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しおりを挟む結婚式の後、部屋に引き籠ったわたしに、お茶の時間に毎回、ケーキを出してくれた。
それは、見た目も味も、夢の様なケーキで…心を癒してくれる物だった。
頭の中には、自分が食べた、あの可愛らしく夢の詰まったケーキがあった。
「きっと、グエンも癒されるわ!」
わたしはそれを想像し、ケーキ焼かせて貰おうと、料理長に頼んだ。
「カップケーキを焼いてみたいのですが、よろしいですか?」
「カップケーキ?お茶用のケーキなら町で買って来ているだろう?」
アリスの頃も、館で出されるケーキや菓子のほとんどは、町で買った物だった。
館の料理長は料理をメインに作っていて、ケーキや菓子は専門では無い。
自分たちが食べる分には十分だったが、主人や客人用には、見映えの良い
菓子職人の作ったケーキや菓子を用意するのが常だった。
「はい、お世話になっているお礼に、旦那様に作って差し上げたくて…」
「構わんが…フェリシア、旦那様の気を引こうとしているなら、止めた方がいい。
伯爵様と町娘では釣り合わんよ、それに以前にも旦那様の気を引こうとした者がいたが、すぐに追い出された。
旦那様は堅物というか、そういった事が嫌いでね…
仕事を失いたくないなら、余計な事はしない事だ…」
料理長は忠告してくれたが、わたしの気持ちは変らなかった。
何もしないままいれば、二月後には追い出されるだろう。
カップケーキは何かの切っ掛けになる筈だ___
わたしは、館に置いてある料理本から、カップケーキの作り方の載った物を探し出した。
古い本だが、味は変らないだろう。
『彼女は料理が上手くはなくてね…いつも焦げていたり、爆発していたり…
どの様に料理したら、これ程…おかしな物が作れるのかと…』
以前聞いたグエンの評価は気にしない事にし、わたしはケーキ作りを開始した。
料理はほとんどした事が無いが、薬を作るのとそう変わらないだろう。
材料を用意し、レシピ通りに作業するだけ…
「簡単だわ」
わたしが目指すのは夢の様なアイシングとクリーム、果物で飾ったケーキだ。
グエンが喜ぶ顔を思い浮かべながら、わたしはケーキを焼いたのだった。
だが、二時間後、作り方通りに作った筈だったが、
出来上がった物は、想像とは酷く掛け離れていた。
「何故かしら…」
生地は黒くなってしまったし、手でしっかりと持てる。
「ケーキって、こんな風だったかしら?」
アイシングはだらりとし、固まらず、淡いピンク色の筈が、鮮やかに発光している。
「凄い色ね…」
毒キノコを思い出す様な色だ。
『これを旦那様に…』と料理長に願い出るのは、少々憚られた。
だが、折角作ったのだ。
お茶の時間になり、ワゴンをパーラーへ運ぶ際、
わたしはそれを、お茶用のケーキスタンドの端に、こっそり乗せておいた。
もしかしたら、選んでくれるかもしれない…そう期待して。
だが、それは、思わぬ形で叶ってしまった。
テーブルにお茶が運ばれ、ケーキスタンドが置かれると、グエンはそれに直ぐに気付いた。
手にしていたカップを置いたかと思うと、「料理長を呼びなさい!」と厳しい声を上げた。
メイドのポーリーが青くなり部屋から走って出た所で、わたしは声を掛けた。
「旦那様、お気に召しませんでしたでしょうか?」
「僕はケーキが特別好きな訳ではない、注文を付けた事は今まで無かった。
だが、この様な物を出すとは、正気を疑う、どういう経緯でこうなったのかを聞かなくてはいけない___」
「それは、こちらのケーキの事でしょうか?」
わたしは気まずく、自分がこっそり乗せたケーキを手で指した。
グエンは当然だという態度で頷いた。
「ああ、そうだ!君にも分かるだろう?これは…ケーキと呼べる物ではない、
いや、そもそも、食べ物と呼ぶべき物か僕には判断し兼ねる代物だ。
この、正気を疑う奇妙な物を料理長が作ったと言うなら、即刻首だ!
買って来たというなら、二度とその店では注文しない!」
グエンがここまで感情的になるのは珍しい。
それに、驚く程、良く喋っている…
こんなグエンを見るのは初めてで、わたしはポカンとし、それを聞いていた。
だが、料理長が責められてはいけないと、わたしは我に返り、申し出た。
「旦那様、こちらのケーキは、料理長が作った物ではありません、
わたしが作らせて頂きました」
「なんだって!?」
今度はグエンがポカンとする番だった。
考えもしなかったのだろう、彼は口を開いたまま、固まっていた。
「この、得体の知れない…その、ケーキと呼ぶに相応しくない…
見るからに怪しげな物を…その、君が作ったというのか?フェリシア」
久しぶりに名前を呼んで貰った事で、ケーキを貶された事はすっかり頭から消え去り、わたしは思わず微笑んでいた。
「はい、旦那様へ感謝を込めて、作らせて頂きました。
初めてなので、あまり上手には出来ませんでしたが、
もし、お気に召して頂けたらと思い、内緒で置かせて頂きました」
グエンが唖然とした時、料理長が青い顔をし、駆け込んで来た。
「だ、旦那様、何かございましたでしょうか?」
「いや、その…呼び出してすまなかった」
「は、はい…?」
「料理長、君の料理にはいつも満足している、ありがとう」
グエンの言葉に、料理長は歓喜し、笑顔で部屋を出て行った。
だが、わたしを見たグエンは、顔を顰めていた。
「君は…余計な事をするものではない、
もし、僕だけじゃなく、客がいて、これを見たらどう思う?
