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第二部
第四十七話――オーバー・オーバー
しおりを挟む天使の名前はベル。
天使にはファミリーネームが無くて、他の天使も大概そんな名前でした。その証拠に僕のバディ……えっと、仕事仲間みたいなものなんですけど、彼の名前はハガ。そして最後に出会った二人の天使も、名前は一つだけでした。その二人の名前はルシアとフーガ。その二人もバディを組んでいて、彼らは人間の魂を運ぶ役目の天使でした。ルシアっていう方は金髪で……瞳が灰色をしていて、フーガって方は、灰色の髪の毛にずっと疲れたような目をしていて、痩せ細った身体に黒い斑点模様のある天使でした。僕は……というよりベルは気にしていなかったみたいですが、彼は町で悪魔という噂も流れる程に気味悪がられていました。そのバディであるルシアも、奇異の目で見られることは少なくなかった。そしてそんな二人に出会ったところから、ベルとハガの暮らしは変化していきました。
それは天使を取りまとめる『天使の神格ルルティア』という存在が、依代である犬のポチに憑依して言ったんです。
「わんわうわわん! (ベル、ハガ。二人に命ず。これより街の外れにある草原の丘に赴くのです)」
なぜかベルとハガだけは、その犬の言葉が伝わりました。二人はルルティア様の命令に当たり前に従いました。
ルルティア様の話では、上級天使が覚醒したとのことでした。あ、天使には三つの階級があって、上級は一番上です。二人の天使の内片方がそれに覚醒しチカラを行使したという話でした。
現場には信じられないくらいの大穴が空いていて、件の二人は上級どころか中級にもなっていない下級天使でした。僕は……違う、ベルはフーガとルシアに何が起きたのかの聞き取り。ハガは大穴周辺の調査を分担しました。
それからベルとハガは、二人を連れて神殿に戻り、ルルティア様にその二人を神殿にて匿うように言われました。ルルティア様はその後、魂の神格と呼ばれる存在、『チェルヨナ』に会いに行ったっきり戻っては来ませんでした。……いえ、戻る前に、彼が現れたんです。
それは確か、フーガとルシアの二人がやって来て五日目の夜のことです。
食事を済ませ、二人はルルティア様に与えられた部屋、ハガは神殿入り口の掃き掃除、僕はポチに夜ご飯をやっていました。
話し声がしたんです。それは僕のいた部屋の隣にある中庭の方からで、僕は部屋の入り口から中庭を覗き込みました。そこにいたのはフーガとルシアでした。二人は並んで星空を見上げていました。それに「夜更かししてんじゃねー」って注意でもしてやろうかと思った時です。フーガの異変に気付きました。彼の黒い斑点模様は、まるで生きているかのように蠢いて、その体を覆い始めました。その様は思い出してもゾッとします。そして彼が、まるで悪魔のような姿になった時、目の前は真っ白な光に包まれ、僕は世界から引き剥がされるような感覚を覚えました。そして次の瞬間、真っ白な世界で、体も何も無い僕と、黒い悪魔がいました。
悪魔は言いました。
「その願いを明かしてはいけない。その願いを忘れてしまってはいけない。君はその願いを叶えなければいけない。それが記憶を残す条件だ」
悪魔の言葉に僕は、多分頷いたんです。その言葉や姿に僕は、不思議と嫌悪を感じなかった。彼の唐突に言った“願い”という言葉の意味が何故だか僕にはすんなりと理解できた。彼は訳知り顔でしたから、もしかしたら知っていたのかも知れません。僕……ではなくて、ベルが、ルルティア様に特別な想いを寄せていたことを。
「もし破ったなら、君の感情を、記憶を、その願いを取り上げる」
そんな言葉を最後に、ベルという天使の記憶は途絶えました。
昨日僕に蘇った記憶はここまでです。
そんな――叶わない想いを抱いた天使の記憶でした。
* * *
ウェイド・オージの語るそれを、アリスは聞いていた。普通ならそんな話を信じる者はおらず、何かの創作の話だと笑い飛ばすなり感心するなり、一様に信じる者はいなかっただろう。そんな話だ。しかしアリスは――いや、この支援院で暮らす者なら誰一人その話を笑わない。記憶の混濁が複数人に見られる症状であるというのもそうだが、ウェイドの人柄を知る者たちは口を揃えて言うだろう。彼は決して嘘を吐く人間では無いと。
「ベルとハガ……。それが、ウェイドと、そしてイアンの天使だった頃のお名前なのですね」
