りんねに帰る

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第二部

第七十八話――守るんだ

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 崩壊の窓辺に立つ少年。リンディー・ポトハムという名をアリスさんから与えられたはずの彼は、いつものような無表情で睥睨するばかりであった。

「うらああああ!!」

 リンディーの鎌と押し合うエデンの背後で、私はどうしていいかわからず立ち尽くしていた。

「なんだディラン、支配とけちゃったノ。なんでだろウ」

「へっ! 頭の鈍いとんちきやろーのてめぇじゃ一生かけてもわっかんねーよぶぁーっか!!」

「そっカ。じゃあいいヤ」

「――んなっ!」

 エデンの挑発にもやはり心の揺れが感じられないリンディ―はぶつけあっている鎌を回し、エデンの槍をまるで片手間にはねのけた。翼を広げて態勢を崩さまいとするエデンだが、次の瞬間に部屋の壁をぶち破り飛び込んできた天使達に横からかっ攫われてしまう。

「くそがあああああああ!!」

 天使の槍を躱しつつも体当たりを躱しきれず、天使達は壁を破っていくつもの部屋を通り抜けてエデンを連れ去ってしまった。リンディーと私を残して。

「リンディーは結局、オルケノアなの?」

 もう色々あって、さほど驚きもしないし、大したリアクションをしようとも思えない私の問い掛け。

「そうサ。だったらどうするノ?」

 首を傾げて肯定を返す彼。一晩や二晩じゃ足りないくらい泣きじゃくったみたいながさついた声。

「ふん。逃げるに決まってるじゃない」

 私はそう言いつつ、背中を向けて走り出す。背中から襲い掛かられるかも、とか考えていたけど案外何事も無いまま、壁に開いたエデン形の穴を通って廊下に逃げ出せた。そのすぐ後、部屋の扉を吹き飛ばして病室から出て来たリンディーは、大鎌を引きずってこちらを追いかけて来る。しかし決して走り出そうとはせず、何も言わず、遠ざかる私を見つめて遅々たる歩みを進めていた。

「なんなのあいつ……」

 訳の分からないリンディ―の態度に疑問を抱きつつも、私はそのまま西館を出て、こそこそと本館を目指した。ペテロアのいる場所に行かないと。私に何が出来るのかなんてわからないけど、結局何かするしか無いんだから。


 * * *


 西館の出入り口に辿り着いたオルケノアは、本館の裏へ回るクィルナの背を見つめていた。

 あれハ、あとでいいヤ。今は多分ディランの方を優先したほうガ……いいかラ。

 首だけを回し、ディランのいる方を見やると、自身の操る天使の内、数体が無残な肉塊と化して草原に横たわっている。それに目もくれず、オルケノアは草原を裸足のまま歩き、中空で今、最後の一体の首を撥ねたエデンを見上げた。

 ふいに過ぎ去った風が前髪をそよがせ、オルケノアの目元を微かに覆った。

 そういえバ、アリスさんが切ってくれた髪の毛、もう切ってもらえないのカ。

 ふと浮かんだ感慨に、どうしてかたまらず、草地を抉るほどに踏みしめた。拳をさらに強く握りしめた。何かが沸き上がったのは胸の内なのに、反応するのは手や足だ。一体、どうして。この感情は、何だろう。

「これモ、僕の知らない感情ダ」

 口の端を薄く持ち上げ、表情を作ってみる。

 最近覚えたこれは『笑顔』というやつダ。けれド……けれどこれジャ、この感情は満たされなイ。表情だけじゃだめみたいダ。感情って言う奴ハ。

「来いよオルケノア。雪辱ってやつ? 晴らしてやるぜこんちくしょう!」

 槍を差し向けそう叫ぶエデン。

 どうしようも無イ。どうしようも無いというやつダ。今はたダ、身を任せてみるしか無イ。

 笑顔をしまい、エデンはおろか、自分でも驚くほどの力で地を蹴り、オルケノアは地を蹴ってエデンに猛進した。

 それが何故の力なのか。エデンとの激しい応酬の合間にそんなことを考える暇は無かった。


 * * *


 リンディーを撒いた……と思う。本館の裏手に回ってから振り返っても彼の姿は無い。やっぱり逃げ回るだけの私よりも、戦えるエデンを先に倒そうと考えたのか。何にせよその判断は正しいと思うし、こっちもそのつもりで逃げて来た。エデンが耐えてくれている間にペテロアをどうにかこうにかする。作戦なんて呼べるもんじゃないけれど、やるしかない。……もしかしたら、私もエデンのガサツな部分に文句を付けられる立場じゃないかもしれない。それはさておき。

