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本編

最終話

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「行くな!行かないでくれ!シャーリー!」


その必死の姿、真摯な声に、わたしは胸を打たれた。
ここに残りたいという想いが戻って来てしまう___

「でも…ラウル先生、わたし、このままでは、二十歳で死んでしまうの…」

『そうよ!あなた、シャーリーが死んでもいいっていうの!?』

レナがわたしの側で捲し立てた。
ラウルには見えないし、聞こえないと思っていた。
だが、ラウルはレナに目を合わせていた。

「君が、レナか?」

『何故、あたしを知ってるの?』

「シャーリーから聞いた、君はシャーリーの友達だろう?」

『ええ、そうよ…』

「だったら、頼む!シャーリーを助けてくれ!」

『あたしだって、そうしたいわ!だから、妖精の国に呼んだのよ!』

「妖精の国に行かせないでくれ!彼女はこの世界の者だ!
彼女が自分の命を代わりに差し出した様に、僕の命を半分、彼女にあげてくれないか?」

ラウルの申し出に、レナは驚き、わたしは息を飲んだ。

「そんなの、駄目です!皆、ラウル先生を必要としているのに…
あなたの命を奪う事は出来ないわ!」

「奪うのではない、僕が君にあげたいんだ…
君にこの世界に居て欲しい…
少しの間だけでもいい、君と一緒に生きたいんだ…!」

わたしと《一緒》に?
それは、どういう意味で…
驚きと戸惑い、そして僅かな期待で綯い交ぜとなるわたしに、
彼はそれを告げた。

「君を愛している、シャーリー」

「!?」

思わず息を飲んだわたしを、ラウルが強く抱きしめた。
シャツを通し、彼の熱と共に、想いが流れ込んでくる…

わたしを、愛してくれている___!!

感動に打ち震えるわたしに、女王の冷たい声がピシャリと飛んだ。

《シャーリー、おまえはレナに、妖精の国に来ると約束した》
《それを破る事は、妖精の怒りに触れる事》
《おまえには相応の災いを与えねばならぬ___》

ラウルは、女王が発した不穏な言葉にも怯まず、わたしを守る様に背に隠した。
そして、レナも援護してくれた。

『女王様!シャーリーは妖精の国に来ると言っただけです!
妖精の国に住むとは約束していないわ!』

だが、女王はその言い逃れを、気に入らない様だった。

《レナ、何故、庇い立てる?その人間の為に、おまえはどれだけの事をした?
我に願い出て、薬を作り、妖精の国に来られる様、皆を説得して周ったな?
そこまでしてやったおまえを、その者は簡単に裏切ったのだぞ!》

わたしはこの時初めて、レナがわたしの為にどれ程心を砕いてくれたのかを知った。
わたしを妖精の国に呼ぶ事が、どれだけ大変な事か…
わたしは知らなかった。
楽しい夢の国だと思っていた。
誰もが歓迎してくれる場所だと…

「レナ!ごめんなさい!わたし、あなたの事も考えずに…酷い事をしていたのね…」

『違うわ、あたしが勝手にしたのよ!シャーリーが好きだから…
それに、友達だもの!友達には、見返りなんて求めないものだわ、そうでしょう?』

レナはわたしに笑って見せたが、女王は鼻で笑った。

《ふん、それは人間の考え方だ、愚かしい》

『女王様!シャーリーはこれまで約束を破った事はありません!
あたしの為に、窓辺に花を飾ってくれたし、ビスケットも焼いてくれて…
小物も作ってくれたわ!あたしだけでなく、仲間の分もよ!
お願いです、女王様、シャーリーを助けて下さい!』

《ふん…》
《相応のものを受けたというのであれば、仕方が無い》
《見逃して良かろう》

レナは『ほっ』と息を吐き、わたしを振り返って笑った。

「レナ!ありがとう!」
『でも、まだよ…』

わたしたちは女王を見た。

《この人間の命を半分、シャーリーに渡せと?》
《人間らしい、傲慢な申し出よな》
《その様な事をして、我に何の利があるというのだ?》

得にならない事はしないという事だろうか?
それなら、何故、わたしが身代わりを申し出た時には、受けてくれたのだろう?

