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本編

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ラウルが診察に来てくれた時、わたしはフィリップの事を話した。
決まりが悪く、話したくは無かったが、
ラウルには相談もしていたので、はっきりと結果を話しておかなくてはいけなかった。

「知っていらっしゃるとは思いますが…」

そう前置きしたのは、《アエレ》という小さな町では、隠し事など出来ないからだ。
それに、婚約解消など、センセーショナルな話題は皆が知りたがり、話したがるものだ。

「フィリップとの婚約は無くなりました」

わたしは肩を竦めた。
ラウルは診察を終え、テーブルに置かれていた紅茶を自分で淹れた。

「僕は通りすがりの医師だ、無理に話す必要は無いよ」

ラウルの優しい気遣いに、わたしは安堵した。
だが、何故か逆に、聞いて貰いたくなった。

「ラウル先生には相談をしたので、顛末を聞いて下さい。
それに、町の人たちの噂は聞かないで欲しいんです、誰にも話していませんから…」

「ああ、約束しよう」

わたしは息を吸い、あの日の事を思い出した。

フィリップが友人たちと一緒の所を見て、距離を感じた事。
オデットの存在。
フィリップがオデットを求めていると知った事。
そして、そんな彼を、わたしは受け入れられなかった事___

「わたしが好きだったフィリップは、もう何処にもいなかったの。
それに気付かずに、夢の彼を求め追っていた自分が、愚かしくて、恥ずかしいわ…
わたし、もう、夢は見ません___」

わたしには、もう、夢を見る時間は残されていない___
だが、ラウルは何も知らない…

「それは安心だ、だが、夢を見ないというのも心配だな、僕の様にはなって欲しくない」

軽口の様に言い、ゆったりと紅茶を飲んだ。

「ラウル先生は夢を見ないのですか?」
「ああ、夢など見ている暇は無かったからな」
「お忙しかったのね…」
「それもあるが、夢を見させて貰える状況に無かったからだ」

わたしが頭を傾げると、ラウルはその目をわたしに向けた。

「夢を見られるというのは、幸せな証拠だよ」

皮肉な、自嘲する様な微笑だった。
わたしは逡巡し、それを聞いた。

「ラウル先生は、幸せでは無かったんですか?」
「僕に幸せな時は無かった、自立して、漸く平穏を手に入れたんだ」
「家族の愛は…無かったのですか?」

ラウルが母親を亡くしている事は、ジェシカから聞き、知っている。
彼を出産する時に亡くなったのだ。
しかし、彼女が愛した人…父親は居た筈だ。

「父は母を愛していた様だが、子供には関心が無かった。
三年と経たずに他の女性と再婚し、その女は僕の母親になる事を拒否した。
その三年後、父と女との間に子供が出来て、家族は完成した。
僕には居場所すらも無かったよ」

「そんな!酷いわ!」

わたしは声を上げていた。
ラウルは顔を背け、紅茶を飲んだ。

「君が結婚に憧れを持つのは、幸せな家庭で育ったからだろう…」

その声に、諦めの様なものを感じ、わたしは言っていた。

「幸せを知らなくても、これから手に入れる事は出来ます!
ラウル先生は立派な方ですもの、きっと、何でも手に入れられますわ!
母親は子供が幸せになるのを願うものです、
だから、ラウル先生、幸せになる事を諦めないで下さい…」

ラウルは「ふっ」と笑った。

「夢は見ないと言わなかったか?だが、君はその方がいい…」

先生も、笑っている方がいいわ…

わたしは胸の中で呟いていた。


◇◇


あの日、ジェシカはわたしに気を遣い、それ以上は話せなかったのだと、後から知った。

フィリップが急な結婚に至った理由は、オデットの妊娠にあった。
妊娠を理由にオデットから結婚を迫られた為、わたしとの婚約を解消する事にしたのだ。

普通であれば、フィリップの不貞が理由なのだから、デュボア家に賠償金を
払わなければならなかったが、不貞の事実を隠す為か、頭を下げたくなかったのか、
それとも賠償金を払いたくなかったのか…
わたしが昏睡状態でいる事を理由に、強引に婚約を解消した。

