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しおりを挟む十分、二十分程度経っただろうか?忘れられたのでは?と思い始めた頃に、再び扉が開かれた。
遅くなった事を詫びるでもなく、「こちらに」と案内された。
部屋に入ると、長ソファに横たわる女性が一人見えた。
豊かな金髪、白い肌、長い睫毛、真っ赤な唇…
美人かもしれないが、化粧が濃いので、測れない。
ドレスの型はシンプルだが、光沢のある紫色は目にも鮮やかだ。
それに、髪飾りに首飾り、腕輪…無駄に派手な宝飾品を着けている。
彼女が、ナターシャ=デュランド伯爵夫人?
デュランド伯爵セヴランの妻であり、わたしのジュールと不貞をしているという悪女?
ピンと来ない所か、顔を顰めそうになった。
やっぱり、セヴランの勘違いじゃないかしら?
この女とジュールが不貞をしているなんて、とても信じられないわ!
彼女ってば、下品だし、だらしないし、高慢ちきに見えるもの!
今だって、こちらをチラリと見ただけで、体を起こそうともしない。
「ふぅん、野暮ったい田舎娘だこと。
雇ってあげても良くてよ、丁度、メイドを一人首にしたから。
良いこと、あなたも首になりたくなければ、私の命にはどんな事でも従いなさい」
首にした?
一体、どんな命令をしたのかしら?
「ポム=コットンです、頑張りますのでよろしくお願い致します」
「メイドの名など、覚える気はないわ。
ほら、さっさと連れて行って、仕事をさせなさい」
軽くあしらわれ、わたしは中年メイドに連れられ、部屋を後にした。
メイドたち、使用人の住まいは別棟になる。
二階建てで、一階には居間や台所、水場があり、
二階は部屋になっていて、一人部屋ではあるが、かなり狭く、
ベッドと椅子、箪笥しか置かれていなかった。
「前のメイドが使っていた物を使って。他に必要な物があれば自分で揃えなさい」
服の寸法など、お構いなしの様だ。
わたしは内心で呆れつつ、置いてあった紺色のワンピースを着た。
そして、白いエプロンを着ける。
靴は薄く、直ぐに足を痛めそうだ。
「セヴランの口車になんて、乗らなきゃ良かった…」
みすぼらしい自分の格好をヒビの入った姿見に映し、
今更だが、後悔の念が押し寄せて来た。
「駄目駄目!!」
わたしは自分の頬を手の平で叩き、気合を入れた。
「しっかりするのよ!ジュール様の潔白を証明する為だもの!!」
それが出来るのは、わたしだけだ!!
部屋を出て、本館に向かいすがら、わたしは他の使用人たちを紹介された。
メイドはわたしを入れて五人で、中年のメイドはメイド長だった。
後は、料理長が一人、下男が一人、警備が二人。
大きな館ではないが、それにしても、使用人が少ない気がする。
散財が趣味だものね、その分、他で切り詰めているのかしら?
「仕事は私が指示しますが、当分の間はニナに付いて教えて貰いなさい」
ニナというのは、わたしと同年位のメイドだ。
わたしはニナに笑顔を向けた。
「ニナ、これからよろしくね!」
だが、ニナはニコリともせず、わたしを上から下まで見て、更に顔を顰めた。
「口の利き方に注意して、あたしは先輩なのよ?
下っ端だからって、直ぐにあたしに面倒を押し付けるんだから…
言っておくけど、仕事が出来なかったら、放り出すから!
くれぐれも、あたしの邪魔はしないでよ!」
何処へ行っても、『邪魔するな』と言われるわたしって…
わたしの脳裏に、チラリとセヴランの姿が浮かんだ。
「邪魔なんてしません!精一杯、頑張ります!」
「それじゃ、床磨きして、階段も廊下も、館の全部よ!」
館全部!?
「終わらない内は、食事はないし、休みも無いからね!」
ひぃぃ!!!
「それじゃ、さっさと終わらせなきゃ!やり方を教えて下さい!」
わたしはニナにやり方を教えて貰い、精力的に働いた。
当初の目的よりも、目先の食事が大事だわ!!