客にこの様な物を出すのかと、腹を立てるか、こんな物しか用意出来ないのかと、笑われるだろう」
「それでは、寝室の方にお運びしてよろしいですか?」
「は!?何故、そうなるのだ!」
「旦那様は、お客様を心配しておられる様ですので、
寝室でしたら、ご覧になるのは旦那様だけです。
気に入って頂けたら、召し上がって下さい。
もし、気に入らなければ、わたしが責任を持って食します」
「止めなさい、こんな物を食べては、お腹を壊すぞ!」
グエンが顔を顰める。
だが、わたしは自分が作ったので、変な物が入っていない事は知っている。
卵、小麦粉、砂糖、バター…そんな物で、お腹を壊す筈がない。
「大丈夫です、見た目こそは失敗してしまいましたが、材料は確かですし…」
「ああ、材料は確かだろう…」
「そこまでの事はないと…」
わたしはカップケーキを手に取り、一口、口に入れた。
ガリ!!
「おい!何か変な音がしたぞ!吐き出すんだ、フェリシア!!」
「あ、いえ…ボリボリ…少し、苦いだけです…ボリボリ」
「それは、焦げているんだ、お腹を壊すぞ!」
「どうしてでしょうか、甘い筈なんですが…変な味がします…んん!!」
わたしは堪らず、手で口を塞ぎ、部屋から飛び出したのだった。
最初のケーキ作りは失敗してしまったが、
グエンは「作るのを止めろ」とは言わなかったので、
わたしは自分が提案した通り、グエンの寝室にカップケーキを届ける事にした。
難しいのはタイミングで、お茶や食事の邪魔にならない様…
晩餐後から寝支度をするまでの間に、隙を見て届ける事にした。
『気に入って頂けたら、召し上がって下さい。
もし、気に入らなければ、わたしが責任を持って食します』
そう言っておいたので、良い出来でなければ、グエンは食べてくれないだろうと思っていた。
だが、彼は毎日、一口か二口、食べてくれていた。
わたしは、朝、皿を下げに入り、減っているケーキに喜んだ。
きっと、もっと上手になれば、もっと食べて貰えるだろう___
わたしはそんな風に夢を描き、鼻歌を歌いながら、ケーキを焼いていた。
「随分楽しそうだな、フェリシア」
突然声を掛けられ、わたしは驚きのあまり、鉄板を落としてしまった。
ガシャン!!
折角焼いたカップケーキが台無しだ。
「ああ!」
わたしは落ちて崩れたカップケーキの事で頭がいっぱいで、
何も考えずに、それを素手で掴んでしまった。
「熱っ!!」
「馬鹿!!」
グエンはさっと、わたしを抱え上げと、そのまま外の水場へ運んで行った。
「手を出しなさい!」と手を出させ、水を掛けてくれた。
「暫くそうしていなさい!痕が残ったらどうする!」
グエンが厳しい声で言う。
わたしは肩を落とした。
「すみません…」
「いや、驚かせたのは僕だ…謝るのは僕の方だ、すまなかった」
グエンが後悔の色を滲ませる。
そんな顔をさせたい訳では無かったのに…
わたしは、「えいっ」と、彼の顔に水を掛けた。
「うわ!!何をするんだ!」
「それで、覗いた事は許して差し上げますわ!」
わたしが笑うと、グエンは顔を顰め、ハンカチで水を拭うと、唇を歪め苦笑した。
「あれは君が悪いんだ、君が奇妙な菓子ばかり作るから…
どうやったらあんな物が作れるのか、誰でも気になる」
「それでしたら、一緒に作ってみられますか?
あなたは、わたしがどれだけ真剣で、そしてレシピ通りに作っているか、
お分かりになりますわ!」
「面白い、賭けてもいいが、僕は君よりも数段上手く出来るだろう」
グエンが上着を脱ぎ、シャツの袖を捲ったので、わたしは思わず笑ってしまった。
調理場に戻り、わたしはグエンに「それでは不十分です」と堅い口調で、
彼に使い古されたエプロンを着けてあげた。
全く似合っていない所が笑いを誘うのだが、グエンに悪いのでわたしは口を引き結んだ。
「まず、使う物、材料を揃えます。量は、その都度計量しております、
このレシピはカップケーキ6個分ですので、わたしは半数の量を計算しております。
三個作り、一番良い物を旦那様に差し上げております」
わたしは仰々しくレシピ本を開いて見せた。
グエンも難しい顔で真面目に頷く。
「成程、結構だ、続けてくれ」
「卵は卵白と卵黄に分けます、卵白は泡立て、途中で砂糖を入れます」
「待て、フェリシア、それは砂糖ではない、デンプン粉だ」
「デンプン粉?それでは、小麦粉ですか?」
「いや、デンプン粉はデンプン粉であって、小麦粉ではない」
「まぁ!白いので、てっきりお砂糖だと思ってましたわ!
