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その後も、わたしは、伯爵とフェリシアの話を聞いた。

「記憶を失っている彼女を放り出す気は毛頭無かったが、
一緒に住む訳にもいかない、彼女は君の様に若かった。
それで、然るべき家を紹介しようとしたんだが…
それなら、メイドとして雇って欲しいと言われ、
他の家に行くのは不安なのだろうと、メイドとして館に置く事にしたんだ」

「フェリシアは、自棄になり不機嫌だった僕を、可哀想に思ったのか…
毎日カップケーキを焼いてくれた。
だが、彼女は料理が上手くはなくてね…いつも焦げていたり、爆発していたり…
どの様に料理したら、これ程…おかしな物が作れるのかと、不思議でね、
調理場を覗いた事があるが、とても楽しそうに作っていた…」

伯爵は思い出したのか、笑いを零した。

「彼女のお陰で、すっかり気持ちも削がれてね…
真剣に落ち込んで自棄になっているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
気付くと、フェリシアと一緒になって、笑っていた…」

「フェリシアの優しさや愛らしさに、僕は惹かれていった…
彼女を愛おしいと思い、傍にいて欲しいと…
だが、僕は恐れてもいた…彼女が僕の元を去ってしまうんじゃないかと…」

記憶が戻るのを恐れたのね…

「このままの関係を続けたい、このまま時が止まればいい…
そんな風に考えたが…」

伯爵が頭を振る。
わたしは知りたくて、先を促した。

「何があったのですか?」

「それは、言えない」

伯爵が「ふふ…」と笑う。

「酷いわ!ここまで話しておいて!」

「兎に角、僕はフェリシアに結婚を申し込み、彼女は受けてくれた」

強引に纏められ、わたしは唇を尖らせた。
執事が服屋の来訪を告げ、伯爵が立ち上がり、わたしを促した。

「アリス、君に服を作ろう、仕立て屋を呼んでいる___」

わたしは普段着る服数着に加え、ドレスを三着も作って貰う事になった。

「こんなに沢山…必要ありませんわ!」

わたしは断ろうとしたが、伯爵は譲らなかった。

「館の女主人として相応しい恰好をして貰う必要がある」

そう言われると、どうしようもない。
わたしが持って来た服は、どれも相応しいといえない。
結婚前の男爵令嬢には似合うだろうが、伯爵夫人が身に着けるものでは無かった。

仕立て屋は終始愛想良く、注文を受けると歓喜して帰って行った。


数日後、服が幾つかと、宝飾品が届けられると、伯爵はわたしに着替える様に言った。
わたしはそれを身に着け、メイドに髪を結って貰い、化粧をして貰った。

「とてもお似合いです、奥様」

メイドや使用人が褒めてくれ、わたし自身、鏡の中の自分に驚いた。
美しいとさえ思える…
勘違いでないと良いが…
わたしは半信半疑ではあったが、うれしさは抑えきれず、口元が綻んだ。

わたしは胸を弾ませ、伯爵が待つパーラーへと急いだ。

「旦那様、アリス様のお着替えがお済みになりました___」

執事に声を掛けられ、伯爵は手にしていたカップを置き、立ち上がった。

「アリス、どうかね…」

微笑みを持ち迎えた伯爵は、わたしの姿を見て、息を飲んだ。
わたしは気恥ずかしくなったが、伯爵が目を逸らした事で、
フェリシアの姿と被ったのだと気付き、急に気持ちは沈んだ。

「良く似合っている…アリス、いつもそうしていなさい」
「無理をなさらないで下さい、奥様を思い出して辛いのではありませんか?」
「ああ…だが、フェリシアの事は、君には関係無い事だ」

それが酷く冷たく聞こえ、わたしは「はい」と小さく頷いた。


◇◇


館に来て二月近くが経った頃、妹のルイーズから手紙が届いた。
王都へ行くが、途中で寄りたい、数日館に泊めて欲しいと___

わたしは全く気乗りがしなかったが、伯爵に手紙が来た事を話した。

「妹のルイーズが、王都に行く途中で様子を見に寄りたいと…
数日泊めて欲しいというのですが…」

「館に泊めるのは構わない、執事と話して決めなさい」

「はい、有難うございます…」

断ってくれたら良いと思っていたが、叶わず、わたしは肩を落とした。
伯爵もそれに気付いたらしい…

「気が進まないのであれば、断りなさい」
「でも、良い言い訳がみつからないのです…」
「新婚の邪魔をするのは非常識だ、というのはどうだ?」
「それは、名案です!ありがとうございます!直ぐに返事を書きますわ!」

わたしは嬉々として返事を書いたのだが、今度は父から手紙が届いた。
ルイーズが心配している、顔を見れば安心するだろう、会ってやれと。
こうなってはお手上げだ。
ルイーズはどうあっても、館に泊まる気だ。
わたしがどんな生活をしているのか、興味があるのだろう…

「伯爵、困りましたわ…ルイーズを招かなくてはいけなくなりました」

わたしは諦めて、伯爵にそれを告げた。
この間は快諾した伯爵だが、今は何か考える様に顎を擦っていた。

「そうなると、少し問題がある…」
「問題?ですか?」
「僕と君が『幸せな夫婦』だと、彼女に信じ込ませなければいけない」

確かに、ルイーズに両親に変な事を言われては堪らない。
強いられた結婚をし、不幸でいると思われるのは、わたし自身惨めだ。
それよりも、もし、これが【白い結婚】だなんて知られたら___

