りんねに帰る

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第二部

第八十二話――スターライト

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 レリィナとリンディーは、何やら会話をしていた。そしてレリィナが抱き締めると、リンディーは淡く光り、天に昇って行ったみたいだった。どうしてかはわからずとも、理解が出来た。ペテロアに似て、安らかに眠るリンディーが、もう二度とその目を開かないことを。

 最後、目元を袖で拭ったレリィナが振り返った。もう、揺らがない瞳で私を見た。気付くと私は体の自由を取り戻していた。

「クィルナ、覚えてる? 星が降ったあの日のこと」

「な、何よ急に……忘れる訳ないでしょ」

 それはおそらく、私とレリィナが洗濯物の桶を取りに行った日のことだ。流星が原因で、私はひとつき眠ることになった。

「クィルナの怪我、凄かったんだよ? それこそ、生きてるのが不思議なくらい。でも数日で治った」

 そうだ。アリスさんに聞かされた。私はとんでもない大怪我をしていた。あまりしっかりと思い出せるわけじゃないけど、一瞬、とても痛かったことを覚えている。だのに、それらの傷痕ひとつ残っていない。

 激動の今日、そんなことに疑問を抱く暇も無かった。そういえば、と自分の腕を見る。

「なんで……」

 傷ひとつ、無い。流星の怪我だけじゃない。天使に投げつけたガラス片の傷も、エデンに引っかかれた擦り傷も、レリィナを殴って擦り剝いた跡も、何も無い。

「それは、クィルナの中にはね、天使がいるの」

「……もう、驚かないわよ」

 嘘だ。ホントは驚いた。だけど、何度も驚くのが悔しくて、レリィナにそれを見せるのが恥ずかしくて、見栄を張った。

「ほんと? 今からそれを取り出すけど、大丈夫?」

 え? 取り出すって何? 訳わかんない。でも、既に張った見栄と胸を引っ込められない。

「や、やってみなさいよ」

 そう言ってみると、レリィナは手をすっと伸ばした。星屑みたいな瞳がこちらを見つめている。

 頬に触れた指先は、すすうっと首筋を伝い、胸元へ。くすぐったくて、なんかむずむずする。体の内側を触れられているみたい。

 胸の真ん中辺りで止まった指。レリィナはすうっと息を吐いて、すううううっと息を吸う。そして一息に――。

「えいっ!」

 ――レリィナの手が、クィルナの胸に深々と突き刺さる。

「ぎゃああああああああああああああああああ!!」

 突然のことだった。あんまし突然だったから、クィルナは足を縺れさせて後ろへこけた。それに伴って、レリィナの腕はクィルナの胸元からすっと抜けた。

「な、何すんのよ馬鹿! ……て、あれ?」

 後退りしながら、慌てて自分の胸元を抑えた。だけどそこには傷など一つも無い。柔らかい皮膚と丈夫な肋骨ががっちりと、何事も無かったようにしていた。はてなを浮かべながらレリィナの方を見上げると、その手には白い霧みたいな光を握っていた。

 レリィナはそれを大事そうに両手で抱え、歩き出す。向かう先には、傷だらけのペテロアを抱えたエデンが立っている。いつの間にか目覚めたらしいアリスさんも、その隣で、そわそわと落ち着かない様子だった。

「……ま、待ちなさいよ!」

 何かが行われる。そんな予感にどこか胸が高鳴るのを感じながら、クィルナはそれに駆け寄った。
 
 レリィナが言う。

「……いい? エデン」

「ああ。これが、お母さんの……最後の使命だ」

「……」

 唇を引き結んでレリィナは、その手に抱える光を、ペテロアの体に押し込んだ。

 街から少し離れたこの星空の下で静かに行われるそれは、まるで禁断の儀式を行う怪しげな日陰者みたいだった。呆然と見ていた。役目を終えたのか、レリィナが少し離れた。ペテロアの体は、とても丁寧に、エデンからアリスさんへと渡される。受け取るアリスさんの手は震えていた。

「あとはお前の番だ」

「ええ……。この時の為に、ワタクシは……」

 足を畳んで座ったアリスは、抱えた体を草地に横たえ、上体を抱えた。顔に掛かる髪の毛を優しく払い、その相貌を見ていた。

「……本当に、お別れだ。輪廻の向こうで、また会おう。お母さん」

 そう言ったエデンは、レリィナと同じように後ろへ下がる。どうやら、全てが終わったみたいだった。

 風の音が、木々のざわめきが、嫌にうるさく感じた。星空の煌めきが、眩しすぎるくらいに思えた。それくらい、この儀式は邪魔されてはならないものに感じた。ただ、そう感じた。

「……あ」

 アリスが声を漏らした。見えている。ペテロアの頭上に弱い光が集まって、輪っかを作った。それはペテロアや天使達、アリスの頭上に浮いていたものと同じ光輪。しかし、夜をこれっぽっちも照らせやしない、小さな光だった。

「……んうぅ」

 声がした。それは確かに、ペテロアの喉から鳴った声。

 ――薄く、しかし確実に、そのまぶたが開かれる。灰の瞳が透き通り、満天の星々を映した。

「――」

 ぱっ、と見開かれた瞳。上体を起こした彼女は、ペテロアではない。完全に、確実に、別な存在。光輪がありながら、翼の無い天使。立ち上がり、周囲をきょろきょろと見回す。

「ここは……」

 自らの手を見て、三度の瞬き。アリスが言う。

「問わせていただきますわ」

 その声に彼女は、はっとした様子で振り返る。アリスを見た。二人の口元が震えている。

「あなたの……あな、たの……」

 口元を抑えて言葉の出ないアリスは、下を向いて、ぼたぼたと涙をこぼす。気が付くと、私の頬にも、いつの間にか涙が伝っていた。どうして泣いているのかわからない。わからないまま、目の前のそれは、進む。

 アリスは声を振り絞った。堪えがたい想いすら、声に乗せ、叫ぶようにして言った。

「あなたの……! お名前を……! 教えてください……!」

 天使の頬にも涙が伝っていた。それは悲しみとか苦しみじゃない。きっと、遂げられた想いだ。

「……僕は」

 涙を拭って、鼻をずびと啜り言う。

「僕の、名前は――うわ!」

 言う直前、遮られた。アリスが抱き着いた。抱き締めた。二人は草地にごろごろと転がった。

「ずっと……会いたかったのよ! ルシア!!」

「僕も……僕もだよ、パトラ……!」

 ――運命に見舞われた、天使達の再会だった。


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