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本編
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しおりを挟むエクレールはいつもの様に長ソファの真ん中に座り、
その向かいの一人掛けの椅子に、クリスティナが座っていた。
部屋には、楽しそうに笑うクリスティナの甲高い声が響いている。
「まぁ!魔王様ったら!おほほほ!」
男性の前では、クリスティナは媚び、殊更上機嫌に振る舞う。
わたしはそんな彼女が嫌いだった。
自然、顔を顰めてしまう。
見ると、エクレールもまんざらでは無いのか、得意気な笑みに加え、
その目は何処か面白がっている様に見えた。
流石、本物の運命の相手ね、きっと気が合うんだわ…
わたしの方は、益々嫌な気分になった。
「ソフィ、帰ったか、丁度良い、紅茶を淹れてくれ」
エクレールの言葉に、わたしは驚く程ショックを受けた。
何故、これ程ショックだったのかは、クリスティナの表情を見て分かった。
クリスティナの表情は全てを語っていた。
あなたは、ただの使用人、下僕よ、王妃の自分とは違うの!
身分を弁えなさい!と___
「はい…」
「私の分もよ、ソフィ」
「はい、王妃様…」
わたしは怒りを隠し、二人のカップを下げた。
エクレールのカップは空になっており、クリスティナの方はまだ半分残っていたが、
それは冷めていた。
二人は長く話していたのだろうか?
嫌な感じが拭えず、わたしの胸はもやもやとしていた。
新しく紅茶を注ぎ、二人の前に置いたわたしは、下がろうとしたが、
エクレールが止めた。
「何をしている、ソフィ、おまえの分もだ」
!?
わたしの内にあったもやもやは、驚きと共に吹き飛んだ。
思わず、エクレールが正気かどうか、目をパチクリとさせ確かめてしまった。
当然だが、クリスティナも驚愕していた。
そして、彼女は躊躇わずにそれを言葉にした。
「嫌ですわ!ご冗談を!魔王様、ソフィは侍女ですのよ?
城の紅茶を飲ませるなど、勿体ないというもの!ほほほ」
「ソフィには世話になっている、その価値は十分にある。
それに、私に出された物をどうしようと、私の自由だ」
「まぁ!魔王様はなんてお優しい方なのかしら!ソフィ、魔王様に感謝するのよ」
エクレールが無表情で素っ気なく言った事で、
クリスティナは彼が不機嫌になったと思ったのか、急に猫撫で声になった。
尤も、わたしに向けたその目は、恐ろしく冷たいものだったが。
わたしは紅茶を注ぎ、カップを持って下がろうとしたが、これもエクレールが遮った。
「何処へ行く気だ、ソフィ、席なら空いている」
エクレールが自分の隣を指し、クリスティナの表情が一層険しくなった。
わたしは断るのも難しく、「失礼致します」と、そこに掛けたのだった。
居心地の悪さはあったが、目の前のクリスティナの歯ぎしりする顔を見て、
少しだけ胸がスッとした。
尤も、その後、どんな報復をされるかと考えると憂鬱になってしまうが…
「魔王様は、随分、ソフィを気に入っていらっしゃるのですね?」
「ああ、気に入っている、私の運命の相手だからな」
「運命?」
クリスティナが訝し気にし、わたしは不味いと思い、咄嗟に紅茶のカップをひっくり返した。
ガチャン!
「ああ!!」
「何するのよ!この間抜け!!」
紅茶はテーブルを伝って広がり、想像以上の惨事になってしまった。
ドレスを汚されると思ったのか、クリスティナは凄い形相で立ち上がると罵倒した。
「す、すみません!すぐに片付けます!」
わたしは慌ててワゴンに置かれた布を取り、テーブルを片付けた。
クリスティナはすっかり機嫌を悪くし、座ろうとはしなかった。
「ああ、嫌だ!これでは、落ち着いて話も出来ませんわ!
魔王様、今日はこれで失礼させて致します、また改めて参りますわ、その時は二人だけで…」
クリスティナは魅力たっぷりに微笑むと、わたしをギロリと睨み付け、部屋を出て行った。
だが、無事に話を反らす事が出来た___
エクレールに《あの話》をされては困る。
二人が真実を知れば、どんな事態になるか…考えるだけでも恐ろしい!
エクレールもクリスティナも、今の処それに気付いていない様だし、
このまま気付かれない様にしなければ…
「おまえは、よくよく、騒動を起こすのが好きだな、感心するぞ」
エクレールが呆れた口調で言い、ゆったりと紅茶を飲む。
あなたは、よくよく、憎たらしい方だわ!
クリスティナの様に慌てたり怒ったりしないのは、
例え汚されたとしても、魔法で簡単に対処出来るからだ。
「片付けが終わったなら、お茶の続きだ、ソフィ、私にはその四角いケーキにしてくれ」
長い指でケーキスタンドを指す。
わたしはそれを皿に取り、「どうぞ、魔王様」と差し出した。
「どうした、機嫌が悪そうだな?」
これで機嫌良くいられる者などいる筈が無い。
わたしは「むっ」と口を曲げた。
「おまえも好きな物を食べろ、違う、席はここだ」
わたしが席を移動しようとすると、エクレールが引き戻した。
わたしはツンと澄まし、使用人らしく答えた。
「わたしは侍女です、ご主人様の隣には座れません」
「ならば、主人の命令だ、それとも、強制されたいのか?」
脅すかの様に、黒い目がギラリと光る。
命令するのなら、強制されるのと同じだわ!
