【完結】濡れ衣の令嬢は、籠の鳥

白雨 音

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本編

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『ごめんね、姉さん…僕を憎んでくれていいから…』
『姉さんは、壊れないで…』

夜に聞いたクリスの声は、辛そうなものだった。
あれこそ、わたしの知るクリスだ!
それに、クリスはこの行為を、望んでやっているのでは無い様に思えた。

クリスに止めさせなければ___!!

「でも、どうやって?」

わたしに良い案は浮かばなかった。

わたしの精神は恐怖でクリスに支配されているといっても良い。
一つ間違えば、クリスを怒らせ、どんな事をされるか分からない。
それが思考を鈍らせた。

だが、冷静に考えると、クリスがわたしを犯すのは、最初こそ頻繁だったが、
最近では三日に一度位になっている。
それに、クリスはわたしを散々に絶頂へ追い立てるが、
クリスが欲望を吐き出すのは、一度だけだ。

わたしばかり乱れさせ、クリスが乱れる事は無い。

気になったのは、『姉さんは壊れないで』という言葉だった。
壊れた者がいたのか?
それは、クリス?

わたしは恐ろしい想像に、自分の体を抱いた。

「そんなの!あり得ないわ!!それに、子供は?」

わたしがクリスから奪った人は誰?
壊れたのは、その人?

怖い!!

自分の知らない所で、何かが起こり、クリスを傷つけていた事が怖い。
ずっと、一緒に育って来たと思っていたのに…
一体、いつ、道が別れてしまったのだろう?



夜になり、いつもの様にクリスが姿を見せた。
わたしは夜着姿ではあるが、今日はベッドの上では無かった。
意を決し、椅子から立ち上がり、胡乱な目をしているクリスに声を掛けた。

「クリス、少し、話しましょう?」

「いいけど、手短にね」

クリスは面倒そうに嘆息した。
だが、きっと、これは演技だ___

クリスは座る事無く、腕を組み、わたしを見ている。
わたしだけ座るのも変なので、立ったまま、それを話した。

「クリス、あなたが抱えている事を知りたいの。
あなたはこういう事を、望んでやっているのでは無いのでしょう?
それなら、止めるべきだわ、あなたにとっても、わたしにとっても、良い事は無いもの」

クリスが小さく笑う。

「昨夜の事だね、聞かれてたのか…失敗したな」

「クリス、あなたは、その…誰かに、こういう事をされたの?」

「あんな事をされても、僕の心配をしてくれるなんて、姉さんはやっぱり、聖女だね」

クリスが嘲笑う。
だけど、わたしはもう、騙されないわ!

「クリス、お願い!わたしに話して!何も分からなくて怖いの!
それに、わたしは、一体、何をしたの?
知らなければ、本当の意味で、罪は償えないでしょう?」

クリスは「ふっ」と笑った。

「罪を償う事なんて出来ないよ、誰にもね___」

その通りだ。
何も無かった事には出来ない。
だから、復讐を選んだのね…

わたしは胸に手を当てた。

「せめて、心から謝りたいの…」

クリスは小さく嘆息した。
それから、じっと、青灰色の目でわたしを見つめ、言った。

「姉さんは6歳で、僕は5歳だった」

6歳と5歳!?
そんな幼い記憶がクリスにあるというのか…
信じ難い事だが、クリスは記憶力も良かった。

「その頃、僕はよく一緒に遊んでいた子が居たんだ。
小さくてね、とっても可愛い子だった」

わたしは記憶を辿る。
だが、クリスが誰かと遊んでいた姿は思い浮かばない。

「僕はその子が大好きで、一生、大切にすると決めていたんだ」

そんな幼い頃から…

「だけど、ある日、その子は死んでしまった。
本当は、この家の養女になる筈だった。
だけど、姉さんが『要らない』と言ったから、孤児院に入れられて…
可哀想に、直ぐに流行り病で亡くなったよ」

「!?」

わたしは息を飲む。
全く覚えていない。
だが、わたしの所為で小さな女の子が家を失い、亡くなったと思うと、
強い罪悪感に襲われた。

わたしは何も言えず、息をするのがやっとだった。

クリスは何も言わず、部屋を出て行った。





わたしはクリスに聞かされた過去を、思い出そうとした。
だが、全く記憶の糸を掴む事すら、出来なかった。

「6歳の頃…」

わたしは一体、何をしていただろう?
優しい両親と、可愛い弟と、何不自由無く、幸せに暮らしていた。
その一方で、わたしは、可哀想な子を放り出し、殺してしまったのだ___!

