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しおりを挟むなんて、お節介な方なの!
それでも、助けられたのは事実だ。
来年の春までに、きっと、わたしはフィリップに捨てられていただろう。
若しくは、結婚後も不貞をされ続け、それに気付かずに、愛されていると
思い込んでいる「間抜けな妻」と、周囲から笑われていたかもしれない。
この人は、『妻に似ている君を、幸せにしたい』と言った。
だけど…
「わたしなんかを、愛してくださる方が、いるでしょうか…」
フィリップとの関係は上手くいっていると思っていた。
彼はいつも優しく、笑顔で、礼儀正しく、不満など一切見えなかった。
少なくとも、わたしの目には…
だが、ルイーズは言った、彼を不安にさせたのは『わたし』だと…
わたしには魅力が無いと…
思い出し、涙が零れる。
だが、彼は責めたりはしなかった。
「いい加減にしろ」とも、「泣きやめ」とも言わない。
普通の男性は、女性が泣くのを嫌がるというのに…
「すみません…」
「謝る事はない。
僕も、同じ気持ちになった事がある、だから、君の痛みも理解出来る」
伯爵が?
この、少々愛想は無いが、見るからに立派な紳士が?
全く信じられなかったが、彼はそれを教えてくれた。
「僕が二十五歳の時だ、婚約者がいたが、彼女は気まぐれな女性で…
結婚式の一月前に、突然、結婚を考え直したいと言われた。
僕を本当に愛しているか自信が無いと…
僕は彼女に時間を与えようと受け入れた。
だが、その後直ぐ、彼女は他の男と旅行に行ったと、周囲の者から聞かされた。
僕は自分が捨てられたのだと自棄になった…」
「!!」
なんて酷い!!
あまりの仕打ちに、わたしは息を飲んだ。
「僕が立ち直れたのは、フェリシアと出会ったからだ…
そして、フェリシアを愛した事で、辛い過去も消し去る事が出来た。
フェリシアへの愛に気付く為だったのだと思うと、愛おしいとさえ思えた…」
彼は言葉を切ると、目を伏せ、息を吐いた。
それから、指を組むと再び目を上げ、わたしを見た。
「君も、きっと出会う筈だ、君に相応しい、君を心から愛する者に」
彼が微笑む。
初めて見た笑顔は、優しさに満ちていた。
フェリシアが羨ましいと思った。
深く愛されていた彼女が…
「わたしは…自信がありません」
「今はそう思っても仕方は無い、だが、大丈夫だ、僕がついている。
まずは、ゆっくり休みなさい、泣き叫んでもいい、気持ちを吐き出す事は大事だ」
「それは、ご自身の体験ですか?」
わたしが聞くと、彼は笑った。
「僕は気持ちを吐き出す事が出来ず、冬眠前の熊の様だったよ。
それをフェリシアが解いてくれた、自分を抑えていては駄目だと、
その方が周囲の迷惑だとね」
ああ、この人は、亡き妻を思い出すと笑顔になれるのね…
きっと、今まで抑えていたのだわ…
「確かに、そうかもしれません…伯爵には、話し相手が必要ですわ」
「僕に?」
彼が灰色の目を丸くし、驚いた顔をする。
鉄の教師の様な人かと思っていたけど、普通に血が通っているのだと、わたしはうれしくなった。
「奥様の話をされている時の伯爵は、とても幸せそうですもの、もっと話すべきですわ。
でも、使用人に話す訳にはいきませんものね、その役目は、わたしが引き受けます」
「ならば、君が自信を取り戻す手助けは、僕が引き受ける。
それでいいかな?アリス」
「はい!」
わたしは、あの悪夢の始まりから、初めて、明るい気持ちを取り戻す事が出来ていた。
それはまだ、ほんの小さなものだったが、わたしは自分がもう大丈夫だと、分かっていた。
酷い裏切り、そして心無い言葉に傷付けられた。
そして、押し付けられた意に添わぬ結婚に、惨めさを味わった。
泣いて喚いて…
自分の不幸を悲しみ、憐れんで過ごしたが、
それでも、わたしの人生は続いていくのだと…思い知った。
そして、わたしは、『自分は恵まれている』と思えた。
わたしを助けてくれるという、契約上の夫、伯爵と、優しい館の使用人たち。
婚約者と結婚の道は奪われてしまったが、幸い、わたしには出来る事がある。
調剤師、薬師の仕事に戻ってもいい。
伯爵がみつけてくれるという相手には、あまり期待はしていない。
そこまで、自分に自信を持てなかった。
幸い、わたしはまだ若いし、仕事さえあればいい…
だけど、その前に、少しだけ、彼…伯爵の元にいよう。
伯爵の悲しみを少しでも、拭ってあげたい___
◇◇
わたしは、館の女主人の仕事を習い、させて貰う事にした。
伯爵は「そんな事はしなくていい」と難色を示したが、
「将来役に立ちますので」と言い、納得させた。
伯爵とは昼の食事、晩の食事を一緒にしている。
そして、お茶の時間は、伯爵の話を聞く時間にしている。
フェリシアは不思議な女性だった。
「この館の西、池の側に倒れていたのを、僕がみつけたんだが、経緯は分からない。
酷い熱を出していて…その所為か、目覚めた時には記憶を失っていた。
何故倒れていたのか所か、名も歳も、全て分からなかった。
それで、彼女が気を失っている時に呟いた、『フェリシア』という名で呼ぶ事にした。
耳にしていれば、いつか思い出すかもしれないと思った」
「だが、結局、彼女は最後まで、思い出す事は無かった…
いや、もしかしたら、彼女は記憶を取り戻していたのかもしれない…
それを感じた事は、実は何度かあったが、彼女は何も言わなかった…」
「僕はそれに甘えていた。酷い話だが…
彼女が記憶を取り戻したと言ったなら、僕は彼女をこのままにしておけなかっただろう。
彼女を家に帰してやらなければならない…
だが、そうしたなら、もう帰って来てくれないのではと、僕は恐れていた」
「そんな僕を、彼女はいつも気遣い、不安を拭おうとしてくれた。
死が二人を別つまで、僕の傍にいると…」
ああ、なんて素敵なの…
わたしは伯爵の話を聞けば聞く程に、心酔していった。
「奥様も伯爵を愛しておられたのですわ」
「ああ…そうだ…僕を愛してくれた、最後まで…」
伯爵は幸せそうな笑みを見せたが、それは曇り、暗い陰を落とした。
「奥様がお亡くなりになったのは…病ですか?」
「いや、二年前、僕が酷い熱病に掛かってね、フェリシアは薬草に詳しくて、
山に採りに行くと出掛け、足を滑らせ、崖から落ちてしまったんだ…
フェリシアの傍に、薬草とこの子…シュシュがいて、執事が連れて帰って来た。
フェリシアの最後を看取ってくれた子だ…」
シュシュは、伯爵に懐いている白い猫だ。
伯爵は優しくシュシュを撫でる。
「その薬草のお陰で、僕は助かったが、僕が目を覚ました時には既に
彼女の葬儀は終わり、埋葬も済んでいた…
執事が言うには、酷い状態で、僕には見せられないと…
僕は、どんな状態でも、一目でも彼女に会い、別れを言いたかった…」
伯爵が後悔を滲ませる。
伯爵の気持ちも分かるが、わたしは自分に置き変えて、頭を振った。
「女性なら、綺麗な顔を覚えていて欲しいものですわ。
それに、別れの言葉は必要ありません、きっと、聞きたくありませんわ。
死が二人を別つまで…ですが、それはあくまで『仕方なく』ですわ。
愛した相手ならば、永遠の愛を誓って欲しいものです…」
「確かに、そうだな…君は若いのに、良く知っている…」
伯爵は真剣に感心している。
わたしは恥ずかしくなった。
わたしには、愛し愛された経験も無いのに、偉そうに語ってしまった。
だが、伯爵は気を悪くしてなどいなかった。
「僕は未だに彼女の死を受け入れられないでいる…
今も彼女が生きている気がして、いつも彼女を探してしまう…」
それで、町で、わたしに声を掛けたのね…
「今まで、その理由を、最後に会い、別れの言葉を言え無かったからだと
思っていた…だが、今の君の話で、違うと分かった。
僕が彼女を愛しているからだ…永遠に…
別れの言葉を言っていたとしても、きっと同じだっただろう…」
ああ…なんて、愛情深い方なのかしら…
こんな風に愛されるフェリシアが羨ましい…
微笑ましいのに、泣きたくなるのは、自分がそれを望めないからだろうか…
わたしはその考えを、ぐっと奥へと押し込んだ。
「伯爵、正直におっしゃって下さい、
奥様と見間違えた令嬢は、わたしの他に何人いらっしゃいましたの?」
わたしの軽口に、伯爵は声を上げ笑った。
「誓って言うが、君一人だ、アリス」
意外な答えに、わたしは軽口が思い浮かばず、口を結んだ。
伯爵の瞳が愛おしそうな色を見せ、わたしの周囲を彷徨う…
「君は本当に、フェリシアに似ている…
髪の色も、目の色も、面影もある…違うのは年齢だけだ。
血縁関係かと疑ったが…何もみつからなかった」
伯爵は頭を振る。
血縁関係を探す内に、フィリップとルイーズの事を知ったのかしら?
今となっては、経緯など何でも良かったが、つい、考えてしまった。
「不思議な事ではありませんわ、世の中には自分と同じ顔の方が、
三人いらっしゃるそうですから」
「成程…君は物知りだな、フェリシアも物知りで、良く僕を驚かせてくれた」
物知りというよりも、伯爵が俗世間をあまり知らない様に見えた。
魔法学園で生徒たちが話す、冗談の一つも知らない様な…
きっと、真面目な方なのね…
「アリス、君の言う通りだ。
誰かに話す事で、僕は自分でも知らなかった事に気付く事が出来た。
君には感謝している、ありがとう___」
真面目に礼を言われ、わたしは気恥ずかしく、紅茶を飲んで誤魔化した。
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