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本編

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《フィリップと結婚して、子供を産む》

それには、まず、結婚をしなければいけない。
婚約をして三年近くになるが、具体的な結婚の話は、未だ出ていなかった。
フィリップは隣町の大学に入り、大学の寮で暮らしていて、顔を合わせる機会も少ない。
だが、隣町なのだから、無理を言えば、週末ならば会えるかもしれない___

「フィリップに会って、結婚の事を訊いてみようかしら…」

女性の方から結婚を焦らせるのは良くないだろうか?
だが、わたしには時間が無い。
一刻も早く、結婚しなければ___

わたしはその思いに突き動かされ、
その夜、フィリップへ『週末に会いたい』と手紙を書いた。

手紙を封筒に入れ、封をした時だった。

『シャーリー!』

名を呼ばれた気がして振り返ると、目の前に光輝く小さな妖精の姿があり、驚いた。

「レナ!?」

記憶の妖精と同じで、わたしの口からその名が飛び出した。
レナは美しい顔に笑みを浮かべた。

『良かった!シャーリー、あたしが見えるのね?』
「ええ、勿論よ!来てくれてありがとう!レナ」
『あたし、今までも何度かここに来ていたのよ、
でも、見えなかった、声も聞こえていなかったでしょう?』

レナに言われ、わたしは驚いた。

「ごめんなさい…気付かなかったわ…」
『いいのよ、女王様の力で記憶を封印されていたんだもの、仕方が無いわ』
「わたし、少し前に思い出したの…」
『ええ、あたしが女王様に頼んだのよ』

レナは頷き、それから琥珀色の目を、じっとわたしに合わせた。

『女王様はね、もし、今もシャーリーにあたしの姿が見えたら、
あなたを妖精の国に連れて来てもいいって、約束してくれたの!』

「妖精の国に!?」

十歳の頃、レナから聞き、その世界に憧れた。
一度で良いから、見てみたいと思っていた___わたしの声は自然、弾んだ。

『この世界では、あなたは二十歳までしか生きられないけど、
妖精の国に来れば、もっと長く生きられるの!
妖精の国はこことは違って、不思議な力に満ちているから、
そうね、今からだと、20年位かしら?生きられるわよ!老いたりもしない!
あたしたちと一緒に暮らしましょうよ、シャーリー!』

突然のレナの誘いに、わたしは茫然とした。

死ぬのは怖い。
二十歳までしか生きられない運命を嘆いた。
だけど、妖精の国でなら生きられると聞いても、喜びは湧いて来なかった。
喜び処か、安堵も無かった。

レナの事は好きだし、妖精の国に憧れる気持ちも本当だ。
だけど…

わたしは机の上の封筒に視線を落とした。

「レナ…わたしの為に、女王様に頼んでくれたのね、ありがとう。
あなたがここまでしてくれるなんて、凄くうれしいわ…
でも…わたし、まだ、この世界でやりたい事があるの…」

『そう…いいのよ、シャーリーにも都合はあるわよね…』

レナは言ってくれたが、明らかにわたしの返事に失望していた。

「レナ、ごめんなさい、あなたの事は好きよ!それに、死ぬのも怖いわ…
でも、この世界の家族も大事なの…」

『いいのよ、そんな気はしてたの、あたしたちだって、自分たちの世界が一番だもの』

わたしはレナを失望させてしまったのではないかと心配になった。
言葉通りで、わたしはレナが好きだった。
レナはこの町に来て、最初に出来た友達だ。
いつまでも友達でいたい___

「レナ、また来てくれる?」

わたしが恐る恐る聞くと、レナは小さな肩を竦めた。

『時々ならいいわよ、暇つぶしにね、それじゃ、帰るわ…』
「待って、ビスケットがあるの!」

わたしは机の引き出しからビスケットの缶を取り出した。
レナが来てくれたら…と願い、用意しておいたのだ。

『ありがとう、ビスケットを食べる間なら、話し相手になってもいいわよ』

わたしはレナの言葉に甘え、会えなかった時に起こった事を話した。
学校を卒業し、他の町の女学校に行っていた事、そこでの寮生活…
レナは妖精の国の事を話してくれた。
美しく楽しい世界___

『シャーリー、もし、あたしたちと暮らしたくなったら、いつでも言ってね』

「ありがとう、レナ」


◇◇


【子供を産む】という目標が出来、わたしは怯える事も無くなり、前向きになれた。

少しでも体を丈夫にしようと、ラウルから言われた事を心掛けた。
なるべく沢山食べる様にし、調子の良い時には、庭の手入れをしたり、
散歩に出掛ける様になった。

そんなわたしを見て、両親も喜んでいた。

「そうしていると、以前の元気なシャーリーに戻ったみたいよ」
「ああ、最近、顔色も良くなったね」


その日の午後、わたしは庭の花壇の手入れをしながら、郵便を待っていた。
そろそろ、フィリップからの返事が来ても良い頃だ…
すると、郵便では無く、ラウルの姿が見えた。

牧師館脇の小道を入って来たラウルが、わたしに気付き、足を止めた。
庭の柵は低く、その姿がはっきりと見えた。

「シャーリー、調子が良さそうだね」

ジェシカは彼を『無愛想』と言っていたので、声を掛けられるとは思わなかった。
わたしは慌てて立ち上がると、手を払った。

「はい、お陰様で…
ラウル先生、この間は失礼な事を言ってしまい、申し訳ありませんでした…」

わたしは身を縮め、謝罪した。

「構わないよ、珍しい事ではないからね」

ラウルは気にしていない様だが、わたしにとっては、『珍しい事』だ。
普段からあんな風だと思われるのには抵抗があった。

「わたしは、滅多に噛みつきません!」

思わず言うと、ラウルは目を丸くし、それから頷いた。

「ああ、そう願いたいね」

本当です…
わたしは口の中で不満を呟いた。

「花が好き?」

花壇の手入れをしているからだろう、聞かれてわたしは頷いた。

「はい、でも、花に限らず、植物の世話は好きです」
「それは良い、土を触る事は精神的にも体にも良いという説がある」
「まぁ!知りませんでした、でも、きっと本当です!気持ちが明るくなりますもの」

