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本編

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「ラウル先生とエーヴを見た?」
「あの二人、良い仲なのかしら?」
「驚くわよね、いつの間に…」
「でも、メリッサたちよりは良いわ、エーヴは年齢も釣り合うし、未婚ですからね」
「エーヴは働き者ですからね、多少、男勝りですけど」
「まぁ、エーヴも着飾れば普通の女性に見えるわね…」

人々の会話が耳に届く。
皆も驚いていた。

以前、ジェシカが言っていた。
彼女の母ロラと祖母カメリアは、ラウルの妻にエーヴを考えていると。
きっと、それを実行したのだ___


「あら、カップケーキはもう売れてしまったの?」

声を掛けられ、わたしは意識を戻された。
目の前には、噂好きで有名な夫人が立っていた。

「はい、すみません…」

「残念ね、あなたの作るカップケーキは美味しいのに!
それはそうと、フィリップの事、聞いた?」

本題はそちらの様だ。
わたしは「いいえ」と頭を振る。

「先月、あの夫婦に子供が生まれたんですけどね、髪も肌も目も黒かったそうよ!
つまり、フィリップの子では無かったの!ああ!恐ろしい!
あの女が嘘を吐いて、まんまとフィリップを手に入れたって訳!
何て、狡賢い女なのかしら!
男爵もフィリップもこれには激怒してね、即刻離縁したそうよ!
全く、フィリップも気の毒にね、あなたと結婚していれば良かったのよ」

同意を求められたが、わたしは「さぁ…」と言葉を濁した。
わたしが何も反応しないのが面白く無かったのか、
「カップケーキが無いならいいわ」と夫人は去って行った。

『フィリップの子供では無かった』、その事実には勿論驚いたが、
既にわたしとは何の関係も無い事だった。

騙されたフィリップを気の毒に思う気持ちはあるが、
それ以上に、生まれて来た子が気の毒に思えた。

フィリップもオデットとそういった行為をしていたのは事実だ。
フィリップの子でもおかしくは無かったというのに…
結婚までして、フィリップは彼女を愛していなかったのだろうか?
自分の子でなくては、愛せないのだろうか?

「嫉妬はしてしまうかも…」

尤も、わたしの頭に浮かんでいたのは、フィリップとオデットの姿では無い。
ラウルとエーヴの姿だった。

「でも、彼の子なら、欲しい…」

無意識に零れた言葉に、自分でも驚く。
自分が信じられなかった。

わたしは、今、なんと?

彼の子なら欲しいだなんて!!

わたしの脳裏に、銀髪に青灰色の瞳の幼子の姿が浮かぶ。
わたしはその子を、抱きしめたいと思うだろうし、
笑顔にさせたいと願うだろう___

ラウル先生の子…
わたしは、ラウル先生を…

彼を、愛している___!

「そんなっ!!」

わたしは震える体を自分の腕で抱きしめた。

ああ!こんな事、気付きたくなかった!



『シャーリーってば!どうしちゃったの?ぼんやりして!』

目の前をパタパタと忙しく飛ぶレナにより、わたしは我に返った。

「ああ、レナ!な、なんでも無いの!ええと、そうだわ!カップケーキは売れたから、
レナ、一緒にお祭りを見て周りましょう!わたし独りでは寂しいもの」

『ええ、いいわよ!』

レナが賛成してくれたので、わたしは考えを吹き飛ばす様に、バタバタと片付けを始めた。
売り上げを袋に入れて鞄に仕舞い、代わりに取り置きしていたビスケットの袋を取り出した。

「これを食べながら行きましょう!レナの為に残しておいたの!」
『ありがとう!シャーリー!大好きよ!』

さぁ、全て忘れて、楽しむのよ!子供みたいに!
わたしは自分に言い聞かせた。


わたしたちが真っ先に向かったのは、会場の中央だった。
大道芸が行われていて、観客も大いに盛り上がっていて、楽しそうだった。
丁度、上半身裸の黒い男が、口から火を噴いている所で、
わたしは思わず驚きの声を上げてしまった。

「きゃ!いや!火よ!!」
『うわー!火を噴く人間もいるのね!』
「驚いたわ…熱くないのかしら?」
『熱くは無いわよ、ドラゴンだって火を噴くけど、熱がってはいないでしょう?』
「確かに、そうね」

