4 / 16
4
しおりを挟むその後も、わたしは、伯爵とフェリシアの話を聞いた。
「記憶を失っている彼女を放り出す気は毛頭無かったが、
一緒に住む訳にもいかない、彼女は君の様に若かった。
それで、然るべき家を紹介しようとしたんだが…
それなら、メイドとして雇って欲しいと言われ、
他の家に行くのは不安なのだろうと、メイドとして館に置く事にしたんだ」
「フェリシアは、自棄になり不機嫌だった僕を、可哀想に思ったのか…
毎日カップケーキを焼いてくれた。
だが、彼女は料理が上手くはなくてね…いつも焦げていたり、爆発していたり…
どの様に料理したら、これ程…おかしな物が作れるのかと、不思議でね、
調理場を覗いた事があるが、とても楽しそうに作っていた…」
伯爵は思い出したのか、笑いを零した。
「彼女のお陰で、すっかり気持ちも削がれてね…
真剣に落ち込んで自棄になっているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
気付くと、フェリシアと一緒になって、笑っていた…」
「フェリシアの優しさや愛らしさに、僕は惹かれていった…
彼女を愛おしいと思い、傍にいて欲しいと…
だが、僕は恐れてもいた…彼女が僕の元を去ってしまうんじゃないかと…」
記憶が戻るのを恐れたのね…
「このままの関係を続けたい、このまま時が止まればいい…
そんな風に考えたが…」
伯爵が頭を振る。
わたしは知りたくて、先を促した。
「何があったのですか?」
「それは、言えない」
伯爵が「ふふ…」と笑う。
「酷いわ!ここまで話しておいて!」
「兎に角、僕はフェリシアに結婚を申し込み、彼女は受けてくれた」
強引に纏められ、わたしは唇を尖らせた。
執事が服屋の来訪を告げ、伯爵が立ち上がり、わたしを促した。
「アリス、君に服を作ろう、仕立て屋を呼んでいる___」
わたしは普段着る服数着に加え、ドレスを三着も作って貰う事になった。
「こんなに沢山…必要ありませんわ!」
わたしは断ろうとしたが、伯爵は譲らなかった。
「館の女主人として相応しい恰好をして貰う必要がある」
そう言われると、どうしようもない。
わたしが持って来た服は、どれも相応しいといえない。
結婚前の男爵令嬢には似合うだろうが、伯爵夫人が身に着けるものでは無かった。
仕立て屋は終始愛想良く、注文を受けると歓喜して帰って行った。
数日後、服が幾つかと、宝飾品が届けられると、伯爵はわたしに着替える様に言った。
わたしはそれを身に着け、メイドに髪を結って貰い、化粧をして貰った。
「とてもお似合いです、奥様」
メイドや使用人が褒めてくれ、わたし自身、鏡の中の自分に驚いた。
美しいとさえ思える…
勘違いでないと良いが…
わたしは半信半疑ではあったが、うれしさは抑えきれず、口元が綻んだ。
わたしは胸を弾ませ、伯爵が待つパーラーへと急いだ。
「旦那様、アリス様のお着替えがお済みになりました___」
執事に声を掛けられ、伯爵は手にしていたカップを置き、立ち上がった。
「アリス、どうかね…」
微笑みを持ち迎えた伯爵は、わたしの姿を見て、息を飲んだ。
わたしは気恥ずかしくなったが、伯爵が目を逸らした事で、
フェリシアの姿と被ったのだと気付き、急に気持ちは沈んだ。
「良く似合っている…アリス、いつもそうしていなさい」
「無理をなさらないで下さい、奥様を思い出して辛いのではありませんか?」
「ああ…だが、フェリシアの事は、君には関係無い事だ」
それが酷く冷たく聞こえ、わたしは「はい」と小さく頷いた。
◇◇
館に来て二月近くが経った頃、妹のルイーズから手紙が届いた。
王都へ行くが、途中で寄りたい、数日館に泊めて欲しいと___
わたしは全く気乗りがしなかったが、伯爵に手紙が来た事を話した。
「妹のルイーズが、王都に行く途中で様子を見に寄りたいと…
数日泊めて欲しいというのですが…」
「館に泊めるのは構わない、執事と話して決めなさい」
「はい、有難うございます…」
断ってくれたら良いと思っていたが、叶わず、わたしは肩を落とした。
