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しおりを挟む「____!」
「____!」
部屋から漏れ聞こえる、高い声。
何やら酷くはしゃいでいる様子だ。
ドロレス、イザベル、マチルダは、父が不在の時には不機嫌でいる事が多く、
いつも我儘を言い、使用人たちを困らせていた。
今日は随分、賑やかな様なので、父がいるのかもしれない。
それとも、パーティの招待状が届いたのだろうか?
ドロレス、イザベル、マチルダに共通しているのは、「お洒落好き」、「パーティ好き」という事だった。
ドロレスは元よりパーティ好きで、父の同伴は勿論、一人でも招待を受ける程だ。
派手好きで、化粧は濃く、ドレスも奇抜で派手なものを好み、度々、新調している。
イザベルはわたしよりも一つ年上で、十九歳。
昨年デビュタントを終えてからは、母親のドロレスと共に、パーティ三昧だ。
イザベルが手本にするのは、全て《ドロレス》なので、一目見て、母娘と分かる。
マチルダはわたしよりも一つ年下で、十七歳。
デビュタントはまだなので、パーティには出席出来ないが、着飾る事は好きで、
二人が出掛ける時には、「練習よ!」と同じ様に着飾っている。
三人がはしゃぐとしたら、新しいドレスを頼む時、それが完成した時だ___
どちらにしても、わたしには関係の無い事で、色褪せた煉瓦の床の上、長い柄の箒を一心に動かした。
毎日掃いているというのに、埃がもうもうと舞う。
最初は知らずに吸い込み、酷く咳き込んだものだが、
四年が経った今では、箒を持つ前には、鼻と口を布で覆う様になっていた。
「男爵子息から求愛されるなんて!凄いわ!流石お姉様ね!」
「どうかしら?相手は男爵子息だもの、少し考えるわ」
「あら!エリオット様は跡取りじゃない!黙っていても男爵夫人になれるのよ?
嫌なら、あたしが結婚するわ!」
遠くに聞こえていた声が、大きくなり、その会話もはっきりと理解出来た。
どうやら、ドレスの話ではなく、イザベルに縁談の打診が来た様だ。
「馬鹿ね、あなたはまだ十七歳でしょう、デビュタントもしてない内は半人前よ!」
「半年も経てば、あたしだって十八歳だもん!その位、エリオット様は待って下さるわ!」
「駄目よ、エリオット様はあたしのものだから」
「何よー!お姉様だって、その気なんじゃない!」
二人は元より、悪戯の企て以外は、周囲の目など関係無く、大声で話し、声を上げて笑う。
大凡、令嬢らしからぬ振る舞いだが、父は一度も注意をした事が無い。
それ処か、「元気があって良い!」と褒め、増長させるのだった。
笑い声が段々と大きくなり、わたしはそっと背を向け、その場から離れた。
だが、館のメイドは、わたしとメイド長だけなので、二人を欺く事は出来なかった。
「あーら、ローザじゃない!」
何かを企む声に、わたしは反射的にビクリとなった。
彼女たちを恐れたくないというのに、日々、虐げられて来た所為だろう、
わたしの意志に反して体は強張ってしまう。
『使用人にロザリーンなんて名は勿体ない!』と、
使用人たちにわたしを《ローザ》と呼ばせ始めたのも、この二人だ。
「そんな隅で何してるの!どうせ、サボってたんでしょう!」
「まぁ、いいじゃないの、マチルダ、ローザは可哀想な娘なんですもの」
「そうね!こんなみすぼらしい格好をして、掃除に明け暮れるなんて…」
「ローザを《令嬢》と思う人はいないでしょうね!」
意地悪く言う二人を脇に、わたしは無言で箒を動かした。
すると、ドカ!と足を蹴られた。
「っ!?」
わたしは勢いのまま、声も無く床に倒れていた。
じんじんと、床に打ち付けた膝と腕が痛む。
「あたしが話てるんだから、聞きなさいよ!」
「そうよ!立場を弁えなさい!お仕置きされたいの?」
ドロレス、イザベル、マチルダの機嫌を損ねると、食事を抜かれたり、悪くすれば折檻される事もある為、
わたしは床の上で「申し訳ございません」と謝罪した。
幸い、今日の二人は、罰よりも自慢する事を選んだ。
「ふふ、ローザ、良い事を教えてあげる!
