りんねに帰る

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第二部

第七十四話――少年が泣いている

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 それは遠い日の記憶だ。一度は忘れてしまっていた、私の故郷の最期だ。それを行ったのは自分だと訴える、悲鳴のような告白だ。

 ディランは――もうディランなのかすらもわからない彼は、そんなことを語った。蹲り握り締める細い拳は、あの日転落しそうだった私を片手で掴み救い出してくれたとは到底思えない。だって、私と大して変わらない大きさなんだもの。

 少年の慟哭響くこの冷たな礼拝堂で、冷たく見降ろすアステオ像。あの日から思うことは変わらない。神なんてそんなものだ。見ていることしか、しないんだ。

「俺はお前の故郷を焼いたんだ!!」

 叫ぶのは少年だ。私の肩を突き飛ばし、唾を飛ばして泣き叫ぶ。そうして転ぶ私へずんずんと距離を詰める。私は床を這って彼から逃げようとした。その目に湛えるものが、確かな怒りに見えたから。

「あんなに良くしてくれた人たちを、あんなに罪も無い人たちを、俺は焼き殺したんだ!」

 転んだ拍子に落としたポンチョが足に絡んで上手く動けなかった。追い付いた彼は私に跨って、くしゃくしゃに歪めた表情をこれでもかと近付けて言うのだ。

「俺は、なんであんなことをした? なんであんな……あの光景を見て、なんっにも思わなかった!」

「……そんなこと私が知る訳ないでしょ!」

「あっはっはっはっは!!!」

 言い返した私に、彼は大きな声で笑い出した。どうしてそんな不安気な表情で笑っているのか、私には理解出来なかった。彼はそりゃそうだ、当たり前だ、なんて叫びだす。

「それはな、俺が……くそ野郎だからだ! 俺が超ド級のくそ馬鹿野郎だから、何にも考えず、何にも感じず、俺がやっちまったんだ……!」

 私に覆いかぶさる彼の涙がぼたぼたと、私の頬に降った。床に拳を叩きつける悲痛な音が聞こえてくる。もう、自分の中で何を拒絶しているのかすら整理の付かないまま身を転がして、彼を押し退け、突き放した。するとその拍子に態勢を崩した彼は転び、長椅子の角に頭をぶつけた。鈍い音が響き渡った。

「ちょっと! 大丈夫!?」

 そんな心配にも彼は応えることなく、アステオ像のように虚ろな目と、うわごとのように小さく漏れ出す声で吐露を続けていた。

「俺はずっと、ずっと自由だった……。俺が選んだ。全部俺が選んで、奪ったんだ……」

 涙が彼の鼻筋や目尻を通って静かに床を濡らしていた。

「わかってんだよ……俺がいなけりゃ、最初っからこんなことにはなってなかった。わかってんだよ……」

 何も言ってあげらなかった。そんな言葉を聞いているだけで、時間は過ぎて行った。張り詰めた何かが重かった。呼吸が酷く、早かった。

 彼は長椅子の角を支えにして身を起こす。そして膝で立ったかと思った次の瞬間、絶叫と共に床へ額を激しく打ち付けた。

「ぁぁぁあぁぁああああ!!」

「なにやってんの!」

 何か砕け潰れる嫌な音の直後、彼の頭部は光に包まれていた。その光は、天使達やアリスさんの纏っていたものとも似ていて、優しい光に思えた。しかし、そんな優しさで救われるような浅い絶望を彼は持ち合わせちゃいなかった。

 何度も何度も額を打ち付ける彼の肩を後ろから抑え込む。力で勝てるはずも無く、一瞬で振りほどかれ、彼が腕を払った拍子、彼の爪が薄く私の腕を引っ搔いた。

「いっ……!」

 それに一歩、後ろへよろける私を見る彼の目は、やはり怯えていた。

「あっ、ちが、う……そんな、そういうつもりじゃあ……!」

「べ、別にこのくらいなんてことないから……」

 私は、彼に強く出ることも出来なかった。ただそれでも、何か、彼に言ってあげなければいけない気がしていた。何を言うべきか、分からないでいた。そんな間にも、彼は頭を抱えて罪に苛まれる。

「お、俺が……アミアを連れてこなけりゃ……悪魔を呼び起こさなけりゃ……俺が、お前に……ああ、ああ! 俺のせいだ! 俺がオルケノアに抗っていりゃあ、こんなことにはならなかったんだ……!」

 これでもかと、額を床に擦り付ける。
 どうして私は、それを見ていることしか出来ないのだろう。どうして私は、それにかけてあげられる言葉も見つけられないのだろう。どうして、どうして。

 ――ああ、そうか。アステオ、分かってしまったわ。

 私も一緒だ。目の前で泣きじゃくる彼を見て、虚しく思ってしまうのだ。私って、これほど何もしてあげられない、虚ろな人間だったんだ――。

 その時。

「――」

 礼拝堂に響き渡るのは、激烈な破壊の音。

「なに」

 礼拝堂の大きな天窓を突き破って弾丸の如く現れた男。テンラ。それが今、砕け散ったアステオ像の顔で力無く倒れている。言葉が出なかった。本当に驚くと人は言葉が出ない。あの人間離れした超人が、負けてしまったというのだろうか。

 理解が追いつかないでいる脳内を、さらに搔き乱す姿が現れる。

 破られた天窓。差し込む陽光。影落とし舞い降りる、五体の天使。

 場違いな感慨が浮かぶ。とても、綺麗だ――。

「――なんだよ、これ」

 見惚れる意識に割って入るのは少年の声。ここで私はようやく、アリスさんがディランを探していた理由に勘付いた。

「ディラン! 今、あいつらが暴れまわってるの! あんたの鎌でやっつけて!」

 彼の肩を揺さぶって言った。しかし彼は動き出すことをせず、絶望に歪む表情で彼らを見上げていた。

「む、りだ……。死神の鎌は、もう使えない……。言ったろ、俺は死神じゃなかったんだ。鎌は死神以外を拒絶する」

 首をふるふると振りながら、恐怖の色を濃くしていくその声色は、聞かされる私さえも絶望を垣間見る程だった。

 そんな絶望の最中、舞い来たる天使の一人は淀みなく、しかし余裕を持って、私たちの元へ歩き出した。

「ディラン、本当に、鎌を使えないの」

「……つかえない」

「他に戦う方法も――「ない」

 食い気味の返答だった。それを言った彼はまた、頭を握りつぶしそうなほどに強く抑え、泣き出した。

「俺の、せいだ。俺が死神だったら。こんな、中途半端な野郎にならなきゃ、俺は……俺は!」

 天使がゆっくり、しかし着実に歩みを進める。床に散ったステンドグラスが踏まれ、音を立てて砕け散る。光る足元。掲げられる槍。

 少年が泣いている。


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