「はい。僕の方は、多少性格が違うような気はしますが、イアンは天使の頃から言葉を喋ることが出来ませんでした。今のイアンはハガの記憶が混ざっているせいでジェスチャーも大袈裟になっているみたいです」
言いながらウェイドは、イアンの眠るベッドを見た。ウェイドが語り出す前、倒れたまま寝てしまったイアンをアリスがベッドに戻した。いくらイアンでも限界を迎えたようで、記憶のことを伝えるのに必死だった。気が動転していて、文字盤で伝えればよかったが、初めて知ったようなことをジェスチャーで伝えようとして、頭がパンクしてしまった。
「それにしても……二人は既に回復している様子なのに、他の子達は未だに眠ったまま。何か違いがあるのでしょうか……悪魔に殺されたというのは一致しているようですが」
「……でも、僕とイアンは全く苦しんでいない。みんなの呟く内容を聞いていると、僕の悪魔とは別の悪魔なんじゃないかって思います」
ウェイドも皆と同様に、記憶の終わりは悪魔によって殺された。しかしその最後は温かい光に包まれる心地で、一つの苦しみも無かった。それに比べて他の彼らはどうしてか、悲惨な最後を遂げたようで、ウェイドにはそれが疑問に思えた。なぜ悪魔は、彼らに苦しみを与えて殺したのか。あれほど優しい光で自分を包み込んだその悪魔は、果たして同一の存在だったのか。
ベッドのしわを視線でなぞりながらそんなことを考えていた。しかし答えは出ない。手がかりが少なすぎる。長い天使の記憶の中でさえ、悪魔という存在は最後の一度きりだ。そんな世界の異物のような存在の真実なんて、一つも辿り着けるものじゃない。
いつの間にか静寂の満ちた病室に、ノックがこんこん、と響いた。それを行った人物に、ウェイドは心当たりがあった。
「このリズムは、カティだ」
「まあ、恋人なだけありますのね――カティ? 入ってらっしゃいな」
アリスの投げた言葉を受け取ったようにゆっくりと開く扉。
「アリスさーん?」
顔をひょいと覗かせたのはカティ・オールズ。アリスの名を呼びながら戸を開けた。
「ウェイド! 起きたの? もう大丈夫なの?」
「うん。心配かけてごめんね、カティ。もう大丈夫だよ」とウェイドも返す。そのベッドの傍の椅子に腰掛けるアリスを挟む形だ。
「カティ、長かったですわね。何かありましたの?」
アリスの投げた疑問も当然のことだった。朝食の食器は三人分。いつもは十数名分の食器を片付けるのに、それと同じだけ時間がかかっている。ウェイドの話をしっかり聞き終わってようやくだ。他に任せた仕事も今日は無かった。
するとカティは「そう、そうなの」と言葉を続ける。
「ポロロッカさんが、隊長と一緒に来てるわ。今応接間で飲み物をお出ししてるの」
「ポロロッカさんが? 隊長に手紙を持たせたから、ウェイドを心配して来たのかも知れませんわね。わかりましたわ。すぐに向かいます」
「うん、だから、ウェイドのことは私に任せて!」
胸をとんと叩いて、やる気を表明するカティ。アリスの出ていくのと入れ替わりに病室へ入る。
「それでは、クィルナにも声をかけてから行って来ますわね。あと、いくら再会が嬉しいとはいえ、子供たちもいるんですから、ほどほどになさいよ」
「……は、は~い」
ウェイドとカティが恋人であることを知っているのは、この支援院においてはアリスのみ。他の子供達はまだ知らない。だから二人がみんなの前でいちゃつきすぎないよう、アリスが注意することはよくあった。しかし状況が状況であるから、アリスは二人の時間を許した。
アリスが戸を閉めた後、病室にはしんとした時間が流れた。カティはアリスの閉めた扉を見つめ、その表情は緊張感を含む。その空気に耐えかねたウェイドが、とうとう口を開く。
「……カティ、どうかしたのかい? なんだか、そうだね、その顔はまるで、何か言おうとしていることがあるのかな」
二人の付き合う前、カティがウェイドに一緒に料理をしようなんて言った時もそんな顔をしていた。その時の真剣な表情といったら、なんだかおかしくて、とても可愛いかったなと、ウェイドは思い出す。その時のような表情で、カティは今ウェイドの眼前に立つ。
「ウェイド」
「ん、どうしたのカティ?」
カティの言葉を待つウェイド。彼は知らない。カティの口走る言葉が、どれだけ身勝手なことなのか。
「――お願いウェイド。私と一緒に、ずっと遠くへ逃げて欲しいの」
カティ・オールズはまたしても、間違いを重ねる。
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