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10 /ジュール
しおりを挟むパーティの翌週、わたしは宣言通りに、マルテールの叔母の館に向けて旅立った。
ここまでは本当だが、他は違っている。
マルテールは小さな町だが、商売が盛んで、各地から商売人がやって来る為、賑わっている。
郊外には農園や牧場も多いが、叔母の館は中心部から然程離れておらず、
大きな館で悠々自適に暮らしている。勿論、牧場や畑も持っていない。
わたしがどうしてこんな嘘を吐いたのかというと、単に、ジュールにわたしを選んだ事を後悔させる為だ。
安物のワインを飲ませたり、家具を変えたり、無名の画家の絵を飾ったり…
これまでの事だけでも、ジュールはさぞ、わたしとの結婚に不安を持った事だろう。
ジュールが焦ったり、困ったりする姿を想像するだけで笑いが込み上げてくる。
「意地悪かしら?」
でも、相手は金目当てで近付いたんだし、不貞もしているし、
おまけにわたしの命と財産を狙っているんだから、多少の事は許されるわよね!
それに、散々引き延ばしはしたが、家具は返してあげた。
代わりの家具は、ジュールの敷地に館を建てて良いと言われているので、使われていない部屋に詰め込んでおいた。
勿論、引き取る気は無い。
「家具も絵も、あなたも、全――――部、捨ててやるから!」
わたしはそれを想像し、笑いが止まらなくなった。
◆◆ ジュール ◆◆
ジュール=ボワレー男爵は、パーティに出掛ける時にはこの世の春とばかりに、活き活きとしていたが、
館に帰って来た時には、すっかり別人の様に生気を無くしていた。
男爵程度では、侯爵家のパーティに招かれる事はなく、今日は、婚約者のアリスが伯爵令嬢であり、
彼女の父親が不在の為、回って来た招待だった。
ジュールは上流階級に憧れが強かった為、この話を聞いた時には、
最近あったアリスへの不満は吹き飛び、嬉々としてエスコート役を引き受けていた。
パーティ自体は、ジュールの期待した通りだったが、問題が幾つかあった。
一つは、パーティに、愛人のナターシャが来ていた事だ。
しかも、ナターシャの隣には、夫であるデュランド伯爵が付いていた。
二人の夫婦生活はほぼ破綻していると言って良かったが、表向きは普通の夫婦を装っていて、
こういった、上流階級のパーティには、二人は一緒に出席していた。
仕方がない事ではあるが、悪いのは、アリスとデュランド伯爵が顔見知りだった事だ。
アリスの父親の知り合いらしく、二人は愛想良く挨拶を交わし、ダンスもしていた。
デュランド伯爵の事は、ナターシャから良く聞いていて知っていた。
賢く、冷静で、底意地が悪く、ナターシャの散財癖に気付くや否や、財産を隠してしまった。
ナターシャは金を引き出す為には、伯爵に《お願い》をし、説得しなければならなくなった。
だが、ナターシャがどれだけ尤もらしい口実を告げても、伯爵は厳として聞き入れなかった。
『ドレスは必要です!妻が恥ずかしい恰好をしていれば、あなたが恥を掻く事になってよ?』
『ドレスならば、捨てる程あるだろう、それに、パーティに出なければドレスなど必要無い』
『パーティは付き合いですもの、出なくてはいけませんわ』
『フン、碌でも無い者たちとの付き合いなら、しない方が良い。
君が連れて来る者たちの中で、まともな者が一人でもいたか?
碌に働きもせず、財産を食い潰す者、騙して金を巻き上げる者…上げればきりがない。
デュランド伯爵夫人となったからには、手は切って貰う!』
『私には少しの自由もないというの!?幾ら夫とはいえ、横暴だわ!妻は飾り物ではないのよ!』
『飾り物でないから言っているんだ。
私は君の全てを管理する気はない、好きにしたいなら、好きにしろ。
但し、伯爵家には頼るな、それが使えるのは、私が必要と認めた時だけだ。
もし、借金をしたり、勝手に伯爵家の財産に手を付ける事があれば、即刻離縁し叩き出してやる!』
断言され、ナターシャは進退窮まった。
当て付けに伯爵の館を出て、自分の所有する館で暮らしていても、
伯爵セヴランは謝りに来ず、妻など元からいなかったかの様に、平然と過ごしていた。
セヴランは若い頃に婚約者を病で亡くしていて、以降、結婚を避けてきていた。
ナターシャとは、親族に強く勧められての結婚だった。
ナターシャは結婚当初、夜の営みを拒否していた。
セヴランが堪え切れずに強請って来るのを待ち、欲しい物を与える事で、立場を思い知らせ、操るつもりでいたのだ。
だが、幾ら経っても、セヴランは求めて来なかった。
そこで、ナターシャは考えを変え、色仕掛けに出たものの、セヴランには「疲れている」と言って避けられてしまった。
ナターシャは得意の駆け引きが上手くいかず、苛立った。
そんな事もあり、色仕掛けも通じないので、兼ねてより計画していた、夫暗殺に乗り出したのだが、悉く失敗してしまった。
敏い夫に気付かれては終わりなので、暫くは大人しくしているより他は無かった。
