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11 オベール
しおりを挟む◇◇ オベール ◇◇
『ここは普段は使っていない塔なので、誰も来ません。
独りになりたい時にだけ来ていたんです』
「隠れ家という訳か、皆は心配しないのか?」
『はい、侍女にだけは行先を教えていますから、何かあれば知らせに来てくれます。
それに、数時間の事ですから。
必要な事は午前中に終わらせていますし、館の事は執事とメイド長に任せています。
皆古くから勤めていて、とても優秀なんです』
ミアの話は筋が通っていたが、何処か、違和感があった。
独りになりたいのならば、人払いをすれば良い。
使われていない塔に一人で来るなど、怖くはないのか?
老朽化していて、何か事故でもあったら、どうする気なのか?
侍女が知らせに来てくれるというが、実際、途中でミアが呼び出された事はない。
使用人たちと上手くいっていないのだろうか?
つい、悪い癖で、疑って見てしまう。
他にも色々と気になる事があった。
ピアノを習っていたが、壊れてから弾いていないとか…
普通であればピアノを修理するだろう、直せない程破損する事は考えられない。
賊に襲われでもしたか?
それに、彼女は夫の事をほとんど話さない。
フォーレ卿は一向に帰って来ないし、いつ帰るかも知らないらしい。
オベールにとって、フォーレ卿は謎の人物であり、奇妙な夫婦関係に思え、
本当は結婚などしてはいないのでは?とすら思えていた。
だが、困っていないなら、口出しはすべきではない、知られたくない事は自分にもある。
オベールは疑い深い自分を遠ざけ、極力ミアに合わせる事にした。
ミアの都合に合わせ、オベールは午後から晩餐の準備までの間、時間を空ける事にした。
午前中に伯爵の仕事を片付け、ミアとの会話を楽しむ。
長く話せる様、隠し扉の前に脚立を置き、そこに腰を掛けた。
ミアがオベールの弾くヴァイオリンを気に入ったので、いつでもヴァイオリンを弾ける様、
本を移動して置き場を作った。
晩餐には出ないので、着替える必要はなく、ミアと別れてから再び仕事に戻り、
食事が運ばれて来るまで続ける。
執筆は夜にする事が増えたが、オベールはこれまでにない充足感を得ていた。
ミアはオベールが知っている貴族令嬢たちとは違い、世間知らずで子供の様に純粋だ。
深窓の令嬢といった雰囲気がある。
だからこそ、オベールも構えなくて済んだ。
ミアの前では、左目を失う前のオベールでいられた。
それは、まるで自分を取り戻したかの様だった。
何もかも取り払い、ミアとの会話を楽しむ事が出来た。
軽やかな彼女の笑い声を耳にしているだけで、心が癒されていく。
「ご主人はまだ帰らないのか?君の様な女性を一人にしておくのは良く無いな」
オベールはつい、言っていた。
『どういう意味ですか?』
「君は若くて、魅力的で、多少世間知らずだ。
それに、恐らく、美人だろう」
声の調子、話し方…
それらから浮かんでくる女性像は、極めて清純で美しいものだった。
だが、それはミアの気に障った様だ。
『わたしは美人ではありません…』
あまり聞かない固い声に、オベールは自分の失言に気付いた。
容姿を持ち出すなど、無粋だった。自分も容姿には触れられたくないというのに…
オベールはアイマスクに触れ、それとなく、話を反らした。
「世間知らずは認めるんだな?
私なら家を長く空けない。
君の様な感じの良い女性を一人で置けば、厄介事になるに決まっている」
『厄介な事なんて、何も起きませんわ!』
彼女は想像も出来ないのだろう。
自分も昔はそうだった…
オベールは小さく息を吐いた。
「皆、そう言うが、気付いた時には巻き込まれている、そんなものだ」
◇◇
『最近、アミがわたしの食事を邪魔するんです、理由が分からなくて…
何かの意思表示でしょうか?』
その日、ミアから相談を受けた。
アミというのは、ミアが拾った迷い犬で、最初は名も付けていなかった。
オベールが名を付ける様に勧めると、彼女は《アミ》と名付けた。
《アミ》、《友達》だ。
《ミア》には、《愛される》、《最愛の》という意味がある。
彼女は寂しいのではないか?
愛されたがっているのではないか?
