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しおりを挟む8歳で前世の記憶を思い出したわたしは、剣を捨て、ドレスを着た。
もう、一生、剣は握らない!と、心に固く決めたわたしだったが…
令嬢としての英才教育は、思った以上に辛く、困難を極め…
多大なストレスとなり、わたしに襲い掛かってきた。
熱を出し、数日魘され続けたわたしは、目が覚めた時、長い棒を握っていた。
棒を振り、稽古をすると、不思議と心が晴れた。
重く圧し掛かっていたストレスも消えた。
そんな訳で、わたしは、ストレスを乗り越え、理想の令嬢となる為に、
隠れて剣術を続けている。
隠れている理由は、『令嬢らしくない』からだ。
それに、知られると、家族がまた騒ぐ。家族にはそろそろ子離れして欲しいものだ。
「わたしも、もう19歳よ?
ちょっとした事でお祭り騒ぎをするのは、そろそろ止めて欲しいわ!」
カン!カン!カン!!
わたしは感情に任せ、木刀を振る。
こうなると、稽古ではなく、単なる鬱憤晴らしだ。
エルネストはそれを見事に打ち返して来た。
流石、7年もわたしの相手をしている事はあり、この程度では余裕そうだ。
最初は酷い腕前だったが、良くここまで成長したものだと感心する。
エルネストは素材は良いのよね…
「子離れは賛成ですね、あなたの家族は大甘ですからね、
まぁ、娘ともなれば、そうなるものなのでしょう…」
カンカンカン!!
「エルネスト、あなたの両親はどうなの?
あなた、ここに来てから、一度も家に帰って無いでしょ?薄情ではなくて?」
カンカン!!カン!!
「男子は家になど、帰ったりしないものです、何かを成し遂げるまでは…」
カン、カン…
あまり触れて欲しく無い事らしい、エルネストの木刀が力を弱めた。
何か事情があるのは分かっている。
エルネストは、出会った時から、正体不明の者なのだから___
「甘い!!」
カーーーン!!
わたしはエルネストの木刀を、力任せに払い飛ばした。
エルネストは息を吐き、木刀を拾いに行った。
「何を成し遂げる気でいるの?ここに居て、出来る事なの?」
「どうでしょうか、それを探し続けているんですよ」
「見付けたら、あなたは、ここを出て行くの?」
そんなの、嫌だわ…
稽古の相手が居なくなるもの。
「私よりも、あなたが出て行く方が先かもしれませんよ。
あなたも19歳ですからね、今朝、婚約の打診が来ていました___」
婚約の打診!??
わたしの内にあった不安は、その言葉で、一瞬にして吹き飛んだのだった。
「何故、それを早く言わないのよ!相手は誰!?イケメン!?
何歳!?仕事は何をしているの!?ああ、でも、大事なのは、人柄よね!
わたしの好みは、明るく爽やかで…」
前世の初恋の君を思い浮かべ、語っていた。
「随分、具体的ですね、どなたか想う方がおられるのですか?」
「ま、まさか!単なる理想よ!」
「それなら、そんな物は捨て置きなさい、理想など求めると碌な事はありませんよ」
今日のエルネストは、いつもに増して、辛辣だ。
恋愛で何か良く無い思いをしたのかもしれない。
だけど、それは仕方ない事だ、エルネストは理屈っぽいし、煩いんだもの!
いや、もしかして、辛い失恋が、彼をこんな偏屈男にしたのだろうか?
「気の毒そうな目で見るのは止めて貰えますか、お嬢様」
しまった、気付かれた!!
「恋に恋する世間知らずな令嬢には分からないでしょうが、
あなたの理想に合致する者など、世界の隅から隅まで探しても存在しません。
それを念頭に置いておけば、どんな相手だったとしても、それ程ガッカリはしないでしょう」
この、根暗!!!
