上 下
1 / 12

しおりを挟む

わたしは、アリス=ブーランジェ伯爵令嬢、十九歳。

容姿は《傾国の美女》とはいかないけど、艶のある豊かな赤髪に、白いモチ肌。
夏の若葉を思わせる明るい緑色の瞳、小さな鼻に口の端が上がった唇…と、中々に愛嬌のある顔だと思う。
身長は高過ぎず、低過ぎず、太り過ぎても、痩せ過ぎてもおらず、丁度良い頃合いだろう。

家は裕福な方で、「これまで不自由した事は?」と聞かれても、欠片も出て来ない。
同年代の貴族令嬢たちが集う貴族学校に通い、去年そこそこの成績で卒業した。
デビュタントも友人たちと一緒に、去年終えている。

特に目立った処はなく、多くの令嬢たちの中の一人、それが《わたし》と言える。

そんなわたしの《夢》は、やはり、多くの令嬢たちと同じで、
運命で結ばれた人と出会い、結婚して、愛に溢れた家庭を築く事___だ。


「けどさー、姉さん、《運命の人》って、どうやったら分かるの?間違えたりしない?」

五歳年下の弟ライアンには分からない様だ。
わたしはそれを教えてあげる事にした。

「《運命の人》に出会えば、それと分かるのよ、
それが、《運命》ってものだもの!」

ライアンは顔を顰め、頭を傾げたが、
『十四歳の男の子には理解出来ないわよね』と、わたしは温かい目を向けた。

「あなたも、もっと、大人になれば分かるわよ!」


そんな事を話していたなー…
わたしは目の前の男性を、茫然と見ながら、そんな事を思い出していた。

パーティ会場の熱気に当てられて、少し涼むつもりでテラスに出て来た処、
会場に戻ろうとしていた男性と肩をぶつけてしまった。
顔を上げるとそこには、優しいチョコレート色の瞳があって…
周囲には誰もおらず、ただ、夜の静寂だけがわたしたちを包んでいた。
これは、そう、まるで…

「これって、運命?」

「え?」

聞き返され、わたしは心の声が漏れていた事に気付き、慌てて手で口を覆った。
いやだわ!はしたなかった?ああ、どうか、幻滅しないで!!
わたしは内心で焦っていたが、彼は…

「失礼しました、大丈夫でしたか?」

口元に微笑みを浮かべ、優しく声を掛けてくれた。

とっても、感じの良い人…
それに、声の感じも柔らかくて、しかも、わたしを気遣ってくれるなんて!なんて優しい方なの!

「はい、大丈夫です…」

夢見心地で、ぼんやりと答えたわたしは、ふと、それに気付いた。
彼のタキシードの胸が濡れている!
彼の手にあるグラスは、ほとんど空だ___
そこから導き出された答えに、わたしは一転、顔を青くした。

「まぁ!申し訳ありません!わたしとぶつかった時に汚されたのですね?
弁償させて頂きます___」

「この位、構いませんよ、直ぐに乾きますからね。
それより、良かったら、僕と踊って頂けませんか?」

わたしは自分が何を答えたのか、覚えていない。
だが、次の瞬間には、わたしは彼と手を重ね、踊っていた。

踊りながら、彼がわたしを見つめ、甘く微笑む…

ああ!この気持ちはなに?

どきどきして、無性にうれしくて、自然に、微笑んでしまう___


◇◇


わたしがパーティで運命の出会いを果たしたのは、ジュール=ボワレー男爵、二十七歳。
三年前に家族を失い、爵位を継いだ、若き男爵だ。

わたしは無理を言って、汚してしまったタキシードを預かり、綺麗にしてから、ジュールに返しに行った。
自責の念から…という事ではなく、ジュールとの縁を繋げる為だ。
そして、その目的はすんなりと叶った。

