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しおりを挟む「それでは、館に帰りましょう___」
落ち着いたイレールは、一転、表情を消し、口調を変えた。
元の冷たい仮面に戻ったのだ。
「どうして、態度を変えるの?
格好をつけていないあなたの方が好きだわ」
イレールは足を止め、わたしを振り返ると、困った様に眉を下げた。
「僕は《次期伯爵》だから、威厳が無くては周囲から軽んじられる…
父から『兄さんの様にしろ』とずっと言われてきたので…」
イレールが周囲から軽んじられ易いのは確かだ。
大人しく、繊細で、優しい為、声を荒げたり、厳しくはなれない。
メイドに意地悪をされていても、言いつけたりは出来ない。
どちらかと言えば、気の弱さや優しさに付け入れられている。
仮面を被ろうと、被らなかろうと同じだろう。
イレールが《うっかり屋》と知る者にとっては、逆に滑稽に思えるのではないか?
でも、そこは、わたしが支えてあげればいいわ___
「わたしたちは夫婦だもの、夫婦の間に仮面は必要ないでしょう?
もし、あなたがこれまで通りに、わたしの前でもその仮面を被るというのでしたら、
わたしも同様に、《次期伯爵夫人》の仮面を被らなくてはなりません。
あなたの一歩後ろを歩き、媚び諂うでしょう」
わたしが澄まして言うと、イレールは縋る様にわたしを見た。
「分かりました、二人の時は気を付けます…」
イレールが神妙に言うので、わたしはつい、笑ってしまった。
「違うわ!二人の時は、羽根を休めてって言いたかったの!」
笑いが止まらないわたしに、イレールは顔を赤くし、「そうだね、ごめんね」と笑った。
◇◇
イレールと館の使用人たちは、わたしの実家に行き、わたしが帰っていないと知ると、
心当たりを聞き、周辺を探してくれていた。
だが、何処にも見つからず、イレールは動転し、闇雲に探したらしく、
行き着いた場所が何処だか分かっていなかった。
わたしはイレールの乗って来た馬に一緒に乗せて貰い、森を出た。
人を見つけ、場所を訪ねながら、何とか覚えのある町に辿り着いた。
そこから実家が近い事もあり、一旦、ボワレー男爵邸に立ち寄り、顔を見せる事にした。
両親と兄は心配していた様で、両親は館でオロオロとしており、
兄は驚く事に、わたしを探しに馬を走らせていた。
他にも、使用人たちや町の人たちが探してくれていたので、人をやって、無事を伝えた。
「おまえ!生きていたのか!?
おまえの事だ、てっきり、谷底に落ちたもんとばかり思っていたぞ!」
血相を変えて帰って来た兄は、わたしの顔を見るなり、そんな事を叫んだ。
一体、わたしをどんな風に見ているのかしら?
良い気はしないが、わたしを探しに行ってくれていた事を思えば、それも消えた。
「お兄様、心配をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした」
「その髪はどうした!?おまえ、まさか、賊に攫われていたのか?」
「それが、分からないんです、気を失っていましたから。
でも、イレール様が見つけて下さったんです!」
わたしは誇らしく兄に紹介した。
「イレール様、この度は不肖の妹が迷惑をお掛けし、申し訳ございません」
兄がイレールに深々と頭を下げる。
イレールはいつも通り、無表情で神妙に答えた。
「いいえ、私の方こそ、大事な妹君をこの様な目に遭わせてしまい、面目がありません。
ボワレー男爵家の方々にも、心配をお掛けしました。
今後はこの様な事にならぬ様、私が傍にいてアリエルを護りますので、
どうか、アリエルを連れ帰る事をお許し下さい___」
イレールの真摯な態度に、両親、兄もが心を打たれ、態度を変えた。
「あら、まぁ!私、ついときめいてしまいましたわ!」と、母は頬を赤くし、
「ああ、昔を思い出すなぁ、ドロレス…」と、父は母の腰を引き寄せた。
無神経な兄は、笑顔で言った。
「おまえ、上手くやっているじゃないか!良かったな!
エリックなんかより、余程良かっただろう?こうなるって、俺には分かってたさ!」
イレールの前で、エリックの名を出すなんて!!
わたしは睨み付けたが、兄は気付かなかった様で、調子よく続けた。
「エリックの所にも行ってみたんだが、結婚式の準備で忙しいとかで、
素気無く追い返されたよ!薄情なヤツだ!シャルリーヌはシャルリーヌで、
『結婚生活が嫌になったのね、愛の無い結婚は惨めだわ、可哀想』だとさ、
全く、呆れた連中だよ!」
エリックとシャルリーヌには呆れるよりも、「そんなものよ」と諦めが強かった。
だけど、それをイレールの前で話した兄に対しては、少々殺意が湧いていた。
余計な事を言うんだから!!
