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しおりを挟む「クリス…」
「にいさ、ん…あぁ!」
「クリス、可愛いよ、声、もっと聞かせて」
「あん!ああ!にいさん…!」
最近では、《クリス》と呼ばれる事にも、違和感が無くなり、
ランベールに抱かれる事にも慣れてきた。
自分からキスを強請る事もある。
幸せで、甘い時間…
この日々が、ずっと続く、いつしか僕は、そんな錯覚をしてしまっていた。
だが、そんな僕を嘲笑うかの様に、終わりは突然にやってきた。
◇◇
祝賀式典から、一週間が経った頃、離宮に僕を訪ねて来た者がいた。
ランベールだとばかり思っていた僕は、すっかり油断していた。
螺旋階段を急いで駆け下り、パーラーに入った僕は、そこで笑みが消えた。
そこに居たのは、黒髪の屈強な男…バースだった。
「!!」
「暫くだったが、俺を忘れていないだろうな?」
バースは鋭い目で僕を睨むと、フード付きのマントを僕に投げつけた。
「それを着て、一緒に来い!」
僕は愕然とし固まっていたが、我に返り、ぎこちなくマントを羽織ると、
バースを追い、離宮を出た。
離宮の外に停まっていた馬車に乗せられ、バースと共に王城を後にした。
馬車が向かったのは、当然、クリストフの別邸だった。
「影武者の癖に、余計な事をしたものだな、クリストフ様はお怒りだぞ!
覚悟しておけ!」
バースが脅す様に言う。
恐ろしさはあったが、『当然だ』と僕は甘んじて受ける気だった。
どの様な怒りを買っても仕方が無い事を、僕はしてしまったのだから…
ランベールが与えてくれる、あの《愛》に負けたのだ。
僕はこれまで、自分には手に入らないものだと、諦めていた。
それを目の前に差し出され…
一度でいいから、触れてみたいと思ってしまった。
それは、抗い難い誘惑だった。
その代償ならば、仕方が無い___
馬車がクリストフの別邸に入り、玄関前に停まった。
僕はフードを深く被り、バースの後を追い、別邸に入った。
バースは大股で歩いて行く。
大きな扉の前には、いつも通り、警備兵が二人立っていた。
バースは扉に向かい、声を掛けた。
「バースです、戻りました」
「入るが良い」
返事があり、両脇の警備兵が、扉を開いた。
僕たちが中に入ると、ガチャリ、後ろで扉が閉まった。
クリストフは長ソファの真ん中に座っていた。
僕を見ると、不機嫌そうに顔を顰めた。
「フン!余計な事をしてくれたな、影武者よ!
その上、王太子に取り入るとは、僕が甘かった様だな!
僕に取って代る気だったのだろうが、そうはいかないぞ!
僕こそが、第三王子クリストフである!
おまえの様な、下賤の者と一緒にされるとは、甚だ不愉快だ!
分かれば、一刻も早く、ここから立ち去るが良い!
二度と僕の前に顔を出すな!バース!こいつを修道院へ捨てて来い!」
「クリストフ様、口止めをした方がよろしいかと」
「フン!こんな奴の言う事など、誰も聞かぬわ!
それに、また役に立つ事もあろう、殺してしまうには惜しい___」
僕はバースに引き立てられ、再び馬車に乗せられた。
修道院へ戻される。
当然だ。
いや、殺されなかっただけでも、良い方だ。
実際、クリストフとバースは物騒な会話をしていた。
もう、二度と、ランベールには会えないんだ…
突然に切り離され、終わった。
承知していた筈なのに、僕は自分の内が空っぽになった気がした。
◇◇ ランベール ◇◇
愛する《クリス》が消えた。
昨夜、この胸に抱いたというのに、今日にはその姿は消えていた。
ランベールは離宮の使用人から、昼間にバースが訪ねて来て、
二人で馬車に乗り、出て行ったと聞かされ、苛立ちを禁じ得なかった。
直ぐに馬に乗り、クリストフの別邸へと向かった。
ランベールが《クリス》と初めて会った場所だ。
「無事でいてくれ…!」
クリストフの別邸に着いたランベールは、使用人たちを威圧し、
乗り込んで行った。正に、《クリス》と最初に会った日の様に。
「ランベールだ、直ちに扉を開けよ!」
鋭く命じると、警備兵はその気迫に恐れをなし、
内に居るであろう主人に声を掛けるでもなく、その扉を開いた。
主人であるクリストフは、呑気に長ソファでワイングラスを片手に寛いでいた。
「戻った様だな、クリストフ」
ランベールの不機嫌そうな声に、クリストフは顔を顰め、ワイングラスを置いた。
それから、ツンと澄ました顔で顎を上げた。
全く、《クリス》とは別人だ___
ランベールは内心で苦笑していた。
《クリス》に会った時、見た目には気付かなかったが、話すと直ぐにそれと分かった。
目の前に居る《彼》は、クリストフではないと。
それで、わざと、「クリス」と呼びかけた。
案の定、彼は当然の様に、それを受け入れた。
ランベールは一度として、弟を親し気に「クリス」と呼んだ事は無いというのに。
それに、クリストフの方も、ランベールを一度として「兄さん」と呼んだ事は無かった。
クリストフはクリストフらしく、傲慢な態度で《兄》を迎えた。
「勝手に入って来て、無礼ではないか!
