【完結】異形の令嬢は花嫁に選ばれる

白雨 音

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9 オベール

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◇◇ オベール ◇◇

オベール=ルグラン伯爵子息に不幸が降り掛かったのは、二十歳の時だった。

艶のある黒髪と深い青色の目は、彼の端正な顔立ちを一層魅力的に見せた。
その上、背は高く、程良く筋肉の付いた、男らしい体格をしている。
オベールは富にも容姿にも恵まれていたと言って良い。
社交界では、多くの令嬢たち虜にした。
オベール自身も、それを自覚し、そして好んでいた。

オベールには親が決めた美しい婚約者がいたが、
このまま彼女と結婚し、生涯を共にすると考えると、酷く退屈に思えた。
せめて、結婚をするまでは、自由でいたい。

深い付き合いは出来ないが、ダンスをしたり、話したり…
楽しい時間を過ごす事は出来る。

オベールは婚約者の相手はそこそこにして、他の令嬢、令息たちとの付き合いを優先していた。

そんなオベールを、婚約者のシスティーナ=ボワイエ伯爵令嬢は、当然、良く思わなかった。
システィーナは不満と怒りを募らせていった。
そして、程なく、それは最悪の形で爆発したのだった。

とあるパーティの最中、システィーナの従者がオベールを襲い、左目をナイフで斬り付けたのだ。
従者は直ぐに取り押さえられたが、全く悪びれず、
「システィーナ様を蔑ろにした罰だ!」と言い放った。
システィーナはと言えば、血を流し悶絶するオベールを見下ろし、高らかに笑っていた。

システィーナは精神を病んでいた様で、数日の内に施設に入れられた。
オベールの傷は深く、左目の視力は完全に失われ、大きな傷と共に塞がれた。

オベールには「他の令嬢たちと遊び回っていた所為で、システィーナが狂った」と
悪評が付いた為、彼に同情する者は皆無だった。

オベールは気付いていなかったが、これまで周囲の令嬢たちのほとんどを
虜にしていた事で、周囲の令息たちから妬まれていたのだ。
オベールが《次期伯爵》という事で、感情を表に出さなかっただけで、
それは根深いものだった。
変わり果てたオベールの容姿を、令息たちは面白おかしく話した。

「酷い傷だったよ!」
「気の毒に、完全に目が塞がってたよ!」
「恐ろしくてとても直視出来ない!」
「自業自得だな!」

オベールを見舞う振りをし、館を訪れては悪評を振り撒く…
それを知ったオベールは、人間不信となり、人を避け、部屋に閉じ籠る様になった。


時間は無情にも流れ、気付くとオベールは三十歳を迎えていた。


「おまえも三十歳だ、そろそろ普通の生活に戻ってはどうだ?
このままでは私も死ぬに死ねない」

両親が部屋に入る事は許していたが、煩く言われるのは嫌だった。
オベールは表情を崩さず、父を見る事無く、淡々と答えた。

「仕事はしています」

オベールは賢く、仕事は申し分無く出来た。
今では、伯爵の仕事の大半を、オベールが片付けている。
勿論、外に出て行う仕事以外だが。

「おまえの仕事ぶりには満足しているよ、だが、仕事だけしていれば良いという事ではない」

「最近は、我が伯爵家の歴史を纏めています」

オベールは多くの時間を部屋で過ごす為、趣味を充実させていた。
ヴァイオリンを弾く事と、歴史書を読む事、その考察を書く事だった。
試しに書いたものが認められ、何冊か本になっている。
それを知っている父は額を押さえたが、気を取り直して厳として言った。

「私が言いたいのは、そろそろ外に出て良い頃だ、という事だ」

オベールは途端、不機嫌そうに口を曲げた。

「お断りします、他人の玩具になるつもりはありません」

「おまえは悲観的過ぎる、目の傷くらい、男ならば勲章と思え」

オベールは鼻で笑った。

「私は婚約者を精神崩壊させ、施設に追いやった男ですよ、
こんなもの、大罪人の証でしかない___」

苦々しく言い、左目を隠す黒いアイマスクに触れた。
オベールは左の前髪を長く伸ばし、黒いアイマスクを着けていて、滅多に外す事は無かった。

「罪はいつか許されるものだ、それに、その姿を見せる事こそ、罪滅ぼしになるだろう」

これには反論出来なかった。
その通りで、自分が罵声を浴びせられ、社交界で爪弾きになれば、
システィーナも気が晴れるだろうと思えたからだ。
だが、どうしても、他の者たちを喜ばせる気にはなれない___