ジュールはとても喜んでくれ、お茶に誘ってくれた。

「君の様に優しく、誠実な令嬢を、僕は知らないよ!
君にはもう、決まった人がいるかな?
実は、一目見た時から君に惹かれていたんだけど、今日会って、想いは強くなるばかりで…
僕にはもう、チャンスは無いかな?」

夢の様な求愛に、わたしは何処までも舞い上りそうになったが、何とか引き止め、返事をした。

「いいえ、決まった人なんて…いません。
わたしも、一目見た時から、あなたに惹かれていました…」

わたしは普段、どちらかと言えば、はっきりとしたタイプなのだが、
恋愛事に関してはまるで経験もなく、借りてきた猫の様になっていた。
拙い自分が恥ずかしくもあったが、彼は気にしていない様で、顔を明るくし、喜んでいた。

「それじゃ、僕たちは同じ気持ちだったんだね!?
ああ!夢みたいだよ!」

わたしも、夢みたいよ!


それから、わたしは両親に話し、ジュールに会って貰った。

「真面目そうだし、良いじゃないか」
「そうね、感じも良いし、社交的だし、それに、男爵だもの」

両親はわたしの結婚相手には、《貴族》を望んでいたので、男爵のジュールは心証も良かった。
話はとんとん拍子に進み、わたしたちは一月の間に婚約をしていた。

わたしとしては直ぐにでも結婚したかったが、「子が出来たのでは?」とか、
「両親に内緒で付き合っていたのでは?」とか、
変な疑いを掛けられる事もあるという事で、結婚は一年後という事になった。

「ゆっくり結婚式の準備が出来るし、婚約期間を楽しむのも良いわよ。
私ももっと楽しみたかったわー」

わたしの母と父は、家同士が決めた結婚だった為、婚約期間を楽しむ余裕は無かったらしい。
結婚後から、お互いを知り、関係を築いた訳だが、それは上手くいき、
二人は二十年経った今も、仲良し夫婦だ。

「わたしね、お父様とお母様みたいな、仲の良い夫婦になりたいの!」

互いを思いやり、尊重し、年を重ねる度に、愛を重ねていきたい。

「あなたとジュールなら、絶対に大丈夫よ」

母のお墨付きに、わたしは「ふふふ」と笑い、肩を竦めた。


きっと、大丈夫!

だって、わたしはジュール様を愛している!
それに、ジュール様もわたしを愛してくれている!

ジュール様は、わたしの《運命の人》だもの!


◇◇


婚約をして以降、わたしはジュールが出席するパーティには、極力出席する様にした。

婚約者にエスコートして貰うのは、憧れだったし、一緒にいられる事がうれしい。
それに、ジュールの傍にいて『彼は自分のものだ』と、他の令嬢たちに知らしめなくてはいけない。

「ジュール様はとっても素敵だもの!結婚するまでは油断出来ないわ!」

やっぱり、直ぐにでも、結婚しておくべきかしら?
ふっと弱気になったが、わたしは強く頭を振った。

「もっと自信を持つのよ!アリス=ブーランジェ伯爵令嬢!
大丈夫、わたしたちは、互いに《運命の相手》だもの!」

もし障害があっても、撥ね退けてやるわ!

わたしは自分を奮い起こした。


パーティ会場に入って、一番にする事は、ジュールを探す事だ。
だけど、キョロキョロとしてはいけない。
そわそわしている事を周囲に気付かれては、野暮ったいし、品性を疑われてしまう。

「ジュール様と結婚したら、わたしは男爵夫人になるんだもの!」

上品に、上品に…
わたしはそれとなく目を動かし、周囲を伺った。
そして、男性たちと談笑している彼の姿を捕らえた。

ジュール様!