今日、お姉様に縁談が来たのよ、お相手は男爵子息なの!」
「次期男爵の、ね」
「この意味分かる?お姉様は、行く行くは、男爵夫人になるって事よ!」
「あんたはデビュタントもして貰えていないのにね、ああ、可哀想なローザ!」
「ローザにはきっと、縁談の打診なんて来ないわね!」
「フン、結婚出来るかも怪しいわ!」
「でも、大丈夫よ、そうなったら、あたしがこのまま館で雇ってあげるし」
「あら、もしかすると、お父様が良き所に嫁がせてくれるかもしれないわよ?」
「きっと、相手は、碌に財産も無い、棺桶に片足突っ込んだお爺さんね!」
「でも、ローザにはお似合いだわ!」
二人は散々にわたしを虚仮にし、気が済んだのか、床に転がっていた箒を蹴飛ばし、去って行った。
姿が見えなくなってから、わたしは床から起き上がり、埃を払った。
質素なスカートを上げると、思った通り、膝を擦り剝いていた。
「この位なら、大丈夫…」
いつの間にか、そんな事も分かる様になっていた。
わたしは、ふっと、虚しさに覆われた。
「わたし、何をしているのかしら?」
一つ年上のイザベルに、縁談が来た。
両家共に不満が無ければ、一年も経たない内に、結婚式を挙げる事になるだろう。
それなのに、わたしは…
デビュタントさえ、して貰っていない___
「わたしだって、お父様の娘なのに…」
震え出した手をギュっと握り締めた。
わたしが十八歳になる事、わたしのデビュタントは、母の夢だった。
『ロザリーン、あなたが十八歳になるのが今から楽しみよ!』
『十八歳?』
『デビュタントの年よ』
『デビュタント?』
『大人の仲間入りのパーティよ、デビュタントには皆が純白のドレスを着るの、素敵でしょう?』
『うん!』
『デビュタントは一生に一度よ、きっと忘れない思い出になるわ、私もそう…』
母は思い出す様に、うっとりとしていた。
それを見て、わたしも憧れに胸を膨らませた。
母と同じ様に、感じたいと…
この事は、父も知っている筈だ。
だけど、父はわたしと顔を合わせようともしない。
それ処か、もう何年も、まともに会話すらしていない。
母の夢を叶えるつもりも、わたしへの関心も無くなってしまったのだ___
酷く悲しくなり、気持ちは暗いものに覆われた。
「ごめんなさい、お母様…」
わたしが悪いのだ。
だから、父にも嫌われてしまった。
母の期待を裏切ってしまっているのが辛い…
わたしは、このまま、母の期待を裏切り続け、
イザベルとマチルダが言っていた通り、この館で召使として働き続けるのだろうか?
それとも、父が縁談を取り付けて来るだろうか?
相手は、財産も無い、老人?
「それでもいいわ…」
このまま、この館にいるよりは___
◇◇
イザベルに縁談が来てからというもの、ドロレス、イザベル、マチルダは浮き足立っていた。
「早速、婚約式用のドレスを仕立てないとね!」
「でも、まだ正式には決まってないんでしょう?」
「決まれば直ぐに婚約式になるでしょう、それからじゃ、ドレスが間に合わないわ!」
「流石お母様ね!」
「お母様!あたしのドレスも作ってくれるんでしょう?」
「あなたはイザベルのドレスがあるでしょう?」
「お下がりなんて嫌!きっと、皆から貧乏だって、笑われるわ!」
「それもそうね…いいわ、祝い事だもの、新調しましょう!」
三人は早速、馬車で出掛けて行った。
行先は、隣の大きな町の、懇意にしている仕立て屋だろう。
三人が館を出て行くと、使用人たちは漸く息が吐けた。
三人は、機嫌が悪い時には当たり散らすのが当たり前で、
普段でも暇を持て余すと、粗探しをしては煩く言って来るので、気が抜けないのだ。
「ああ、やっと煩いのがいなくなった!」
「お茶でも淹れておくれよ、ローザ!あんたは休むんじゃないよ!
