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しおりを挟むグエンは最初の計画通りに、仲の良い夫婦を演じている。
特にルイーズとフィリップが見ている所では、常に傍にいて、わたしに触れ、熱い視線を送る。
気持ちに気付いてしまった今、意識しないでいるのは無理だった。
手を握られたり、腕を触られたり、体が触れ合うと、体中が熱を帯びた様に感じる。
頬が火照り、とても目を合わせる事など出来ない…
グエンが気付かなければいいけど…
『慣れていないからだろう』と思っているのか、グエンに怪しんでいる様子は見えなかった。
当初、わたしがルイーズの相手をするつもりでいたが、フィリップが一緒なので、彼に任せる事にした。
先日話していた通り、二人はボートで湖に出て、釣りをし、楽しんでいる様だった。
特に、フィリップは楽しんでいた。
「伯爵、ここは素晴らしいですね!湖は綺麗だし、魚もいて…
この魚は僕が釣ったんですよ!」
グエンに報告している姿は、少年の様だ。
グエンに心酔しているからなのか、彼のわたしを見る目も変っていた。
「アリスは見違える程良くなったね!」、「君、別人のようだよ!」と、
褒め称えられるのには困ったが、フィリップは概ね扱い易い客だった。
それに引き換え、ルイーズはというと、
フィリップと二人で居る時は、機嫌良くしている様だったが、
皆といる時には、急に不機嫌に振る舞ったり、言葉が悪くなる。
何かにつけ、この地や館を田舎と嘲っていた。
買い物を終えて帰って来た時は酷かった。
町や店を、隅から隅まで、粗を探して貶すのだ。
「がっかりよ!見る所が無いんですもの!」
「お店は少ないし、碌な物を売っていないのよ!?」
「あんな所で買い物なんて、正気じゃ出来ないわ!」
「町の人も皆、質素だし、みっともなくて…」
大声でそんな話を捲し立てるものだから、わたしはメイドや使用人たちに申し訳ない気分になった。
皆地元の者だし、誰も自分の住む場所を悪く言われたくは無いだろう。
「ルイーズ、あなたはこれから王都に行くのだから、いいじゃないの」
「勿論よ!でも、その前に、何か話の種になるかと思ったの」
「湖の話をすればいいわ、釣りもしたでしょう?」
「そんなの!令嬢のする話では無いわ!全く、お姉様ってば、何もご存じ無いのね!結婚して正解よ、お姉様は私たちの話にはついて来れませんもの」
わたしの事を悪く言っている分にはまだマシだと、わたしは聞き流しておいた。
少し前までは、ルイーズの言葉にビクビク怯えていた自分が嘘みたいだ。
きっと、グエンのお陰だ。
わたしは、誰にどう思われるかというよりも、
『彼にどう思われるか』、それが大事になっている。
グエンにがっかりされない、疎ましく思われない自分であれば、十分だ。
『胸を張りなさい、君は若く、美しい』
その声が蘇り、わたしは背を正し、胸を張る事が出来る。
そして、グエンの愛するこの館と町を、わたしも愛おしいと思う。
◇◇
早々に出て行くと思っていたルイーズとフィリップは、
五日が経つが、未だにその気配を見せずにいる。
ルイーズが退屈しているのは目に見えて分かるというのに、
何故いつまでも滞在しているのか…
ルイーズの我儘は増え、メイドや使用人たちへの当たりは、日増しに強くなっていた。
「朝食はベッドに運んで頂戴!果物と紅茶でいいわ」
「呼んだら直ぐに出して頂戴!冷めてるじゃないの!」
「靴を磨いておいて!全部よ」
「髪を結って!こんなの、古臭いわ!」
「だから田舎のメイドなんて嫌なのよ!」
まるで女王の様に、使用人やメイドを使っている。
『彼女はいつも女王様でいなくては気が済まないのだろう』
グエンが言っていたのを思い出す。
全くその通りの姿に、わたしは姉として恥ずかしくなった。
「ルイーズ、メイドや使用人たちに我儘を言うのは止めて、可哀想でしょう」
「我儘じゃないわ!どれも必要な事よ、それに、私はこの館の客よ?
メイドを使って当然でしょう?でも、ここのメイドってば、伯爵家のメイドだと
いうのに、まるで気が利かないのよ?野暮ったくて、役立たずばかり!
こんなんじゃ恥ずかしいわ、私が居る間に、躾て差し上げますわ」
「ルイーズ!あなたにそんな権利は無いわ!」
わたしは思わず厳しい声を上げていた。
だが、ルイーズは全く悪びれずにツンと顎を上げる。
「そんな事だから、お姉様はメイドたちに甘く見られるのよ!」
「わたしは甘く見られても構わないわ、それよりも、あなたの我儘に
振り回されるメイドや使用人たちが可哀想よ。
皆良い人たちよ、お願いだから、迷惑を掛けず、礼儀正しくして頂戴」
だが、この言葉はルイーズには逆効果だった。
彼女は烈火の如く怒り、怒鳴り散らした。
「馬鹿にしないで!私は礼儀正しいわ!それなりの学校を出てるのよ!
だから、教えてあげてるんじゃないの!私なら、伯爵家のメイドを躾られる!
お姉様は何も知らないじゃないの!お姉様に女主人なんて出来っこないのよ!
私が嫁いでいたら、全員追い出してやったわ!