別の芸人が、軽快なステップで周囲を跳ね回っていたかと思うと、
口から小さな旗が連なった物を、スルスルと取り出し始めた。

「見て!今度は旗よ!」
『凄いわね!ああ、妖精の国に連れて行きたいわ!』

最後、高いとんがり帽子を被り、マントで体を隠した芸人が台に乗った。
速いリズムのドラムの音に、観客の緊張と期待が増した。
芸人が何かの儀式の様に、両腕を空へ上げ、そのマントを脱ぐと、
そこからは沢山の白い鳥が羽ばたき、空へと飛んで行った___

歓声は最高潮に昇った。
割れんばかりの拍手に包まれる。
わたしとレナも力いっぱい、拍手を送っていた。

「ああ!凄かったわね!」
『本当ね!わくわくしたわ!』
「わたしもよ!心臓がまだドキドキしているわ!」
『次はダンスが始まるみたいよ、シャーリー、一緒に踊る?』
「どうやって?」
『教えてあげるわ!』

レナの提案に乗り、わたしたちは人気の無い場所へと移動した。
誰かに見られ、噂されては困るからだ。
特に、母の耳に入れば過剰に反応するだろう…

演奏は十分に聞こえた。

「さぁ、レナ、教えて頂戴!」
『ええ、いいわ、まずはこうね!』

レナは小さいが、とても優雅に踊った。
手の先まで綺麗なのだ。
踊り子を見ている様で、わたしは感嘆した。

「レナ、とても上手なのね!見ているだけで、溜息が出てしまうわ…
わたしには無理よ、あなたみたいには踊れないわ…」

『好きに踊ればいいのよ、音楽に乗って…こんな感じ、やってみて!』

「分かったわ…」

わたしは何度かそれに挑戦したが、恐らく全く似ていないだろう。
レナがお腹を抱えて笑っていた。

「才が無いのは認めるわ、レナ、戻ってお店を見るのはどう?」
『ええ、いいわ!』

レナはわたしの肩に座り、ビスケットを齧った。

『美味しい!今日はなんだか、いつもと形が違うけど、味は同じだわ!』
「その通りよ、楽しいでしょう?」
『ええ!面白いわ!』

会場に戻って来た時、ラウルとエーヴが一緒に店を覗いているのを目にし、
わたしは咄嗟に踵を返し、早足になった。

『シャーリー?どうしたの?』
「なんでも無いわ!この先のお店を見たかったの!」

エーヴはラウルの腕に触れ、笑顔で話し掛けていた。
嫌!触らないで!!
そんな風に泣き叫びたくなる自分が、何よりも嫌だった。


店は多く、飲食の他にも、手作りの手芸品、工芸品、絵画は定番で、
家にある使わない物や服等を売っていたりもする。

早足で歩いていたわたしが足を止めた先は、手芸店だった。
わたしはその毛糸に引き寄せられた。
深く気品高い青色の毛糸。
素敵な色だ、この色でラウル先生にセーターを編んであげたい…
いえ、今度はマフラーがいいかしら…

「シャーリー、いらっしゃい、気に入った?安くしておくわよ!」

手芸店の夫人に声を掛けられ、わたしは迷った。
わたしはカップケーキを売りに来ただけたったので、少しのお金しか持って来ていなかった。

「いえ、またにします、でも、良い色ですね」
「そうでしょう?新しく仕入れた物なのよ、また仕入れておくわね」
「ありがとうございます」

近い内に毛糸を買いに行こうと計画するわたしに、レナは不思議そうにしていた。

『何故、買わないの?』
「お金が無いの」
『人間って不便ね!』
「レナの分なら買えるかも、レナは何色が好き?」
『あたしはねぇ…これかしら?』

レナは、ラメ入りの華やかなオレンジ色の毛糸の上に座った。
それは細い毛糸で、小さな物を編むのに丁度良かった。

「すみません、こちらの毛糸を一つ下さい」

わたしはそれを買い、鞄に仕舞った。

『シャーリー!ありがとう!何を編んでくれるの?』
「何が良いかしら?マフラー?ポンチョもいいわね」
『うふふ!楽しみだわ~』

レナがくるくると舞う。
すると、何処からともなく、周囲に花びらが舞い、わたしは驚いた。

「うわぁ!これ、レナの魔法!?」
『あ!無意識に使っちゃったわ!』
「これが悪戯なら、可愛いわ!」
『悪戯は、これよ☆』

レナが手を振ると、風が吹き抜け、周囲に居た人たちの帽子が飛んで行った。

「きゃ!風!?」
「いやだ!私の帽子が…!」
「俺の帽子!!」

慌てふためくが、高く舞い上がった帽子は、ゆっくりと空から降りて来て、
持ち主の頭に戻った。勿論、持ち主とは違う頭に戻った物もあった。
わたしとレナは顔を見合わせ、逃げ出した。

