りんねに帰る

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第二部

第五十二話――奇跡

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 風は?

 ――吹いている。優しく温かい彼らが二人を包み込む。地を撫ぜ、葉を撫ぜ、空を撫ぜる無垢の手だ。

 夕日は?

 ――照らしている。二人の熱が世界に溢れたみたく全てを赤へ染める。山々のずっと向こうから二人を見守る灼熱の眼だ。

 雲は?

 ――焼けている。二人の世界を囲うようにして棚引く彼らは、この動向に耳を欹てる。世界を遍く揺蕩い、今ここぞと集い来る旅の聴衆だ。

 二人だけだった。この舞台に立つのは二人。それ以外の全てが、舞台を引き立てることのみを許されていた。

 カティ・オールズ。
 ウェイド・オージ。
 二人は今、世界の中心にいた。

「どうして、ここがわかったの」

 カティ・オールズはウェイドに問う。嘘を吐いたはずだった。もう片方の病室にいると言って、支援院を抜け出す時間は作ったはずだ。それに約束だってしたはずだ。

「絶対安静にしなきゃダメって、言ったじゃない。ウェイド」

「ごめんカティ。僕は僕が思っていたよりやんちゃだった」

 ウェイドの声に、カティの胸は痛む。
 ウェイドの強い眼差しに、カティの胸は焼け付く。
 ウェイドの言葉の数だけ、カティの罪は肥大する。

「もうやめて……。もうやめてよウェイド。私、もう消えてしまうの」

「いいやカティ、君はまだ消えない。僕が消させやしない」

 ウェイドは胸に手を当てて言った。真っ直ぐ射抜くその瞳は、カティにすら眩しく思える焔を宿して見えた。しかしその言葉に根拠なんて一つも無かった。そんな虚勢がカティをまたいみじく締め付ける。何も知らないウェイドは、何もできない。すぐにでもやって来る悪魔は、ウェイドのことなんて気にも留めないままカティの全てを奪っていくだろう。

「ウェイド、お願い。このままアリスさんの元に帰るの。私を忘れて、誰か……他の人を想うの」

 カティの言葉にウェイドは歯を噛み締めた。拳を握り締めた。言葉にならない言葉が湧いては沈む。それを知ったように風は木々を騒めかせ、雲を掻き乱す。しかしそんな代弁をウェイドは必要としなかった。それでも掬い上げた言葉達を音にした。

「君はもう戻れないと言うが、そんな訳が無いだろう! アリスさんや子供達がどれだけ君に支えられてきたかを君は知らない! 僕にとって君がどれだけかけがえの無い人なのかを君は知らない! 戻って来るんだカティ! 君が好きだ!」

「どうして……どうしてそんなこと言うの! 私だってこんなこと……!」

 ウェイドの一つ一つが、カティの心を簡単に打ち砕く。それは初めて出会った時もそうだった。ウェイドの清廉な声と素敵な笑顔にやられたのだ。恋人となった時もそうだった。ウェイドはカティの目を真っ直ぐに見つめて『好きです』なんて一直線に伝えた。それはこんな時だって変わらなかった。支援院に帰って来いと言っている。カティが好きだと言っている。――それが出来たらやっている。帰りたい。みんなの元へ帰りたくてたまらない。帰ってお風呂にでも浸かりたい。みんなとまた林檎のパイを食べたい。ウェイドとの幸せを叶えたい。カティにはそれが叶わない。自ら重ねた間違いが、今になって全部を奪っていくんだ。救いようの無い自分だ。既に見終わった夢なのに、ウェイドはそれを訴えてくる。いけない。涙が止まらない。泣く資格なんて無いのに。こうやって抑えられない感情で全部を台無しにしてしまったのに。自分はいつもいつも、変わらない。

「うう……うっ……」

 カティは言葉を返せずに膝を崩してしまう。泣いている。拭っても拭っても溢れる涙が否応無しに自身を殴りつける。それでも尚、溢れ出すそれらは冷めやらない。

「どうして……どうしてわかってくれないの。ウェイドの分からず屋……! だってあなたは、何も知らない! あなたに伝えたいこと沢山ある! だけど私には伝えることができないの! わからなくてもわかってよ!」

「――」

「あっ……、ち、違うのウェイド、あのね、私、こんな、こんなつもりじゃなくって……」

 ああ。またやった。またしても間違いを重ねた。ウェイドは口をあんぐりとさせている。どうして最後の時までこんなみっともないんだろう。泣きじゃくって駄々をこねて、これが天使の神格だなんて、天使に見られちゃおしまいだ。いや、それならもう終わっている。そして目の前には天使の記憶を持った恋人。役満とはこのことかも知れない。
 カティは間違えた。しかし、わがままなんて取るに足らない程の、本当の間違いにカティは気付いていない。それをすぐに突き付けてくれることは、世界の優しさかも知れなかった。

「カティ。君は何にそれほど怯えている」

「何にって……それは……」

 ウェイドの問いに、カティは理解が追い付かない。ウェイドが何のつもりでそれを聞いたのか、カティは気付いていない。それは向き合った時間が違ったからだ。カティにとっては既に向き合ったものだとしても、ウェイドにとって――彼らにとっては未だにそれ自身が恐怖の対象なのだから。

「もしかしたら、君も悪魔を知っているのか?」

「……っ!」

 その問いにカティの身は硬直する。それは決して明かしはしまいとしてきたことだ。カティの中に蘇った記憶があること。それにも皆と同じように悪魔がいたこと。どうしてそんなことをしていたのかなんて、言いたく無いから言わなかった。言ってしまえば嫌われるから。言ってしまえば愛されないから。

「やっぱり……いや、薄々、わかってはいたんだ」

「まってウェイド。お願い、まって」

 カティは予感してしまった。暴かれる者は奇跡すら予感してしまう。彼は、ウェイドは知らないはずだ。カティの正体に辿り着きようが無いはずだ。しかしこの世界は往々にして、秘密の前でこそ、奇跡は起き得る。

「僕の考え過ぎだと思っていた」

 過ちは待ってくれない。

「だめよ、それは――」

 過ぎた時は掴めない。

「――君は、ルルティア様なんだろう?」

 咎人に奇跡は微笑まない。


 * * *


「――それで? これから先のこと、僕が任されていいのかい? 君が積み上げて来たんだろ?」

「――いいさ。適材適所がある。僕らは僕らを演じるだけ」

「――さっすが。超えて来ただけのことはあるね。効率厨ってやつ? まあいいさ。僕は楽しむだけだから」

「――ほら、早く行きなよ。時間は待っちゃくれないんだ」

「――君が言うと説得力が違うな」

「――その子のこと、頼んだよ? 大事な鍵だからね」

「――わかってるよ。わかってるってば」

「――最後に、彼には気を付けるんだ。あれは思う以上に執念深い」

「――はいはい。君もそろそろ行っちゃどうだい。出番は迫っているんだろ?」

「……君と僕はやっぱり似てるな。話しづらくて仕方ない」

「――ははは。大丈夫。これで最後さ。じゃあね。旅人さん。いや、それとも……ああ、つれないとこまでそっくりかい」


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