オベールにはそう思えた。
尤も、結婚と同時に知らぬ土地へ来て、頼りの夫も家を空けているのだから、当然とも言える。
「食事の邪魔?どんな風にだ?」
『わたしが何かを食べようとすると、体当たりをするんです。
スープや紅茶の時が多いかしら…』
寂しいとか、構って欲しいという事も考えられるが、体当たりとなれば、相当だ。
確かに、何かの意志表示に思える。
まさか…
奇妙に感じると同時に、嫌な考えが頭に浮かんだ。
オベールはそれを否定しつつ、質問した。
「君はそれを食べたのか?」
『いえ、いつも床に落とすか、引っ繰り返してしまうので、食べていません』
「銀食器は使っていないのか?」
『はい、真鍮や陶器です』
やはり、銀食器ではないか…
嫌な考えが濃厚になってくる。
「そうか…実際目にした訳ではないから、確証は持てないが…
恐らく、アミは『食べるな』と言っているんだろう」
『食べるな?』
ミアはまだ察していない様だ。
オベールは迷いながらも、それを口にした。
「無暗に怖がらせたくはないが、毒か何かが入れられているかもしれない」
『毒!?』
素っ頓狂な声に、オベール彼女には見えないというのに、「しっ」と口元で指を立てた。
「兎に角、アミが邪魔した時は、口を付けない方がいい」
『はい…だけど、信じられないわ…』
如何にも、ミアは争いごとや陰謀とは無縁そうだ。
結婚した事で、遺産相続の揉め事に巻き込まれる事もあるが…
「何か、心当たりがあるのか?」
『いえ…』
「心配だな、館を出る事は出来ないのか?
一度実家に帰るなり、信用出来る者の所へ身を寄せ、様子を見た方がいい」
『はい、そうします、暫く実家に戻ろうと思います』
実家ならば安全だろう。
オベールは頷いた。
「ああ、早い方がいい、直ぐにそこを立つんだ、ミア」
『でも、また戻って来ます!一週間後、また会って頂けますか?』
真剣な声色だ。
それは、オベールの望みでもあり、直ぐに答えた。
「会うのは構わないが、安心出来る者を連れて戻るんだ」
『はい、約束します…』
ミアの気配は消えたが、嫌な予感は消えず、部屋の中が重く感じられた。
オベールは「互いに自分に繋がる事は話さない様にしよう」と言った事を、後悔し始めていた。
実家に帰ると言ったが、実家は何処にある?
恐らく、貴族の娘だが、偽名では探す事も出来ない。
手掛かりは、《フォーレ卿》だが、社交界から遠ざかっているオベールは、その名を知らなかった。
知っていたとしても、同一人物かどうかは分からない。
扉を隔てて会話が出来ても、近くに住んでいるとは限らないのだから。
「こうしていても仕方が無い、フォーレ卿の事を調べてみるか…」
オベールはフードを被ると部屋を出た。
オベールが昼間に部屋を出る事はあまり無いので、擦れ違う使用人たちはビクリとし、
慌てて頭を下げていた。
「父は今、何処だ?」
「旦那様は書斎でございます」
オベールは足早に、書斎に向かった。
「オベール、どうした、おまえの方から来るとは珍しい事もあるものだ。
何年ぶりだ?三年か?もっと前になるか?」
父は上機嫌で、久しぶりに訪ねて来た息子をからかったが、
オベールは相手にせず、話し出した。
「父さん、《フォーレ卿》という名をご存じですか?」
「なんだ、藪から棒だな、《フォーレ卿》という名は知らないな、
この周辺では聞かない名だ。貴族か?」
「貴族か資産家でしょう、一月程前に結婚しています。
敷地内に塔を持っている様です、尤も、今は使っていない様ですが…」
「なんだ、その情報は?」と、父が怪訝な顔をした。
オベール自身、自分が変な事を言っている自覚はあった。
そもそもが、現実とは思えない現象から始まっている。
別の場所に住む者と、扉を隔てて繋がるなど、幾ら考えた所で説明は付かない。
確かなのは、それが《事実》という事だけ___
「兎に角、探してみて貰えませんか?何でも良いので、知りたいんです。
それから、《フォーレ卿夫人》の事も…」
父はまだ怪訝な顔をしていたが、「まぁ、いいだろう」と頷いた。
だが、無償でとはいかなかった。
「その代わりに、おまえには見合いをして貰うぞ、オベール」
瞬間、オベールは顔を顰めた。
だが、ミアの命が掛かっている___
出来る事をしなければ、きっと、後悔するだろう…
これ以上、後悔は増やしたくなかった。
「一人だけですよ___」
渋々ではあったが、初めての良い返事に、父は大いに満足した様だ。
堂々とそれを告げた。
「決まりだ、直ぐに調べさせる」
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