「システィーナはおまえの事など覚えてはいない、おまえもそろそろ忘れろ」

システィーナは精神を病み、施設に入って三年後、結婚している。
治療に薬を使った事で、昔の記憶は曖昧で、文字通り、オベールの事は忘れていると聞いた。

だが、オベール自身は、忘れる事が出来ない。
傷を見る度に、その時の事や、軽薄な自分を思い出し、後悔や羞恥に苛まれる。

システィーナの様に、自分も忘れられたらどれ程良いか…
そう思いながらも、一方で、忘れる事が怖かった。
忘れてしまえば、同じ事を繰り返さないとも限らない。
尤も、この傷では、それも無いか…

「オベール、おまえも結婚をしろ」

その声は厳としていて、強い意志を感じられた。
父が言いたかったのは、この事か…
父の気持ちを察する事は出来たが、応える事は難しい。

「私と結婚したいなどという、奇特な令嬢はいませんよ。
いるとすれば、財産目当てです。
その場合、我が伯爵家は破滅するでしょう、それでも、結婚をお望みですか?」

辛辣に言い連ねたが、父は慣れているのか、顔を顰める事も無かった。

「ああ、そうだ、相手が財産目当てだろうが、おまえの事だ、
みすみす破滅させられるとは思えん。
何人か候補がいるから、取り敢えずは会ってみろ、案外気が合う事もあるだろう」

「連れて来る前に、この傷の事と、嘗て婚約者を施設送りにした事を話して下さい。
それでも会いたいという女性には会いません。まともではないでしょうから」

「だったら、おまえはどんな女性となら会うというのだ?」

オベールは空を見て、頭を巡らせた。
ぼんやりとすら、浮かばない。
どんな女性にも、心惹かれそうにない。

オベールは嘆息した。

人の本性を見てから、人間不信になってしまった。
いつも疑い、どんな裏があるのかを考えてしまう。
まともに人と相対せる自信が無い。

「私は誰にも会いません、結婚は諦めて下さい」

「そんな事は許さん、伯爵を継ぐ者は、おまえしかいないんだ。
早く結婚して、私を安心させてくれ___」

オベールは父の言い分にうんざりし、思考を遠くに向けたのだった。

結婚はしない。
出来る筈がない。

私の心は、きっと、この左目と一緒に死んでしまったんだ…





「ブラーヴ!いないのか?ブラーヴ!」

オベールは何度かその名を呼び、やがて諦めた。
《ブラーヴ》は、オベールの愛犬だ。

ブラーヴを拾ったのは、オベールが二十歳の時、左目を失う一月前の事だ。
友人の令息の誘いで狩りに行った際に、誤って矢を射てしまったのだ。
幸い、掠っただけだったので命に別状は無かった。
双方探したが親犬は見当たらず、傷が癒えるには時間が掛かる為、
オベールが連れ帰ったのだった。

オベールはそれまで動物に興味が無かったが、世話をする内に、すっかりブラーヴを気に入っていた。
ブラーヴは賢く、呼べば来るし、自分の側で寛ぐ姿は愛らしかった。

オベールが左目を失い、荒れていた時も、ブラーヴは変わらず、傍にいた。
犬にとっては、顔の傷など関係無い。
オベールにとって、ブラーヴは心を許せる、貴重な存在だった。

だが、ブラーヴには、困った癖がある。
気まぐれで、人知れず館を抜け出しては、何処かで冒険をし、何食わぬ顔で帰って来るのだ。
犬は忠誠心が強いと聞くが、ブラーヴは違う様だ。
だが、幾ら離れても、結局は戻って来るので、ルグラン伯爵家を《家》と思ってくれている様だ。
相手は犬だが、縛り付ける事は出来ない。オベールはそう納得するしかなかった。

ルグラン伯爵家は広いが、オベールが呼べば、ブラーヴは何処からともなくやって来る。
呼んでも来ない時は、館にいないという事だ___

「また、何処かへ行ったのか…」

オベールは嘆息した。

父と話した後だ、オベールはささくれ立った心を、ブラーヴに癒して貰いたかった。
仕方なく、オベールはヴァイオリンに代わりを求めた。
無心になり、ヴァイオリンを弾く…
美しい音色と共に、意識は遠くへ向かった。

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