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第二部
第六十一話――集い来る
しおりを挟む崩壊の直後にあって、彼らは冷静さを一つも崩すことは無かった。いや、この場合、唖然と言うべきかもしれない。とにかく、彼らの中で狂乱し騒ぎ立てる愚か者は一人もいなかった。まるで愛おしい者に出会えたように笑みを湛えるその存在を前にして思えば、先の崩壊なんて動じるに値しないのだから。
彼女の登場は少し前に遡る。といってもほんの数分の微々たる回想だ。
クィルナとポロロッカが食事場から出た後、アリス、タルファ、ディランの残った三名は長机を囲い、話すべき話をしていた。
片側にアリスとタルファ。もう片側、部屋への入り口を背にする形でディランが大鎌を弄りながら行儀悪く座っている。話し合いが始まってから少しした頃だった。ディランの背後から、溌剌とした声が食事場に響いた。ディランは大鎌を弄るのをやめた。
「――お久しぶりですみなさん!」
場はその瞬間、完全な静寂を迎えた。姿を消していたレリィナの誘拐犯が、さもただの帰省の如く彼らへ声をかけた。
「あれー? どうしましたかみなさん。私こと天輪丸の帰還だというのに、歓待の気が欠片も見受けられませんね。まあいいでしょう。こんな時ですからね」
快いもてなしを、恐らく本気ではないだろうが、期待していたらしい彼女は口を曲げ、肩を落とす仕草で気の落ちようを表現する。それに対し、ようやく最初の会話らしい会話を持ちかけたのはタルファだった。
「まだそんな名前を名乗っているのか、ペテロア。まだごっこ遊びを続けるつもりか?」
「んー? これまた懐かしい顔ではないですか。えーっと、なるほどなるほど。……あー、ルルティア姉様は行ってしまったのですね」
彼女はタルファをじっと見つめ、かつて自らと並んだはずの存在の名を口にした。その様子にタルファは何か得心のいった風に頷いた。
「やはり、君はチカラが覚醒しているな。天界の神格の、見通すチカラが」
タルファのその言葉に一番に反応したのは、それを投げられたペテロア自身では無かった。それはタルファの隣で成り行きを見守っていたアリス・ソラフであった。
「そんな……チカラが目覚めて……? ではあの日既に私のことも……」
アリスの思い浮かべたあの日とは、ペテロアが天輪丸としてやって来た日のことだ。
「ええ、視ていますよアリス。あなたの過去は全て」
アリスの青ざめた表情を更に後押しするようにペテロアは肯定する。アリスがそんな様子になる理由をタルファとディランの二人は理解していた。だからこそ、二人の意志はアイコンタクトの一つで統一された。それは逃走だった。考えうる限りの一心不乱の逃走。
タルファは瞬時に天使のチカラを発現させた。アリスを抱え、翼を強くはためかせ、背後の窓へ向けて飛び出す算段であった。
ディランは大鎌をひたすら強く握り締めた。ペテロアの登場以降、一度も背けなかったその刃を、できる限りの速度を持って向かわせた。自分自身の視線を向けるよりも優先したそれは、しかし完璧にペテロアの魂を捉えようとしていた。
この瞬間、アリスの理解も追い付けない程に凝縮された時間で、二人は一寸の遅れも無い完璧な連携を為していた。なればこそ、彼らは理解を強制されることになる。
「――おや、じゃれ合いですか?」
視線よりも刃を向けることを優先したディランは、ペテロアのそんな間抜けた声を耳にしていた。実際それは幻聴だったかもしれない。だがそれを言うだけの余裕が彼女にあることは確かだった。
タルファは決して目を逸らさなかった。くすりと彼女が笑ったような気がした。それでもディランの大鎌は彼女を捉えようとしていた。ただ、そんな凝縮された時間の中で彼女の六翼が顕現、そして渦を巻くようにして丸まり、花のようにして開かれた。
――瞬間だった。自らを無意識に取り巻いていたはずの大気が、まるで暴威を差し向けてきたように思えた。判然としない視界は、ただ振り回される視界と自分自身に、頭の処理が追いついていないためだった。体を其処彼処にぶつけているらしいが、それさえも詳細には認識出来なかった。アリスを抱えていた腕がどちらの腕か、未だにアリスを抱えたままでいるのかすらわからない。そしてその混乱は唐突に終わった。
「あっ……うぐ……」
タルファは椅子に座っていた。ディランもアリスも、逃走劇の直前と全く同じ位置関係で座っていた。ただ違うところは、長机の端に位置が修正されていたことと、ディランは大鎌を持っていなかったこと。瞼を二度三度瞑って、最後に開いてさえ、理解し難い光景があった。天井が半分なかったのだ。タルファ達のいる食事場は本館にある部屋だが、天井の破壊が現実であるなら、ペテロアは六翼の運動一つで本館一つを斜めに断裂させたことになる。さらにいえば、その断裂されたもう一片はどこに消えたのか。半分に割れた天井からは青々とした空が見えていた。
現状に対する感慨を表現するなら、唖然に尽きる。タルファ達は理解したのだ。我々が今しがた挑んだ存在は、神に代わってこの世界を管理する者――神格であると。彼我の戦力差はどうあっても埋まらない溝であると。そしてそんな存在はまたしても、彼らの心中には全くもって寄り添わない風な声色で、ディランの大鎌を背負い、その手にバスケットを持って登場した。
「みなさん見て下さい! 厩舎の荷馬車になんと! なんとなんとお! 林檎のパイがあったのです!」
それはまるで悪戯心に目覚めた童子が、やっとこさ思い付いた悪巧みの共謀者に誘いたい響きだった。
三名は未だ暴威の混乱が抜けきらず、椅子の上で虚な目をしていた。かろうじてタルファだけが意識を明瞭にしつつあった。彼の目に映ったペテロアの表情は、まるで大切な者に笑い掛けるそれに思えた。彼女の中に宿る思いが何に向けられたものなのかわからなかったが、それが酷く暖かな想いであることだけは、この時彼の得た確信であった。
三人の間、長机の短辺。いわゆるお誕生日席に椅子を引きずって来たペテロアはそれにすっと座り、林檎のパイの入ったバスケットを机に置いた。やけに香ばしい香りだった。その包みを開けば殊更それが彼らの鼻腔を満たす様は容易に想像できる。
「積もる話もありますし、如何です? みんなで一緒に食べましょう!」
それから少しして、ひとつきぶりに林檎のパイが支援院で振舞われた。
これがアステオ聖教支援院での最後の食事となることは、最早誰もがわかりきっていた。
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