【完結】白い結婚はあなたへの導き

白雨 音

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三日が経つ頃には、わたしとマリユスは、良好な関係を築く事が出来ていた。
グエンの目にどう映っていたかは知らないが、
友の様に、だが、親しくなり過ぎない距離感に、わたしたちは満足していた。

「皆さんのお陰で、素晴らしい休暇を送る事が出来ました、
特に伯爵夫人にはお世話になりました、また是非、寄らせて下さい、グエン」

マリユスは何も知らず、笑顔で馬車に乗り、去って行った。

彼を見送ったその夜、晩餐を終え、グエンはわたしをパーラーへ誘った。
コーヒーが運ばれた後、彼はメイドや執事を下がらせた。

「マリユスは良い青年だ」

徐に彼が言い、わたしは構えた。
心の中で祈る。

どうか、最後まで冷静にいられますように、この危機を乗り越えられますように…

「…真面目で誠実で、しっかりしている、安心出来る相手だ。
年も君に合う、結婚すれば、君たちは似合いの夫婦になるだろう…」

わたしは指を固く組み、息を吸った。

「あの方は、わたしを女性として見ていませんわ…
あの方にとって、わたしはあなたの妻です」

「君にその気があるなら、その辺は僕が上手く話そう、大丈夫だ」

「止めて下さい!」

わたしは声を上げ、彼の言葉を遮っていた。

「わたしは、そんな気はありません…
どうか、わたしの相手を探そうなんて、考えないで下さい!
わたしは嫌です!お願いですから、わたしをこのまま、この館に…
あなたの傍に置いて下さい!」

「アリス…」

グエンの戸惑いが伝わってきた。
きっと、彼にも分かってしまっただろう、わたしが、彼を愛していると…
わたしは覚悟を決め、顔を上げた。

「わたしを愛してくれなくても構いません、
ただ、わたしは、あなたの傍にいたいんです…!」

それだけでいいから…

だが、グエンはその黒い髪を振った。
その顔は、辛そうに歪んだ。

「君を傍に置く事は出来無い…君は、フェリシアに似過ぎている」

「奥様の代わりで構いません!」

決して、フェリシアに成り代わる気など無い。
わたしは、彼への想いが強く、自分が何をしようとしているかも分かっていなかった。
ただ、彼の傍にいたかったのだ___

「あなたが望むようにします、フェリシアになれというならわたしは…」

「止めなさい!」

グエンが厳しい声で遮った。
わたしはその激しさにビクリとした。
その灰色の目には怒りが浮かんでいて、わたしは怖くなった。

彼に嫌われてしまった___!

わたしは立ち上がると、パーラーを飛び出した。

わたしは必死で走っていた。
苦しさに足が縺れ、倒れるまで…

「はぁ、はぁ…は…っ」

わたしは芝生の地面にうつ伏せ、息を繰り返す。
頭は少し冷静になったが、それで何か救いがある訳でもない。
わたしは拳を地面に打ち付けた。

ああ!わたしは、なんて事を言ってしまったんだろう!

許してなんて貰えない___!!

わたしは後悔と絶望に襲われ、涙を零した。

「ニャー」

猫の鳴き声に、わたしは顔を上げた。
目の前にシュシュがいて、わたしは驚きに涙が止まった。

シュシュは一枚の小さな紙を咥えると、わたしに見せた。
わたしに読めと言っているかの様なその仕草に、わたしの手は自然とそれに伸びていた。

紙を受け取り、それに目を落とす。

【グエン=ミュラー伯爵の愛が欲しい?】

「欲しいわ…」

こうなっても、尚、わたしはあの方からの愛を望んでしまう。
なんて浅ましいのだろう___

【ならば、往きなさい】

そこには、古代文字で呪文が書かれていた。
古代文字は魔法学園で習っていた事もあり、
それはわたしにも読む事の出来る物だったが、意味までは分からなかった。
古代の魔法だろうか?
怪しい魔法かもしれない。
それに、紙に書かれている事も、変だ…

『グエン=ミュラー伯爵の愛が欲しいか』なんて…どうして…

だが、遠くで「アリス!」と自分を呼ぶ声を耳にし、わたしはそれに賭けた。
わたしは古代文字の呪文を読み上げた。


「______!!」


その瞬間、シュシュの姿が人の姿に変化した…
それは、ストロベリーブロンドの髪に、緑色の目の…

わたし?

いや、もっと、年上の女性だ…

「フェリシア…?」

茫然とし、呟くわたしに、彼女が振り返り、その目を合わせた。
そして、その口が何かを囁いた。


目の前が白く光り、わたしはその光に包まれていた___


フェリシアがどうして?

この、呪文は、もしかして、彼女の罠___!?

いや!!助けて!!助けて___!!


