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しおりを挟むわたしは、アリス=ブーランジェ伯爵令嬢、十九歳。
容姿は《傾国の美女》とはいかないけど、艶のある豊かな赤髪に、白いモチ肌。
夏の若葉を思わせる明るい緑色の瞳、小さな鼻に口の端が上がった唇…と、中々に愛嬌のある顔だと思う。
身長は高過ぎず、低過ぎず、太り過ぎても、痩せ過ぎてもおらず、丁度良い頃合いだろう。
家は裕福な方で、「これまで不自由した事は?」と聞かれても、欠片も出て来ない。
同年代の貴族令嬢たちが集う貴族学校に通い、去年そこそこの成績で卒業した。
デビュタントも友人たちと一緒に、去年終えている。
特に目立った処はなく、多くの令嬢たちの中の一人、それが《わたし》と言える。
そんなわたしの《夢》は、やはり、多くの令嬢たちと同じで、
運命で結ばれた人と出会い、結婚して、愛に溢れた家庭を築く事___だ。
「けどさー、姉さん、《運命の人》って、どうやったら分かるの?間違えたりしない?」
五歳年下の弟ライアンには分からない様だ。
わたしはそれを教えてあげる事にした。
「《運命の人》に出会えば、それと分かるのよ、
それが、《運命》ってものだもの!」
ライアンは顔を顰め、頭を傾げたが、
『十四歳の男の子には理解出来ないわよね』と、わたしは温かい目を向けた。
「あなたも、もっと、大人になれば分かるわよ!」
そんな事を話していたなー…
わたしは目の前の男性を、茫然と見ながら、そんな事を思い出していた。
パーティ会場の熱気に当てられて、少し涼むつもりでテラスに出て来た処、
会場に戻ろうとしていた男性と肩をぶつけてしまった。
顔を上げるとそこには、優しいチョコレート色の瞳があって…
周囲には誰もおらず、ただ、夜の静寂だけがわたしたちを包んでいた。
これは、そう、まるで…
「これって、運命?」
「え?」
聞き返され、わたしは心の声が漏れていた事に気付き、慌てて手で口を覆った。
いやだわ!はしたなかった?ああ、どうか、幻滅しないで!!
わたしは内心で焦っていたが、彼は…
「失礼しました、大丈夫でしたか?」
口元に微笑みを浮かべ、優しく声を掛けてくれた。
とっても、感じの良い人…
それに、声の感じも柔らかくて、しかも、わたしを気遣ってくれるなんて!なんて優しい方なの!
「はい、大丈夫です…」
夢見心地で、ぼんやりと答えたわたしは、ふと、それに気付いた。
彼のタキシードの胸が濡れている!
彼の手にあるグラスは、ほとんど空だ___
そこから導き出された答えに、わたしは一転、顔を青くした。
「まぁ!申し訳ありません!わたしとぶつかった時に汚されたのですね?
弁償させて頂きます___」
「この位、構いませんよ、直ぐに乾きますからね。
それより、良かったら、僕と踊って頂けませんか?」
わたしは自分が何を答えたのか、覚えていない。
だが、次の瞬間には、わたしは彼と手を重ね、踊っていた。
踊りながら、彼がわたしを見つめ、甘く微笑む…
ああ!この気持ちはなに?
どきどきして、無性にうれしくて、自然に、微笑んでしまう___
◇◇
わたしがパーティで運命の出会いを果たしたのは、ジュール=ボワレー男爵、二十七歳。
三年前に家族を失い、爵位を継いだ、若き男爵だ。
わたしは無理を言って、汚してしまったタキシードを預かり、綺麗にしてから、ジュールに返しに行った。
自責の念から…という事ではなく、ジュールとの縁を繋げる為だ。
そして、その目的はすんなりと叶った。
ジュールはとても喜んでくれ、お茶に誘ってくれた。
「君の様に優しく、誠実な令嬢を、僕は知らないよ!
君にはもう、決まった人がいるかな?
実は、一目見た時から君に惹かれていたんだけど、今日会って、想いは強くなるばかりで…
僕にはもう、チャンスは無いかな?」
夢の様な求愛に、わたしは何処までも舞い上りそうになったが、何とか引き止め、返事をした。
「いいえ、決まった人なんて…いません。
わたしも、一目見た時から、あなたに惹かれていました…」
わたしは普段、どちらかと言えば、はっきりとしたタイプなのだが、
恋愛事に関してはまるで経験もなく、借りてきた猫の様になっていた。
拙い自分が恥ずかしくもあったが、彼は気にしていない様で、顔を明るくし、喜んでいた。
「それじゃ、僕たちは同じ気持ちだったんだね!?
ああ!夢みたいだよ!」
わたしも、夢みたいよ!