この裏事情を後から知った両親は、内心憤りはあったものの、
《牧師》という立場上、口を閉ざした。
これも、神の意向だと、自らに言い聞かせて。

弟のジョシュアだけは、
「男爵だか何だか知らないけど、あいつは屑だよ!」と、何かにつけ、罵っていた。

フィリップとオデットは密かに婚約をし、子供が生まれる前にと、結婚に至ったのだった。


夏の終わり、隣町でフィリップとオデットの結婚式が執り行われた。

フィリップは、《アエレ》の中心ともいえる男爵家の跡取りなので、
本来ならば町を挙げて祝福されるべき事だった。
だが、町の皆がフィリップの結婚騒動を知っていて、良く思わない者が多かった為、
男爵家は発表をせず、噂が下火になるまでは大人しくしているつもりらしい。

オデットは身重という事もあり、暫くは隣町の実家で暮らし、
フィリップが大学卒業した後、男爵家に入るのだろうと噂されていた。

町の皆は、捨てられたわたしに同情しているらしい。
わたしは幸いにも、あまり外には出ないので、人と会う事も無く…
それ程煩わしく感じる事は無かった。
だが、牧師館には、見舞いの品や、わたしへの縁談話が届けられた。

年上の独身男性や妻を亡くした男性が訪ねて来る事もあり、
母や夏間はジョシュアが断ってくれたので良かったが、それには辟易した。

母は「良い人が居たら…」と勧めたが、わたしは聞き流し、「もう少し時間を頂戴」と引き延ばした。

二十歳で命が尽きるというのに、これから恋愛をしてどうするのだろう?
お互いに辛いだけだ。


そうこうしている内に、秋が深まり、わたしは十九歳を迎えた。


◇◇


残された時間が一年を切ったが、わたしは未だ、何も見つけられていなかった。

わたしが生きた証とは、【何】だろう?

何も思い付かないまま、気ばかりが焦り、何かをしていなければ落ち着かず、
家事や庭の手入れの他にも、教会の仕事を手伝う様になった。
奉仕活動をしている間は、自分が何かの役に立っている気がし、満たされるのだ。
だが、やはり体は弱っている様で、少し無理をすると直ぐに熱が出てしまい、
両親を心配させた。

「シャーリー、あなたはいいから休みなさい、まずは健康にならなきゃ!」
「そうだよ、神様だって体を酷使する事は望んでいないよ」
「でも、何かしたいの、寝ているだけなんて嫌なの!誰かの役に立ちたいの!」

残りの時間を、価値ある事に使いたい___

だが、両親は頭を振った。

「その気持ちだけで十分だよ、おまえは優しい子だ、シャーリー」
「そうよ、あなたみたいな優しい子を持てて、私たちは幸せよ」
「私たちはおまえに元気になって欲しいんだよ___」

それだけは叶えられそうになく、わたしは肩を落とした。


「熱が高いな…なるべく温かくしていなさい。
また、教会の方に行っていたそうだね?
これから寒くなる時期だ、もっと暖かくなってからにしなさい」

診察に来たラウルも、わたしが忙しく動くのを喜ばなかった。
わたしは感情が溢れ、半分泣きながら訴えていた。

「わたし、役に立ちたいんです!ただ、生きているだけなんて、耐えられません…!」

「それなら、まず、熱を下げる事だ」

ラウルはポケットからハンカチを取り出し、わたしの涙を拭いた。

「君は遠くを見過ぎる傾向がある、今やるべき事は何かを考えなさい。
今の君の仕事は、良く食べて、良く眠る事だ、薬も忘れずに飲む様に」

理路整然としたラウルの言葉は、わたしに冷静さを取り戻させた。
わたしは思わず、「はい」と返事をしていた。
だが、ラウルがニヤリと笑ったので、わたしの頭は一気に混乱し、何も考えられなくなった。

やっぱり、ラウル先生は名医だわ…
それとも、魔法使いかしら?