ラウルは微笑み、頷いた。

「だが、無理はしない様に」
「はい、ラウル先生はお散歩ですか?」
「いや、往診だよ、尤も、ここでは往診に行く事が散歩みたいなものだがね…」

ラウルの手には黒い診療鞄があった。
小道の先では、噂の車は使えないのだろう。

「ラウル先生、お気を付けて!」
「ありがとう、君もね」

ラウルは小道を進んで行く。
わたしはラウルに謝罪出来た事に安堵し、再び手入れに戻った。
土を触っているからか、誰かと話したからか、安堵したからか…
心はすっかり晴れ、楽しい気分になっていた。

「ラウル先生は名医だわ!」

わたしは独り、笑った。


◇◇


一週間が過ぎても、フィリップからの返事が来ない。

子供を産むには時間が掛かるというのに…
わたしは流れて行く時間を思い、気持ちが沈んだ。

「シャーリー、何か心配事でもあるのかい?」

ラウルに聞かれ、わたしはギクリとした。

ラウルは、牧師館の脇の小道を通り、裏手にある老夫婦の家に往診に通っているので、
庭に出ていると顔を合わせる事があり、その時には少しだが言葉を交わす様になっていた。

「誰にも言いません?」
「医師には守秘義務があるからね、約束しよう」

ラウルは医師で無かったとしても、口は堅そうだ。
わたしは少しだけ逡巡した後、柵に近寄り、それを口にした。

「実は、手紙の返事が来ないんです…手紙を出してから二週間近くが経っているから、
届いている筈なんですけど…きっと、忙しいんだわ…大学生は勉強で忙しいでしょう?」

「相手は婚約者のフィリップ?」

ズバリと言い当てられ、わたしは驚いた。

「何故ご存じなんですか!?」
「僕には守秘義務があるけど、ジェシカには無いからね、君の事はジェシカから聞いている」
「いやだわ!!」

わたしは手で顔を覆った。

「ジェシカったら…変な事を言っていませんでしたか?」
「おかしな事は言っていなかったよ、君は親友だから気に掛けて欲しいと言っていた」
「それで、声を掛けて下さっていたのね…」

わたしはそれを知り、気が抜けた。
親切な人だと思っていたが、ジェシカが糸を引いていたと分かったからだろう。

「ジェシカに感謝しなければいけませんね…」
「その必要はないよ、ジェシカからは診療代は貰っていないからね」

ラウルの軽口に、わたしは思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
ジェシカは真面目で面白味に欠けると評していたが、それは違うと断言出来る。
皮肉屋な部分もあるし、時に冗談を交える事もある。
ただ、彼自身は笑わない。
微笑は見た事があるが、声を上げて笑う姿は見た事が無く、想像も付かなかった。

「それでは、わたしが診療代を払いますわ!」
「これで診療代を取っていたら、皆、診療所に来なくなる」
「わたしの診療代はビスケットよ!沢山焼いてあるの!少し、待っていて下さいね!」

ビスケットは日持ちがするので、沢山焼いてあった。
尤も、レナ用にだが。

わたしは手を洗い、急いで布で拭うと、棚からビスケットの缶を取り、
何枚か紙に包んだ。

「ラウル先生、お待たせしました!」
「それはいいが、あまり走るのは良くない、深呼吸して…」

わたしは言われるままに深呼吸をすると、包みをラウルに差し出した。

「先生、どうぞ、受け取って下さい」
「ありがとう、だが、気を遣ってくれなくていい」
「先生に食べて頂きたいんです、わたしの焼いたビスケットは好評ですよ」
「まさか、窓辺にビスケットとミルクを置いたりはしていないだろうね?」

ラウルに聞かれ、わたしは目を見開いた。

「何故、分かったの!?もしかして、先生もされた事があるんですか?」
「僕は無いが、君はそういった事が好きそうだ」

青灰色の目が面白がっている。
それは、子供っぽいという事だろうか?それとも、夢見がちな娘だと?

「ええ、好きです、妖精は本当にいますもの!」

つい、ムキになってしまった。
滅多に噛みつかないと宣言したというのに…
だが、ラウルに気を悪くした様子は無く、それこそ、子供を相手にする様に、
微笑を浮かべ、「信じるよ」と頷いた。

お医者様は嘘吐きだわ…
絶対に、信じていないもの…

「大学生が勉強で忙しいのは確かだ、君の婚約者はいつも返事が早いのかい?」

あれだけ悩んでいたというのに、すっかり忘れていた。
ラウルに話を戻され、わたしは内心で驚きつつ、答えた。

「いいえ…ですが、『会いに行きたい』と書いたんです…迷惑だったのかしら…」

「婚約者から会いたいと言われて迷惑な者はいない、というのは、僕の主観だがね。
会う為に調整をしているかもしれないね」

「はい、もう少し待ってみます、話を聞いて下さってありがとうございます、先生」

「ビスケット分にはなったかな?」

ラウルはニヤリと笑うと、手を上げ、去って行った。
わたしは笑いを抑え、その背中を見送った。


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