 西館からペテロアが見えたのは本館の二階を伸びる廊下だ。本館の窓から、まるでコソ泥みたいに忍び込む。天使が潜んでいたら一巻の終わり。本当に誰も彼も命懸けの状況だ。

 恐る恐る進むが、踏む床はしきりにぎいぎいと音を立て、私の存在をこれでもかと周囲へ知らしめる。いつもは構わず走り回っていたというのに、今は憎たらしくて仕方が無い。今だけはどうか、静かにしてください……。

 そんな祈りが、どこに届いてしまったのか。指先でそろりと床を踏んだ瞬間だった。

「……あっ」

 通りがかった扉の隙間から伸びる白い手のひらが視界を覆い、あまりに抗いようのない膂力で引き込まれたのだ。

「んむ、むぐー!」

 扉と柱に指を引っ掛けようとするも、引き込む速度はさらに加速し、あと一歩のところで空を掠る。そうしてクィルナは体を抱き留められる感覚を感じながら、それを行った者と共に部屋へ転がり込んだ。

「むぎゃー!」

 口を抑えられて上手く声の出せないクィルナは、野生動物の威嚇にも似た声を上げて体をじたばたとするが、振りほどける手応えは無い。

「むっきー!」

 いよいよ野生然とした足掻きになり出したところ、その者がひそひそと耳元で語り掛けて来る。

「クィル……クィルナ! 静かになさって! 気付かれてしまいますわ!」

「その声……アリスさん?」

 首を回して背後の人物に視線を向けてみると、それはアリス・ソラフ。丘で別れる直前、ユウからクィルナ達を救った、正真正銘の天使様。

 しかしその背中には、その頭上には、天使たる証を携えておらず、その姿はいつも優しく笑い、時に厳しいアリス・ソラフその人。

「あの翼とか輪っかって、仕舞えるんだ……」

 などと天使の新たな生態発見に仄かな感嘆を漏らしていると、アリスさんは態勢を下げたまま部屋のすみっちょへ寄った。私も同じようにしておずおずとそれの後を追う。
 隣へ行くと、アリスさんはもう一度、私を抱きしめて言った。

「クィルナ……! 黙っていてごめんなさいね。ワタクシ達は、実は人間ではないのです」

 耳元で震えながら零された涙交じりのその言葉。謝罪と同時に、幼子への慰めのような言葉だった。しかし、クィルナは既に慰めを必要としなかった。

「あの、アリスさん、そういうの後! 今はペテロアのとこに行かなくちゃなの」

「はい……え?」

「エデンが……えっと、ディランがエデンになったから、ペテロアを助けに来たの。二階で倒れてるでしょ?」

「そう、エデンが目覚めたのですね……。彼は今どちらに?」

「リンディー……ううん、オルケノアを引き付けてる」

「それは……まずいですわ」

 アリスさんはすっくと立ち上がると、私の手を引いて歩き出した。どうして? とアリスさんの背に尋ねると、光から翼を生やしつつ言った。

「エデンがペテロア様に接触しなくては、意味が無いのです。彼がチカラを受け継がなければ、タルファの……ワタクシ達の使命が潰えてしまう」

「そういえば、タルファは」

 その問いを投げた時、アリスさんは小さな声を漏らして、止まった。

「アリスさん?」

 力無くしな垂れる翼を避けて、アリスさんの正面へ回ると、アリスさんの頬が真っ赤だった。目元を拭って震える声で、それでも強がるような声で言った。

「彼の分も、ワタクシは……やらなくてはならないのです」

 私も流石に、その様子を見て、何があったのか理解した。そうだ。命懸けなんだ。妖精さんだってそうだった。ペテロアだって死にかけているのに。ここへ来てようやく、本当に今、死ぬかもしれないんだと実感した。だから、尚更こんなところで止まってられない。

「アリスさん、行きましょう」

「……ええ」

 私自身、その行動は強がりだったかもしれない。ちょっぴり……結構、怖くてたまらないけれど、アリスさんの手を引いて、床をぎしぎし鳴らして歩く。

 守るんだ。私達の居場所を。私達の日常を。


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