わたしは部屋を出て行くラウルを目で追いながら、ハンカチの下で小さく笑った。


◇◇


熱が下がったが、ベッドから出る事は許されず、わたしは刺繍を始めた。
ラウルにハンカチを借りたので、そのお礼をしたかった。
以前、フィリップに贈った時、材料を余分に買っていた事を思い出したのだ。

ラウルのハンカチは、彼を表していて、上品で上等だが、飾り気は全く無かった。
色もくすんだオリーブ色で、気分を明るくするものは何も見えなかった。
わたしが用意したのは、白色のハンカチ、そして、刺繍は妖精と明るい緑系の葉だ。

「ラウル先生は歓ぶかしら?」

わたしは、ラウルがどんな反応をするかを想像し、笑った。


時々夜になるとレナが現れ、話し相手になってくれた。

『シャーリー、それは何?』
「ハンカチに刺繍をしたの、どうかしら?」
『妖精ね?』
「ふふ、レナよ、分かるかしら?」
『あたしなの!?とっても可愛いわ!』
「気に入ってくれたのなら、これはレナに上げるわね、小さく切って…」

わたしは刺繍の部分を切り取り、解れない様に周囲を縫った。

「はい、どうぞ」

レナは小さいので、それはブランケットか上掛けの様だったが、
レナはそれを振り回し、はしゃいだ声を上げた。

『ありがとう!素敵だわ、シャーリー!仲間に自慢するわ!』

レナの言葉に触発され、ラウルに贈る刺繍を仕上げた後、
わたしはミニチュアサイズの小物を作り始めた。
ポシェットやスカーフ、リボン…
小さいので然程時間も掛からずに作れる。
レナが来る度に、わたしはそれを一つずつ渡す事にした。


◇◇


わたしは庭に出て、ラウルが通り掛かるのを待っていた。
症状が良くなり、薬が必要無くなれば、ラウルが診察に来る事は無くなる。
医師を必要としている人は多いので、悪戯には呼べない。
彼に会うには、庭で待ち伏せるしかなかった。

小道からラウルの姿が見え、わたしは急いで立ち上がり、手を払い、駆けつけた。

「ラウル先生!」
「シャーリー、元気になった様だが、急に走らない様に」

早速注意を受けたが、ラウルに厳しい表情は見えず、
わたしは安堵し、「はい、先生」と答えた。

「ラウル先生、この間は、ハンカチを貸して下さってありがとうございました」

わたしは手をエプロンで念入りに拭うと、それを取り出した。
借りたハンカチでは無く、わたしが用意したものだ。
「これは?」と、ラウルが不思議そうな顔をしたので、わたしは内心ほくそ笑んだ。

「刺繍をしました、広げてみて下さい」
「妖精?」

ラウルの青灰色の目がそれを見つめる。
レナをモデルにした妖精と葉、そして、ラウルのイニシャルを刺繍していた。

「気に入って頂けましたか?」
「これを僕に?夢を見ろというメッセージかな?」

わたしは笑い、「そうかもしれません」と返した。

「先生のハンカチですが…その…」
「失くしたのか?それでこれを?気にする事は無かったのに、僕のはただのハンカチだ」

ラウルが独り納得していたので、わたしはポケットの中で握っていたものを離した。

「本当に?怒っておられませんか?」
「誰もハンカチ位で怒ったりはしないよ」

ラウルが小さく笑い、頭を振った。
わたしは安堵し、笑顔を向けた。

「わたしのハンカチは失くさないで下さいね!特別ですから!」
「僕は失くし物などしない、だが、気を付けるよ、ありがとう」

ラウルがハンカチをポケットに仕舞うのを見て、わたしの胸に喜びが溢れた。
ラウルを見送り、わたしはポケットの中に手を入れ、それを握った。
ラウルから借りていたハンカチ。

これを、あの時、返したくないと思った。

「わたしが持っていていいのね…」

わたしは独り笑うと、スカートを翻し、家の中に駆け込んだ。

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