幾ら王太子といえ、ここは僕の所有地だぞ!勝手はさせぬ!」
そう、これこそが、《クリストフ》だ。
呆れる程、自分の《クリス》とは違う。
ランベールは内心で嘆息しつつ、話を進めた。
「漸く帰って来たらしいね、クリストフ。
おまえが何処で何をしていたか、私が知らないとでも思っているのかい?
おまえが影武者を使っていると知り、直ぐにおまえの後を追わせた。
随分と豪遊していたそうだね?
ああ、証拠は押さえているからね、言い逃れは出来ないよ。
これが王に知れたら、おまえは僻地に飛ばされ、
こうして呑気にワインを飲む事も出来なくなるだろうね…」
「クソ!あの、役立たずの影武者が!!」
クリストフは汚い言葉で影武者を罵った。
ランベールの目が冷たくなった事にも気付かずに。
「その影武者はどうしたんだい?追い払ったのかな?」
「フン!知らないね!」
「大人しく教えた方が身の為だよ、クリストフ。
私は《彼》が無事に戻って来たら、今回の事は見逃してやってもいいと、
そう思っているんだからね」
脅しを掛けると、クリストフは顔を顰め、ランベールを睨み付けた。
ランベールは平静を装いつつも、内心では苛立っていた。
こうして、相手をするのももどかしい___
ややあって、クリストフは観念した。
「元居た修道院へ返す様、バースに命じた、今から三時間程前だ…」
「クリストフ、彼が無事に戻る様、祈っていろ!」
ランベールはそれだけ言うと、部屋を出た。
ランベールは馬に飛び乗り、別邸を後にした。
行先は分かっている。
《彼》が影武者だと知った時から、密偵を使い、調べていたからだ。
「待って居てくれ!テオドール!」
◇◇
ランベールは馬を走らせたが、バースの馬車に追いつく事は出来なかった。
いや、追いつけなかったと思ったのだ。
実際、バースは修道院へは行っていなかった。
昼夜問わず、馬を飛ばし、二日後。
修道院に着いたランベールが、テオドール=ブックの事を聞くと、
約半年前、神隠しに遭ったまま、今も行方不明中だと言われた。
丸二日、修道院で待っていたランベールだが、流石におかしいと思い、
急ぎ王都に戻った。再び、クリストフの別邸を訪ね、それを知らされた。
「修道院へ送り帰すつもりでしたが、王都に出る手前で、騒動の為に足止めに遭い、
その隙に逃げられました。直ぐに探したのですが、見つけられず…今も探しております」
「フン!見す見す撒かれるとは、情けない!それでも護衛か!
バース、あの者が無事に見つからなければ、おまえは首だ」
クリストフが冷たく言うと、バースは「御意」と頭を下げ、部屋を出て行った。
「バースも探している、直ぐに見つかるであろう」
クリストフは他人事の様に言う。
ランベールは弟の性格など、嫌という程知っていた。
「無事な姿で見つからなければ、分かっているな?
何か分かれば、知らせてくれ」
それ以外では、顔も合わせたく無いという風に、ランベールは踵を返した。
ランベールは、まさか《彼》が、バースの元から逃げ出すとは思ってもみなかった。
何故、逃げ出したのか…
修道院へ帰りたく無かったのか?
それとも、バースに酷い事をされ、命の危険を感じたのか?
それとも、自分との別れを惜しんでくれたのか___?
ランベールは少しだけ希望を持った。
自分と相対していた時の《彼》は、演技では無かったと。
『兄さんが好き』
『愛しています』
あの言葉は、本心からだと___
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