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第二部
第七十話――いた。
しおりを挟む絶えず私の耳朶を打つのは、テンラと呼ばれた男の笑い声だった。
彼は私を小脇に抱え、森の小道を走っていた。襲い来る天使の猛攻を掻い潜る彼の身体能力はもはや人智の域に無く、この奇跡が終わってしまわないよう、祈ることしか出来なかった。
この男は何なのだろう。アリスさんに招かれて支援院にやって来たという、自称旅芸人。信用を得るには、あまりにも頼りの無い名乗りであると、本人はわかっているのだろうか。目にも留まらぬ速度の天使達を、武器を失って私を抱えながらやり過ごす上裸の人間がただの旅芸人な訳が無いのに。
しかしそんな超人も、得物を失ったことが響いているらしく、体のそこかしこに浅い傷を作り始めていた。時折、私を庇うようにして出来る傷もあり、この男の目的は益々わからなくなるばかりだ。
男の腕の中、頭を抱えて小さくなっていると、お嬢さん、と声がした。
「世界は君にかかっている。だからきっと、自分の願いを忘れちゃいけないよ」
「……今度は詩人にでもなったつもり?」
「ああ、それもいいな」
いいことを聞いた、と言わんばかりの声色だった。
何を言ってもこんなことしか返さない男だ。これから聞こうとすることだって、本当はあまり気が進まなかった。
「あんたって何でも知ってるのね」
「ああそうさ。僕は何だって知っている。そう思え」
「それじゃあ、何でも答えてくれる?」
「なんだなんだ尋問か? どうせ君だろ。たいしたこと聞けやしないさ。難しいこと考えるのは向いてないよ。ほら、零しちゃえよ」
やはり癪に障る男。それでも言質は取った。もうこの際、聞いてやる。
「……ユウがあんたのこと、お父さんって言ってた」
「そう、山あり谷あり大訳ありってなもんさ。君にゃ早い大人の事情……神々の事情? ってやつさ」
槍を構え、一突きにしようと向かい来る天使。男は言いながら、それの頭部を掴み地面へ叩きつける。何かの砕ける嫌な音がした。
結局答えになってない。こいつには答えるつもりなんて毛頭ないのだ。命を守ってくれているのに、どんどん嫌いになる。
「もういいかい。いつまでもいじけられてちゃあ、いい加減困るんだけどな」
飛び掛かる天使の槍を躱し、鉄砲でも打ったのかと間違うくらいの勢いで天使の腹を蹴り上げる。
「……いじけてない」
「そうかい。そりゃあ、よかった」
背後から光に包まれる天使。上空から囲うようにして槍を構える天使。囲まれている。
「……私、どうすればいいの」
「はあ……。言ってやりたいことを言ってやれよ。アレは案外、君にあまっちょろいぜ?」
「それってどういう……きゃあ!」
天使達の槍が同時、私のいた場所目掛けて突き出されていた。それを躱すようにして男は私を高く掲げる。そして振りかぶり、遅れて追いつくのは、嫌な予感。
「さあ行ってこい、クィルナ・ミティナ! 世界を託した……ぜっ!!」
「ちょ、タンマあああああ!!!」
ふわり。なんてものじゃない弩級の浮遊感。男は私の背に丸ごと腕を沿わせ、化け物みたいなフルスイングで一直線に放り投げた。
空気の壁を切り裂いて進む感覚に目も口も開けられず、体をぎゅっと丸めて迫り来る着地に備える。しかし私の体は、がさがさと突っ込んだらしい茂みがクッションとなり、それを抜ける頃には地面をころころとボールみたいに転がっていた。
「あいつ、次あったらぶん殴ってやる……。絶対、ぶん殴る……」
あの憎たらしい気味の悪い男が無事、ここに辿り着くことを計算したのかは分からない。だけどここに送り届けようとしたことは確かで、私に何かを託したというのも事実だった。
「……アリスさん。私のやるべきことって、これでいいのよね」
クィルナは立ち上がる。そこに佇むのは大きな扉。石の礼拝堂。
アリスの言葉を思い出す。
『テンラ、ディランは本館と西館にはいません! 礼拝堂へ、クィルナを連れて行って!』
ディランを探していた。礼拝堂へ私を連れて行かせた。
ここまで揃えば嫌でもわかる。
「私がディランを、ぶん殴ってやればいいのね」
扉の持ち手を握り、力いっぱい引いた。ぎぎい、と悲鳴を上げて開かれる扉。中の空気は依然冷たく、クィルナの首筋を撫ぜた。
一歩踏み入る。すると扉は重みに従い、きいと音を立てて締まった。
昨晩と何ら変わらず、虚しく見降ろすアステオ像があるばかり。静けさの染みついた空間だった。ただ一つ、細く混ざる嗚咽を除いては。
数並ぶ長椅子と長椅子の隙間を覗く。
目が合う。
いた。
「……ディラン」
――少年が泣いていた。
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