「女王様、わたしが願った時は、何故、受けて下さったのですか?」

わたしが必死で願ったから?優しさ?
女王は揺れる。

《あの人間たちよりも、おまえの魂の方が輝いていたからだ》
《綺麗な魂は見ていて心地良い》
《石と宝石の様なものだ》
《だが、その分、生かしてやったであろう?》

わたしが二十歳まで生きられたのは、そんな理由からだったのか…
わたしはそれを初めて知った。
三人の命と引き換えなのに、何故、わたし一人の命で済んだのか…
わたしは女王の優しさだと捉えていたが、違っていた様だ。

「今、あなたは、《綺麗な魂は見ていて心地良い》と言われましたね?」

ラウルが何か思案しながら、女王に尋ねた。
女王は不機嫌な表情を見せたが、ラウルは続けた。

「それなら、僕の命を半分渡す事で、もっと長く見られるのでは無いですか?
あなた方の考えでは、魂は生命の源?そのものか?
ですが、命は寿命という事ですね?
僕の命を半分渡しても、彼女の魂の輝きは変わらない筈___」

《ふん…小賢しい》

女王は不機嫌そうだが、少し逡巡した後、頷いた。

《だが、悪い話ではない、良かろう、人間よ、望み通りにしてやろう___》

だが、レナが『お待ちください!』と、わたしたちの前に飛び出した。

『女王様!どうか、あたしの命も使って下さい!二人に分けてあげて下さい!』

《おまえの命を使えと?》
《人間に命をやるなど、気が触れたか?》

『だって、女王様は二人の記憶を消すでしょう?
そしたら、もう、シャーリーには、会えないから…
シャーリーの中で、あたしも一緒に生きているみたいに思えるから…
寂しく思わなくて済むから…』

レナが唇を噛む。

「レナ…!」

《愚かな…》
《あれ程、人間に近付くなと…》

『後悔なんかしてないわ!幸せな思い出ばかりだもの…
それに、あたしの命は二人にあげた位じゃ、びくともしないわ!
二人に生きて欲しいの!会えなくても…だから、お願いです!』

《愚かな子よ…》
《だが、そこまで願うなら、おまえの望みを叶えようぞ、レナ》

《妖精に愛されし人間よ》

《記憶を消す代償に》

記憶を消される!?
わたしはそれを思い出し、慌てて鞄から、マフラーやポンチョを取り出した。
それに、ビスケットの缶___

「レナ!これを…!」

『ありがとう、シャーリー、最後まで約束を守ってくれたのね』

「レナ!忘れたくない!」

『あたしが、シャーリーの分まで、覚えているから』

「レナ!あなたが大好きよ!あたしの、この町での、初めての友達…」

レナが笑う。

無邪気な笑顔。

わたしはそれを必死で脳裏に焼き付ける。
忘れない!
絶対に、忘れたくないの!!


わたしは白い光に飲まれた___


◇◇


シャーリー


その朝、わたしは、誰かに名を呼ばれた気がして、目を覚ました。
悲しい夢を見たのだろう、わたしの頬は泣いた後の様に濡れていた。

「夢を見て泣くなんて…」

子供みたいだ。
だから、想い人からも相手にされないのだろう。
わたしは自分をいつも子供扱いする、大人な彼を想い、指で涙を拭った。

「マフラー?」

朝というにはまだ少し早い薄明りの中、ふと、それが目に入った。
家族にと編んだマフラーが、何故か丁寧に畳まれ、上掛けの上に並んでいる。

「冬にはまだ早いのに…
ジョシュアが寮に入る前に渡すつもりだったかしら…」

だが、ジョシュアが隣町の寮へ入るのには、まだ5日もある。
今見つかっては、興醒めになってしまうだろう。
わたしはマフラーを仕舞おうと、ベッドから降り、自分の恰好に気が付いた。

