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しおりを挟むその日の午後、館に馬車が着いた。
グエンの客だと聞いていたが、暫くして、わたしも呼ばれた。
「アリス、彼は従弟のマリユス=ヘンリー、伯爵家の三男だ」
紹介されたのは、グエンの父親の妹の息子で、彼はまだ年若い…
二十三歳の青年だった。
「マリユスです、三日程、お世話になります」
突然の事だったが、主であるグエンが決めた事だ。
それに見るからに礼儀正しく、気の良さそうな青年で、
ルイーズたちとは違い、問題を起こす様には見えなかった。
「グエンの妻、アリスです、ようこそおいで下さいましたマリユス様」
わたしは彼を歓迎し、握手を交わした。
「僕は忙しいから、君にマリユスの相手を頼みたい、いいかい?アリス」
グエンに言われた時には、まだ気付いていなかった。
わたしは「はい、よろこんで」と愛想良く答えた。
グエンの従弟ならば、彼の事を良く知っているだろう、何か話が聞けるかもしれないと期待すらしていた。
グエンがパーラーを出て行き、お茶が運ばれた。
「伯爵夫人は本当にお若いですね、それにお綺麗だ、グエンは幸運な男ですね」
褒められて気恥ずかしくなったが、グエンの妻という事で、お世辞を言っているのだろう…
わたしはそれに思い当たり、「ありがとうございます」と無難に微笑んだ。
「マリユス様もお若いですね、こちらには休養ですか?」
「ええ、普段は研究室に籠り切りで」
「研究室、お仕事ですか?」
「はい、僕は解毒薬の開発に携わっています、あなたも薬を作られるとグエンから聞きました」
「わたしはそんな大した事は…魔法学園を出て、故郷で調合の仕事に就いておりました」
「素晴らしい仕事ですよ」
わたしたちは、共通の話題もあり、直ぐに打ち解けていた。
「ここへは、グエンに誘われたんですよ、釣りに良い季節だからと。
だけど、グエンは忙しそうですね…」
「グエンに代わって、わたしがお付き合いしますわ、明日にでも…」
使用人に準備を整えて貰う事にした。
先週、ルイーズとフィリップが釣りをしていた事もあり、そう時間は掛からないだろう。
「お疲れでなければ、庭をご案内致しましょうか」
「是非、お願いします、ここへ来るのは初めてなんですよ___」
初めて?
その事に違和感を覚えた。
何故、グエンは急にマリユスを誘ったのか…
館の中を案内し、庭を周って戻って来た所、
メイドがマリユスを部屋へ案内して行ったので、わたしの役目は終わった。
晩餐の際、マリユスはグエンに感謝を述べ、館やわたしの事を褒めてくれていた。
「伯爵夫人に案内して頂きましたが、素晴らしい館ですね、庭も美しくて、
すっかり生き返った気分です。来て良かった。
誘って下さって有難うございます、グエン」
「気晴らしになったなら良かった、すまないが、明日もアリスに任せていいだろうか?」
「はい…グエン、気を悪くなさらないで貰いたいのですが、
実は既に、伯爵夫人に釣りに付き合って貰う約束を取り付けています」
マリユスは気を遣った様だが、グエンは気を悪くする処か、笑っていた。
「ああ、構わないよ、二人で楽しんで来なさい。
アリス、君の薬草の温室や作業場にも案内するといい、
マリユスが何かアドバイスをくれるだろう、マリユス、いいかな?」
「はい、勿論、僕で良ければ」
この頃になり、わたしの胸は、ざわざわとし始めた。
グエンが不自然な程上機嫌でいる。
自分が招いたというのに、わたしに相手をさせて…
これでは、まるで、わたしとマリユスの仲を取り持とうとしているみたいだわ…
『君の悲しみが癒えた時、僕が君に相応しい相手をみつけると、約束しよう』
いつかの言葉が頭に蘇る。
それを、実行しようとしているの?
そんな…お願い、違うと言って!
わたしは必死に、否定した。
だが…
「アリス、マリユスは良い青年だろう?」
部屋へ引き上げた際、グエンがわたしに言い、
わたしは自分の考えが当たっていたのだと知った。
「はい、とても、良い方の様です…」
わたしは手を組み合わせ、震えを押さえた。
「マリユスも君に好感を持った様だ、明日は二人で楽しみなさい」
グエンはまるで父の様に言うと、わたしの肩を叩いた。
わたしは「はい」と力無く頷くと、静かに自分の部屋へ入った。
ベッドに入り、布団を被り、声を殺して泣いた。
わたしは愛されない___
それ処か、彼はわたしを追い払いたいのだ!