「まぁ、いいわ、それで、どんな方なの?」
「ドロン侯爵子息のフレデリク様です、二十五歳」
「それだけ?」
「はい、それだけです」
「肖像画は見たの?」
「あれ程信憑性の無いものも無いでしょう」
「って事は、肖像画はあるのね!?
エルネスト、今日の稽古はここまでよ!直ぐ、館に戻るわよ!!」
わたしは庭師の小屋に木刀を隠し、急ぎ足で館に戻ると、
その足で父の書斎に押し掛けた。
「お父様!わたしに婚約の打診があったのですって?
詳しくお話を聞かせ下さい!肖像画はどちらですか!?」
大きな机に向かっていた父は顔を上げると、温和な笑みを見せた。
「リリアーヌ、元気そうだね、そうなんだよ、相手はドロン侯爵子息で、
フレデリク、二十五歳だ。おまえは評判も良いからね、これは良縁だよ」
わたしの後でエルネストが鼻で笑ったが、
今は機嫌が良いから、気付かなかった事にしてあげるわ!
わたしの評判が良いのには、理由がある。
社交界デビューした後、わたしは数える程しかパーティに出ていない。
憧れの煌びやかな世界!と、最初こそ胸躍らせ出席したものの…
実質、パーティはというと、年頃の令嬢たちが血眼となり、結婚相手を探し、
争う場だった。
目立てば叩かれ、格上に君臨する令嬢に背けば除け者にされ、
悪評を流される…強き者に巻かれ、弱き者を挫く…なんとも、見苦しい。
だが、逆らう事は許されない、逆らう事は貴族社会で死を意味する___
それを知り、わたしは嫌気が差し、パーティから手を引いた。
そこまでして獲たいものなど無い。
良縁を捕まえるチャンスは減るが、幸い、わたしは伯爵令嬢だ。
伯爵である父の力で何とかして貰おうと、他力本願に考えていた。
そんな内情を知らない者たちは面白がり、
『パーティに出席しない伯爵令嬢』を噂の種にしていた。
最初は、病弱だとか、気弱だとか言われていたらしいが、
誰かが『美人だった』と言った事から、わたしは気付けば『深窓の令嬢』、
『儚気な美女』などと噂される様になったのだった。
勝手に美化されるのは迷惑だが、悪い事では無いので、放置していた。
時々、館を訪れる者があれば、微笑み、優雅な挨拶をする程度で引っ込む…
これは噂を意識しての、意図的な演技だが、
わたしだって、一度位は、か弱い女性に見られたいのだ!許したもれ!
「…これが肖像画だよ」
父に渡された額に入った油絵を、わたしは期待を持ち眺めた。
金髪で、青い目。
イケメンで、甘い笑み…
それを見つめていると、不意に、前世の初恋の君を思い出した。
「運命だわ…」
「何か言ったかね?リリアーヌ?」
「この方こそ、わたしの運命の相手だわ!
ああ、会いたかった!わたしの王子様!!」
わたしのこの感動が分かるだろうか?
彼こそが、今世での運命の相手だと、天から啓示を受けたのだ!
だが、感動に打ち震えているわたしに、デリカシーの無い男たちは…
「気に入ったのなら、話を進めようね」
「しかし、まずは身辺調査をしてみなくては…」
「必要かね?」
「はい、侯爵の子息が、お嬢様なんかに婚約の打診をして来るのですから、
何か理由がある筈です…」
失礼ね!!
わたしはエルネストの磨かれた靴を踏んでやったが、無視された。
「分かった、エルネストに任せよう、頼んだよ」
「御意」
『御意』とか言ってんじゃないわよ!!
わたしはエルネストを押し退けた。
「お父様!身辺調査など、失礼ですわ!このお話、直ぐに進めて下さい!
わたしは彼を気に入りました!彼こそが運命の相手だと、神の啓示が降りたのです!
この上、何が必要ですの?」
エルネストが鼻で笑う。
「神の啓示とは、あなたはいつから聖女になったのです?
