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本編

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昨日は落ち込んでいて気付かなかったが、ラウルが置いて行った本を見つけた。
一月前、部屋に通して貰う時に使った、言い訳に使われた本だ。

「返さなきゃ…」

そう思いながらも、それは『応急処置』の本で、
ジョシュアが屋根から落ちた時、どうしたら良いか分からなかった事を思い出し、
わたしは本を開いた。
説明が丁寧で、分かり易く、図式も書かれてあり、気付くとそれを熟読していた。


数日後、わたしは本を持ち、小道を通るラウルを待ち伏せた。

「ラウル先生!本をお返しします、遅くなってしまいすみませんでした。
つい読んでしまって…」

ラウルは微笑を見せた。

「それは君にあげようと思って持って来たものだから、好きにしてくれていいよ。
対処が分かれば、安易に薬を飲む必要も無いだろう?」

わたしは赤くなり、本を抱きしめた。

「薬はお約束通り、妖精に返しましたわ!」
「それは残念だ、僕も妖精に会いたかったよ」
「先生には無理です、妖精を信じない人には見えませんもの」
「そんな条件があるのか」
「はい、もし、会いたいなら、妖精を信じて、妖精を好きになって下さい」

わたしが言うと、ラウルは肩を竦めた。
それから、優しく微笑んだ。

「君が羨ましいよ」

「わたしが?」

「僕は夢を見た事も無いからね…
その事に不満は無かったが、君を見ていると羨ましくなる」

わたしは何と答えたら良いのか分からなかった。
だが、それで正解だった様だ。

「困らせたな、君は素晴らしい存在だという事だよ、シャーリー」

ラウルはわたしの頭をぽんぽんと叩き、去って行った。

「そんな存在にならなくていいわ…」

わたしはエーヴになりたかった。
彼と共に、現実を生きたかった。
きっと、何を捨ててでも、そうしただろう___


◇◇


夏の間、わたしは編み物をして過ごした。
家族は「まだ早いんじゃないの?」と驚いていたが、
「冬が始まる前に間に合わせたいの」と誤魔化した。

ラウルのマフラーは普段使いが出来る様に、タイトな物にした。
それから、レナが気に入った毛糸で、小さなマフラーとポンチョを編んだ。
レナは小さいので、残った毛糸で、レナの仲間用にも編んだ。
他にも毛糸を買い、家族にもマフラーを編んだ。


◇◇


9月になれば、ジョシュアは隣町の神学校の寮に入る事が決まっている。
それまでに姿を消さなければ、ジョシュアが心配し、戻って来るかもしれない。

わたしは8月の最後の週の初め、妖精の国へ行く事を決めた。

その日、わたしは庭先でラウルが通り掛かるのを待っていた。
姿が見え、「ラウル先生!」と呼び止める。

「シャーリー、最近見なかったが、何処か悪くしていたんじゃないのか?」

ラウルは医師の目で鋭くわたしを見た。
わたしは苦笑する。

「ラウル先生は根っからのお医者様ですね!暑かったので、部屋の中で
過ごしていただけです。でも、心配して下さってありがとうございます」

わたしは手に持っていた紙袋をラウルに差し出した。

「マフラーを編みました。少し早いですが、冬になったら使って下さい」
「うれしいが、こんな事をして貰う訳には…」

暗にラウルが断ろうとするのを、わたしは遮った。

「本を頂いたお礼です、それに、これが最後ですから」
「最後?」
「もう、ラウル先生を困らせる事はありません」
「どういう意味だ?」

ラウルの眉が僅かに顰められる。
わたしは息を吸い、それを告白した。

「わたしは二十歳までしか生きられないんです」

「何を馬鹿な事を…」

「やっぱり、ラウル先生も信じてくれないのね」

わたしは自嘲し、踵を返したが、ラウルに「待ちなさい!」と腕を掴まれた。
強い力で引き戻され、わたしは驚いた。

「どういう事か、分かる様に説明しなさい!
何故、自分の寿命が分かる?いや、そんな事がある筈は無い…」

ラウルの葛藤が見える様だ。
だが、わたしを理解しようとしてくれている…

「わたしたち家族が、この町に引っ越して来た頃の話です…」

わたしは、自分の身に起こった事をラウルに話していた。
ラウルは難しい表情で、だが、黙って聞いていた。

「妖精の女王様との契約で、わたしは二十歳までしか生きられません。
ですが、妖精の国に行けば、命は延びると言われ…
そうしようと思っています」

「!?」

「わたしが姿を消しても、心配しないで下さい」

「信じられない…」

ラウルが銀髪の頭を振る。
わたしは苦笑した。

「ラウル先生、これを受け取って頂けますか?」

「ああ…」

ラウルは茫然とし、紙袋を受け取った。

「ラウル先生、前に差し上げたセーターは着て頂けましたか?サイズはどうでした?」
「ああ、部屋で使わせて貰っている、サイズも少し大きいが着心地が良い、温かいよ」
「良かった!ずっと、気になっていたんです」