◇◇


目を覚ますと、優しく明るい光が目に入って来た。
わたしは質素な夜着を着せられ、ベッドに寝かされていた。

「ああ、良かった、目を覚まされて!酷い熱で、二日も意識が無かったんですよ、
旦那様にお知らせして来ますね…」

メイドが慌しく部屋を出て行き、わたしは体を起こした。
見知らぬ部屋だが、それが豪華である事は分かった。
大きく、温かなベッドは、光沢のある薄い布の天蓋付き。
部屋に置かれているチェストの飾り、絵画、調度品は美しく芸術的だ。
わたしがぼんやりとそれを眺めていると、扉が開き、
黒い紳士服姿の若い男性が、颯爽と部屋に入って来た。
黒髪に灰色の瞳、厳しい顔つきをしていて、わたしはビクリと身を竦めた。
すると、それに気付いたのか、彼は困った様な戸惑った表情になった。

「怖がらせるつもりはない…この館には、君に危害を加える者はいない、
安心しなさい」

だが、大の男に見降ろされ、ぶっきらぼうに言われるのだから、
怯えずにいるのは無理だ。

「困ったな…」

男は嘆息すると、腕を組み、頭を傾げた。
それが本当に困っている様に見え、わたしは少しだけ警戒を解いた。

「あの…わたしは、どうしたのでしょう、どうして、わたしは、ここに?」

「君は二日前、この館…ミュラー邸の西側にある池の側で倒れていた。
主治医が言うには、夜の内から倒れていたらしい…
朝、僕が見付けた時には、君は酷い熱で危険な状態だった。
助かったのは奇跡だぞ」

彼はまた厳しい表情になる。
だが、わたしはそれをぼんやりと聞いていた。

「君は酷い恰好で…何処からか逃げて来たのだろう…
ここへ逃げ込んだのなら、助けない訳にもいかない。
助けられるかどうかは分からないが、君の話を聞こう、話してみなさい___」

『これは義務だ』と言わんばかりに促される。
だが、わたしは頭を振った。

「わ、わかりません…」

「分からないって?君は靴を片方しか履いていなかった、
手も足も泥だらけで、服は焦げ…怪我が無かったのが不思議な位だ、
それなのに、分からないというのか?
君に不利になる事はしない、怖がらずに正直に話してみなさい___」

責められ、わたしは震え、頭を振った。

「わかりません!わからないの!わたしは…誰ですか?」

わたしが彼に向かい、問うと、その灰色の目は大きく見開かれた。


直ぐに主治医が呼ばれ、わたしは診察を受け…記憶喪失と診断された。

「記憶を失くしていますね、頭を打ったか、高熱の所為でしょう…」

グエナエル=ミュラー伯爵と名乗る彼は、腕組みをし、厳しい顔で診断を聞いていた。

「先生、記憶喪失というのは…彼女が嘘を吐いている可能性は?」

主治医は頭を振った。

「いいえ、身に付いている事は覚えているので、生活するには多少困る
程度でしょうが、記憶に関しては全くありません。
記憶は明日戻るかもしれないですし、一生戻らないかもしれません、
頭の病ですから、こればかりはなんとも…」

老年の主治医が頭を振り、漸く彼、伯爵は認める事にしたらしい。
主治医が部屋を出て、伯爵は厳しい顔から、困った顔になった。

「記憶が無いのでは、不安だろう、暫く置いてやりたいが、
生憎、この館には女性がいない、悪評が立っては君の為にならない。
急ぎ、君を預かってくれる者を探す、その間だけ、この館に居る事を許可しよう。
何かあればメイドに言いなさい」

伯爵は言うだけ言うと、部屋を出て行った。
わたしはどうしたら良いのか分からず、不安になり、ベッドから降りた。
わたしは無意識に彼を頼り、追っていた。
だが、体は重く、いう事をきかない。
わたしは部屋から出た所で力尽き、倒れ込んでしまった。

「…っ!!」

「きゃ!大丈夫ですか!?」

メイドが驚いた声を上げる。
そのお陰で、彼も気付き、足を止め、振り返ってくれた。
わたしは喜びと安堵で口元が緩んだ。
尤も、伯爵の方は厳しい表情で、眉間に皺を寄せていた。
足早に戻って来た彼は、その恐ろしい表情のまま、わたしをさっと、抱き上げた。

「!?」

あまりに軽々と抱き上げられた事に、わたしは驚いていた。

「全く、何をしている!君は熱を出し、二日も寝ていたんだぞ!
今日は大人しくベッドで寝ていなさい…お腹が空いているのか?」

伯爵はわたしを、まるで荷物の様に運ぶとベッドに下ろし、寝具を掛けた。
そして、それに思い当たったらしい。
わたしは自分のお腹を手で擦った。
お腹が空いているのかどうか、自分でも分からなかった。
そうしているわたしに痺れを切らしたのか、伯爵はメイドを呼ぶと、
病人が食べる様な食事と、紅茶を用意するように命じていた。

「食事をして、ゆっくり体を休めなさい___夕方、様子を見に来る。
分からない事はメイドに聞く様に、ベルを鳴らせば来てくれる。
他に質問は?」

「わたしの、なまえ…」

伯爵が口元を引き結ぶ。
彼は腕組をし、難しい顔で悩み出した。
それから、「ああ…」と顔を上げた。

「君の事は、フェリシアと呼ぼう、僕が君をみつけた時、うわ言で呟いていた。
君に何か関係する名だろう、耳にしていれば、記憶が戻るかもしれない、
どうだ?」

わたしが呟いていたなら、わたしの名では無いだろう。
だけど、記憶を戻るようにと考えてくれた彼の気持ちがうれしかった。
わたしは笑みを見せ、頷いた。

「ありがとうございます、伯爵」

彼も安心したのか、口元を綻ばせた。
だが、それに気付き、一瞬後、彼はまた口元を引き締めた。
そして頷くと、さっと踵を返し、肩を怒らせ、部屋を出て行った。

ぶっきらぼうで、怖そうだけど…
でも、優しい方…

それが、わたしの彼への最初の印象だった。


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