「まさか、デュランド伯爵とアリスが知り合いだったとはね…
それに、こうして顔を合わせてしまっては、アリスが死ねば、伯爵に疑われるんじゃないかな?」
ジュールはそれとなく、ナターシャに計画の変更を促した。
それというのも、最近アリスとの縁談を考え直し始めていたからだ。
ジュールは前妻が亡くなってからというもの、後妻となる女性を探していた。
ジュールが望むのは、自分の言い成りになり、莫大な富を与えてくれる女性だった。
パーティで運命的な出会いを演出し、相手をその気にさせるのが、彼の手だ。
勿論、引っ掛かった相手が格下だったり、金を持っていないと分かれば、
「そんな気は無かった」とさっさと切り捨てた。
そうして、出会ったのが、アリス=ブーランジェ伯爵令嬢だった。
アリスは若く、純粋で、夢見がちな娘だった。
印象的な出会いをし、甘い言葉を囁くと、彼女は恋する乙女の顔になった。
頬を染め、緑色の瞳を輝かせる___
それを見て、『落ちた』と確信したジュールは、内心でほくそ笑んだ。
その後、アリスはジュールの期待した通りに、行動してくれた。
ジュールがわざと野暮ったい服装をしていれば、上等の服を贈ってくれたし、
館に安物のワインを並べていれば、上等のワインを贈ってくれた。
ジュールがそれとなく仄めかすだけで、欲しい物が手に入る。
アリスの家、ブーランジェ伯爵家は裕福で、アリスには多額の持参金が見込まれた。
ジュールにとって、アリスは正に理想の婚約者であり、理想の結婚相手だった。
だが、何時頃からか、ジュールの筋書きから外れ始めた。
アリスが「土産です」と、ワインを持って来てからだ。
いつも通りの一級品と思い、愛人のナターシャと飲んだのだが、あまりの不味さに吹き出した程だった。
ナターシャも期待していた分、激怒していた。
『これが、ワインですって!?酷い味!!こんなの、水の方がマシよ!』
『アリスは、地方の町で手に入れた貴重なワインだと言っていたんだけど…』
『私たちの事を知って、毒を入れたんじゃないの?』
『まさか!バレる様な事は何も無かったし、そもそも、アリスは旅に出ていたんだから、気付き様が無いだろう?
きっと、町の人に騙されて買わされたのさ』
『信じ易い馬鹿娘だものね___』
その時はそれで終わったが、その後も、アリスはジュールの館の家具を、木こりが使う様な質素な木の家具と換えたり、
誰もが顔を顰めるおかしな絵をあちこちに飾る様になり、ジュールはほとほと困っていた。
「どうして急に?もしかして、わざとじゃないのか?」
そんな風に疑い、ブーランジェ伯爵家を訪れた際にそれとなく観察したが、
あの悪趣味な絵と同等の絵が、玄関ホールやパーラーに堂々と飾られているのを目にし、ジュールは絶望を味わった。
「悪夢だ…」
美意識の強いジュールにとっては耐え難く、アリスとの結婚を本気で思い直し始めた訳だが、
ナターシャは同調してくれず、説得してきた。
「ここまで来て、逃がすつもりなの?相手は裕福な伯爵令嬢なのよ?
結婚すれば、莫大な持参金が手に入るっていうのに、馬鹿馬鹿しい!
そこまで親しくはないし、セヴランは女に興味がないから、アリスが死んだって気にしないわよ」
ジュールは前妻を事故に見せかけて殺している。
アリスを殺す事に関して、躊躇いは無かったが、結婚直後に殺しては、また疑われるかもしれない。
前妻の時には上手くやったと思っていたが、疑う者がいて、
結局、決定的な証拠は出なかったまでも、疑惑を消し去る事は出来なかった。
両親の時には上手くいったのに…
ジュールは財産を手にする為、両親を手に掛けていた。
それが事の他上手くいった為、味を占めてしまったのだ。
「だとしても、結婚して一年は殺せないよ、誰かに疑われたら終わりだ」
「証拠は掴めないわよ、それに、私と結婚すれば、噂なんて直ぐに消えるわよ。
だって、私は死なないから!」
ナターシャが前向きだった為、ジュールは渋々アリスで妥協する事にした。
◆◆
アリスがマルテールに旅立ち、ジュールには解放感があった。
ジュールは早速、ナターシャの館を訪ねる事にした。
いつも通り、迎えに出たメイドに「ナターシャの従弟、フレデリク」と名乗ると、直ぐにパーラーに通された。
お茶と菓子を出され、一息吐いていた所に、いつも通り着飾ったナターシャが現れた。
「いらっしゃい、ジュール」
「ここでは、フレデリクだよ、従姉さん」
「そうだったわね、早く部屋へ来て、あなたが来るのが待ち遠しかったわ…」
目の端で他に誰もいない事を確認し、ジュールはナターシャの唇を貪った。
熱いキスの後、二人は手を繋ぎ、パーラーを出て二階のナターシャの部屋へと向かう。
「従弟と話があるの、誰も二階に来ては駄目よ___」
ナターシャは人払いをし、ジュールに向けて妖艶に微笑んだ。
「これで、私たちを邪魔する者はいないわ」
「うれしいよ、ナターシャ…」
ジュールは大きく開いた胸元に唇を押し付けた。
◆◆◆
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