思わず声を掛けたくなってしまうが、礼儀に反するので、我慢しなくてはいけない。
わたしは内心、そわそわとした気持ちを抑えつつ、彼の方に歩みを進めた。

だが、思わぬ邪魔が入った。

「アリス!」

わたしは二人の令嬢に行く手を阻まれた。
貴族学校からの友人、ステファニーとリリアンだ。

「アリス、聞いたわよ!あなた、婚約したんでしょう?おめでとう!」
「アリス、婚約、おめでと~!でも~、話してくれても良いのにぃ!」
「そうよ!抜け駆けなんてズルイわよ!紹介してくれるんでしょう?」

二人の目が輝いている。
ステファニーとリリアンには、まだ婚約者はいない。
わたしはニンマリと笑った。

「勿論よ!二人には一番に紹介したかったの!」

わたしたちが「キャッキャ」とはしゃいでいると、ジュールの方が気付き、こちらに来てくれた。

「アリス、来ていたんだね!」
「ジュール様!」

ジュールの優しい微笑みに、わたしは反射的に頬が赤くなった。
わたしはジュールと軽い抱擁を交わし、友人を紹介した。

「ジュール様、こちらは、わたしの貴族学校時代からの友人の、
ステファニー=ゲーリン伯爵令嬢、リリアンヌ=ペレス男爵令嬢です」

「アリスの婚約者の、ジュール=ボワレー男爵です、アリスと仲良くしてくれてありがとう」

ジュールに微笑まれ、ステファニーとリリアンは頬を染め、挨拶をしていた。
二人もジュールを気に入った様で、彼が席を外した時、「素敵な人ね~!」「アリスが羨ましい!」と言ってくれた。
だが、近くにいて声が聞こえたのか、貴族学校から何かと因縁のある、ロアナ=バシュレ伯爵令嬢が鼻で笑った。

「あなたたち、心からそう思っているの?だったら、正気を疑うわ!
社交的ではあるけど、美形じゃないし、それに、身に着けているものが安っぽいわ。
きっと、彼、貧乏貴族ね」

ムッ!!

ロアナは貴族学校時代から、呼んでもいないのに顔を出し、
余計な事を言って空気を悪くするので、悪目立ちしていた。
勿論、顔見知り程度で、友達などではない。

「贈り物も期待出来ないわね、違う?」

ムムッ!!

わたしは何か言ってやろうとしたが、ステファニーとリリアンの方が早かった。
二人は一歩、ロアナに詰め寄った。

「お生憎様!相手が貧乏貴族でも、アリスの家は裕福だから問題ないわ!」
「ロアナは、相手がお金持ちで美形じゃなきゃ、結婚しないの~?」
「ロアナの御目に叶う相手って、どんな人かしらね?ロアナの婚約発表を楽しみにしているわ!」

ロアナは顔を顰めた。

「私は親切で言ってあげたのよ!」
「余計なお世話ですー」
「今のはぁ、親切って言わないよね~」

多勢に無勢で、ロアナはフン!と鼻を鳴らし、スカートを翻して立ち去った。

「やったね!」

わたしたちは笑顔で、互いの手の平を打ち合ったのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子エンドを迎えたはずのヒロインが今更私の婚約者を攻略しようとしているけどさせません

黒木メイ
恋愛
日本人だった頃の記憶があるクロエ。 でも、この世界が乙女ゲームに似た世界だとは知らなかった。 知ったのはヒロインらしき人物が落とした『攻略ノート』のおかげ。 学園も卒業して、ヒロインは王太子エンドを無事に迎えたはずなんだけど……何故か今になってヒロインが私の婚約者に近づいてきた。 いったい、何を考えているの?! 仕方ない。現実を見せてあげましょう。 と、いうわけでクロエは婚約者であるダニエルに告げた。 「しばらくの間、実家に帰らせていただきます」 突然告げられたクロエ至上主義なダニエルは顔面蒼白。 普段使わない頭を使ってクロエに戻ってきてもらう為に奮闘する。 ※わりと見切り発車です。すみません。 ※小説家になろう様にも掲載。(7/21異世界転生恋愛日間1位)