「ああ!クリスは何故、わたしを助けたの!?」

『僕は姉さんに死んで欲しくはないから』

「わたしが憎いなら、見捨ててくれた方が良かった!」

わたしは軽く考えていたのだ。
何を聞いても大丈夫だと…
だが、実際は違った。
考えれば考える程に、その罪は大きく圧し掛かって来た。


「こんなの、嫌___!!」





「姉さん、食べなきゃ」

手を付けられていない食事を見て、クリスが嘆息した。
優しく頬を撫でられ、わたしは反射的にその手を振り払っていた。

「…」

わたしは椅子から立ち上がると、無言でベッドに行き、仰向けに寝た。
そうする事に抵抗は無かった。

「随分、従順だね?」

クリスはわたしの上に馬乗りになると、ニヤリと笑い、わたしを見下ろした。

「…」

少しの間、クリスはわたしを見つめていたが、
息を吐くと、わたしの上から降りた。
そして、並んで横になり、わたしの手を優しく握った。

「分かったでしょう?僕の逆恨みだよ。
僕は目的の為に、姉さんの弱味に付け込んで、利用した。
それだけなんだ___」

クリスは淡々と言う。
何故、今になってそんな事を言うのか…
わたしは頭を振る。

「姉さんは子供だったし、理解していなかったんだよ。
それに、姉さんが『要る』と言っても、孤児院に出されていたよ」

「そんなの…分からないわ!」

「分かるよ、両親も反対だったから…」

「わたしが、要ると言ってたら、両親だって置いてくれたわ!」

両親はわたしにもクリスにも優しかった。
二人で頼めば置いてくれた筈だ。
それなのに、わたしは思い出してもあげられない___!

わたしは泣いていた。


「姉さん、泣いてくれて、ありがとう」


クリスがわたしの手を離し、ベッドから起き上がる。
わたしは涙を拭い、体を起こした。

クリスはわたしに背を向けていた。
その背中が寂しそうで、胸が締め付けられた。
クリスは何度も思い出し、苦しんで来たのだろう…

「クリス」

わたしは彼を呼ぶ。

わたしを犯して、憎しみが癒えるなら…
わたしを犯して、わたしの罪が晴れるなら…

「わたしを罰して…」

クリスは顔だけで振り返り、苦笑した。

「出来ないよ」

今まで、散々してきて、何故、今になって?
わたしは罰して欲しいのに!

「悪いけど、差し出されるものには、興奮出来ないんだ」

クリスが目を反らす。

罪を抱え、後悔に苛まれ続けるのは、罰せられるよりも辛い。
クリスにはそれが分かっているのかもしれない。
わたしを苦しめたいなら、それが一番だ。

わたしは項垂れ、静かに涙を零した。
償いも出来ない、罰しても貰えない…
わたしには、もうどうしたら良いのか分からなかった。

「そんなに、罰して欲しいなら…」

不意にクリスが言い、わたしは顔を上げた。
クリスはいつもの様に、明るい笑みを見せ、続けた。

「僕のもう一つの復讐に、協力して貰おうかな?」

「他にも復讐が…?」

クリスはそれには答えず、話を進めた。

「姉さんには僕の情婦になって貰う、勿論、表向きだけで、行為はしない。
だけど、人前に出る事になるから、気付かれる危険がある。
髪の色を変えて、仮面を着ければ、どうにか誤魔化せると思うけどね…」

クリスは戯れの様に言う。
わたしは『人前に出る』という事さえなければ、頷いていただろう。

もし、誰かがわたしに気付いたら…
わたしは牢屋に逆戻りとなり、処刑されるだろう。
クリスはそれを狙っているの…?
一瞬、そんな風に思ったが、直ぐに打ち消した。
何故なら、そんな事になれば、クリスも罪を背負う事になるからだ。
わたしを仮死の薬で助け出した事が露見すれば、クリスも罪に問われる。
そう、これは、クリスにとっても、危険な賭けなのだ___!

クリスは、そこまでして、復讐をしようというの?
クリスは、怖くは無いのだろうか?

問う様に見つめるわたしに、クリスは頷いた。

「危険だし、姉さんには恥ずかしい事だろうね、断ってくれてもいいよ」

クリスはサラリと言う。
本当は、わたしの事など必要では無いという様に…

「誰に、どんな復讐をするのか、教えて欲しいの…」

「きっと、直ぐに分かるよ」

クリスは答える気は無い様だった。
わたしは心を決め、頷いた。

「分かったわ…あなたに協力するわ、クリス」

わたしはそれを受けていた。

これで償いになるとは思えない。
ただ知りたいと思ったのか、それとも、クリスを止められると思ったのか…
自分でも何故かは、分からなかった。

クリスはわたしをじっと見つめていたが、
不意に腰を屈め、わたしの唇に「チュ」と口付けた。

「!?こういう事は、しないと…!?」

「しないのは性交。演技はしなきゃ、本物らしくね?
この程度で動揺してたら、直ぐに嘘だってバレちゃうよ、姉さん」

「ご、ごめんなさい…」

謝るわたしに、クリスは明るく笑った。

「いいよ、許してあげる!
色々と準備もあるし…そうだな、明後日から始めよう。
今日は晩食を食べて、ゆっくり寝る事!
死んだりしちゃ駄目だよ、姉さん、僕からもう、奪わないで」

クリスはわたしの頭を撫で、部屋を出て行った。

クリスはわたしを慕ってくれている。
それは確かだ。
恨まれても文句は言えないのに…
ずっと、わたしに優しくしてくれている…

「ごめんなさい___!」

わたしは自分の犯した罪を嘆いた。

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