内心でブツブツ言いながらも、わたしは再び、エクレールの隣に腰を下ろした。
早くお茶を済ませてしまおうと、ケーキを頬張っていると、隣から視線を感じた。
あまりに見つめて来るので、気まずさのあまり、わたしは「見ないで下さい」と睨んだ。
「あの者と姉妹と聞いたが、全く似ていないな」
!!!
それは、今日一番、聞きたくなかった言葉かもしれない。
この方は、どうしてこうも地雷を踏むのが上手なのかしら?
「言われなくても、そんな事、わたしが一番良く分かっています!」
「そう拗ねるな、私を取られると思ったか?」
エクレールがニヤリと笑う。
わたしは紅茶を掛けてやりたくなったが、何とか止めた。
「クリスティナは王妃です、結婚していますわ、どれ程魅力的でも、不貞は許されません!」
そう、本当の運命の相手であっても、それは許されないのだ。
王妃が魔王に略奪されるなど…王も国民も黙ってはいないだろう。
だが、エクレールには事の重大さが分かっていない様だ。
「だが、相手が誘って来るのだから、仕方あるまい」
悪びれずに当然の事の様に言うので、わたしは唖然としていた。
なんて人なの!!
「誘われてもお断りすれば良いだけの話ですわ!」
「誘うという事は、結婚生活に満足していないのだろう、発散させてやれば気も済む」
「あなたを捨てた元妻たちも同じ事をしたのですか?ですが、結局結婚生活は破綻したのでしょう?」
「ふん、言うではないか、だが、当たっている、200人以上の元妻が、私よりも不貞の相手を選んだ」
「残りの方々は?」
「残りの者たちは、独りの方がマシだと出て行った」
ああ…
なんだか、気の毒になってしまうわ…
「同情しますわ…」
「同情などされたくない」
「ですが、お願いですから、他の方の結婚生活は破綻させないで下さい」
「方法が一つある、私が新しい妻を迎える事だ___」
エクレールがニヤリと笑い、わたしの肩に手を回し、迫って来たので、
わたしは今度こそ、彼の顔に紅茶を掛けたのだった___
バシャ!!
「ソフィ、私と結婚すると良い事もあるぞ」
思っていた通り、エクレールは気にも留めず、魔法で払う。
一瞬にして元通りだ。
そして、大きく切ったケーキを頬張った。
見事な神経と見事な食べっぷりに、呆れながらも感心した。
「私と結婚すると、私と魂が結ばれ、老いる事は無くなる。
私が死ななければ、死ぬ事も無い。勿論太ったりはするがな、一生美しくいられるぞ」
その条件は、正にクリスティナが求めるもので、わたしは嫌な事を聞いたと顔を顰めた。
「何だ、気に入らぬのか?おまえはよくよく変わった娘だな」
「いえ…それで、離縁した時はどうなるのですか?」
「結婚前に離縁の話をするとはな…」
エクレールは『やれやれ』と頭を振ったが、答えてくれた。
「当然だが、魂の繋がりは切れる。
相手が魔族の場合は、魔力が減り、長寿の恩恵が無くなる。
相手が人間であれば、年齢相応…いや、その倍は老いる事になる」
「それでも、離縁されるのですか?」
それでは不利益が大き過ぎる。分からないわ…
「私は鋭いからな、裏切りは許さない。
私を裏切れば、離縁していなくとも、即刻繋がりは切れる。
裏切りとは、体の裏切り、心の裏切りだ。
魂の繋がりが切れれば、私の側にいる理由は無い、だから、皆出て行くのだ」
エクレールの目が冷たさを見せる。
やはり、《魔王》というだけあり、報復はするのね…
「愛を取り戻そうとはなさらないのですか?」
「泣いて縋る者には、今一度、機会をやるが、それで愛が戻る事は無い。
必要以上に怯え、私の機嫌を伺い、媚び諂う…
そうなれば、今度は私の方が、一緒に居る事が苦痛になる。
私が望むのは、愛し合える妻であって、奴隷や人形では無いからな」
「その場合、その方は、どうなるのですか?」
「記憶を消し、元居た場所に戻すか、然るべき場所へ送る…
安心しろ、皆、それなりに楽しくやっている」
エクレールは肩を竦める。
どうにも収拾がつかなくなって、記憶を消して放り出すなんて、非情だ。
だけど、その後の事まで知っているなんて…非情さと優しさが同居しているわ。
彼が望むのは、ただ、愛した者と、愛のある暮らしを送る事だ。
それは、そんなに難しい事なのだろうか?
わたしには想像が付かなかった。
「怖いか?」
エクレールの目が、少しだけ頼りなげに見える。
わたしは小さく笑った。
「愛していれば、恐れる事は何も無いでしょう…
でも、わたしの相手はレイモン様ですわ!」
「レイモン!」
エクレールは大袈裟に言い、天を仰いだ。
深刻な空気は一変した。
「それで、レイモンとはどうだったのだ?」
「とても楽しい昼食でしたわ!明日も誘って下さいました」
「ふん、中々マメな男だな、だが、身は許すな、それが目当てという男もいる」
まさか!と、わたしは内心で笑う。
「エクレール様とは違いますわ!彼は貴族で上品なんです!」
「情熱的な男よりも、冷静な男が良いのか?そんな男、つまらぬぞ?」
「でも、ロマンチックですわ!」
エクレールが顔を顰め、顔を振るので、わたしは声を上げ、笑っていた。
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