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第二部
第七十二話――馬鹿野郎
しおりを挟む礼拝堂か細く響く嗚咽。
「……ディラン?」
蹲る少年にそう声を掛けた。
フードを深く被り込み、アイデンティティの大鎌もほっぽり出して泣いている。
彼は赤く泣き腫らした目をこちらに向けた。強く睨みつけるそれに込められた意思は拒絶。
「何しに来やがった。帰れよ」
突然視界に飛び込んできたその涙に、その拒絶に、私は動揺した。
本当なら外の状況を伝えるべきだった。なのに、つい私の口から零れた言葉はこれだった。
「なんで、泣いてんのよあんた」
あまりに幼い泣き顔だった。今朝までの生意気な態度とは似ても似つかなくて、ようやく、彼はまだ私と同じで子供なのだとわかった。彼はまだ、少年なんだ。
そんな感慨があったせいか、フードの影から見える彼の顔はどこか怯えているようにも見えたのだ。
「そんな顔しなくたって……」
一歩前に出た私は、涙が伝う彼の頬へ手を伸ばそうとした。彼はそれを片手で叩いて払う。やめろ、と叫ぶ響きも、また嗚咽混じりの音で痛く思えた。そうして、私はごめん、と言いながら目を伏せた。それ以上彼の泣き顔を見るのが悪いことのように思えたから。その姿を見るだけでも、彼は傷つくようだったから。
そうして私の瞳に映ったそれは、襤褸のポンチョだった。
「あんた、それ、私の」
直しておくと言ったアリスさんが預かっているはずなのに。薄暗い礼拝堂で蹲り泣く少年は、それをどうしてか強く握り締めている。それを見ていると、彼は手元のポンチョに目をやって、はっとした顔をして急に立ち上がり、慌てた足取りで二歩三歩後ずさった。
「み、見てんじゃねえ! あっちいけ! 帰れ!」
ポンチョを後ろ手に隠した彼は、もう片方の手をぶんぶんと振るい、私を遠ざけようと必死だった。だけど私は、そんなことで引かない。ずんずんと前に出て、彼の手を払い、背中に隠すポンチョを無理くり引っ手繰った。それはやはり、私がママに編んでもらったもので間違いない。アリスさんの縫ってくれた跡も同じ。しかし、違うところがある。高くはない生地のはずなのに、妙に光を反射する、色の沈んだ光沢。これは、まさか。
指で拭ってみると、べっちょり。
「あんた、これ……鼻水ついてんだけど」
「ぐ……」
更に後退る彼を同じだけ前に出て追い詰める。
「あんた、アリスさんから盗んだの? ていうか鼻水が付くってどういうこと? まさかこれで拭ったんじゃないでしょうね?」
淡々と出る言葉は自分でも驚くほど単調で、怒りとかじゃなかった。多分驚きだ。びっくりしている。それでもこの言葉たちをぶつけられる彼にとったらとんでもなく怒って聞こえたかもしれない。その証拠に、彼の目は更に怯え震えている。やがて彼は足を縺れさせ、礼拝堂の冷たく硬い石床に尻餅を付いた。それに容赦することもなく、私は、ねえ、どうなの、と答えを促した。それに彼は、ち、ちげえよ! と声を大にして言うのだ。
「鼻水拭ったわけじゃねえ! 嗅いでたら付いただけだ!」
「え? じゃあ……泣きながら私のポンチョ嗅いでたの!? 変態じゃない!!」
ようやく自分自身の驚きに感情が追いついたらしく、私の驚嘆が礼拝堂にこだました。
「んな……!! 変態じゃねーよ馬鹿! それ、匂うんだよ!」
「はあああ!? ……うそでしょ?」
言われ、反論はしたいものの、まさかと思いそれに鼻を近づけてみる。……確かに、匂いはする。匂いはするが、これは香りと呼ぶべきだ。
「これのどこが匂うってのよ! どっからどう嗅いでも、れっきとしたカルニィルの香りじゃないのよ!」
それから香って来たのは、懐かしい故郷の香りだった。ずっと部屋にしまっていたから、焚いていた香料が染み付いている。それを臭いみたいな言い方されては、黙っている訳にはいかない。
「これはね、私の故郷で作られてた『カルニィル』って花の香りなの! 今はもう、火事で焼けて何も残ってないし、この香料も別の産地で作られたものだけど……! でもね、この香り馬鹿にするってんならあんた、許さないから!」
そう言って、拳を突き出してみせる。尻餅をついたままの彼は、それを呆然と、口を開けて見ていた。
「……なんか文句ある?」
あまりに何も言い返さないものだから、彼の反応を促すようにしてそう言った。すると彼はまた、ぽろぽろと涙をこぼし、こう叫んだのだ。
「やめろ……やめてくれよ頼むから! もうこれ以上……俺は……!!」
それは懇願だった。頭を抱えて蹲り、本当に泣きじゃくる子供のようだった。違和感が強まる。こいつは、ディランじゃない。あの憎たらしいガキは、小生意気な言い草で、必ずムカつくことを言い返してくるはずなのに、目の前のこいつは、何か、許しを乞うような、そんな子供なのだ。
思っていた反応とは違い、困惑した私はどうすればいいのかもわからず、彼に声を掛けた。
「ちょ、ちょっと、あんたってばそんなじゃなかったでしょ、ディラン――「俺はディランじゃない!」
それは遮るようにしてぶつけられた否定。私はそれに言葉を失う。しかし彼は続けざまに言葉を並べる。
「俺は……俺はディランじゃない……ディランじゃなかったんだ。本当に、本当に死神ですらなかった。俺は……俺はさ、なあ、クィルナ、覚えてるかよ。知ってんのかよ」
私の肩を掴み、縋るような表情の彼は、潤む瞳で、自嘲気な口元で、言うのは――。
「――俺が……お前の故郷を焼いた本当の馬鹿野郎ってことをだよ!!」
「……は?」
一人抱えていた、罪の記憶だった。
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