これで思い残す事も無い…
いや、もう一つ、あった。

わたしはスカートのポケットから、それを取り出した。
白い封筒だ。

「ラウル先生に、もう一つお願いがあります。
以前から、わたし宛に花が届いているのですが、誰が送って下さっているのか、分からないんです。
いつも、わたしが弱っている時に届くの、どうして分かるのか、不思議なんですですが。
それで、どうしてもお礼が言いたくて…
わたしが居なくなった後、もし、誰か分かれば、これを渡して欲しいんです。
分からなければ、そのままにして下さって構いませんので…」

ラウルはそれを受け取ってくれた。
だが、厳しい表情は消えていない。

「妖精の国に行かないという選択肢は無いのか?」

「わたしも死にたくはありませんから」

「だが、どんな場所かも分からないし、もし、騙されていたら…」

わたしは『やれやれ』と頭を振った。

「そんなに疑り深くては、一生掛かっても妖精は見えませんわ。
レナはわたしの友達です、彼女から妖精の国の事は聞いています。
心配しないで下さい」

「僕が変なのか?」

とうとう、ラウルは額を押さえた。
知恵熱でも出しそうだ。

「でも、全部聞いてくれたのは先生だけです、見込みはありますわ」

わたしは笑顔で「往診に遅れますよ!」と手を振り、送り出した。

わたしは小さくなる後ろ姿をいつまでも見送った。
これで、見納めだから…





晩食を終え、わたしは家族へのマフラーをベッドの上に並べた。
そして、手紙を添える。
感謝の言葉、それから、この町を離れる事、探さないで、心配しないで…
何処に居ても愛していると。

『シャーリー!迎えに来たわ!行きましょう!』

夜が更け、レナが迎えに来てくれた。
わたしは斜め掛けの鞄を掛け、窓を大きく開けた。

鞄に詰めた物は、レナたちへ編んだマフラーやポンチョ、缶に詰めたビスケット。
色褪せたいつかの家族写真。
それから、届いた花で作った押し花の栞。
ラウルから貰った『応急処置』の本、そして、いつかのハンカチ。

わたしはワンピースのスカートを引っ掛けない様、注意し、窓から外に出た。
こんな事をするのは、子供の時以来だ。

夏の終わりの夜は、暑さも引き、過ごし易い。
欠けていない月が、周囲を白く照らしていて、長く住んでいる土地だというのに、
それを忘れる程に神秘的だった。
わたしは真っ直ぐに伸びた白い小道を進んで行く…
行先は分かっている、あの花畑だ。

森林からだろうか、遠く鳥の鳴く声が聞こえてきた。
人の気配は無い、きっと皆、眠ってしまっているのだろう。
木々の葉が風に揺れる音、わたしの靴が鳴らす地の音が、いつもよりも大きく聞こえた。

わたしは何も考えない様にしていた。
考えてしまうと、やはり、泣いてしまうだろう。
家族との別れ、それに、愛する人との別れ___

一つ、心残りがあるとすれば、ラウルに言えなかった事だ。

愛していると。

全てに目を瞑り、抱いて欲しいと、彼の胸に飛び込めば良かっただろうか?
だけど、彼がそれに応えてくれる見込みは無い…

ラウル先生は、誠実な人だもの…


花畑が見えて来た。
月の明かりの所為か、花たちが輝いて見えた。

「綺麗…」

花が纏う白い光が、ぽわぽわと浮き上がって行く…

わたしは幻想的な美しさに、言葉を忘れ、目も心も奪われた。
不思議と何も考えられなくなり、重力を感じなくなる…
それは、自分が溶け込んでいくような感覚だった。

『シャーリー、女王様よ』

レナの声に促され、わたしは光が集まって行く方を見た。
それは大きな光に変わる。
そして、現れたのは、光輝く美しい女性だった___

「女王様…」

《シャーリー、よく来た、おまえを妖精の国に迎えよう》

女王が白く細い腕をわたしの方へと伸ばす。
わたしはその手を掴もうとしていた。
だが…

「シャーリー!」

聞こえる筈の無い声に、わたしは一瞬で引き戻された。
振り返ると、こちらに向かい駆けて来る人の姿が見え、わたしは息を飲んだ。

「ラウル先生!?」

ラウルは花畑まで駆け上がって来ると、わたしの腕を掴んだ。
いつもきちんと整えている銀色の髪は乱れ、着ている物も、スーツでは無く、
白いシャツにズボン…
走って来た所為だろう、彼は今にも膝を付きそうだったが、
それでも、その青灰色の目は、強い光を見せ、わたしに訴えた。

「行くな!行かないでくれ!シャーリー!」


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