◇
わたしはグエンの意図を無視し、ミュラー伯爵夫人として、グエンの妻として、
マリユスに接した。決して、彼が誤解をしない様に。
尤も、彼自身は、グエンの企み等知らない様で、わたしを伯爵夫人としか見ていなかった。
「釣りはどうだったかね?」
釣りを終え、館に帰って来たわたしたちを、グエンが玄関ホールで出迎えた。
忙しいというのは口実で、わたしたちを見張っているのではないかと思える。
わたしは内心で舌打ちした。
「釣れましたよ!ここには大きな魚がいますね!」
釣り好きのマリユスは興奮し、魚の入ったバケツをグエンに見せていた。
「これは凄い、マリユスもアリスも大したものだ」
「その、伯爵夫人も健闘はしていましたが…」
マリユスが気まずそうにわたしを見る。
わたしは素っ気無く答えた。
「気を使われなくて結構です、わたしは釣りが上手くはありません、それは認めますわ」
「アリスは全く釣れなかったのかい?」
「伯爵夫人は餌の付け方もご存じない様で、危なっかしくて…
怪我をされなくて良かったですよ、グエンに怒られる所でした」
グエンが一瞬だけ、心配そうな顔をし、わたしは少しだけ機嫌が良くなった。
だが、その理由は、フェリシアに似ているからだと気付き、直ぐに虚しさに変った。
「明日は僕一人で大丈夫です。
伯爵夫人は、釣りに出るのは、グエンから教わってからにして下さい」
「アリスはそんなに酷いのか?」
「理論は分かっていますわ、それに、見た事もあります、ただ、思った通りにはいきませんでしたの…」
見ている分には、簡単そうだったが、実際自分がやるとなると、それは別だった。
「全く、君は…」
グエンが笑みを見せ、わたしはドキリとした。
それは、マリユスも同じだったらしい。
「僕は魚を調理場に運びますので、お二人はどうぞ、そのまま続けて下さい…」
マリユスが気を利かしたのか、そそくさとその場を立ち去ったので、
わたしたちは気まずく立ち尽くした。
「こんな筈では…その、悪かったね、フェリシアの事を思い出したんだ」
グエンの言葉に胸が抉られる。
「彼女も釣りが下手だったんだ、教えるのに苦労したよ、それに…」
「あの!すみません、着替えをしてきてもよろしいでしょうか…」
「ああ、引き止めて悪かった…アリス、釣りは暫く止めておきなさい」
「はい…失礼します」
わたしは踵を返し、階段を駆け上がる。
その場から一刻も早く立ち去りたかったのだ。
わたしはゆっくりと時間を掛け、着替えをし、湯浴みをし、身支度をした。
お陰で落ち着きを取り戻す事が出来た。
「奥様、大丈夫でしょうか?
お疲れではないかと、旦那様が心配されておりました。
お疲れの様でしたら、部屋で休むようにとの事です…」
メイドがお茶を持ち、それを伝えに部屋へ来た。
一瞬、その言葉に甘えようかと思ったが、客であるマリユスに心配させてはいけないと、思い止まった。
「釣りをして濡れてしまって…湯浴みをさせて貰ったので、もう大丈夫です。
グエンには心配なさらない様にと、伝えて下さい」
「はい、畏まりました」
メイドが部屋を出て、わたしは息を吐き、お茶を飲んだ。
温かく沁み渡り、気持ちまで解けそうだ。
「心配して下さったのね…」
わたしが彼の話を遮ってしまったからだろうか?
今まで、こんな事はした事が無かった。
だけど、あの時は、とても聞いていられなかった。
彼が、愛しそうにフェリシアの話をするのを聞くなんて…
わたしにはもう、出来そうにない___
◇
翌日は、グエンが「時間がある」と言い、マリユスを連れて湖に出ていた。
二人は沢山大物を釣り、皆を驚かせた。
だが、その後がいけなかった。
グエンがマリユスの相手をしていたのは、短い時間で引き返して来る為だったのだ。
「僕は仕事に戻るから、マリユス、アリスの温室と作業場を見てやって欲しい」
マリユスに言い付けると、グエンは部屋へ戻った。
わたしはマリユスを温室に案内した。
「すみません、マリユス様は休暇で来ていらっしゃるのに…」
「いえ、構いませんよ、僕の好きな分野ですから、興味があります!」
「マリユス様は釣りもお上手ですし、多才でいらっしゃいますね」
「そうでもありませんよ、他の事には全く疎くて…未だに独り身ですしね」
「どなたか、思われている方はいらっしゃらないのですか?」
「研究の方が忙しくて…実の所、女性は疎わしいと思っていたんです、
でも、ここへ来て、お二人を見ていると、僕も結婚したくなりましたよ!」
マリユスが、邪気無く笑う。
わたしたちの、一体何処を見て、結婚したいと思ったのだろうか…
わたしはぎこちなく笑みを返した。
マリユスは興味深そうに温室を見て歩き、そして、作業場も見てくれた。
わたしが何か質問をすると、丁寧に分かり易く教えてくれ、アドバイスもくれた。
真面目で仕事も出来、優しくて良い人だ。
結婚すれば、夫として信頼出来る相手になるだろう。
グエンが選ぶだけの人だ。
だけど、わたしの心は、全く動かない。
わたしを見てもくれない、あの人に、心は奪われたままだ___
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