「どうして、ワンピースを?」

わたしが着ているのは、夜着ではなく、特別な日用の白いワンピースだった。

「分からないわ…」

何故、このワンピースを着る気になったのか、全く思い出せない。
わたしは頭を捻ったが、直ぐに諦め、マフラーをクローゼットの奥に隠した。


身支度を終えた頃、わたしはそれに気付いた。
自分の体の変化だ。

「頭がスッキリしているわ、それに、体が軽い…」

いつも、靄が掛かったみたいに思えていたのに、それが晴れている。
そして、少し動くのにも息切れがしていた体は、飛び跳ねたくなる程に軽い…

「変ね、わたし、二十歳で死ぬと思っていたのに…」

二十歳で死ぬ___

よく体調を崩す様になってから、漠然と感じていた事だ。
わたしは二十歳の誕生日に命を落とすと…

「何故、そんな事を考えたのかしら?」

まるで現実的には思えなかった。

「あら、鞄が…」

わたしは窓の下に転がっている、愛用の鞄に気付いた。
こんな風に放っておく事などしない筈だ。
わたしは不思議に思いながら、鞄を手に取り、中を見た。

「ラウル先生のハンカチ…それに、『応急処置』の本?」

本は手に届く場所に置いていたが、ハンカチは大事に引き出しに仕舞っていた筈だ。
何故、鞄に入れていたのだろう?

「他にも、何か入っていた気がするけど…」

何故だか、そんな気がしたが、他には何も入っておらず、
わたしは『気の所為だろう』と片付けた。
鞄をクローゼットに仕舞い、部屋を出た。

早くに目が覚めたし、体の調子も素晴らしく良かったので、
朝食の支度を手伝おうと思ったのだ。

「お母様、お早うございます!」
「まぁ、シャーリー!起きて来て大丈夫なの?昨日も体調を崩して寝ていなかった?」

母は心配そうな顔をしたが、わたしは頭を傾げた。
そうだったかしら?
昨日は庭に出て、ラウル先生を待ち伏せていなかったかしら?

「今日は凄く気分が良いの!何か手伝うわ!」
「本当に元気そうね、それなら、ミルクを取って来て貰える?」
「はい、お母様!」
「ああ、シャーリー!走らなくていいわよ!」
「はい!」

走るなと言われても、走りたくなるのだ。
わたしはまるで、あの頃に戻った気分だった。
あの頃…元気で、風の様に速く走る事が出来た、十歳頃の自分…

わたしは玄関の扉を開け、外に出た。
そして、息を飲んだ。

玄関ポーチの下に、ラウルが立っていたからだ。
それも、いつもとは違い、白いシャツにズボン姿…軽装だ。
しかも、いつもきちんと撫でつけているその銀髪は、乱れている。

「どうされたのですか!?ラウル先生!?」

わたしは思わず言っていた。

「どうした、だと?僕にこんな手紙を寄越しておいてか?」

ラウルは顔を顰め、白い便箋をわたしに向けた。
その青灰色の目は鋭い光を見せている。

わたしは便箋を見て、それを思い出した。

昨日、わたしはラウルにマフラーを渡し、そして、手紙を預けたのだった。
いつも花を贈ってくれていた方へのお礼の手紙…
それをラウルが読んだのだとすれば、わたしの考えは当たっていたという事だ。

「それでは、やはり、お花は先生が贈って下さっていたのね?」

ラウルは口を閉じたが、ややあって、嘆息した。

「…そうだ、君を元気付けたかった。
出会った頃の君は、生きる望みを失い掛けている様に見えた…
君の心を少しでも明るくしてやれたらと…花を贈る事を考えた」

それは、わたしが望んだ返答とは違い、少し気が抜けた。
でも、ロマンチックを期待する方が変だわ…
彼には、エーヴがいるもの…

「それでは、治療の一環だったのですね…」

「ああ、そうだ、他意は無い、そうでなければ、僕は医師失格だ」

言葉は素っ気ないが、どういう意味だろうか?
含みを感じ、わたしは頭を捻った。

それに、治療の一環なら、
何故、わたしが昏睡している間も、贈ってくれていたのだろう?

わたしは問う様に見たが、ラウルはそれには答えず、
鋭い口調で便箋を指した。

「それよりも、《遠い所へ行く》というのは、どういう事だ!?」

わたしは手紙の内容を思い出す…

《いつも、お花を贈って下さってありがとうございました》
《時に勇気付けられ、時に慰められ、時には救われました》
《わたしに沢山、力を下さってありがとうございました》