伯爵もそれに気付いたらしい…
「気が進まないのであれば、断りなさい」
「でも、良い言い訳がみつからないのです…」
「新婚の邪魔をするのは非常識だ、というのはどうだ?」
「それは、名案です!ありがとうございます!直ぐに返事を書きますわ!」
わたしは嬉々として返事を書いたのだが、今度は父から手紙が届いた。
ルイーズが心配している、顔を見れば安心するだろう、会ってやれと。
こうなってはお手上げだ。
ルイーズはどうあっても、館に泊まる気だ。
わたしがどんな生活をしているのか、興味があるのだろう…
「伯爵、困りましたわ…ルイーズを招かなくてはいけなくなりました」
わたしは諦めて、伯爵にそれを告げた。
この間は快諾した伯爵だが、今は何か考える様に顎を擦っていた。
「そうなると、少し問題がある…」
「問題?ですか?」
「僕と君が『幸せな夫婦』だと、彼女に信じ込ませなければいけない」
確かに、ルイーズに両親に変な事を言われては堪らない。
強いられた結婚をし、不幸でいると思われるのは、わたし自身惨めだ。
それよりも、もし、これが【白い結婚】だなんて知られたら___
『お姉様は、魅力に乏しいのよ!』
ルイーズの声が蘇り、わたしは耳を塞いだ。
「アリス、大丈夫か?」
伯爵の心配そうな顔に、わたしは息を吐いた。
「はい、すみません…嫌な事を思い出してしまい…」
「嫌な事?」
「いえ、それはいいのです…
伯爵は、その…お芝居に、協力して下さるのですか?」
この、冗談の一つも言わない、気真面目で誠実そのものの様な方が?
わたしは伯爵の正気を疑ったが、彼は大きく頷いた。
「勿論だ、彼女の思い通りにする理由は無い___」
『彼女の思い通り』とはなんだろう?
わたしは頭を捻ったが、分からず、替わりに他の事が頭を過った。
そういえば、ルイーズは伯爵の結婚の申し込みを無碍にしている。
ルイーズはフィリップを愛している筈だが、
伯爵の年齢や後妻だという事を聞くまでは、彼女は乗り気に見えた。
伯爵にしても、これは、ルイーズに復讐する機会だわ!
伯爵が立派な方なのは見れば分かる、大人ではあるが、
『男は大人になる程、魅力を増す』と言った母の言葉通りの方だ。
そんな伯爵とわたしが幸せでいれば、ルイーズは早まったと後悔するかもしれない。
いえ、少し、羨ましいと思わせる事が出来れば十分だ。
良い事を思い付いたと、わたしは胸が逸る。
「それでは、伯爵、わたしたち、示し合わせをする必要がありますわ!」
「ああ、だが、まずは、伯爵という呼び方を止めないか」
伯爵に指摘され、わたしはそれに気付いた。
伯爵なんて、確かに、新婚夫婦には相応しく無い。
それでは何と…伺う様に彼を見上げると、
「これからは、グエンと呼びなさい」
彼は灰色の目を細め、微笑んだ。
グエナエル…グエン。
フェリシアもグエンと呼んでいたのだろう…
「はい、グエン」
その名を口にした時、変な感じがした。
意味も無く頬が熱くなり、わたしはそれを見られまいと、
父からの手紙に顔を突っ込んだ。
◇◇
執事のレナールと、彼の妻であるメイド長のマリーに協力して貰い、
わたしたちは、ルイーズに『仲の良い夫婦』と思わせるべく、準備を進めた。
わたしの部屋を一時、グエンの隣に移す事にした。
フェリシアが使っていた部屋では無く、逆の空き部屋だ。
フェリシアの使っていた部屋は当時のままだというので、そこに立ち入るのは避けた。
新しい部屋に持ち物を移し、家具も良い物を運んだ。
誰が見ても、『伯爵夫人の部屋』と見えなければいけない。
ルイーズの部屋は、夫婦の部屋とは遠い、一階の客室を用意した。
なるべく、二階から上に上がらせない様にしたかったのだ。
「グエンは仕事をして下さい、ルイーズの相手はわたしがしますわ」
「君一人では大変だろう?」
「ええ…正直、退屈させて早く出て行かせようという思いと、
羨ましがらせたいという思いとで、葛藤しています、どちらにすべきでしょう?」
わたしが肩を竦めると、グエンは笑った。
「迷った時は、両方だ、鉄則だな」
「両方、ですか?」
一体、どうやって?