「凄い魔法ね!大道芸よりも凄いわ!」
『ふふ、ありがとう!』
「ごめんなさい、少し休むわね…走ったら、息が切れて…」

わたしは息切れだけでなく、心臓が煩く打ち、気分が悪くなっていた。
横になりたい…

わたしは休める場所を探し、足を動かしたが、幾らも進まない内に、
眩暈と共に、感覚が麻痺し、倒れてしまっていた。

『シャーリー!!』

レナの声に、「大丈夫よ」と言ってあげたかったが、動けなかった。
わたしは誰も来ない事を祈り、意識を手放した。


目を覚ました時、わたしは自分の部屋のベッドで寝ていたので、
一連の事が夢だったのでは?と思えた。

「気が付いたな、起きられるか?」

傍にラウルが居て、わたしを支え起こしてくれた。

「気分はどう?」
「大丈夫です…あの、わたし…?」
「祭りの会場で倒れたんだ、覚えていない?」
「ああ…はい…思い出しました…」

夢では無かった様だ。
わたしは泣きたい気分になっていた。
いっそ、夢であって欲しかった___

「楽しそうにしていると思えば、急に倒れるから、また薬を飲んだのかと心配したよ、
目が覚めて良かった」

ラウルが息を吐く。

「少し走って、気分が悪くなっただけですから…
ラウル先生は戻って下さい…ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません」

逢引の邪魔をしてしまったのだから…
わたしの声は硬くなった。

「何も無ければ、そうさせて貰おう、頭を打っているかもしれない、
今日は安静にしていなさい」

披露パーティの時には、抜け出せたと喜んでいたラウルが…
祭りに戻りたがっている___!
エーヴを気に入ったんだわ!

わたしは「はい」と答え、体をベッドに戻し、上掛けを被った。
息を殺し、ラウルが部屋を出て行くのを待ってから、わたしは泣いた。

「う…っく…うう…」

泣くと酷く胸が痛んだ。
だが、泣かずにはいられなかった___

ラウル先生…
ラウル先生…彼女の処へ行かないで!
胸が痛いの…戻って来て、わたしを助けて!

『シャーリー!ねぇ、どうしたの?大丈夫!?』

レナの声で、わたしは我に返り、涙が止まった。
レナはわたしを心配し、付いてくれていたのだ___
わたしはそれに思い当たり、涙を拭い体を起こした。

「ああ、レナ!ごめんなさい!急に倒れてしまって、驚いたでしょう?」

『驚いたわよ!!まだ時期じゃないのに…
でも、それより、何故、泣いてるの?』

レナが心配そうな顔をする。
わたしは指で濡れた頬を拭った。

「これは…気にしないで、泣きたくなったの…」

『シャーリー、彼の事が好きなのね?』

レナに言い当てられ、わたしの感情は再び高ぶった。
わたしは頷きながら、また涙を零した。

「好き…ラウル先生が好き…でも…ラウル先生には、エーヴがいるの!
わたしは、好きになって貰えない!!
それに、わたしは、二十歳までしか生きられないもの!!」

わたしは声を上げて泣いていた。



「一緒に居てくれて、ありがとう、レナ」

気持ちを吐き出すと、幾らか気分はすっきりとした。

「わたしは戻れないけど、あなたはお祭りに戻って、きっと、夜には花火も上がる筈よ」

『お祭りはもういいわ、十分楽しんだもの、あなたと一緒だったからよ、シャーリー』

「わたしもよ、レナと一緒に周れて、楽しかったわ」

レナは頷き、『また来るわね』とわたしの頬にキスをし、窓から出て行った。
わたしはそれを見送ってから、体をベッドに戻した。
深く、深呼吸をする。

彼への想いは忘れよう…

望みなど欠片も無いのだから、諦めなければ。
わたしは、嫉妬して、残りの時間を生きたくない。
彼に憎まれ、人生を終えたくない。
少しでも、彼に良く思われたい。
わたしが居なくなった後、彼に思い出して欲しい___

ラウルの幸せを願おう___

わたしは自分自身に、必死に言い聞かせた。


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