そして、王都から洗練されたメイドと使用人たちを連れて来るわ___」
「成程、僕は君と結婚出来て良かったよ、アリス」
誰かが知らせたのだろう、何処からともなくグエンが現れ、わたしの腰を抱いた。
突然の事に、わたしは「はっ」と息を飲み、身を固くした。
彼も気付いただろうが、わたしを離さずに、ルイーズに言った。
「ルイーズ、この館で好き勝手をされては困る。
君は押し掛けの客であって、女主人では無いだろう?
メイドに指図をする権利も、躾ける権利も君には無い。
そんな事も習わなかったのか?」
「でも、ここのメイドが!」
「君の意見など必要ではない、弁えなさい!」
グエンが厳しく言うと、ルイーズは口を噤んだが、怒りに震えていた。
「そんな事では、早急に立って貰わなければならないな、
明日、荷物を纏めて出て行きなさい、嫌ならご両親に引き取りに来て貰うが?
それ共、カルヴェ男爵に連絡した方がいいか?」
グエンが言うと、フィリップが慌てて飛び出して来た。
「伯爵!申し訳ありません、予定よりも長く滞在してしまい…
明日、館を立ち、予定通り王都へ向かいますので…どうか、家の方には…」
「よろしい、馬車は僕が手配しよう」
「有難うございます!感謝致します!」
グエンとフィリップの間で話は纏まった。
こうなると、フィリップの存在は大いに役立った。
フィリップがルイーズを宥めに入り、わたしは安堵し、その場を去る事が出来た。
迷惑を掛けてしまったメイドや使用人たちには、ルイーズに代わって謝罪した。
「申し訳ありませんでした、妹が皆さんに酷い事をしてしまい…」
メイドや使用人たちは気の良い人たちで、怒ってはおらず、許してくれた。
「時々いますからね、大丈夫ですよ」
「奥様こそ、気になさらないで下さい」
「奥様が私達の為に言って下ったので、十分です」
「奥様、有難うございます」
「奥様が良い方で良かった、本当にフェリシア様の様で…」
「おい!」
誰かが止め、皆気まずそうに顔を見合わせ、「申し訳ありません」と仕事に戻って行った。
執事とメイド長以外は、わたしたちの結婚を【白い結婚】とは知らない。
気を使わせ、わたしは逆に申し訳なくなった。
「アリス、君の気持ちは皆に伝わっているよ、
使用人たちを庇ってくれてありがとう、僕からも礼を言う」
グエンに言われ、わたしは頭を振った。
「皆に申し訳なくて…何か償えると良いのですが…」
「君は、調剤の仕事をしていたね?」
「はい、魔法学園で薬師と調合の資格を取りましたので…」
「それなら、作って貰いたい薬がある、フェリシアが作っていた薬が残り少ない、君に代わりに作って欲しい」
「奥様も調合を?でも、記憶喪失だったのでは?」
「ああ、本の知識だけで作れていたから、薬師か調合の仕事をしていたのかもしれない」
長く仕事をしていると、そういうものだろうか?
でも、確か、フェリシアは若かった筈…
わたしも記憶を失っても、薬師や調合の事は覚えていたい。
それに、グエンの事も…
「それでしたら、直ぐにでも始められますわ」
「ああ、頼むよ、だが、あの二人が出て行ってからでいい、明日、案内しよう」
このまま、すんなりと二人は館を出て行くと、わたしは疑っていなかった。
勿論、それは甘い考えだった。
◇
翌日、昼前に、グエンが手配していた馬車が館に着いた。
ルイーズは荷物を使用人に運ばせたが、手持ちのバッグだけは頑なに触らせず、自分で大事そうに持っていた。
「ルイーズ、気を付けて、帰ったら両親にもよろしくね」
「よく、そんな事が言えるわね!追い出すような真似をしておいて!
私に良い事を言って貰おうなんて、期待しないでね、お姉様!」
ルイーズは顎をツンと上げると、踵を返し、馬車へ向かった。
だが、そこに、白い猫…シュシュが走って来たかと思うと、ルイーズの手に飛び掛かった。
「きゃ!?痛い!!何するのよ!!」
ルイーズは怒り、バッグを大きく振り上げ、シュシュを叩こうとした。
側に居た執事がそれに気付き、シュシュを庇う。
荷物で膨らんでいた鞄は執事の背に当たり、中身が弾け飛んだ。
「!?」
この惨劇に、周囲は息を飲んだ。
「レナール!大丈夫ですか!?」
わたしは執事レナールに駆け寄り、彼の具合を聞いた。
レナールは六十代半ばの老年だ。
「ああ!なんて事を…」
「いえ、私は大丈夫です、それより、奥様…」
レナールの視線に、わたしはそれに気付いた。
周囲に散った調度品の数々…
それを這い蹲り、必死に掻き集めているルイーズの姿…
「全部、私のよ!触らないで!!」
「ルイーズ!あなた、一体…何をしたの?」
茫然とするわたしの前で、ルイーズは使用人の男に拘束された。
「離しなさい!汚い手で触らないで!!私を誰だと思っているの!!」
ルイーズは喚いたが、問答無用で、フィリップと共に使用人たちにより
玄関ホールへ戻され、荷物も全て馬車から下ろされた。
「君、一体、何をしたんだ!?」
フィリップは青い顔をし、オドオドとしている。ルイーズが一人でやったのだろう。
二人の荷物は調べられ、隠し持っていないか服の上から確認された。
服の下には隠していなかったが、ルイーズの鞄からは、置き時計、灰皿、
置き物、銀食器…等々出て来ていた。
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