…とはいえ、わたしは生まれてこの方、《令嬢》しかしていないので、
メイドの事はまるで知らないし、仕事も十分とはいかなかった。
「ほら!汚れが取れてないわよ!しっかり力を入れなさい!」
「まだ終わっていないの?鈍臭いわね!」
「何休んでるのよ!首になりたいの!?」
齷齪働けど、結局の所、わたしの仕事は終わらず、その夜は「食事抜き」を命じられてしまった。
お腹は鳴るし、力も尽きて、床磨き処ではない。
「何か食べなきゃ、死ぬ…」
仕事が終われば、皆、別棟に戻る。
用の無い時は、本館には入っていけないという決まりもあり、館は暗く、鎮まり返っている。
まるで、この館に、わたし独りしかいないみたい…
「こんな所に独りでいて、ナターシャは怖くないのかしら?」
町の郊外で、周囲に建物はない。
「ああ、もう…無理」
空腹と疲れで、碌に思考も働かなくなってきた。
わたしはフラフラと、人気の無い調理場に入り、置いてあったバケットに齧り付いた。
もごもご…
「意外と、美味しい…」
紅茶が欲しかったが、用意するのは面倒なので、水瓶から水を汲んで喉を潤した。
「ふはーっ!ご馳走様!これだけ働いたんだから、今日はもういいわよね?」
煩く監視していたニナやメイド長も、早々に部屋に帰ってしまっている。
床磨きは明日でも出来るし、叱られるなら、明日叱られればいい___
わたしは道具を片付け、別棟に戻ったのだった。
「ドンドンドン!」
「朝よ!起きなさい!!」
翌朝、わたしは大きな音と声で目を覚ました。
眠い目を擦りながら、体を起こし、狭い部屋を見回し、再びベッドに倒れた。
ああ、悪夢続行中だわ…
昨日の床磨きで、体中が痛い。
今日も扱き使われるのかと思うと、うんざりしたが、お腹は空いている。
「起きないと、朝食抜きよ!!」
その声に、わたしはビクリとして飛び起きた。
「取り敢えず、朝食を食べてから、考えよう…」
わたしは紺色のメイド服に着替え、白いエプロンを着け、髪に適当に櫛を通しておさげに結び、部屋を出た。
部屋の外では、ニナが怖い顔で腕組をして立っていた。
「おはようございま…」
「遅いわよ!今日は起こしてあげたけど、明日からは自分で起きるのよ!
寝坊したら朝食は抜きだからね!」
食い気味に怒鳴られた。
寝ぼけた頭にはこの位で丁度良いが…
過酷過ぎる…
「新入りの朝は、水汲みよ!」
わたしは桶を持たされ、庭に追い立てられた。
桶で水を汲み、調理場や水場の水瓶に運ぶ。
特別な技術は必要無いが、かなりの労力を使うので、寝起きの体にはキツク、わたしはヘトヘトになった。
それでも、「朝食よ!」と声が掛かった時には、気持ちが上向いた。
「やっと、食べられる!」
使用人たちは、調理台に並べられた料理をトレイに取り、調理場の隅で食べる事になっている。
「新入りは最後よ」と言われたので、わたしは後尾に付いた。
余計に取る者もいたが、幸いにして、残っていた。
バケット、ジャム、果実、紅茶。
もう少し欲しい所だけど、朝食だものね、昼食に期待するわ!
朝食が終わると、わたしはニナに連れられ、洗濯物を集めて周った。
洗濯場には大きな桶があり、湯を入れ、灰汁を入れた所に、洗濯物を入れて掻き混ぜたり、擦ったりする。
わたしは勿論、洗濯なんて初めてで、見よう見真似でやったが、ニナにはけちょんけちょんに貶された。
「しっかり擦らないと、汚れが落ちないでしょう!」
「いつまでやってるの!終わらないわよ!」
「仕事は遅いし、不器用だし、使えない人ね!」
わたしの仕事ぶりが気に入らないニナは、他のメイドたちに「聞いてよ!この子、全然使えないのよ!」と悪口を言って周り、
わたしはメイド二日目にして、落ちこぼれメイドの烙印を押されてしまった。
「まぁ、わたしはメイドになるつもりはないから、いいんだけど」
わたしには《令嬢》が向いている。
令嬢のわたしに、陰口を叩く人なんていないんだから!
昼食は無事に貰えたが、誰もわたしとは目を合わせようとせず、
顔を合わせて「クスクス」と笑っていた。
「碌に仕事もしていないのに、食事はするのね」
「しかも、人一倍!」
「最近の若い子は図々しいわよねー」
わたしに聞こえる様に言ってきて、感じが悪い。
何て意地悪なの!
ウチのメイドも裏ではこんな風なのかしら?
そうだったら、ガッカリする。
わたしは嫌な気分になったが、聞こえない振りをして、バケットのサンドイッチに齧り付いた。
下手だろうと、不十分だろうと、動いた分は食べるわよ!!
昼からは、再び床磨きをさせられた。
先日と同様に、なんだかんだとケチを付けられ、責め立てられ、仕事は終わらず、
夜には「食事抜き」を言い渡され、独り残されてしまった。
だが、二日目ともなれば、わたしにも余裕があった。
結局の所、勝手に仕事を終えて帰っても、文句は言われなかったし、
調理場の食材を貰っても、バレていなかった。
「結構、いい加減よね」
わたしにとっては好都合だけど!
わたしはさっさと掃除道具を片付け、調理場に忍び込んだ。
「そろそろ、お肉が食べたいんだけど…」
肉の塊は見つけられても、調理場の仕事は手伝わせて貰っていないので、やり方が分からない。
紅茶を淹れるので精いっぱいだった。
「床磨きより、調理を手伝いたいわ…
でも、そうしたら、お腹が鳴って、仕事処じゃないかしら?」
わたしはこれまで、大食という訳では無かったが、メイドを始めて以降、驚く程食欲が増していた。
「自分でも驚くけど…きっと、頑張っている証拠ね!」
わたしはバケットにジャムとバターをたっぷりと塗り、頬張った。
誰も労ってくれない分、自分が労ってあげなきゃね!
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