョセリンにとって、ミゲルは『望まれない、呪われた子』だった。
それを知り、リーアムのジョセリンへの愛は完全に消えた。


「馬鹿だった!」

リーアムは吐き捨てた。
亡き妻を思い出す度、深い後悔に苛まれ、見抜けなかった自分を呪った。
そして、その分、息子へ愛を注いだ。
一番の犠牲者は、他でもない、ミゲルだからだ。


◇◇


ミゲルに同じ年頃の友達を作ってやりたいと思っていた所、
亡き父ケイレブが生前親しくしていた、デービス男爵から、子息の婚約式の招待状が届き、リーアムは飛びついた。
婚約式はデービス男爵家の庭で行われ、続きにパーティも開かれるという。

「ガーデンパーティなら、子供も来るだろう」

それに、これまでミゲルを旅に連れて行った事は無かった。
アップルトンまで、馬車で一日半程の距離ともあり、経験させるにも丁度良いと思えた。

リーアムは子息への祝いの言葉と共に、息子と出席したい旨を書き、男爵家に届けさせた。
デービス男爵からの返事は色良いもので、その上、「館に泊まって欲しい」とも書かれており、
リーアムは嬉々として準備を始めたのだった。


◇◇


「私の父の友人で、デービス男爵という人がいてね、今度、その息子が婚約するんだ。
庭で婚約式を挙げて、パーティも開かれる…
馬車で一日掛かるが、おまえも一緒に行ってみないか?」

なるべく分かりやすく話そうとすると、難しいもので、リーアムは頭を悩ませながら聞いた。
ミゲルはつまらなそうな顔をしていたが、コクリと頷いた。
リーアムは安堵し、「そうか、分かった、一緒に行こう」と金色の柔らかな髪の頭を撫でた。
だが、後がいけなかった。

「パパは、けっこんしないの?」

「…結婚は一度すれば十分なんだ」

「それじゃ、ぼくには、このまま、ずっと、ママがいないの?」

「ミゲル…」

しくしくと泣くミゲルにリーアムは困り果て、その小さな体を抱え上げた。
あやす様に揺らし、落ち着くのを待った。

「ママには会えないが、ママは遠くからおまえの事を見ていてくれるよ、いつでも…
だから、寂しくないだろう?」

ミゲルはただ泣き続ける。

ジョセリンの正体を知るリーアムにとっては、『寂しい』など一欠片らも思わないが、
何も知らないミゲルが《母》を恋しがるのは、仕方の無い事だ。
だが、あの女の本性など、とても話せる筈がない___
知れば、どれ程傷つく事か…
だから、リーアムは、母ミーガンや使用人たちに煩く口止めしていた。
そして、リーアム自身は、ミゲルの為に嘘を吐き続けるしかなかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたは知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

役立たずの私はいなくなります。どうぞお幸せに

Na20
恋愛
夫にも息子にも義母にも役立たずと言われる私。 それなら私はいなくなってもいいですよね? どうぞみなさんお幸せに。

忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】

雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。 誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。 ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。 彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。 ※読んでくださりありがとうございます。 ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。

腹黒公爵の狩りの時間

編端みどり
恋愛
この婚約破棄は神に誓いますのに出てくるエミリーの兄、サイモン・ド・カートライト視点メインの話です。やっとモブ令嬢の名前が出せます。

なにひとつ、まちがっていない。

いぬい たすく
恋愛
若くして王となるレジナルドは従妹でもある公爵令嬢エレノーラとの婚約を解消した。 それにかわる恋人との結婚に胸を躍らせる彼には見えなかった。 ――なにもかもを間違えた。 そう後悔する自分の将来の姿が。 Q この世界の、この国の技術レベルってどのくらい?政治体制はどんな感じなの? A 作者もそこまで考えていません。  どうぞ頭のネジを二三本緩めてからお読みください。

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

愛せないですか。それなら別れましょう

黒木 楓
恋愛
「俺はお前を愛せないが、王妃にはしてやろう」  婚約者バラド王子の発言に、 侯爵令嬢フロンは唖然としてしまう。  バラド王子は、フロンよりも平民のラミカを愛している。  そしてフロンはこれから王妃となり、側妃となるラミカに従わなければならない。  王子の命令を聞き、フロンは我慢の限界がきた。 「愛せないですか。それなら別れましょう」  この時バラド王子は、ラミカの本性を知らなかった。

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

処理中です...