旦那様は物知りですわね、それでは、砂糖を取って下さい」
グエンは棚からそれを探し出し、取ってくれた。
「旦那様、計量して入れて下さい、その間に、わたしは泡立てますので」
「ああ…待っていろ、半数だな…」
グエンはまるで研究者の様に、真剣に測っている。
お陰で、卵白はすっかり泡立ってしまった。
「旦那様!お早くして下さい!」
「急ぐなら先に測っておけ!」
グエンは文句を言いつつも、それをもう泡立ってしまった卵白の中に入れた。
「失敗していたら、旦那様の所為ですわね」
「僕の所為にするな、そもそも君は、砂糖を知らなかったじゃないか!」
わたしは肩を竦め、卵黄の方を掻き混ぜ始めた。
「旦那様、砂糖を入れて下さい」
「また、砂糖か?入れ過ぎじゃないのか?」
「それから、香料を」
「香料とはなんだ?」
「きっと、良い匂いのするものです、
旦那様が食べるのですから、旦那様のお好きな物を入れて下さい」
「それは、本当にレシピに書いているのか?」
「ええ、概ねその様に」
グエンは顔を顰め、レシピ本を覗いている。
「ああ、レモンやハーブか…おい、粉末と書いているぞ、
何故君は作り始める前に用意しておかない…」
グエンがぶつぶつと言いながら、すり鉢を出してきている。
「でも、レシピの途中で出て来るのですもの」
「馬鹿な事を!毎日作っていて、君は何も思わないのか?」
「ええ、わたしは手早いですから、途中で何が出てきても対処出来ますわ」
「それ程、優秀には見えないが…」
グエンは尚もぶつぶつと言いながら、それを細かく磨り潰すと入れてくれた。
それから、レシピ本を読んでいる様だった。
グエンは先に材料を計量していく様だ。
「旦那様、小麦粉ですわ」というと、直ぐに出て来る。
その後は滞りなく、生地が出来上がり、それをカップに移していく。
鉄板に乗せ、窯に入れて、後は焼けるのを待つだけだ。
「旦那様、お疲れ様でした」
わたしがお茶を出すと、グエンは「ああ」と言い、それを飲んだ。
「美味い…」
「紅茶を淹れるのは得意ですわ」
「いや、そうじゃない…」
グエンの顔から、厳しいものが消えている。
彼はぼんやりと周囲を眺め、それからわたしに目を合わせ、笑った。
「気晴らしをさせて貰った、礼を言うよ、フェリシア」
その柔らかな笑みに、わたしは心の中で喜んだ。
良かった、少しだけど、彼の心を解く事が出来た…
「旦那様は、もっと感情を出されると良いですわ、抑え込まれる方が、周囲に心配を掛けるものです。
たまには、思い切り、叫ばれるとよろしいですわ」
「そんな事をしたら、正気を疑われる」
彼は嫌そうな顔をし、頭を振った。
「誰にも知られたくないのでしたら、山にでも登りますか?ピクニックもよろしいですわ」
「ピクニックで鬱憤を叫ぶなど、考えられない、ピクニックとは寛ぐものだ」
「なら、ピクニックをなさってみて下さい、最後にピクニックに行かれたのはいつ?」
グエンは再び厳しい顔になり、素っ気無く零した。
「ピクニックはしない」
触れてはいけない事だったのだろうか…
「あの、旦那様…」
「おい、変な匂いがしないか?」
「ああ!忘れてましたわ!ケーキを焼く時には、加減を覗きながら焼かなくてはいけないらしく…」
「いいから、早く出しなさい!」
慌てて出してみると、三つの内、二つは見事に黒く焦げていた。
だが、一つはなんとか食べられそうだ。
「ああ、良かった!旦那様、一つは成功ですわ!」
わたしが得意気にそれを見せると、グエンはなんともいえない、呆れた顔をし…
「全く、君は…」と言った後、大きく笑った。
グエンが「余計な事はしない方がいい」と強く主張するので、
そのカップケーキはアイシングをせずに、食べる事になった。
グエンは調理場で、そのままそれを口にする。
「うん、美味いじゃないか、漸く食べられる物が出来たな、
君も食べてみなさい」
グエンは、口を付けていない処を、皿に分けてくれた。
わたしはそれを口に入れる。
それは、想像とは全く似ても似付かない物だったが、不思議と美味しく感じられた。
きっと、グエンもそうなのだろう。
彼は満足そうに食べている。
わたしは頬を押さえ、「とっても美味しいですわ!」と答えた。
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