やって良かったの声「婚約破棄してきた王太子殿下にざまぁしてやりましたわ!」

家紋武範
恋愛
 ポチャ娘のミゼット公爵令嬢は突然、王太子殿下より婚約破棄を受けてしまう。殿下の後ろにはピンクブロンドの男爵令嬢。  ミゼットは余りのショックで寝込んでしまうのだった。

逆行転生した侯爵令嬢は、自分を裏切る予定の弱々婚約者を思う存分イジメます

黄札
恋愛
侯爵令嬢のルーチャが目覚めると、死ぬひと月前に戻っていた。 ひと月前、婚約者に近づこうとするぶりっ子を撃退するも……中傷だ!と断罪され、婚約破棄されてしまう。婚約者の公爵令息をぶりっ子に奪われてしまうのだ。くわえて、不貞疑惑まででっち上げられ、暗殺される運命。 目覚めたルーチャは暗殺を回避しようと自分から婚約を解消しようとする。弱々婚約者に無理難題を押しつけるのだが…… つよつよ令嬢ルーチャが冷静沈着、鋼の精神を持つ侍女マルタと運命を変えるために頑張ります。よわよわ婚約者も成長するかも? 短いお話を三話に分割してお届けします。 この小説は「小説家になろう」でも掲載しています。

悪役令嬢は、いつでも婚約破棄を受け付けている。

ao_narou
恋愛
 自身の愛する婚約者――ソレイル・ディ・ア・ユースリアと平民の美少女ナナリーの密会を知ってしまった悪役令嬢――エリザベス・ディ・カディアスは、自身の思いに蓋をしてソレイルのため「わたくしはいつでも、あなたからの婚約破棄をお受けいたしますわ」と言葉にする。  その度に困惑を隠せないソレイルはエリザベスの真意に気付くのか……また、ナナリーとの浮気の真相は……。  ちょっとだけ変わった悪役令嬢の恋物語です。

婚約破棄された公爵令嬢は監禁されました

oro
恋愛
「リリー・アークライト。すまないが私には他に愛する人が出来た。だから婚約破棄してくれ。」 本日、学園の会場で行われていたパーティを静止させた私の婚約者、ディオン国第2王子シーザー・コリンの言葉に、私は意識が遠のくのを感じたー。 婚約破棄された公爵令嬢が幼馴染に監禁されて溺愛されるお話です。

悪役令嬢に転生しましたがモブが好き放題やっていたので私の仕事はありませんでした

蔵崎とら
恋愛
権力と知識を持ったモブは、たちが悪い。そんなお話。

あなたを愛するつもりはない、と言われたので自由にしたら旦那様が嬉しそうです

あなはにす
恋愛
「あなたを愛するつもりはない」 伯爵令嬢のセリアは、結婚適齢期。家族から、縁談を次から次へと用意されるが、家族のメガネに合わず家族が破談にするような日々を送っている。そんな中で、ずっと続けているピアノ教室で、かつて慕ってくれていたノウェに出会う。ノウェはセリアの変化を感じ取ると、何か考えたようなそぶりをして去っていき、次の日には親から公爵位のノウェから縁談が入ったと言われる。縁談はとんとん拍子で決まるがノウェには「あなたを愛するつもりはない」と言われる。自分が認められる手段であった結婚がうまくいかない中でセリアは自由に過ごすようになっていく。ノウェはそれを喜んでいるようで……?

お姉様は嘘つきです! ~信じてくれない毒親に期待するのをやめて、私は新しい場所で生きていく! と思ったら、黒の王太子様がお呼びです?

朱音ゆうひ
恋愛
男爵家の令嬢アリシアは、姉ルーミアに「悪魔憑き」のレッテルをはられて家を追い出されようとしていた。 何を言っても信じてくれない毒親には、もう期待しない。私は家族のいない新しい場所で生きていく!   と思ったら、黒の王太子様からの招待状が届いたのだけど? 別サイトにも投稿してます(https://ncode.syosetu.com/n0606ip/)

処理中です...