不意に、腰を抱かれ、驚いて見ると、イレールが心配そうな目でわたしを見ていた。
わたしは安心させようと口を開き掛けたが、兄が遮った。
「イレール様、アリエル、晩餐をご一緒にいかがですか?」
「お誘い、ありがとうございます、ですが、伯爵家の者たちも心配していますので」
「そうでしたね、それでは直ぐに馬車を呼びましょう___」
支払いが伯爵家という事もあり、兄は機嫌良く馬車を呼んでくれた。
「イレール、エリックの事、気にしないでね?」
「僕は、君が傷付いていないか、心配で…」
イレールの優しさが心に沁みる。
だけど、誤解は解かなくてはいけない。
「わたしは傷付いていないわ、婚約式の一週間前に彼の不貞を知り、
縁談を断られた時には、酷くショックを受けたけど、もう、何とも思っていないの」
馬車では二人きりなので、わたしはそれを話した。
「あなたとの結婚は、両親と兄が乗り気だったの。
わたしは自暴自棄で、流されたのだけど…
今は、あなたと結婚出来て良かったと思っているわ。
あなたがそう思わせてくれたのよ、イレール。
パーティで、あなたがわたしを助ける為にダンスに誘ってくれた時、
あなたが優しい人だと気付いたの、その時から、わたしはあなたを好きになった…」
わたしはそっと、彼の唇に口付ける。
跳ね付けられるかもしれないと思ったが、イレールはそれを受けてくれた。
唇を離すと、イレールは頬を赤く染めていた。
イレールがもじもじとする…
「僕は、最初の夜…君が、転んだ僕に、『大丈夫?』って声を掛けてくれて…
それから、ずっと、君を好きになり続けてる…
こんなの、気持ち悪い?」
わたしは笑った。
「そんな告白を聞いて、喜ばない女性はいないわ!
もう一度、キスしてもいい?」
わたしが聞くと、彼の方から口付けてくれた___
◇◇
デュトワ伯爵家に戻ってからが、少し大変だった。
伯爵と伯爵夫人はわたしを見て驚いた。
だが、それは、決して歓迎している訳ではなかった___
「その髪はどうした!みっともない!
それに、妻が家出をするとは、けしからん!」
「家出ではありません、気を失っていたので詳細は分かりませんが、
連れ攫われたのです」
「何て恐ろしい事!その様な汚らわしい女は、《次期伯爵夫人》には出来ませんよ!」
「そうだな、我が伯爵家の名を貶めたんだ、イレールとは離縁して貰うぞ!
援助は即刻打ち切る!!慰謝料を貰いたい位だ___」
伯爵と伯爵夫人はわたしを追い出そうとしたが、驚く事に、イレールがそれを遮った。
「私はアリエルと離縁する気はありません!」
「馬鹿を言うな!この女は賊に穢されたんだぞ!伯爵家には相応しくない!
変な病を持っているかもしれん!女なら幾らでもいるんだ、離縁しろ!
それがおまえの為だというのが、分からんのか!」
「例え、彼女の身に何があったとしても、離縁したりはしません!それが夫婦でしょう?
それに、アリエルはこの世に一人です。
私自身の為に、彼女が必要なんです、離縁しろというなら、私は館を出ます___」
イレールがキッパリと言い、伯爵、伯爵夫人は口籠った。
伯爵を継ぐのはイレールと決まっている、そのイレールが館を出れば、
恐らく、財産の全てがロクサーヌに渡り、イレールに流れる事になるのだろう…
伯爵と伯爵夫人は急に態度を軟化させ、説得に入った。
「しかし、悪評が付く…おまえは今以上に笑われるのだぞ?」
「私はこれまで、ずっと笑い者にされてきました、今更、何も思う事はありません。
それに、アリエルと一緒ならば、平気です」
イレールがわたしの手を握り、わたしに微笑んだ。
わたしは頷き、笑みを返した。
伯爵、伯爵夫人は、その後も何やら言っていたが、
結局は離縁させる事を諦めたのだった。
わたしの事を『汚らしい』という目で見ているが、わたしは気にしていない。
何故なら、わたしは自分の純潔を知っているし、
そして、イレールにも直ぐに分かる事だからだ___
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