『お姉様は、魅力に乏しいのよ!』

ルイーズの声が蘇り、わたしは耳を塞いだ。

「アリス、大丈夫か?」

伯爵の心配そうな顔に、わたしは息を吐いた。

「はい、すみません…嫌な事を思い出してしまい…」

「嫌な事?」

「いえ、それはいいのです…
伯爵は、その…お芝居に、協力して下さるのですか?」

この、冗談の一つも言わない、気真面目で誠実そのものの様な方が?
わたしは伯爵の正気を疑ったが、彼は大きく頷いた。

「勿論だ、彼女の思い通りにする理由は無い___」

『彼女の思い通り』とはなんだろう?
わたしは頭を捻ったが、分からず、替わりに他の事が頭を過った。

そういえば、ルイーズは伯爵の結婚の申し込みを無碍にしている。
ルイーズはフィリップを愛している筈だが、
伯爵の年齢や後妻だという事を聞くまでは、彼女は乗り気に見えた。

伯爵にしても、これは、ルイーズに復讐する機会だわ!
伯爵が立派な方なのは見れば分かる、大人ではあるが、
『男は大人になる程、魅力を増す』と言った母の言葉通りの方だ。
そんな伯爵とわたしが幸せでいれば、ルイーズは早まったと後悔するかもしれない。
いえ、少し、羨ましいと思わせる事が出来れば十分だ。

良い事を思い付いたと、わたしは胸が逸る。

「それでは、伯爵、わたしたち、示し合わせをする必要がありますわ!」
「ああ、だが、まずは、伯爵という呼び方を止めないか」

伯爵に指摘され、わたしはそれに気付いた。
伯爵なんて、確かに、新婚夫婦には相応しく無い。
それでは何と…伺う様に彼を見上げると、

「これからは、グエンと呼びなさい」

彼は灰色の目を細め、微笑んだ。

グエナエル…グエン。
フェリシアもグエンと呼んでいたのだろう…

「はい、グエン」

その名を口にした時、変な感じがした。
意味も無く頬が熱くなり、わたしはそれを見られまいと、
父からの手紙に顔を突っ込んだ。


◇◇


執事のレナールと、彼の妻であるメイド長のマリーに協力して貰い、
わたしたちは、ルイーズに『仲の良い夫婦』と思わせるべく、準備を進めた。

わたしの部屋を一時、グエンの隣に移す事にした。
フェリシアが使っていた部屋では無く、逆の空き部屋だ。
フェリシアの使っていた部屋は当時のままだというので、そこに立ち入るのは避けた。

新しい部屋に持ち物を移し、家具も良い物を運んだ。
誰が見ても、『伯爵夫人の部屋』と見えなければいけない。

ルイーズの部屋は、夫婦の部屋とは遠い、一階の客室を用意した。
なるべく、二階から上に上がらせない様にしたかったのだ。

「グエンは仕事をして下さい、ルイーズの相手はわたしがしますわ」

「君一人では大変だろう?」

「ええ…正直、退屈させて早く出て行かせようという思いと、
羨ましがらせたいという思いとで、葛藤しています、どちらにすべきでしょう?」

わたしが肩を竦めると、グエンは笑った。

「迷った時は、両方だ、鉄則だな」

「両方、ですか?」

一体、どうやって?
更に頭を悩ませるわたしに、グエンは簡単に言った。

「君の好きな事をして、ルイーズを振り回せばいい、
君にとっては楽しいが、彼女にとっては嫌な事が望ましいだろう」

「わたしの好きな事ですか…果実や山菜を採りに行こうかしら…」

わたしは魔法学園で薬学を学んでいたし、仕事は調合だった。
久しぶりに森に採集に行くのも楽しいと思ったのだが、
思い掛けず、グエンがわたしの腕をキツク掴んだ___

「それだけは止めてくれ!」

「グエン…?」

「フェリシアは薬草を採りに行ったまま、帰らなかった…」

フェリシアを思い出したのだ。
山でなくても、何処でだろうと、死ぬ時は死ぬというのに…
だが、真剣な顔で、キツク腕を掴む彼に、それを言うのは憚られた。

「わ、分かりました、山や森へは行きません…だから、離して下さい!」

わたしが言うと、彼はそれに気付いたのか、「すまない」と言い、
その手から力を抜き、わたしの腕を解放した。
わたしは掴まれていた処を擦った。

「すまない、君を傷付ける気は無かった…痛むか?」

心配そうな顔に、わたしは笑みを浮かべ頭を振った。

「いえ、大丈夫です」

腕の痛みなど、直ぐに回復するだろう。
だけど、胸の痛みは、酷くなるばかりだ…

グエンがどれだけフェリシアを愛していたか、愛しているか…
それを知る程に、わたしは何故、辛くなるのだろう?

グエンの目に、わたしは映っていない、
彼の目は、常にわたしの向こう側を見ている___

そんな風に思い、寂しくなるからだろうか…

「ボートを出そう、湖で乗るといい」
「はい、釣りも出来るでしょうか?」
「ああ、釣りをするにはいい季節だろう…」

そんな話をしながら、何処か心は遠くにあった。


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