さっさと掃除を終わらせておくれ!」
執事とメイド長が食堂へ消え、わたしは意を決し、握っていた布を階段に放り、階段を駆け上がった。
しんと鎮まり返った廊下を早足で行き、扉の前で足を止めた。
ここは、父の書斎だ。
わたしは息を整え、緊張と恐怖で震える手で、扉を叩いた。
「何だ!」
父の恐ろしい声に、高まっていた気持ちは沈んだ。
だが、扉を叩いてしまったのだから、引き返す事は出来ない。
「ロザリーンです…」
口から出たのは、思った以上に細い声で、わたしは繰り返した。
「ロザリーンです」
「何の用だ!」
「お父様とお話がしたくて…」
わたしが言うと、幾らかして、扉が乱暴に開かれた。
現れたのは、恐ろしい顔つきをした父で、わたしは恐怖に息を飲んでいた。
「私は忙しいんだ!そんな事も分からんのか!ここへは二度と来るな!!」
「待って下さい!お父様…!」
わたしが何かしたの?
わたしが嫌いになったの?
聞きたかったが、『嫌いだ』と言われたら酷く傷つくだろう事が分かっていたので、口に出来なかった。
代わりに、わたしは必死に笑みを作り、なるべく明るく言った。
「わたし、十八歳になりました!デビュタントは、お母様の希望でしたから…」
「デビュタントだと?笑わせるな!デビュタントは令嬢の特権だ!
無教養で碌に礼儀作法も知らないおまえに、権利などあるものか!
それに、一度自分の姿を鏡で見て見ろ!みすぼらしい!町娘でももう少しはマシだぞ!
おまえをデビュタントに出したのでは、我がスコット男爵家の恥だ!
そんな事は二度と口にするな!」
父は無情にも扉を閉めた。
だが、次の瞬間、再びそれは開かれた。
「イザベルに縁談が来た事は聞いたな?」
「はい…」
「おまえから祝いの言葉が無かったと言っていたが、本当か?」
「…」
確かに、わたしは何も言わなかった。
日頃から虐められているのだ。
それに、あんな風に言われては、祝福しようなどという気も起こらない。
だが、父には理解出来なかった様だ…
「今の今まで待っても、詫びの一つ、祝いの言葉一つも無いとは、つくづく見下げ果てた奴だ!
義姉の縁談を喜べないなら、おまえは家族ではない!
二度と顔も見たくない!何処へなりとも消えてしまえ!」
バタン!扉が閉まる。
わたしは慌てて扉に縋っていた。
「お父様!申し訳ありません!謝りますから!」
許して下さい!
『許さない』と言われそうで、言えなかった。
父からの返事は無く、わたしは項垂れ、その場を後にした。
『おまえは家族ではない!二度と顔も見たくない!何処へなりとも消えてしまえ!』
父の言葉に、わたしは酷く落ち込んだ。
これまで、父とはまともに話をして来なかったが、それで正解だったのだ。
こうして、面と向かって父の口から言われては、どれだけ良く思おうとしても無理だった。
「お父様は、わたしが嫌いなんだわ…」
母が生きていた時には、普通に優しい父だった。
少なくとも、わたしにはそう見えていた。
だけど、今は…
人が変わってしまったかの様に、何もかも違う。
わたしを憎んでいるとさえ思える。
どうして…
わたしが、ドロレスを受け入れられなかったから?
ドロレス、イザベル、マチルダから嫌われているから?
それとも、ただ、理由もなく、わたしが嫌いなの?
ショックだった。
ドロレス、イザベル、マチルダたちだけならまだしも、
父から疎まれ、嫌われたのでは、この館に居続けるのは辛い事ばかりだ。
だけど、他に行く当てなんて無いもの…
わたしは、ここに居るしかない…
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