それは、年頃の娘にありがちな、都合の良い暗示というものですよ。
大方、初めての求婚に浮かれ舞い上がっているだけでしょう。
悪い事は言いません、ここは大人の言う事を聞いておきなさい」
浮かれた小娘で悪かったわね!!
エルネストが大人とか、臍で茶が沸くわ!
「お父様!神の啓示とエルネスト、どちらを信じるのです!?」
「ですから、それは神の啓示では無いと言っているでしょう。
旦那様、世間知らずの娘の言う事など、聞く必要はありません」
わたしとエルネストに迫られた父は、困った挙句、エルネストに身辺調査を頼み、
そして一方で、婚約話を進める事にした。
「もし、フレデリクに問題が出てきたら、そこで話は打ち止めにしたらいいからね。
出来れば、婚約前に済ませてくれるかい、エルネスト」
父の大岡裁きに、エルネストは姿勢を正し、「御意」と礼をしたのだった。
わたしは、フレデリクの肖像画を貰い、部屋に持ち帰った。
ベッドに座り、額縁の中の彼に話し掛けた。
「ごめんなさいね、フレデリク様、エルネストは悲観的で慎重過ぎる所がありますの。
きっと、過去に辛い目に遭ってるんだわ、お許し下さいね」
美しい金髪に、優し気な青い目、甘い笑み…
見れば見る程、うっとりしてしまう。
それに、やはり、前世の初恋の君に似ている。
「西洋風にして、成長させたら、きっとこんな感じね!」
今世でも彼に出会えるなんて、きっとわたしの願いが叶ったのね!
神様ありがとう!ハレルヤ!!
◇◇
エルネストが身辺調査に出てしまったので、わたしの稽古の相手が居なくなってしまった。
「エルネストってば、自ら行く事は無いのに!
伯爵家の財産を使えば、密偵位、幾らでも雇えるわ!」
密偵は幾らでもいるが、わたしの稽古の相手は、エルネストしかいないのだ!
「きっと、エルネスト様ご自身で調査なさりたかったんですよ、
秘密が洩れてはいけませんし、エルネスト様は完璧主義者ですから!」
わたしの問いに答えたのは、お茶を運んで来た、わたし付きの侍女マーゴだ。
彼女は二十一歳、未婚、この館で雇われて三年目になる。
平民だが、裕福な家らしく、教育を受けている。
素朴で大らか、真面目に働く良い子だ。
「確かにそうね、エルネストは完璧主義者だわ。
でも、身辺調査なんて必要無いと思わない?そんなの、相手に失礼よ!」
わたしは優雅にスコーンを半分に割ると、ジャムを乗せ頬張った。
もぐもぐ、うん、美味しいわ、流石、伯爵家の料理長ね!
礼儀作法は十分身に着いているが、前世からの大食漢は治らない。
ついつい、手が伸びてしまう。
「さぁ、あたしには分かりませんけど、でも、実物が肖像画の通りかどうかは気になりますね!」
マーゴが茶色の目をくるりとさせる。
肖像画と実物は掛け離れている事が多い。
皆、見栄を張りたがるものだ。
ドロン侯爵家に届いているだろう、わたしの肖像画も、少しだけ盛っている。
花束を持たせ、可憐な淑女風に仕上げさせた。
だけど…
わたしは壁に掛けた肖像画をうっとりと眺めた。
「きっと、実物はもっといいわよ…」
ああ、彼に思いを馳せると、胸がいっぱいになるわ…
もぐもぐ…
「リリアーヌ様、素敵な方に見染められて、良かったですね!」
「ええ、でも、これは運命なの、マーゴは信じる?」
「ふふ、恋をすると、皆そう言いますよ」
恋…
そうかもしれない。
わたしは、前世からずっと、彼に恋をしているんだわ…
「ああ、早く彼に会いたいわ!」
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