更に頭を悩ませるわたしに、グエンは簡単に言った。
「君の好きな事をして、ルイーズを振り回せばいい、
君にとっては楽しいが、彼女にとっては嫌な事が望ましいだろう」
「わたしの好きな事ですか…果実や山菜を採りに行こうかしら…」
わたしは魔法学園で薬学を学んでいたし、仕事は調合だった。
久しぶりに森に採集に行くのも楽しいと思ったのだが、
思い掛けず、グエンがわたしの腕をキツク掴んだ___
「それだけは止めてくれ!」
「グエン…?」
「フェリシアは薬草を採りに行ったまま、帰らなかった…」
フェリシアを思い出したのだ。
山でなくても、何処でだろうと、死ぬ時は死ぬというのに…
だが、真剣な顔で、キツク腕を掴む彼に、それを言うのは憚られた。
「わ、分かりました、山や森へは行きません…だから、離して下さい!」
わたしが言うと、彼はそれに気付いたのか、「すまない」と言い、
その手から力を抜き、わたしの腕を解放した。
わたしは掴まれていた処を擦った。
「すまない、君を傷付ける気は無かった…痛むか?」
心配そうな顔に、わたしは笑みを浮かべ頭を振った。
「いえ、大丈夫です」
腕の痛みなど、直ぐに回復するだろう。
だけど、胸の痛みは、酷くなるばかりだ…
グエンがどれだけフェリシアを愛していたか、愛しているか…
それを知る程に、わたしは何故、辛くなるのだろう?
グエンの目に、わたしは映っていない、
彼の目は、常にわたしの向こう側を見ている___
そんな風に思い、寂しくなるからだろうか…
「ボートを出そう、湖で乗るといい」
「はい、釣りも出来るでしょうか?」
「ああ、釣りをするにはいい季節だろう…」
そんな話をしながら、何処か心は遠くにあった。
80
お気に入りに追加
1,225
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた
【完結】婚約破棄はしたいけれど傍にいてほしいなんて言われましても、私は貴方の母親ではありません
すだもみぢ
恋愛
「彼女は私のことを好きなんだって。だから君とは婚約解消しようと思う」
他の女性に言い寄られて舞い上がり、10年続いた婚約を一方的に解消してきた王太子。
今まで婚約者だと思うからこそ、彼のフォローもアドバイスもしていたけれど、まだそれを当たり前のように求めてくる彼に驚けば。
「君とは結婚しないけれど、ずっと私の側にいて助けてくれるんだろう?」
貴方は私を母親だとでも思っているのでしょうか。正直気持ち悪いんですけれど。
王妃様も「あの子のためを思って我慢して」としか言わないし。
あんな男となんてもう結婚したくないから我慢するのも嫌だし、非難されるのもイヤ。なんとかうまいこと立ち回って幸せになるんだから!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
もう、愛はいりませんから
さくたろう
恋愛
ローザリア王国公爵令嬢ルクレティア・フォルセティに、ある日突然、未来の記憶が蘇った。
王子リーヴァイの愛する人を殺害しようとした罪により投獄され、兄に差し出された毒を煽り死んだ記憶だ。それが未来の出来事だと確信したルクレティアは、そんな未来に怯えるが、その記憶のおかしさに気がつき、謎を探ることにする。そうしてやがて、ある人のひたむきな愛を知ることになる。
君に愛は囁けない
しーしび
恋愛
姉が亡くなり、かつて姉の婚約者だったジルベールと婚約したセシル。
彼は社交界で引く手数多の美しい青年で、令嬢たちはこぞって彼に夢中。
愛らしいと噂の公爵令嬢だって彼への好意を隠そうとはしない。
けれど、彼はセシルに愛を囁く事はない。
セシルも彼に愛を囁けない。
だから、セシルは決めた。
*****
※ゆるゆる設定
※誤字脱字を何故か見つけられない病なので、ご容赦ください。努力はします。
※日本語の勘違いもよくあります。方言もよく分かっていない田舎っぺです。
【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った
Mimi
恋愛
声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。
わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。
今日まで身近だったふたりは。
今日から一番遠いふたりになった。
*****
伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。
徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。
シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。
お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……
* 無自覚の上から目線
* 幼馴染みという特別感
* 失くしてからの後悔
幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。
中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。
本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。
ご了承下さいませ。
他サイトにも公開中です
【完結】お荷物王女は婚約解消を願う
miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。
それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。
アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。
今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。
だが、彼女はある日聞いてしまう。
「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。
───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。
それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。
そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。
※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。
※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる