【完結】濡れ衣の令嬢は、籠の鳥

白雨 音

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約束の朝、いつも通りに、クリスが紅茶を持って現れた。
わたしがそれを飲み干すのを待ってから、《それ》が始まった。

クリスは浴室で、わたしの髪をブルネットに染めた。
それから、肩を出す深紅のドレスを渡し、着る様に言った。
身に着けてみると、それは大きく胸元が開いていて、胸を強調させる作りでもあり、
自分の目にも煽情的に映った。

「酷い!」

何て、淫らなの!これでは、売女だわ…!

クリスの求める情婦が、これ程に下卑ているとは想像しておらず、
わたしはショックを受けた。

情婦など、母は「はしたない!下品で淫らだわ!」と罵っていたが、
それは今、鏡に映る自分だった___

だが、クリスはわたしの姿に満足していた。

「ああ、いいね、結構似合うよ、姉さん!」

こんな姿を「似合う」など言われて、うれしい令嬢がいるだろうか?
わたしは俯き、手で胸元を隠した。
クリスは気にする事無く、わたしの黒くなった髪を丁寧に梳かした。
それから、化粧を施す…睫毛は濃く、唇は深紅だ。
この様な化粧はした事が無く、自分では無いみたいだった。

「それと、これが姉さんの盾かな?」

渡されたのは、鼻から上を覆う、銀色の仮面だった。
仮面を着けたわたしに、クリスは「仕上げだよ」と、口元に黒子を描いた。

「仮の名は、ミレーヌだよ、今日からそう呼ぶから、覚えておいてね。
それから、あまり喋らない事、喋る時は低い声でね、喉を壊している事にしよう」

「はい…」

準備が終わり、クリスは今までわたしが開けた事の無い扉を開いた。
そこは、思っていた通り、クリスの部屋…寝室に繋がっていた。
寝室の本棚が隠し扉になっていた。

「今日から、僕が居ない間は、ここで過ごしてね。
部屋でもいいけど、誰か来ると困るのはあなただから、その時は頑張って。
夜着も新しい物を用意するよ、情婦らしい物をね」

『あなた』なんて呼ばれると、余所余所しく感じる。

「クリスが居る時は?」

「一緒に部屋で過ごそう、その時は、情婦らしくしてよ?」

「情婦がどういう者か、知らないわ…」

「それもそうだね、僕が言う通りにしていれば大丈夫だよ」

クリスは簡単に言い、部屋へのドアを開いた。
わたしが良く知る部屋だ。
広く、壁の一面には本棚があり、明るい窓辺には、大きな机が置かれている。
壁の反対側は、ソファやテーブルが置かれ、人を招いたり、寛げる場所だ。
変わっておらず、見慣れた部屋に、わたしは安堵した。

「それじゃ、両親に紹介しよう」

クリスが言ったので、わたしは慌てた。

「待って!そんなの、無理よ、出来ないわ!」

「出来るよ、あなただって、両親に会いたいでしょう?
あんな事があって、両親は病に伏せていないか、気になっていたんじゃないの?」

確かにそうだ、牢に入れられ、会いに来て貰えなかった事で、
わたしは見放されたと思っていたが、ショックで倒れていたのかもしれない。
そんな事も思いやれずに、わたしは自分の事しか考えていなかった。

「お父様とお母様は、お変わりなくいらっしゃるの?」

「あなたが捕まったと聞いてから、二人は現実を受け入れずに、館に閉じ籠っていたよ。
まるで、そうしていれば、不幸は去ると思っているみたいにね」

クリスの口調から、嘲りが見えた。
クリスが復讐したいという相手は、父か母なのだろうか?
そうでなければ、情婦を両親に紹介しようなど、考えない___

わたしは復讐の駒にされるのだ。
納得して受けた事だった。
だが、やはり、《罪》を知る事は怖かった。

それでも、知らなければいけない…

わたしはこれまで、全てに覆いをされ、自分だけ幸せに生きて来た。
傍に居たクリスは、これ程苦しんでいたというのに___

「分かったわ、あなたに従うわ、クリス」

「良い心掛けだね」

クリスは突然、わたしの首に噛みつき、吸った。

「!?」

突然の事で驚き、固まっていると、
クリスは唇を離し、舌でペロリと舐めてから、顔を上げた。

「約束の印」

クリスは満足そうにニコリと笑い、わたしの腰に手を回した。

「さぁ、行こう、情婦らしくしてよ、ミレーヌ」


部屋を出て、廊下を歩いていると、何人かの使用人たちと擦れ違った。
彼等は驚きの目でわたしを見た後、スッと視線を下げた。
胸元を見られた気がしたが、気の所為だろうか?
隠そうと動いた手を、クリスが掴んだ。

「駄目だよ、もっと、堂々としてなきゃ」

堂々となんて!出来る筈が無いわ!
わたしは唇を噛む。

「ほら、見てよ、ミレーヌ、皆、羨ましそうにしてる」

クリスに耳元で囁かれ、わたしはビクリとした。

羨ましいだなんて嘘よ!きっと、売女だと、軽蔑しているんだわ…
知っている者たちに、こんな格好を見られるなんて…!

今直ぐに踵を返し逃げ帰りたかったが、クリスは揺ぎ無く、わたしを連行して行く。
それに、クリスに逆らったら、どんな辱めを受けるか…
これ以上の事をさせられたら、とても耐えられないだろう。
わたしは諦めるより他、仕方が無かった。

わたしの様子に気付いたのか、クリスが言った。

「そういえば、昔から、人の視線を集めるのが苦手だったね」
「ええ…」
「僕が誕生日に贈ったドレスは、さぞ目立ったよね?」
「意地悪だったの?」

素敵なドレスだと感激したというのに…

「意地悪じゃないよ、イーサンに『これ位は買ってやれ』って、言ってやりたかったのさ」
「イーサンも贈ってくれていたわ」
「センスが悪いよ!それに、姉…好みを分かっていない!」

嘗ての、弟が戻って来た様で、わたしはつい、「くすくす」と笑ってしまった。

「楽しそうだけど、パーラーに着くから、出来れば冷たい情婦の様な顔をして欲しいな」

クリスに言われ、わたしは「はい」と笑顔を引っ込め、気持ちを引き締めた。


パーラーに入ると、ソファに座っていた両親が気付き、顔を上げた。
両親は、クリスの隣のわたしを見て、あからさまに顔を顰めた。
わたしは両親の心中を思い、謝りたくなったが、
クリスは全く気にしていない様子で、わたしの腰に手を回したまま、両親の元へ向かった。

「父上、母上、紹介します、こちらが、僕の愛して止まない女性です」

「「「!?」」」

両親は勿論驚いていたが、わたし自身、こんな風に紹介されるとは思ってもみず、
表情を変えなかったのが奇跡だった。

「クリス、冗談でしょう!?そんな…淫らな女を…あなた、騙されているのよ!」
「そうだぞ、クリス!その女の素性はどうなんだ?何処から連れて来た!」
「仮面を取りなさい!失礼だわ!」

両親は立ち上がり、悲鳴の様な声で抗議した。

「素性なんて関係ありません、僕は彼女を知っていますから」

クリスが「くすくす」と笑い、わたしの首に口付ける。
演技だと分かっていても、わたしはどうしたら良いか分からず、固まっていた。

「彼女は顔に火傷の跡があり、仮面で隠しているんです」
「火傷ですって!?嘘よ!醜女に決まってるわ!だから、顔を隠しているのよ!」
「クリス!おまえは、侯爵家を継ぐ身なんだぞ!そんな勝手が許されると思っているのか!!」
「そうですよ!そんな、汚らしい女!侯爵夫人になんてさせませんよ!」

わたしは自分に浴びせられる雑言を、他人事の様に聞いていた。
非難をされるとは思っていたが、まさか、ここまで、口汚く罵られるとは思ってもみなかった。
父は侯爵、母は侯爵夫人だ、普段は言葉を選んでいるのに…
きっと、余程ショックだったのだろう…
わたしは仮面の下で同情を見せた。

「いつも言っているでしょう?僕は侯爵家を継ぐ気はありませんよ」

クリスが素っ気なく言い、わたしは酷く驚いた。
クリスは幼い頃から、侯爵を継ぐと言われて来たのだ。
その為に、勉強もしているというのに…一体、どうなっているのだろう?

「姉さんが家を潰してくれなくて残念でしたよ」
「おまえという奴は!!」
「勘当して下さっても結構ですが、僕の分は頂いて行きますので、耳を揃えて用意しておいて下さい」

クリスが言うと、父は「ぐうっ」と言葉を飲んだ。

「彼女が僕の婚約者になる事に、異論はありませんね?」

婚約者!??
聞いてないわ!!

わたしは反論したかったが、『今は出来ない』と自分を抑えた。

「こ、婚約は…待ってくれ」

「ならば、先の縁談は断って頂けますね?」

この言葉で、わたしはクリスの目的を知った。
この芝居は、縁談を断る為だったのね!

「だ、だが、相手は伯爵令嬢で金を持っている、家同士の付き合いが出来るんだぞ!?
その娘に何があると言うんだ!!
クリス、おまえにだって、分かっているだろう!?
ミシェルが亡くなった今、公爵家と繋がる事は難しい。
侯爵家の為には、何としても、伯爵家と繋がりを持たねばならんのだ」

わたしは胸が痛んだ。
わたしの所為で、クリスが望まぬ結婚をさせられるなんて…!
ああ!わたしが、クリスを守らなくては…!
わたしの腰を抱くクリスの手に、自分の手を重ねた。

「彼女が僕にくれるのは、愛です。
彼女は僕を唯一愛してくれる人です、いつも大きな愛で包んでくれる。
どんな僕でも、彼女は許してくれる、侯爵家を出ても付いて来てくれるのは、彼女だけです___」

クリスがわたしに熱く口付ける。
わたしは薄く口を開き、それに応えた。
両親の前だというのに、全く気にならなかった。

熱く、甘い…

演技だと分かっていても、うっとりとしてしまう。

ああ、わたしったら!どうかしているわ…

クリスは、最初の時以外、行為の時はほとんどキスをしなかった。
暗に下手だと言われた事もあり、わたしとキスをしても、興奮しないのだろうと思っていた。

唇を離したクリスは、優しい表情をしていて、わたしは誤解しそうになった。
愛されていると___
いや、確かに、わたしたちの間には愛があるだろう。
それは、姉弟愛だ。

「愛など、くだらん!!侯爵家に代えられるものは無い!!」

父が声を上げた事で、わたしは我に返った。
急に羞恥に襲われるわたしに、クリスは「チュ」と口付け、肩を抱いた。
そして、軽口を言う。

「母上、父上はあの様な事を申していますが、よろしいのですか?」

母は苦々しい顔をしたが、ツンと澄ませて答えた。

「勿論、承知の上で嫁いで来たのですから、侯爵夫人とはそういうものです。
遊びじゃないのよ、クリス!」

「それなら、やっぱり、僕は家を出るよ、彼女と一緒にね、ミレーヌ」

クリスがわたしの髪を愛おし気に撫でる。
益々両親を怒らせるのでは?と身構えたが、予想していたものとは違った。
何故か、両親は目を見開き、固まっている。

「み、ミレーヌだと!?」
「あなた、ただの名よ!こんな事をするなんて!クリス、嫌がらせも大概になさい!」

《ミレーヌ》というのは、特別な名なのだろうか?
わたしはクリスを見る。
クリスの穏やかだった表情は消え、今は冷たく両親を見ていた。

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