それから、わたしは両親に話し、ジュールに会って貰った。
「真面目そうだし、良いじゃないか」
「そうね、感じも良いし、社交的だし、それに、男爵だもの」
両親はわたしの結婚相手には、《貴族》を望んでいたので、男爵のジュールは心証も良かった。
話はとんとん拍子に進み、わたしたちは一月の間に婚約をしていた。
わたしとしては直ぐにでも結婚したかったが、「子が出来たのでは?」とか、
「両親に内緒で付き合っていたのでは?」とか、
変な疑いを掛けられる事もあるという事で、結婚は一年後という事になった。
「ゆっくり結婚式の準備が出来るし、婚約期間を楽しむのも良いわよ。
私ももっと楽しみたかったわー」
わたしの母と父は、家同士が決めた結婚だった為、婚約期間を楽しむ余裕は無かったらしい。
結婚後から、お互いを知り、関係を築いた訳だが、それは上手くいき、
二人は二十年経った今も、仲良し夫婦だ。
「わたしね、お父様とお母様みたいな、仲の良い夫婦になりたいの!」
互いを思いやり、尊重し、年を重ねる度に、愛を重ねていきたい。
「あなたとジュールなら、絶対に大丈夫よ」
母のお墨付きに、わたしは「ふふふ」と笑い、肩を竦めた。
きっと、大丈夫!
だって、わたしはジュール様を愛している!
それに、ジュール様もわたしを愛してくれている!
ジュール様は、わたしの《運命の人》だもの!
◇◇
婚約をして以降、わたしはジュールが出席するパーティには、極力出席する様にした。
婚約者にエスコートして貰うのは、憧れだったし、一緒にいられる事がうれしい。
それに、ジュールの傍にいて『彼は自分のものだ』と、他の令嬢たちに知らしめなくてはいけない。
「ジュール様はとっても素敵だもの!結婚するまでは油断出来ないわ!」
やっぱり、直ぐにでも、結婚しておくべきかしら?
ふっと弱気になったが、わたしは強く頭を振った。
「もっと自信を持つのよ!アリス=ブーランジェ伯爵令嬢!
大丈夫、わたしたちは、互いに《運命の相手》だもの!」
もし障害があっても、撥ね退けてやるわ!
わたしは自分を奮い起こした。
パーティ会場に入って、一番にする事は、ジュールを探す事だ。
だけど、キョロキョロとしてはいけない。
そわそわしている事を周囲に気付かれては、野暮ったいし、品性を疑われてしまう。
「ジュール様と結婚したら、わたしは男爵夫人になるんだもの!」
上品に、上品に…
わたしはそれとなく目を動かし、周囲を伺った。
そして、男性たちと談笑している彼の姿を捕らえた。
ジュール様!
思わず声を掛けたくなってしまうが、礼儀に反するので、我慢しなくてはいけない。
わたしは内心、そわそわとした気持ちを抑えつつ、彼の方に歩みを進めた。
だが、思わぬ邪魔が入った。
「アリス!」
わたしは二人の令嬢に行く手を阻まれた。
貴族学校からの友人、ステファニーとリリアンだ。
「アリス、聞いたわよ!あなた、婚約したんでしょう?おめでとう!」
「アリス、婚約、おめでと~!でも~、話してくれても良いのにぃ!」
「そうよ!抜け駆けなんてズルイわよ!紹介してくれるんでしょう?」
二人の目が輝いている。
ステファニーとリリアンには、まだ婚約者はいない。
わたしはニンマリと笑った。
「勿論よ!二人には一番に紹介したかったの!」
わたしたちが「キャッキャ」とはしゃいでいると、ジュールの方が気付き、こちらに来てくれた。
「アリス、来ていたんだね!」
「ジュール様!」
ジュールの優しい微笑みに、わたしは反射的に頬が赤くなった。
わたしはジュールと軽い抱擁を交わし、友人を紹介した。
「ジュール様、こちらは、わたしの貴族学校時代からの友人の、
ステファニー=ゲーリン伯爵令嬢、リリアンヌ=ペレス男爵令嬢です」
「アリスの婚約者の、ジュール=ボワレー男爵です、アリスと仲良くしてくれてありがとう」
ジュールに微笑まれ、ステファニーとリリアンは頬を染め、挨拶をしていた。
二人もジュールを気に入った様で、彼が席を外した時、「素敵な人ね~!」「アリスが羨ましい!」と言ってくれた。
だが、近くにいて声が聞こえたのか、貴族学校から何かと因縁のある、ロアナ=バシュレ伯爵令嬢が鼻で笑った。
「あなたたち、心からそう思っているの?だったら、正気を疑うわ!
社交的ではあるけど、美形じゃないし、それに、身に着けているものが安っぽいわ。
きっと、彼、貧乏貴族ね」
ムッ!!
ロアナは貴族学校時代から、呼んでもいないのに顔を出し、
余計な事を言って空気を悪くするので、悪目立ちしていた。
勿論、顔見知り程度で、友達などではない。
「贈り物も期待出来ないわね、違う?」
ムムッ!!
わたしは何か言ってやろうとしたが、ステファニーとリリアンの方が早かった。
二人は一歩、ロアナに詰め寄った。
「お生憎様!相手が貧乏貴族でも、アリスの家は裕福だから問題ないわ!」
「ロアナは、相手がお金持ちで美形じゃなきゃ、結婚しないの~?」
「ロアナの御目に叶う相手って、どんな人かしらね?ロアナの婚約発表を楽しみにしているわ!」
ロアナは顔を顰めた。
「私は親切で言ってあげたのよ!」
「余計なお世話ですー」
「今のはぁ、親切って言わないよね~」
多勢に無勢で、ロアナはフン!と鼻を鳴らし、スカートを翻して立ち去った。
「やったね!」
わたしたちは笑顔で、互いの手の平を打ち合ったのだった。
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