《同情だとしても、うれしかったです》

《でも、もう、お花は送らないで下さい》
《わたしはこれから遠い所へ行きます》

《さようなら》

《遠くから、あなたを想っています、愛する人》

《ラウル=アラード》


「遠い所へ行くというのは…」

確かに、意味のある事だった筈だ。
凄く大切な意味があった筈なのだが…何故だか思い出せなかった。

「君はまだ十分に生きられる!諦めてはいけない!」

ラウルがわたしの両肩を掴み、揺さぶった。
その真剣な様子に、わたしは自害をすると思われたのだと気付いた。

「ラウル先生、誤解です!
それを書いた時は、その…遠くに行く気がしただけです…そんな事、ありません?」

ラウルは頭を振った。

「僕には無い」

わたしは嘆息した。

「誤解させてしまい、申し訳ありませんでした、
自ら命を断つ事などありませんので、安心なさって下さい」

「この町から出て行くという事もか?」

「それは、分かりませんが…
先生には関係ないでしょう?先生はエーヴと結婚なさるのだし…
最後に想いを伝えたかっただけです、その、顔を見て直接は無理でしたが…」

ラウルは漸く手を放してくれた。
だが、その表情は、まだ訝し気だった。

「どうして、僕がエーヴと結婚すると?」

「噂で聞きましたから、この町では隠し事など出来ませんわ」

わたしは目を反らし、唇を尖らせた。
ラウルは腰に手をやり、嘆息した。

「確かに、この町で隠し事は出来ないな、
だが、噂には間違いも付き物だと覚えておきなさい」

間違い?
わたしは目を上げた。

「エーヴと結婚するのは僕じゃない、アレクシだよ」

「アレクシ!?ジェシカのお兄様!?」

「そう、僕と同じ、《ヴィクトルの孫》だ、それで噂が混乱したんだろう」

ラウルが鼻を鳴らした。
わたしは「カッ」と赤くなった。

「まぁ!!噂を信じて、誤解してしまい、申し訳ありません…
お祭りの時も、お二人は仲良さそうにされていたので…てっきり…」

わたしは小さくなり謝った。
あまりに恥ずかし過ぎる。
噂を鵜呑みにする軽薄な女と思われたかと思うと、部屋へ逃げ込みたい気分だった。
ああ!今日は一日、上掛けを被って過ごすわ!!

「祭りの時か…アレクシとエーヴは、以前付き合っていたそうだが、
結婚するには障害があってね…アレクシは農場を継ぎたいと思っているし、
エーヴの方も牧場を継がなくてはいけない。幾ら愛し合っていても、
自分たちには先が無いという事で、二人は別れたんだ。
だが、アレクシには未練があってね、
僕がエーヴをエスコートして欲しいとカメリアから頼まれた時、アレクシから打ち明けられた。
それで、エーヴに探りを入れてみたが、彼女の方もアレクシに未練があった」

「それで、二人はどうする事になったのですか?」

「エーヴが牧場を継ぎ、アレクシは婿に入るが、仕事は農場を手伝う。
牧場と農場は然程離れていないだろう?十分に自転車で行き来出来る距離だ。
マチューが元気な内に跡継ぎを産めと言われているよ」

ラウルが肩を竦めた。
わたしは安堵の息を吐いた。

「君は、情緒不安定でこの手紙を書いたのか?
それならば、これは無効だな」

ラウルは便箋を畳むとズボンのポケットに仕舞った。
わたしは思わず叫んでいた。

「あなたを愛しているのは本当です!」

ここまでして、嘘にされたくない!
例え、相手にされなくても、気持ちは伝えておかなくては!
だって、わたしに残された時間は…
残された時間は…
何だったかしら?
わたしの頭に浮かんだ考えは霧散した。

今日のわたしはどうかしているかしら?

でも、これは、真実だ___

「わたしは、真剣です!どうか、無効にはしないで下さい…」

「それなら、僕も真剣に返そう」

ラウルは青灰色の目で、真剣にわたしを見つめた。

「僕も君を愛している、朝早くから、こんな格好で押しかける程にね」

ラウルは苦笑し、そして、再び真剣な表情になると、わたしの手を取った。

「シャーリー、僕と結婚して欲しい」

結婚!?
それこそ、わたしの望む事だが…

「でも、わたしは体が弱いですし、長くは生きられないかもしれません…
あなたの負担になってしまうのでは…」

弱気になるわたしに、ラウルは励ます様に、強く手を握った。

「負担に思う事など無い、僕は医師で、そして、君を愛している。
少しの時間でもいい、君と共に生きたい、僕と結婚してくれ、シャーリー」

わたしの手を持ち上げ、その指にキスを落とす。
わたしは涙を零し、頷いた。

「はい、あなたを愛しています、わたしと生きて下さい、ラウル」


《完》
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